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光留と花南

第七話

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「もうすっかり春だねぇ」
「そうだな」
 花南は自室のローテーブルの前に座って本を読みながら、暖かな日差しに目を細める。
 その後ろで花南を抱き込み、肩口に額を押し付ける光留。
「眠い……」
「寝てても大丈夫ですよ」
 光留に抱き締められるのも、こうして甘えてくれるのも嬉しい。
「ん……」
 不意に首筋に光留の唇が掠める。
「ひゃっ!」
 光留の指に花南の髪が絡む。耳裏や生え際にも唇が触れて、「ぁ……やっ……」とあえかな声が漏れる。
「花南、可愛い……」
 吐息混じりの光留の声がやたら色っぽくて、花南はゾクゾクする。
「光留、くん……」
 抗議するように振り向けばいたずらが成功した子どものような笑みを浮かべる光留がいて、その表情にもきゅんと胸がときめく。
 唇同士が触れ合う。光留の手が花南の頬に添えられ、何度も角度を変えて重なる。
「ふぁ……ん……」
 気持ち良くて、何もかもがどうでも良くなる。
「可愛い、花南」
 とろんと蕩けた表情に、このまま押し倒してしまいたい衝動に駆られるが、初心な彼女を怖がらせたくなくて、光留はぐっと我慢する。
 付き合って三ヶ月経つが、その想いは日に日に強くなる。
 花南の笑った顔が可愛い。悪霊に憑かれて苦しんでいれば、助けてやりたいと、守ってあげたいと思う。
 もっと触れたいし、キスだけじゃなくてそれ以上のこともしたい。
 どんどん好きになっていく自分が怖いくらいに、彼女を愛している。
 だけど、光留はまだ、守り人であることを伝えられていなかった。
「花南、好きだよ」
「わたしもです」
 頬を染めて、気持ちを返してくれる花南が愛しい――。



「花南ー、あんた教育実習先決まったー?」
「ううん、まだだけど」
 学年が上がり、光留は四年生に、花南は三年生となった。夏には教育実習に行くことになるが、地元ではない花南は、受け入れてくれる幼稚園を探すところから始めなければならない。
「やっぱり大学近くってなると難しいね。すぐに埋まっちゃう」
「だねぇ」
 掲示板の張り紙にはいくつか受け入れてくれる園が張り出されているが、すべて県外の園だ。せめて実家近くにあれば、と花南も視線を巡らせる。
「花南」
「! 光留君」
「槻夜先輩!?」
 光留に声をかけられ、花南は嬉しくなる。
「こんにちは。 何かあった?」
「教育実習先の園が決まらなくて……」
「ああ、六月からだっけ?」
「はい。なので地元の方で探してみようかと」
「そっか。俺は保育園だったからなぁ……。ごめん、力になれそうにない」
「いえ! そんなことないです! 決まったらまた連絡しますね」
「うん。じゃあまた」
 別れるのがなんだか名残り惜しい。けれど週末には会えると思えば少しの寂しさは我慢出来る。
「ちょっと花南! 槻夜先輩とどういう仲なのよ!」
 横にいた友人に詰め寄られ、花南はきょとりとする。
「えっと、一応、お付き合い、してます……」
「はあ!? 何それ! いつから?」
「去年のクリスマス」
 もじもじしながら答えると、友人はまた驚く。
「嘘……。槻夜先輩って結構人気高いのに……」
 やっぱりそうなのか、と花南は納得する。
(あんなにキレイで優しい人が、わたしの彼氏だなんて、自分でも信じられない……)
 時々、まだ夢を見ているような気がする。
「あたしてっきり、あのめちゃくちゃ美人と付き合ってるのかと思ってた」
「え……」
 そんな話は初耳だ。
 光留の交友範囲すべてを知っているわけではないけれど、女の人については聞いたことなかった。
「いつだったかな。夜に繁華街で赤い髪の超美人と歩いてるの見たんだよねー。こりゃ勝てないって思ったもん」
「そう、なんだ……」
 花南の知る光留は、見た目に反して優しくて誠実で真面目な人だ。
 浮気だとか、二股かけるようには見えないけれど、人間なんてわからないものだ。
 花南は胸がもやもやする不快感をそっと飲み込んだ。


