44 / 91
第二章 入学試験を受ける前まで戻って
44 公爵家の令息が穏やかでいられない事情
しおりを挟む
しばらく町中を走っていた馬車はやがて緩やかな広い坂道を上る。
既に王城を取り囲む城壁と、塀の上部には白の一部が見えていた。
城門を潜り抜ければ、何度も訪れているアルファルファには見慣れた風景が広がる。
馬車から降りるアルファルファを、いつもの侍従が出迎えた。
婚約者であるエドゥアルド王子の私室に近い応接室。
いつも通りにそこへ案内される。
暖かいローズティーと茶菓子を出し、召使いが部屋を下がった。
扉の外側には王城内を警備する兵士が立っているだろう。
王子の姿は、まだ、ない。
「……珍しい事もあるものだ。」
ティーカップの中身が半分以上も無くなり、それでもまだ王子が姿を現さない事に、アルファルファは少しだけ引っ掛かりを覚えた。
いつもならもうとっくに来ている頃だ。
城を訪れる目安として伝えてあった時間とも、さほどのズレは無いはずなのに。
部屋に向かう途中、目にする城内の様子は殆ど変わり無いように見えた。
8月の終わりにこの王城で起こった騒ぎを知らなければ、アルファルファも違和感を抱かなっただろう。
だが例の騒ぎを……その渦中となった人物を知るからこそ。
それに関連した何かがあったのではと勘繰らずにいられなかった。
騒ぎの件を思うと、どうしてもアルファルファの眉目に深い皺が刻まれる。
あれは学園の入学式が行われる3日前。
王城にあるガーデンで、エドゥアルド王子の誕生を祝うパーティが開かれていた。
王子の誕生日会は毎年、彼が生まれたその日に行われるのではない。生まれた日に近く、かつ、貴族達が登城するのにも都合が悪くない日に行われるのだ。
父親であるブリガンデ公爵は、息子のアルファルファはもちろん、侯爵家を継がせる者として引き取った双子の養子達を伴って参加していた。
王子の誕生を祝う事もさることながら、学園に入学する前に養子達を、他の貴族令息達と顔合わせさせるのも目的だったから。
ところがパーティの中盤過ぎ。挨拶などを終え、自由な歓談の時間になってから。
近衛兵長の息子であるジョルジェーニ・ハリスがブリガンデ公爵家の養子を、よりにもよって、王城の式典用大階段の上から突き落とすという事件が起きた。
式典用大階段は王城のかなり高い位置にあるテラスから下へと伸びる、幅の広い、とても大きな階段状の舞台だ。
途中にある大きな踊り場で騎士団の式典が行われたり、階段の両脇に音楽隊が並んで曲を奏でたりも出来る。
傾斜は決して緩やかではない。
その大階段の上から突き落としたのだから、殺意を疑われても仕方ない話だろう。
ジョルジェーニ・ハリスは否定しているが、大勢の目撃者がいたのだ。
場所は少し離れていたものの、軽食を摘みながら歓談や休憩をしていた令息達がその現場を目にしたのだから、ジョルジェーニを取り調べる騎士達に彼の言葉が届くわけも無い。
目撃した者達は言っていた。
兄の亡骸に縋って泣く弟がとても哀れでならなかった……と。
大勢の目撃者がいてもなお罪を認めず、その上、養子に対する暴言を吐き続けているジョルジェーニを、こちらも双子の兄であるジンジェットは殴り付けたらしい。
ジンジェットの怒りは激しかった。
自分達の父が近衛兵長だというのに、その息子が故意に人を死なせた事。そしてその後の態度についても、とても許せるものではなかったからだ。
彼等の父である近衛兵長……ハリス伯爵も息子に厳しい言葉を掛け、全てを騎士団の調査に、そしてその後の貴族裁判に委ねると宣言した。
つまり、ハリス伯爵家から恩情を求める願いは出さない、という意思表示だ。
養父となったブリガンヌ公爵はただ一言「然るべき調査と処罰を」とだけ告げ、その後は一切の動きを見せていない。
父がその一言で済ませたのだから、息子であり義兄であるアルファルファからは何も言わなかった。
2人の態度は、取り調べを担当する騎士団をホッとさせただろう。
……俺は随分と冷たい義兄のようだな。
ブリガンデ公爵家に引き取られるまでの間、共に過ごして来た双子の兄を無くしたのだから、遺された弟の悲しみや悔しさは想像を絶するもののはず。
それなのに何故か、顔を覆って震える義弟を見て、可哀想に思えなかった。
別に俺は、ブリガンデ公爵家を義弟達に継がせるのが嫌だとか、そんな風にまで思った事は無かった。
むしろそういった反感を感じている方が自然だっただろう。
ただ何故か、懐いてくる義弟を見ても何も感じなかった。
死んでしまった双子の兄の方がかなり生意気ではあったが、多少は可愛げもあったように感じる。……弟の方も、特に何かをしたわけではないのに。
……そんな事よりも。
思考は別なものに移る。
ここにはいない、リュエヌ・オーウェンの容態を案ずる方へ。
アルファルファの表情を曇らせるのは、その原因は義弟の犠牲では無い。
騒ぎの陰で。
その騒ぎの少し前に、城内の廊下でリュエヌが何者かに襲われたのだ。
彼は身体中を激しく殴打されて、意識不明の状態だった。
発見した使用人は、パーティ会場でも休憩所でも無い廊下に、ジョルジェーニが立ち尽くす姿を見て声を掛けたそうだ。
振り返ったジョルジェーニは焦ったように、誰か人を呼ぶように言い付けると、そのまま何処かへと走り去ったと言う話だ。
義弟の殺害容疑で連行されたジョルジェーニは取り調べる騎士に対して、リュエヌを襲ったのは義弟だ、と言ったらしい。
その事を問い詰めようとして、義弟の後を追い掛けたのだと主張している。
その主張はジョルジェーニの不利な方向に働いた。
近衛兵長の息子が公爵家の養子を突き飛ばす理由は見当たらないが、これがもしも、ジョルジェーニがリュエヌと揉めて思わず手を上げてしまった現場を見られて……という事であれば、義弟の件については辻褄が合う。
計画性の無い突発的なものだから、大勢の貴族令息達に目撃されたのだろう、と。
「なぜ、だ……?」
襲ったのがジョルジェーニだとしても、義弟の1人だとしても、全く別の第三者だとしても。どうしてリュエヌが襲われねばならない……?
なんでリュエヌが……っ。
意識が無くなるまで殴られたのだ。
痛かっただろう。どれだけ怖い思いをしただろうか。
