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光留と花南
第十五話
しおりを挟む光留の部屋に入り、倒れていた光留を発見した花南は、全身が凍り付いた気がした。
「イヤアアアアアアーーーッ!」
花南は悲鳴をあげると、慌てて光留に駆け寄る。
「光留君! 光留君っ!!」
光留の身体に触れると氷のように冷たい。なのに顔の方は火が出るんじゃないかというくらいの高熱が出ている。
「ぅ……」
光留がうっすら目を開ける。
「光留君! なんで、どうして……っ!」
「か、な……ん……?」
光留が花南を視界に捉えると、脂汗をにじませながらふわりと笑う。
「ごめ、い、ま……ごほっ、はっ」
光留が咳き込むとその手には血が付いている。
「っ、どうしよう、どうしたら……」
パニックになった花南は右往左往する。
「やだ、死なないで光留君……」
花南は涙をボロボロと零しながら訴える。光留は震える手で花南の涙を拭う。
「うん、ごめ、んね……」
ぱたりと力なく光留の手が落ちる。
「光留君!?」
苦しそうな表情の光留を見るのは辛い。
「どうしよう……、光留君が死んじゃったら、わたし……どうしたら……」
最悪を想像して、涙が溢れた。
好きなのだ。どうしようもなく。自分が臆病なだけで、光留は何度も花南を助けてくれた。
蝶子のことも、守り人であることも、全部花南のためになると光留は思っている。
そんな優しい光留に、何ができるのだろう。
花南は涙の溢れる目をごしごしと拭う。
花南の力で男の人をベッドに運ぶのは危なすぎる。下手すれば光留の頭をぶつけてしまう。
移動は無理だが、まずはこの熱を下げないと、と花南はベッドの毛布を光留にかけ、台所に行くと氷枕を用意する。
それから、薬箱を探し出し、冷却シートを持ち出す。
「えっと、血管の太いところに氷枕、それから、額に冷却シート……」
吹き出る汗を拭ったり、氷枕もすぐに交換が必要になる。だけど、光留の熱は一向に治まらない。
風邪が原因ではない。原因は光留から溢れ出ている黒い靄だろう。
だけどこれは、花南にはどうすることも出来ない。
唯一できるとすれば、蝶子以外にはいない。
花南は蝶子に連絡を取った。
蝶子はちょうど稽古場に移動中だった。
駅の改札を出て少ししたところで着信音に気付く。
「はい、鳥飼です」
『こ、こんにちは、宮島です』
蝶子は一瞬誰だかわからなかった。
(えっと、宮島……宮島……、あ、光留の彼女だっけ……?)
蝶子が花南と顔を合わせたのは片手で数える程度。まだ友人と呼ぶほど親しくもないので、苗字を聞いてすぐに思い出せなかったのは致し方ない。
「こんにちは。どうかしましたか?」
『あの、み、光留君が……』
「みつ……じゃなくて、槻夜君?」
花南のおどおどした喋り方はいつもの事だが、それにしては様子がおかしい。
『は、はい。その、今日、会う約束してて、家に行ったら、ひくっ、み、光留君、倒れててっ……。ふっ、黒い、靄みたいなのも、いっぱい出てて。わたし、うっ、どうして、いいか、ひっく、わからなく、て……』
「黒い、靄……?」
蝶子が光留に最後に会ったのは一昨日。その時もまだ花南から引き受けた落神や呪詛は祓いきれてはいなかったが、今すぐどうこうなることはなかったはずだ。
だが、光留が花南から移した呪詛の類は膨大な数で、それらが光留の中で合わさり狂暴化している、というのは可能性としてあり得る。そうなれば光留の命が危ない。
「今、槻夜君と話せる?」
『無理、です……ふっ、さっき、一瞬、意識が戻ったけど、すぐに、気絶して。身体も、ひっく、氷みたいに冷たくて、でも、頭の方の熱も、全然、下がらなくて……』
意識が無いなら危険な状態だ。
「わかった、すぐに行くわ。宮島さん、その間に朱鷺子おば様に連絡してもらえる? あ、朱鷺子おば様って槻夜君のお母様なんだけど……」
『連絡先は、知ってますので、大丈夫です』
「そう。悪いけどお願いね」
『はい』