 土曜日の午後、花南は凰鳴神社へ来ていた。
「あら、いらっしゃい花南ちゃん」
「こんにちは」
 境内で掃き掃除をしている巫女装束の妙齢な美女――光留の母である朱鷺子に会釈する。
「光留ならあそこよ」
 朱鷺子が指差す場所には、数人の女性に囲まれた光留がいた。
「まったく、あの子。こんなに可愛い彼女放って」
 遠目にも困惑している様子が分かる。神主装束に箒を持っているということは、掃除中に絡まれたのだろう。
 状況はなんとなくわかったが、さすがにあの群れの中に「彼女です!」と主張できるほど強くない。
「花南ちゃん、こっちで一緒にお茶しましょう。あの子たちも当分帰りそうにないし」
 心の中で消化できないもやもやした感情を押し込んでいると、朱鷺子が箒を置いて花南を誘ってくれる。
「ありがとうございます」
「いいのよ。まったく、わたしが花南ちゃん貰っちゃおうかしら」
 付き合って一か月ほどで花南は光留の両親に紹介された。
 というのも、光留は実家暮らしで、継ぐ予定の凰鳴神社には朱鷺子がパートの巫女として働いている。
 朱鷺子とも面識があったということもあり、早々に紹介しておいた方が光留にとっても何かと都合がよかった。
 朱鷺子も、彼女の夫である勇希も花南に良くしてくれる。花南の体質を聞いても嫌な顔せず、むしろ心配されたくらいだ。
 実家の両親とは違う意味で、温かな家庭だと思う。
「今日は何かの行事なんですか?」
「あぁ、午前中に結婚式が一件あったのよ。それで少し賑やかっていうだけ」
 神前式、というやつだろうか。教会での結婚式のイメージが強いが、白無垢も素敵だな、と花南は思う。
「こちらでは結婚式も出来るんですね」
「ええ。あなた達が結婚するならここで挙げてくれると嬉しいわ」
 花南は顔を真っ赤にする。
「えっ!? け、結婚!?」
 そこまでは考えてなかった。今でも十分幸せなのに、結婚だなんて、自分には早すぎる。
「あら、光留は多分そのつもりだと思うけど」
「そ、そんな! わたしなんかがお嫁さんになんて……」
「そんなことないわ。花南ちゃんみたいな可愛い子がお嫁さんに来てくれたら、わたしも嬉しいし、何より安心だわ」
「安心……?」
 どういう意味だろうと、花南は首を傾げる。
 一つとはいえ、花南は年下だし、見た目も美人とは言い難い。むしろ朱鷺子の方が若々しくて、パッと見ただけではとても二十歳すぎの息子がいるなんて見えないくらいだ。
 朱鷺子はお茶を花南の前に置くと、「光留には内緒よ」と言って教えてくれた。
「あの子、高校の時に好きな子がいたみたいだけど、結局振られちゃったみたいでね。しばらく落ち込んでたの。それからずっと誰かと付き合うことを避けてたみたいで。蝶子ちゃんとも仲はいいけど、絶対恋愛にはならないなんて言うし」
「蝶子、ちゃん……?」
 初めて聞いた名前に首を傾げる。
「あら、光留から聞いてないの? あの子ったら、ちゃんと言わないと誤解を招くから早く言っておきなさいって言ったのに」
「えっと……」
「うーん、これについては光留本人から聞いたほうがいいわ。わたしが花南ちゃんの立場だったらそう思うし」
 光留が何を隠しているのか、花南にはわからない。ただ、言わないということは、何か理由があるのだろう。
「まぁ、この件につてはおいおい光留に聞けばいいことだけど。でもね、これだけは覚えていて。恋することに臆病になってたあの子が、花南ちゃんと会ってからとても楽しそうなの。あの仏頂面だからわかりにくいかもしれないけど、光留は花南ちゃんのとても好きよ」
「仏頂面なんて、そんな……。光留君、いつも優しいですし、怖いと思ったことも無いです」
 大事にされているのは伝わってくる。
 光留の表情や声、触れ方で。臆病なのはむしろ自分の方だ。
「そう? もし何かあったら遠慮なく言ってちょうだい。女にしかわからないこともあると思うし、わたしからもちゃんと叱っておくから」
「ありがとうございます。とても心強いです」
 光留のことは好きだ。でも、だからこそ光留の過去や女性周りの話は心が痛くなる。
「ごめん、花南! お待たせ」
 朱鷺子との話に区切りがつくと光留が慌てて駆け寄ってくる。
「ちょっと、光留! あんたこんな可愛い子放って! わたしが貰っちゃうわよ?」
「妹にしたいわけじゃないんだけど」
「知ってるわよ。でもわたしとしてはやっぱり花南ちゃんみたいな娘が欲しいのよねえ」
「悪かったな、可愛くない息子で」
「ほんとよ、もう! ほら、デート行くならさっさと行きなさい。伯父さんにはわたしから言っておくから」
「助かる。 花南、着替えてくるからもう少しだけ待ってて」
「うん、ゆっくりどうぞ」
 光留が社殿の奥に急いで向かうのを花南は手を振って見送る。
 
 
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