……俺は絶対に、犯人を、許さない…………!
既に王城を取り囲む城壁と、塀の上部には白の一部が見えていた。
城門を潜り抜ければ、何度も訪れているアルファルファには見慣れた風景が広がる。
馬車から降りるアルファルファを、いつもの侍従が出迎えた。
婚約者であるエドゥアルド王子の私室に近い応接室。
いつも通りにそこへ案内される。
暖かいローズティーと茶菓子を出し、召使いが部屋を下がった。
扉の外側には王城内を警備する兵士が立っているだろう。
王子の姿は、まだ、ない。
「……珍しい事もあるものだ。」
ティーカップの中身が半分以上も無くなり、それでもまだ王子が姿を現さない事に、アルファルファは少しだけ引っ掛かりを覚えた。
いつもならもうとっくに来ている頃だ。
城を訪れる目安として伝えてあった時間とも、さほどのズレは無いはずなのに。
部屋に向かう途中、目にする城内の様子は殆ど変わり無いように見えた。
8月の終わりにこの王城で起こった騒ぎを知らなければ、アルファルファも違和感を抱かなっただろう。
だが例の騒ぎを……その渦中となった人物を知るからこそ。
それに関連した何かがあったのではと勘繰らずにいられなかった。
騒ぎの件を思うと、どうしてもアルファルファの眉目に深い皺が刻まれる。
あれは学園の入学式が行われる3日前。
王城にあるガーデンで、エドゥアルド王子の誕生を祝うパーティが開かれていた。
王子の誕生日会は毎年、彼が生まれたその日に行われるのではない。生まれた日に近く、かつ、貴族達が登城するのにも都合が悪くない日に行われるのだ。
父親であるブリガンデ公爵は、息子のアルファルファはもちろん、侯爵家を継がせる者として引き取った双子の養子達を伴って参加していた。
王子の誕生を祝う事もさることながら、学園に入学する前に養子達を、他の貴族令息達と顔合わせさせるのも目的だったから。
ところがパーティの中盤過ぎ。挨拶などを終え、自由な歓談の時間になってから。
近衛兵長の息子であるジョルジェーニ・ハリスがブリガンデ公爵家の養子を、よりにもよって、王城の式典用大階段の上から突き落とすという事件が起きた。
式典用大階段は王城のかなり高い位置にあるテラスから下へと伸びる、幅の広い、とても大きな階段状の舞台だ。
途中にある大きな踊り場で騎士団の式典が行われたり、階段の両脇に音楽隊が並んで曲を奏でたりも出来る。
傾斜は決して緩やかではない。
その大階段の上から突き落としたのだから、殺意を疑われても仕方ない話だろう。
ジョルジェーニ・ハリスは否定しているが、大勢の目撃者がいたのだ。
場所は少し離れていたものの、軽食を摘みながら歓談や休憩をしていた令息達がその現場を目にしたのだから、ジョルジェーニを取り調べる騎士達に彼の言葉が届くわけも無い。
目撃した者達は言っていた。
兄の亡骸に縋って泣く弟がとても哀れでならなかった……と。
大勢の目撃者がいてもなお罪を認めず、その上、養子に対する暴言を吐き続けているジョルジェーニを、こちらも双子の兄であるジンジェットは殴り付けたらしい。
ジンジェットの怒りは激しかった。
自分達の父が近衛兵長だというのに、その息子が故意に人を死なせた事。そしてその後の態度についても、とても許せるものではなかったからだ。
彼等の父である近衛兵長……ハリス伯爵も息子に厳しい言葉を掛け、全てを騎士団の調査に、そしてその後の貴族裁判に委ねると宣言した。
つまり、ハリス伯爵家から恩情を求める願いは出さない、という意思表示だ。
養父となったブリガンヌ公爵はただ一言「然るべき調査と処罰を」とだけ告げ、その後は一切の動きを見せていない。
父がその一言で済ませたのだから、息子であり義兄であるアルファルファからは何も言わなかった。
2人の態度は、取り調べを担当する騎士団をホッとさせただろう。
……俺は随分と冷たい義兄のようだな。
ブリガンデ公爵家に引き取られるまでの間、共に過ごして来た双子の兄を無くしたのだから、遺された弟の悲しみや悔しさは想像を絶するもののはず。
それなのに何故か、顔を覆って震える義弟を見て、可哀想に思えなかった。
別に俺は、ブリガンデ公爵家を義弟達に継がせるのが嫌だとか、そんな風にまで思った事は無かった。
むしろそういった反感を感じている方が自然だっただろう。
ただ何故か、懐いてくる義弟を見ても何も感じなかった。
死んでしまった双子の兄の方がかなり生意気ではあったが、多少は可愛げもあったように感じる。……弟の方も、特に何かをしたわけではないのに。
……そんな事よりも。
思考は別なものに移る。
ここにはいない、リュエヌ・オーウェンの容態を案ずる方へ。
アルファルファの表情を曇らせるのは、その原因は義弟の犠牲では無い。
騒ぎの陰で。
その騒ぎの少し前に、城内の廊下でリュエヌが何者かに襲われたのだ。
彼は身体中を激しく殴打されて、意識不明の状態だった。
発見した使用人は、パーティ会場でも休憩所でも無い廊下に、ジョルジェーニが立ち尽くす姿を見て声を掛けたそうだ。
振り返ったジョルジェーニは焦ったように、誰か人を呼ぶように言い付けると、そのまま何処かへと走り去ったと言う話だ。
義弟の殺害容疑で連行されたジョルジェーニは取り調べる騎士に対して、リュエヌを襲ったのは義弟だ、と言ったらしい。
その事を問い詰めようとして、義弟の後を追い掛けたのだと主張している。
その主張はジョルジェーニの不利な方向に働いた。
近衛兵長の息子が公爵家の養子を突き飛ばす理由は見当たらないが、これがもしも、ジョルジェーニがリュエヌと揉めて思わず手を上げてしまった現場を見られて……という事であれば、義弟の件については辻褄が合う。
計画性の無い突発的なものだから、大勢の貴族令息達に目撃されたのだろう、と。
「なぜ、だ……?」
襲ったのがジョルジェーニだとしても、義弟の1人だとしても、全く別の第三者だとしても。どうしてリュエヌが襲われねばならない……?
なんでリュエヌが……っ。
意識が無くなるまで殴られたのだ。
痛かっただろう。どれだけ怖い思いをしただろうか。
……俺は絶対に、犯人を、許さない…………!
48
お気に入りに追加
405
あなたにおすすめの小説