蝶子は通話を切ると、すぐ近くに控えている白狐を見る。
「父様、ごめんなさい」
『構ワナイ。オ前ハ我ノ主ダ。好キニ使エ』
「ありがとう。父様、大好き」
蝶子は白狐に抱きつくと、白狐は蝶子を抱えたまま光留の家へと転移する。
蝶子が光留の家に着き、部屋に駆け込むと室内は瘴気で満ちていた。
花南は持っていたお守りのおかげで無事なようだが、それほど長くは持たないだろう。
「ああもうっ! こんなになるまで連絡寄こさないなんて、馬鹿なの? 知ってた、馬鹿だったわ、この男!」
意識の無い光留を罵りながら、蝶子は光留の元へ駆け寄る。
「宮島さん、大丈夫?」
「ちょ、蝶子、さん……わたし……」
「ええ、もう大丈夫よ。ここからはわたしが何とかするから。あなたは一度外に出ていて。じゃないとせっかく治った身体を壊すことになるわ」
それは光留も望んでいないだろう。
花南は「お願いします」と一言伝えて部屋を出た。
「一応、結界は機能しているようね。けど、それが仇になった。霊力が暴走している」
蝶子はパンパン! と二回柏手を打つと、一時的に瘴気は霧散した。
しかし、発生源となる根本的な原因を取り除かない限り、光留の意識は戻らないだろう。
「数は確実に減っている。でも、こんなに膨れ上がるなんて……、あら?」
光留の魂や、気の流れを視ながら蝶子は一か所黒い点のような塊を見つける。
「これって……」
――これ、ちょっと根が深いわね。とても小さいものだけど……。
――でも痛みは引いているし、気持ち悪さもない。そのうち自然浄化されるだろ。
ちょうど一年くらい前だろうか。そんな会話をしたような記憶がある。
その時のものが、まだ残っていた。そしてそれが核となり取り込んだ落神や悪霊、呪詛を集め膨らんだ。光留は無意識のうちに自身を守ろうと霊力を使っていたのだろうが、肥大化しすぎて暴走した、と言ったところだろう。
霊力は無尽蔵じゃない、限りがある。このまま暴走させ続ければ光留は確実に死ぬ。ただでさえ、光留の魂は傷だらけで、ボロボロなのだ。本来であれば癒して傷を塞ぐことに専念しなければならないのだが、ここ最近、落神の出現率は異様に高く、蝶子も光留もそこそこの数を倒すことが続いていた。
もっと早く光留の状態に気を配っていればと、蝶子も唇を噛み締める。
「だから、守り人なんて嫌なのよ……」
蝶子は深呼吸すると、祓詞を唱える。
「掛けまくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等、諸の禍事・罪穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと、恐み恐み白す――」
蝶子の霊力と合わさり、清浄な風が室内に吹き込む。
しかし――。
「っ、根が深すぎる……」
この核だけは取り除かないと、また光留は苦しむことになる。
蝶子は必死に考える。
そこでふと、ある刀の存在を思い出す。
「月夜の刀……っ!」
蝶子の前世、揚羽の父親であり、光留の前世でもある月夜。そのさらに前は神だった。そしてその権能は”縁切り”。
鳳凰神が揚羽の母、凰花を呪いから解放する術として、揚羽に授けたものは、月夜の前世の権能を込めた刀だった。
もう使うことはないと思っていたが、まさかこんなところで使い道があるとは思っていなかった。
あれは、悪縁――光留に根を張った瘴気の格との縁を切り離すことも出来るはずだ。しかも、元々権能を持っていた神の転生体である光留なら、死ぬほどの影響は出ないはず。……ちょっとした大怪我はするかもしれないが。
蝶子は月夜の刀を手の中に顕現させると、核のある場所を見定める。
そこは、ちょうど心臓の真上。
この刀で物理的に物が切れることは母である凰花を殺したときに立証済みだ。
「そーっと、そーっと、ゆっくりね。そう、失敗したら父様に顔向けできないわ」
慎重に狙いを定めて、深く刺しすぎないように。
「てか、この刀長すぎんのよ!」
