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第二章 入学試験を受ける前まで戻って

49 取り返しのつかない今になって

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あれだけリュエヌに執着していた王子が、密かにリュエヌを想っていた自分の婚約者を慰める。

一頻り泣いたアルファルファがその奇妙さに気付き、体勢を戻そうとした時。


「リュエヌは私に、自分の代わりとしてユアを用意してくれた。」

「か…わ、り……?」

「恐らくリュエヌは、自分が生命を落とすと分かっていたのだろう。急に婚約者などと言い出した時に、私が気付いてやるべきだったな。せっかくの贈り物だと言うのに…」

「ひ…とを……っ、人を物扱いするのは止せっ。」

思わず王子の胸倉を掴んでいた。

つい今しがたまで慰められていた事など関係無い。


「お前が言っているのはっ、リュエヌが大事に想っていた人を勝手に自分の物扱いする、最低な事だぞ!」

「リュエヌの物は私の物だ。ユアは私が貰い受ける。」

「リュエヌがお前に、自分が愛するユアを渡す…」

「…渡すさ。自分の婚約者だった、お前を、私の相手として差し出した男だぞ?」

「く……っ。」

痛い所を突かれてアルファルファは押し黙る。


王子の言った通り。かつてアルファルファはリュエヌの……いや、オーウェン侯爵家の婚約者だった。

エドゥアルドに急きょ、地位のある婚約者が必要となった際に、躊躇なくアルファルファを差し出したのはリュエヌ本人だったと言う。

父であるブリガンデ公爵からリュエヌとの婚約解消と、王子との新たな婚約についての話を切り出された時の、あの表現し難い気持ちがまだ、心の隅の方に残っている。


「ユアには気持ちを寄せているから差し出さない、とでも? ……自分を呆気なく手放した時とは違って?」


パシン……っ!


王子の頬で乾いた音が鳴った。

激昂しても握り拳でなかったのは、公爵令息として身に染み付いた王族への敬意。


「こんな男が俺の婚約者だとは……。お前には失望した!」

カッとなり、王子に手を上げて、本来なら跪いて許しを乞うても足りない所。

アルファルファは更に怒鳴り付けて席を立つ。

扉へと向かう背中に王子が声を掛けた。


「帰るのか?」

「予定より遅くなってしまった。」

「早く帰らねば、可愛い可愛い義弟が不安がるから……か?」

揶揄うような物言いにアルファルファは不快を隠さずに舌打ちする。


それには触れて欲しくなかった。

答え難い事、この上ない話題だから。


あの事件以来、残った方の、大人しい方の義弟はずっと屋敷にいた。

まだショックが抜けない様子で、義兄が出掛けようするたびに精神的に不安定になる為、アルファルファはなかなか出歩けないでいる。

可哀想と思うより少々鬱陶しく感じる方が多い事は、申し訳なく思っているのだ。

何故か王子も義弟には良い印象を持っていないようだが、だからと言って、このような時にそれを表すような言葉を出さないで欲しかった。



「帰る。見送りも案内人も不要だ。」

「リュエヌを襲った犯人については、未だ……分からず仕舞いだ。」

王子の言葉は、ドアノブに手を掛けたアルファルファを振り返らせた。

突然の、しかも今更な話だ。


「その件は、もう…」

「捜査が終わっただけだ。ジョージが死亡扱いになった事でな。……とは言え、だ。ジョージがリュエヌを襲ったなどと、アルファルファも信じているわけではないだろう?」

「ジョージがリュエヌと揉める理由が見当たらないからな。だが…」

「セルゲイ・ランバルトを知っているか?」

急に話を変えるような質問だが、アルファルファは渋々、首を縦に振った。


知らないはずがない。

名前を挙げられたのは、この国の宰相の次男。

学園の新入生で、亡くなった義弟と同じ学級になるはずだった少年だ。

しかも例の事件があったパーティに参加しており、彼も「ハリス伯爵令息が義弟を突き落とすのを見た」という方向で証言した事が、他の令息達よりも大きな確かな証拠となったのだから。

セルゲイの証言がより重く受け止められたのは宰相の息子だから、ではない。

彼が神懸かり的な記憶力と時間感覚の持ち主だと、一部貴族や騎士団の上層部ではまことしやかに知られている事だからだ。


「彼が証言した内容と、調書に書かれた内容に、僅かだが差異があるらしい。」

「差異………。」

「少し、彼の自由にさせてみようと考えているが……展開によっては、お前の義弟にも話をしてもらう事になるかも知れないな。そのつもりでいるよう、アルファルファから伝えておいてくれ。」

「……っ、ぃ…今更だろうっ。」

アルファルファの全身から滲むのは、怒りと拒絶。


今更になってそんな事を言い出した所で、もう、何もかもが遅いではないか。

もう、リュエヌも、ジョージも……戻らない。

死んでしまった、生意気な方の義弟もだ。

もう全てが遅いと言うのに、何を伝えろと言うのだ。


分かっている。

こんな所で自分が怒りを感じた所で、それこそ、何にもならない事ぐらいは。

調書に対する疑問が今になってな事情も、頭では分かっている。

セルゲイが、自分の証言と調書との差異を知ったのが、つい最近なのだろう。

証人達は騎士に呼ばれて色々と話を聞かれるが、その後どうなったのか、自分の証言がどう活用されたのかを知る術は……通常は無いのだから。

被害者の家族であるアルファルファでさえ、ブリガンデが公爵家でなければ、ジョルジェーニの異変なども知る事は無かったに違いない。

だから、今更になるのはある意味、仕方のない話。


それは分かっていても……。



「エドゥアルド、変な事を考えるなよ? ……もう、何もかもが今更だ。」

こびり付いた不快なものを払い捨てるように、軽く頭を振り、アルファルファは扉を開け放つ。

王子からはそれ以上の言葉は無い。


腹奥から込み上げる苦いものに口唇を噛む。

室内を振り返らずにアルファルファは、足早にその場から立ち去った。



引っ叩かれた頬もそのままに、王子は虚空を見上げる。

王子の両瞳が仄暗く光っているのを、見る者は誰もいない。



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