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蝶子と白狐

最終話

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「光留君、光留君! 見てください! 蝶子ちゃん、また映画祭で賞取りましたよ!!」
 花南がテレビを見ながら興奮した様子で伝えてくる。
「あー、これ、確かに蝶子にとってはまり役だったよな」
 光留は蝶子が取ったという賞の元の作品を思い出す。確か数か月前に蝶子から試写会のチケットをもらったのだ。花南の5人目の出産祝いに、と。
 おかげで久しぶりに花南と夫婦水入らずでデートは出来たことに感謝はしている。
「あーあ、視えないからってそんなべったり……」
 光留は画面越しに見える真っ白な狐を見て苦い顔をする。
 受賞者として参列する蝶子の足元に侍る狐は、彼女が父と慕っていた落神の姿を彷彿とさせる。
「あら、いいでしょ。視えないんだもの」
 背後から声を掛けられ、光留は「げっ」と呻く。
「いらっしゃい、蝶子ちゃん」
 花南が笑顔で迎える。
「蝶子ちゃんのお迎え!」「してきたよ!」
 次男の月兎つきとと長女の花織の双子の兄妹は小学二年生になり、随分しっかりしてきた。
「偉いわ、2人とも。ありがとうね」
 花南が褒めればドヤ顔をキメる双子に、蝶子はくすくすと笑う。
「ていうか、お前何でこんなところにいるんだよ……」
「噂の花音ちゃんを見に来たのよ。別に光留に用はないわ」
「あっそ。てか、お前授賞式はどうした」
「これ? これリアルタイムの放送じゃないし、昨夜日本に帰って来たのよ」
 蝶子がテレビを指して言えば、時間軸的には確かに日本にいてもおかしくない時間だろう。
「まぁ、海外生活にも多少は慣れたけど、やっぱり故郷に帰りたくなるのよ」
 ねーと蝶子は足元にいる狐に声をかける。
「ちょちょちゃん!!」
「あら、花蓮。大きくなったわね~」
 三歳になった次女は蝶子を見て目を輝かせる。花蓮を連れてきた長男の光汰は、狐に目を止めるとビクリと肩を震わせたが、踏みとどまってぺこりとお辞儀する。
「ども……」
 中学生になった光汰は思春期なせいか、妙齢の美女であり、女優として名を馳せている蝶子の前では余所余所しい。おそらく、あの狐が光汰を睨んでいるせいでもあるだろう。
「光汰にまで嫉妬してるのか、その狐……」
 光留が呆れたように言えば、狐は今度は光留を睨む。蝶子に近づく男は子供だろうと既婚者だろうと関係なく警戒対象らしい。
「可愛いでしょう」
 蝶子が自慢気に狐を抱き締める。
「蝶子ちゃん、ひとつお願いしていいですか?」
「なぁに?」
 花南がおずおずと声を掛ければ蝶子は優しく応える。
「その子にちょっと触らせてもらっていいです?」
 花南の目からはもふもふしたいというのが隠せていない。蝶子が手ずからブラッシングしているので毛並みの良さはこの狐にとって自慢だ。
「わたしはいいけど……」
 花南であれば下手なことはしないだろう。
 蝶子は狐をちらっとみると、蝶子の好きにしろと言わんばかりに尻尾を振った。
「ちょっとなら大丈夫みたい」
「わ、ありがとうございます!」
「花南、そんな姿でも一応神の眷属だから気を付けて」
 光留の視線が鋭くなったのは、狐がもし花南を傷つけることがあれば迷わず退治しようと思ったからだ。
「ふふ、光留君は心配性ですねえ。わあ、ふわふわ、可愛いー!」
 花南は動物好きだが、狐を触るのはさすがに初めてだ。神社の敷地はペット禁止ではないが、子どもが多い槻夜家では動物にまで手が回らないのが実情である。
 花南が狐をもふもふしていると、隣室から「おぎゃあああああ!」と元気な赤子の声が聞こえた。
「あらあら、さっきおしめ変えたばかりなのに……」
 花南が呟いて立ち上がろうとするのを光留が制する。
「花南はここで休んでて。俺が様子見てくるから」
 子育てで疲れているだろう花南を気遣ってくれる光留に甘えて、花南は頷く。
「お願いしますね。何かあれば呼んでください」
「うん。いつもお疲れ様、花南」
 光留が花南の頬にキスをすれば、光汰は呆れたような目をし、双子が真似しようとするのを慌てて止める。花蓮は不思議そうに両親を見つめていた。
「あなたたち相変わらずね……」
 夫婦仲がいいのはいいのだが、子どもの前でよくやるな、と蝶子は感心すらする。
 隣室の子供部屋では三女の花音が大泣きしていた。
「あー、この泣きっぷりはなんか視たな。それか狐に反応したか?」
 光留が抱き上げて「よしよし」とあやしてやる。
「その子、霊感体質なのね」
「ああ。多分、花音は朱華の生まれ変わりだ」
「朱華……ああ、昔あなたに取り憑いていた……。懐かしいわね」
 光留と蝶子が出会い、巫女姫と守り人になったきっかけのひとつは朱華の存在だ。
「そうだな」
「霊力もちょっと強いから、あなた心配でしょ」
「まぁな。光汰も霊感体質だけど、花音ほどじゃなかったからあまり心配してなかったんだよな」
 光汰と花音以外の子供たちは霊を視ることは出来ない。霊感体質も、引き寄せ体質も両親の素質を必ず受け継ぐとは限らないということだろう。
「蝶子、何かわかるか?」
「そうね。この子、霊力は高めだけど、巫女姫になるほどじゃない。せいぜい巫女が限界ね。引き寄せる体質でもなさそうだし、ちゃんと対処法を身につければ普通に暮らせると思うわ」
 それは光留もわかっていることだが、光留が花音を守る為にはお守りや数珠と言った道具が必要になる。だが、花音はまだ幼すぎて、道具の類はなんでも口にしたがるから下手に与えられない。以前お守りを渡したら、ほんの少し目を離した隙に涎でべちょべちょになってダメにしていたことがある。
 蝶子はそれを聞いて大笑いした。
「あははっ、そ、そりゃそうよ! 赤ちゃんに、お、おまもり渡そうなんて……ひぃひぃ、面白すぎるっ……」
「悪かったな。これでも必死なんだよ」
「い、いえ、悪いことなんてないけど……。でも数珠じゃないのは正解ね」
「ああ、さすがに紐が切れて、珠を誤飲したら困る。花南もそれを懸念してたし、俺もそこまで馬鹿じゃない」
 花音が誤飲しないようにと思ってお守りを選択したが、考えが甘かったと光留は反省した。
「そうね。でもやっぱりこのくらい幼いと少し心配よね。ちょっと待って」
 蝶子はそういうと、小さく祝詞を唱える。蝶子の霊力の光に、花音がパチパチと目を瞬かせ、泣き止んだ。それからすーっと花音の中に光が入っていくと、しばらく花音は不思議そうにしていたが、光留を見て安心したのか、すやすやと寝息を立て始めた。
「霊感体質がなくなるわけじゃないけど、少なくとも悪霊や落神に襲われることは無いはずよ」
「助かる」
「これくらいなら安いものよ」
 それから蝶子は真面目な顔で光留を見る。
「ねえ、光留。正直に言って、あなたあとどれくらい持つの?」
 光留はきょとんとする。四十前のおっさんと考えるとイラっとする仕草だが、元の顔立ちがいいせいか、まだ三十代前後に見える光留がすると意外と可愛く見える。
「どうって言うのは?」
「あなたの魂、ボロボロじゃない。花南たちを守る為とは言え、結構無茶してるでしょ」
 光留は「そのことか」と苦笑する。
「やっぱ蝶子にはバレるか」
「当たり前よ。わたしに隠そうなんて千年早いわ」
 光留は花音をベッドに寝かせ、柔らかな頬を撫でる。
 それから視線で縁側に出るように示す。
「花音には聞かれたくないからな」
「まぁ、意外とこういう記憶って残っちゃうものね」
 赤ん坊は意外と周りを見て聞いているのだ。
 不安な雰囲気も、伝わってしまう。それを気遣うのは親として当たり前だと光留は思う。
 花音から少し離れ、出来るだけ声を落とす。
「正直に言えばあと5年。それが限界だと思う」
 十六で蝶子の守り人になり、凰花を殺した罪を肩代わりして、月夜とも決別した。その傷は決して癒えることはない。その後も様々なことが起きて、光留の寿命は随分と減ってしまった。
 蝶子は光留の限界に気付くのが遅すぎたと歯噛みする。
「光留、今すぐ契約解除しましょう」
「は?」
「今のあなたなら、術者としては一流よ。守り人として穢れを負う必要はない」
 戸惑ったのは光留の方だ。
「お前何言って……。そんなことすればお前はどうすんだよ」
「あなたも知っての通り、わたしはとっくに目的を果たしているの。何よあと5年って、花音なんて生まれたばかりよ。花南に5人の子供をひとりで育てろって?」
 いや、5年後なら光汰は成人しているし、双子も中学生で分別がつく年齢だ。兄弟仲だって悪いわけじゃない。だから大丈夫だと言おうとした。
「あなたがいなくなったら、花南の魂の傷は深くなるわ。むしろそんなこと知れば花南の方が先に逝っちゃうわよ」
「……それは、困る」
 本当に困る。花南に先に逝かれるのは。光留の心が持たない。
「ならさっさとしましょう。わたしなら平気よ。昔と違ってわたしにはあの方の加護もある。それに、あなたと繋がったままだと鳳凰神とも縁が切りにくいわ」
 本当にいいのだろうか、と光留は思考する。
 確かに、蝶子の守り人から解放されれば、寿命は多少伸びるだろう。それでもどれくらい持つかはわからない。それに、鳳凰神の炎を借りることも出来なくなる。炎にすべてを頼っていたわけではないけれど、慣れすぎてしまった。
 だから不安なのかもしれない。だけど、蝶子の言う通りでもある。
 もう、蝶子の人生を背負わなくていい。今まで重ねた傷はどうにもならなくても、少なくとも今以上に傷つくことはない。
 ただ、少し寂しく感じるのは、重ねた月日があったからか、揚羽の父である月夜の生まれ変わりだからか。どちらかなのかは光留にはわからなかった。
「別に、あなたと守り人の契約を切ってもわたしたちは変わらない。暇になったら花南や子供たちに会いに来るし、あの二人にも、たまには会いたいし……」
「え、俺は?」
「別にあなたなんてどうでもいいのよ。ただ、死んだら花南と子供たちが可哀想でしょ」
 今までの光留の感情は何だったのか、この数分間を返せと言いたくなるが、蝶子なりの気遣いだということもわかる。
 光留は小さく笑うと、蝶子に微笑む。
「しょうがないな。今までありがとう俺の巫女姫」
「それはわたしの台詞よ、私の守り人さん」
 光留が片膝をつくと蝶子がその肩に手を置く。
「我、鳥飼蝶子は槻夜光留を守り人の役目から解き放つ。我への献身に報いて、神の祝福を授けましょう」
「我、槻夜光留は鳥飼蝶子との契約解除を受け入れる。我が巫女姫に最大の感謝を」
 立ち合いは蝶子のそばにいた狐だ。
 儀式が成功したことを示すように、二人の中で何かがぷつりと切れたような気がした。
 光留は立ち上がり、試しに炎を出そうとしてみるが出現することはなかった。
「やっぱり無理か」
「そりゃそうよ。でも、少しほっとしたわ。わたしのせいであなたが死ぬなんて寝覚めが悪いもの」
「それでも俺は、蝶子の守り人であることを誇りに思っていたよ」
「知ってるわ。わたしも、あなたが守り人でよかった。これからも花南と幸せにね」
 それから蝶子は次の仕事だと言って、槻夜家を後にする。
「光留君、良かったんですか?」
 花南には、蝶子の守り人から降りたことを伝えた。
「まぁ、今までみたいな力が使えないのはちょっと不安だけどな」
「わたしは、少し安心しました。これで光留君の寿命はもう、縮むことはないんですよね?」
 花南には長生きできないかも、という話はしていたがあとどれくらい持つということは言っていない。それでも花南なりに感じることはあったのだろう。
「うん、多分。ごめん、今まで心配かけたね」
 光留は花南を抱き締める。
「わたしには光留君だけですから。どうかこの先もずっと一緒にいてください」
「もちろん。花南を置いてなんていかないよ」
 光留は花南の涙を拭って、そっと口付ける。


 その後も蝶子は女優としていくつもの大きな賞をとった。
 その横には必ず白い狐がいて、彼女を温かく見守っている――。
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