と悪態をついたら、刀が光りだした。
「あら?」
刀を包んでいた光は小さくなり、発光が収まると小刀サイズになっていた。
「……これ、形変えられたのね。初めて知ったわ」
でもこれで多少はやりやすくなった。
もう一度同じ場所に狙いを定めて、ぷすりと刺す。核に刃先が触れ、ピシリ、と音を立てる。
蝶子はそのままの状態でもう一度祓詞を唱えると、ガラスが砕けるような音が響き、核が割れた。
蝶子は光留から小刀を抜く。
「心臓には届いてないはず、だけど……」
見ていても普通に痛そうだ。瘴気は徐々に薄れつつあるので、今は病院に連絡する方が先だろう。
「蝶子ちゃん! 光留が死にそうって!」
救急車を呼ぼうとしたところで、朱鷺子が駆け込んでくる。
「おば様。ひとまず原因は取り除きましたので、救急車呼んでいいですか?」
蝶子がにっこり笑う。
確かに、今朝光留と別れた時にあった黒い靄は今は薄くなっている。蝶子が祓ってくれたのだろうことは一目瞭然だ。
「ええ。ってきゃああっ! 光留の心臓に穴が!?」
「そこまで深く刺してないですよ~。あ、すみません、救急車一台お願いしていいですか? ちょっと怪我人が……」
それからしばらくして救急車が到着した。
心臓付近に怪我ということで説明には苦労したが、とりあえず命に別状はない。冷え切った身体も、高熱も原因を取り除いて瘴気も祓ったので、しばらくすればもとに戻るだろう。
数日後、花南は光留の病室に見舞いに来ていた。
あれからまだ光留の目が覚める気配はない。
光留の手を握ればほのかに温もりが感じられる。
「こんにちは、宮島さん」
「こんにちは」
病室の扉が開いて、入ってきた蝶子に花南は会釈する。
「どう? 様子は」
「まだ、目が覚めないです。怪我自体は深くないですけど、体力がだいぶ落ちていたし、高熱も出ていたのでまだしばらくかかるだろうと……」
「そう。……はぁ、彼もほんと困った人ね。こんなに可愛い彼女放って寝てばっかりなんて。女装させてやろうかしら、で、これが本当の眠り姫ってネットで拡散してやる」
「拡散は、ちょっとかわいそうかと……」
蝶子の冗談とも本気ともつかない提案に、花南は苦笑する。
「あら、女装はいいのね?」
「あ、はい。とても美人ですから勿体ないです」
「もしかして、高校の時の見たの?」
「初めてお会いした合コンで、話のネタにされてましたよ」
「ウケるわそれ、わたしも行けばよかったかしら」
二人は顔を見合わせるとくすくすと笑い合う。
「まぁでも、彼にとっても今回の事はいい薬になったはずよ。やっぱり、巫女姫と守り人なんて無くなればいいのよ」
「蝶子さんは、どうして巫女姫に?」
「正確には巫女姫は揚羽よ。揚羽は両親の才能が強く出た影響で、霊力が高かったの。それで神託で巫女姫に選ばれたのよ」
つまり、自分の意志は関係なかった。物心ついたときには巫女姫と呼ばれ、母と同じ五つの時の神託で正式に巫女姫に選ばれた。
ただそれだけのことだ。
「でも、揚羽の時にわたしはその使命を全うできなかった。それがちょっと悔しくてね。だからと言って続けたいってわけじゃなくて、仕方なくっていうところもあるわ」
「辛くないんですか?」
「そうねえ。巫女姫であることに誇りはあるけど、時々嫌になることはあるわ」
揚羽の転生は蝶子で七回目だ。魂もだいぶすり減っている。次の転生は光留のおかげで問題ないはずだが、その後はわからない。
それに、蝶子――揚羽の目的は六年前に果たしている。もう巫女姫である必要もない。
「でも、巫女姫だったから、わたしは母様にも白狐にも逢えた。だから後悔はしていないの」
蝶子の想いを聞き、花南はすごいなと素直に感心する。
「本当は、わたしの目的を果たしたら、槻夜君を守り人から解放してあげようと思ったの」
「え……」
「だって、ボディーガードって言えば聞こえはいいけど、実際は生きた依り代、体のいい身代わり。時代によっては一人の巫女に対して何人もの守り人が使い潰されて、死人も廃人も多かった。わたしは、守り人をそんなふうに扱いたくない。生きた人間だもの。自分のせいで誰かが死ぬなんて、後味悪すぎるじゃない」
蝶子が守り人探しに積極的にならなかったのは、自身の霊力の高さと釣り合うだけの相手がいないこともそうだが、自分のせいで誰かが傷つくのを見るのが嫌だからだ。
「こんな役割、無いほうがいいのよ」
それは揚羽の頃から思っていたことだ。でも、必要だというのもわかるのだ。
守り人がいるから巫女は安心して職務に励めるし、守り人は守りたいものを守る為の力を得ることが出来る。
光留とてそうだ。自分が守りたいもの、救いたいものの為に蝶子の手を取ったのだから。
「まぁ、でも彼は自分の意志で続けるって言ったのよ。それならってわたしも了承した。だから、お互いが満足するまで対の存在でいるしかない」
蝶子は花南を見る。
「あなたも苦労するわね。本当に嫌なら振っちゃいなさい。彼、女々しいところはあるけど、あなたが嫌がることは絶対しないはずだから」
「……わかります。光留君は、すごく優しい人だから」
光留は花南と誠実に向き合って、巫女姫の事も守り人の事も教えてくれた。
花南の気持ちを組んで、たくさん待っていてくれた。
正直、不安が全て解消されたわけじゃない。それでも、そばにいたいと思う。
「たぶんそれ、あなたにだけよ。……あなたの話をするときの彼、いつもより表情が柔らかくなるの。母様の話は死にそうな顔するのに。それだけ、あなたの事が大切なのよ。だから自信持って、もっと強気で行けばいいわ」
蝶子の励ましに、花南は頷く。
「……か、な……」
「光留君?」
光留の口から小さな音が漏れる。そばに行けば、瞼が震えた。
「光留君!」
「かな、ん……?」
「はいっ。良かった、目が覚めて……っ!」
ポロポロと涙を零す花南に、光留は頭がぼんやりとしながらも、その頭を撫でる。
「まったく、やっと起きたわね。おはよう、眠り姫」
「ちょうこ……」
蝶子も悪態を吐きながらもどこかホッとした笑みを浮かべる。
「待ってなさい、医師を呼んでくるから」
蝶子が出ていき、二人きりになる。
「っ、光留君、ごめんなさいっ、わたし、わたしっ……」
「花南が無事なら、それでいいよ」
しばらくして医者が入ってくる。
蝶子が刺した胸の傷は既に塞がっていて、大した怪我ではなかったが、問題は落神に食われた肉体の方だった。
腸や胃、腕と肋骨の骨を何本か齧られていた。
幸い、重要な内臓はまだ無事だったが、下手に動かせば複雑骨折しかねない状態で、医者もあまり類を見ない症例に首を傾げていた。現代医療で治せないことはないので、光留はもうしばらく入院を言い渡され、朱鷺子に散々叱られ、花南も顔を蒼褪めさせ、自分が死んでしまいそうな表情をするので、反省した。父、勇希だけが同情的に見てくれたのは自身も経験があるからだろう。
「もう! この子ったら昔っから肝心なところで甘えないんだから! あの甘えん坊は一体どこ行ったのよ!」
「光留君は甘えん坊だったんですか?」
「ちょ、お袋、やめてくれ、花南の前でそんな昔の……」
「花南ちゃんも視たいわよね? 光留のちっちゃい頃の写真」
「ぜひ見たいです」
「後でうちに来て、一緒に見ましょう! 光留、止めたかったら早く治すことね」
「そんな無茶苦茶なっ! っててて……」
急に動いたせいで腕が痛んで、光留が必死に耐えていると、花南がよしよしと頭を撫でてくれる。
花南の優しさが心に染みる。
「花南ちゃん、この子ちょっと甘い顔すると容赦なく甘えてくるから覚悟しておいた方がいいわよ」
「え、そうなんですか? じゃあ、いっぱい甘やかしますね!」
まるで子ども扱いだが、光留は恥ずかしく思いながらもちょっとだけ嬉しかったりする。
入院生活も悪くないと思っていると、花南は翌週にはさっさと教育実習に向ってしまい、二カ月ほど会えなくなった光留が枕を濡らしたのは内緒だ。
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