そんなの真実じゃない
イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———?
彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。
==============
人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

美形×平凡の子供の話
めちゅう
BL
美形公爵アーノルドとその妻で平凡顔のエーリンの間に生まれた双子はエリック、エラと名付けられた。エリックはアーノルドに似た美形、エラはエーリンに似た平凡顔。平凡なエラに幸せはあるのか?
──────────────────
お読みくださりありがとうございます。
お楽しみいただけましたら幸いです。

悪役令息の死ぬ前に
やぬい
BL
「あんたら全員最高の馬鹿だ」
ある日、高貴な血筋に生まれた公爵令息であるラインハルト・ニーチェ・デ・サヴォイアが突如として婚約者によって破棄されるという衝撃的な出来事が起こった。
彼が愛し、心から信じていた相手の裏切りに、しかもその新たな相手が自分の義弟だということに彼の心は深く傷ついた。
さらに冤罪をかけられたラインハルトは公爵家の自室に幽閉され、数日後、シーツで作った縄で首を吊っているのを発見された。
青年たちは、ラインハルトの遺体を抱きしめる男からその話を聞いた。その青年たちこそ、マークの元婚約者と義弟とその友人である。
「真実も分からないクセに分かった風になっているガキがいたからラインは死んだんだ」
男によって過去に戻された青年たちは「真実」を見つけられるのか。

いじめっこ令息に転生したけど、いじめなかったのに義弟が酷い。
えっしゃー(エミリオ猫)
BL
オレはデニス=アッカー伯爵令息(18才)。成績が悪くて跡継ぎから外された一人息子だ。跡継ぎに養子に来た義弟アルフ(15才)を、グレていじめる令息…の予定だったが、ここが物語の中で、義弟いじめの途中に事故で亡くなる事を思いだした。死にたくないので、優しい兄を目指してるのに、義弟はなかなか義兄上大好き!と言ってくれません。反抗期?思春期かな?
そして今日も何故かオレの服が脱げそうです?
そんなある日、義弟の親友と出会って…。
出戻り聖女はもう泣かない
たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。
男だけど元聖女。
一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。
「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」
出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。
ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。
表紙絵:CK2さま

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる