33 / 40
蝶子と白狐
最終話
しおりを挟む「光留君、光留君! 見てください! 蝶子ちゃん、また映画祭で賞取りましたよ!!」
花南がテレビを見ながら興奮した様子で伝えてくる。
「あー、これ、確かに蝶子にとってはまり役だったよな」
光留は蝶子が取ったという賞の元の作品を思い出す。確か数か月前に蝶子から試写会のチケットをもらったのだ。花南の5人目の出産祝いに、と。
おかげで久しぶりに花南と夫婦水入らずでデートは出来たことに感謝はしている。
「あーあ、視えないからってそんなべったり……」
光留は画面越しに見える真っ白な狐を見て苦い顔をする。
受賞者として参列する蝶子の足元に侍る狐は、彼女が父と慕っていた落神の姿を彷彿とさせる。
「あら、いいでしょ。視えないんだもの」
背後から声を掛けられ、光留は「げっ」と呻く。
「いらっしゃい、蝶子ちゃん」
花南が笑顔で迎える。
「蝶子ちゃんのお迎え!」「してきたよ!」
次男の月兎と長女の花織の双子の兄妹は小学二年生になり、随分しっかりしてきた。
「偉いわ、2人とも。ありがとうね」
花南が褒めればドヤ顔をキメる双子に、蝶子はくすくすと笑う。
「ていうか、お前何でこんなところにいるんだよ……」
「噂の花音ちゃんを見に来たのよ。別に光留に用はないわ」
「あっそ。てか、お前授賞式はどうした」
「これ? これリアルタイムの放送じゃないし、昨夜日本に帰って来たのよ」
蝶子がテレビを指して言えば、時間軸的には確かに日本にいてもおかしくない時間だろう。
「まぁ、海外生活にも多少は慣れたけど、やっぱり故郷に帰りたくなるのよ」
ねーと蝶子は足元にいる狐に声をかける。
「ちょちょちゃん!!」
「あら、花蓮。大きくなったわね~」
三歳になった次女は蝶子を見て目を輝かせる。花蓮を連れてきた長男の光汰は、狐に目を止めるとビクリと肩を震わせたが、踏みとどまってぺこりとお辞儀する。
「ども……」
中学生になった光汰は思春期なせいか、妙齢の美女であり、女優として名を馳せている蝶子の前では余所余所しい。おそらく、あの狐が光汰を睨んでいるせいでもあるだろう。
「光汰にまで嫉妬してるのか、その狐……」
光留が呆れたように言えば、狐は今度は光留を睨む。蝶子に近づく男は子供だろうと既婚者だろうと関係なく警戒対象らしい。
「可愛いでしょう」
蝶子が自慢気に狐を抱き締める。
「蝶子ちゃん、ひとつお願いしていいですか?」
「なぁに?」
花南がおずおずと声を掛ければ蝶子は優しく応える。
「その子にちょっと触らせてもらっていいです?」
花南の目からはもふもふしたいというのが隠せていない。蝶子が手ずからブラッシングしているので毛並みの良さはこの狐にとって自慢だ。
「わたしはいいけど……」
花南であれば下手なことはしないだろう。
蝶子は狐をちらっとみると、蝶子の好きにしろと言わんばかりに尻尾を振った。
「ちょっとなら大丈夫みたい」
「わ、ありがとうございます!」
「花南、そんな姿でも一応神の眷属だから気を付けて」
光留の視線が鋭くなったのは、狐がもし花南を傷つけることがあれば迷わず退治しようと思ったからだ。
「ふふ、光留君は心配性ですねえ。わあ、ふわふわ、可愛いー!」
花南は動物好きだが、狐を触るのはさすがに初めてだ。神社の敷地はペット禁止ではないが、子どもが多い槻夜家では動物にまで手が回らないのが実情である。
花南が狐をもふもふしていると、隣室から「おぎゃあああああ!」と元気な赤子の声が聞こえた。
「あらあら、さっきおしめ変えたばかりなのに……」
花南が呟いて立ち上がろうとするのを光留が制する。
「花南はここで休んでて。俺が様子見てくるから」
子育てで疲れているだろう花南を気遣ってくれる光留に甘えて、花南は頷く。
「お願いしますね。何かあれば呼んでください」
「うん。いつもお疲れ様、花南」
光留が花南の頬にキスをすれば、光汰は呆れたような目をし、双子が真似しようとするのを慌てて止める。花蓮は不思議そうに両親を見つめていた。
「あなたたち相変わらずね……」
夫婦仲がいいのはいいのだが、子どもの前でよくやるな、と蝶子は感心すらする。
隣室の子供部屋では三女の花音が大泣きしていた。
「あー、この泣きっぷりはなんか視たな。それか狐に反応したか?」
光留が抱き上げて「よしよし」とあやしてやる。
「その子、霊感体質なのね」
「ああ。多分、花音は朱華の生まれ変わりだ」
「朱華……ああ、昔あなたに取り憑いていた……。懐かしいわね」
光留と蝶子が出会い、巫女姫と守り人になったきっかけのひとつは朱華の存在だ。
「そうだな」
「霊力もちょっと強いから、あなた心配でしょ」
「まぁな。光汰も霊感体質だけど、花音ほどじゃなかったからあまり心配してなかったんだよな」
光汰と花音以外の子供たちは霊を視ることは出来ない。霊感体質も、引き寄せ体質も両親の素質を必ず受け継ぐとは限らないということだろう。
「蝶子、何かわかるか?」
「そうね。この子、霊力は高めだけど、巫女姫になるほどじゃない。せいぜい巫女が限界ね。引き寄せる体質でもなさそうだし、ちゃんと対処法を身につければ普通に暮らせると思うわ」
それは光留もわかっていることだが、光留が花音を守る為にはお守りや数珠と言った道具が必要になる。だが、花音はまだ幼すぎて、道具の類はなんでも口にしたがるから下手に与えられない。以前お守りを渡したら、ほんの少し目を離した隙に涎でべちょべちょになってダメにしていたことがある。
蝶子はそれを聞いて大笑いした。
「あははっ、そ、そりゃそうよ! 赤ちゃんに、お、おまもり渡そうなんて……ひぃひぃ、面白すぎるっ……」
「悪かったな。これでも必死なんだよ」
「い、いえ、悪いことなんてないけど……。でも数珠じゃないのは正解ね」
「ああ、さすがに紐が切れて、珠を誤飲したら困る。花南もそれを懸念してたし、俺もそこまで馬鹿じゃない」
花音が誤飲しないようにと思ってお守りを選択したが、考えが甘かったと光留は反省した。
「そうね。でもやっぱりこのくらい幼いと少し心配よね。ちょっと待って」
蝶子はそういうと、小さく祝詞を唱える。蝶子の霊力の光に、花音がパチパチと目を瞬かせ、泣き止んだ。それからすーっと花音の中に光が入っていくと、しばらく花音は不思議そうにしていたが、光留を見て安心したのか、すやすやと寝息を立て始めた。
「霊感体質がなくなるわけじゃないけど、少なくとも悪霊や落神に襲われることは無いはずよ」
「助かる」
「これくらいなら安いものよ」
それから蝶子は真面目な顔で光留を見る。
「ねえ、光留。正直に言って、あなたあとどれくらい持つの?」
光留はきょとんとする。四十前のおっさんと考えるとイラっとする仕草だが、元の顔立ちがいいせいか、まだ三十代前後に見える光留がすると意外と可愛く見える。
「どうって言うのは?」
「あなたの魂、ボロボロじゃない。花南たちを守る為とは言え、結構無茶してるでしょ」
光留は「そのことか」と苦笑する。
「やっぱ蝶子にはバレるか」
「当たり前よ。わたしに隠そうなんて千年早いわ」
光留は花音をベッドに寝かせ、柔らかな頬を撫でる。
それから視線で縁側に出るように示す。
「花音には聞かれたくないからな」
「まぁ、意外とこういう記憶って残っちゃうものね」
赤ん坊は意外と周りを見て聞いているのだ。
不安な雰囲気も、伝わってしまう。それを気遣うのは親として当たり前だと光留は思う。
花音から少し離れ、出来るだけ声を落とす。
「正直に言えばあと5年。それが限界だと思う」
十六で蝶子の守り人になり、凰花を殺した罪を肩代わりして、月夜とも決別した。その傷は決して癒えることはない。その後も様々なことが起きて、光留の寿命は随分と減ってしまった。
蝶子は光留の限界に気付くのが遅すぎたと歯噛みする。
「光留、今すぐ契約解除しましょう」
「は?」
「今のあなたなら、術者としては一流よ。守り人として穢れを負う必要はない」
戸惑ったのは光留の方だ。
「お前何言って……。そんなことすればお前はどうすんだよ」
「あなたも知っての通り、わたしはとっくに目的を果たしているの。何よあと5年って、花音なんて生まれたばかりよ。花南に5人の子供をひとりで育てろって?」
いや、5年後なら光汰は成人しているし、双子も中学生で分別がつく年齢だ。兄弟仲だって悪いわけじゃない。だから大丈夫だと言おうとした。
「あなたがいなくなったら、花南の魂の傷は深くなるわ。むしろそんなこと知れば花南の方が先に逝っちゃうわよ」
「……それは、困る」
本当に困る。花南に先に逝かれるのは。光留の心が持たない。
「ならさっさとしましょう。わたしなら平気よ。昔と違ってわたしにはあの方の加護もある。それに、あなたと繋がったままだと鳳凰神とも縁が切りにくいわ」
本当にいいのだろうか、と光留は思考する。
確かに、蝶子の守り人から解放されれば、寿命は多少伸びるだろう。それでもどれくらい持つかはわからない。それに、鳳凰神の炎を借りることも出来なくなる。炎にすべてを頼っていたわけではないけれど、慣れすぎてしまった。
だから不安なのかもしれない。だけど、蝶子の言う通りでもある。
もう、蝶子の人生を背負わなくていい。今まで重ねた傷はどうにもならなくても、少なくとも今以上に傷つくことはない。
ただ、少し寂しく感じるのは、重ねた月日があったからか、揚羽の父である月夜の生まれ変わりだからか。どちらかなのかは光留にはわからなかった。
「別に、あなたと守り人の契約を切ってもわたしたちは変わらない。暇になったら花南や子供たちに会いに来るし、あの二人にも、たまには会いたいし……」
「え、俺は?」
「別にあなたなんてどうでもいいのよ。ただ、死んだら花南と子供たちが可哀想でしょ」
今までの光留の感情は何だったのか、この数分間を返せと言いたくなるが、蝶子なりの気遣いだということもわかる。
光留は小さく笑うと、蝶子に微笑む。
「しょうがないな。今までありがとう俺の巫女姫」
「それはわたしの台詞よ、私の守り人さん」
光留が片膝をつくと蝶子がその肩に手を置く。
「我、鳥飼蝶子は槻夜光留を守り人の役目から解き放つ。我への献身に報いて、神の祝福を授けましょう」
「我、槻夜光留は鳥飼蝶子との契約解除を受け入れる。我が巫女姫に最大の感謝を」
立ち合いは蝶子のそばにいた狐だ。
儀式が成功したことを示すように、二人の中で何かがぷつりと切れたような気がした。
光留は立ち上がり、試しに炎を出そうとしてみるが出現することはなかった。
「やっぱり無理か」
「そりゃそうよ。でも、少しほっとしたわ。わたしのせいであなたが死ぬなんて寝覚めが悪いもの」
「それでも俺は、蝶子の守り人であることを誇りに思っていたよ」
「知ってるわ。わたしも、あなたが守り人でよかった。これからも花南と幸せにね」
それから蝶子は次の仕事だと言って、槻夜家を後にする。
「光留君、良かったんですか?」
花南には、蝶子の守り人から降りたことを伝えた。
「まぁ、今までみたいな力が使えないのはちょっと不安だけどな」
「わたしは、少し安心しました。これで光留君の寿命はもう、縮むことはないんですよね?」
花南には長生きできないかも、という話はしていたがあとどれくらい持つということは言っていない。それでも花南なりに感じることはあったのだろう。
「うん、多分。ごめん、今まで心配かけたね」
光留は花南を抱き締める。
「わたしには光留君だけですから。どうかこの先もずっと一緒にいてください」
「もちろん。花南を置いてなんていかないよ」
光留は花南の涙を拭って、そっと口付ける。
その後も蝶子は女優としていくつもの大きな賞をとった。
その横には必ず白い狐がいて、彼女を温かく見守っている――。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
【完結】冤罪で殺された王太子の婚約者は100年後に生まれ変わりました。今世では愛し愛される相手を見つけたいと思っています。
金峯蓮華
恋愛
どうやら私は階段から突き落とされ落下する間に前世の記憶を思い出していたらしい。
前世は冤罪を着せられて殺害されたのだった。それにしても酷い。その後あの国はどうなったのだろう?
私の願い通り滅びたのだろうか?
前世で冤罪を着せられ殺害された王太子の婚約者だった令嬢が生まれ変わった今世で愛し愛される相手とめぐりあい幸せになるお話。
緩い世界観の緩いお話しです。
ご都合主義です。
*タイトル変更しました。すみません。
別れてくれない夫は、私を愛していない
abang
恋愛
「私と別れて下さい」
「嫌だ、君と別れる気はない」
誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで……
彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。
「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」
「セレンが熱が出たと……」
そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは?
ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。
その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。
「あなた、お願いだから別れて頂戴」
「絶対に、別れない」
前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】
迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。
ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。
自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。
「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」
「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」
※表現には実際と違う場合があります。
そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。
私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。
※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。
※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。
あなたなんて大嫌い
みおな
恋愛
私の婚約者の侯爵子息は、義妹のことばかり優先して、私はいつも我慢ばかり強いられていました。
そんなある日、彼が幼馴染だと言い張る伯爵令嬢を抱きしめて愛を囁いているのを聞いてしまいます。
そうですか。
私の婚約者は、私以外の人ばかりが大切なのですね。
私はあなたのお財布ではありません。
あなたなんて大嫌い。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる