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第三章
4話
しおりを挟む「槻夜君」
唯に呼ばれ、光留の意識が浮上する。
「ん……、鳳凰?」
目の前には唯がいて、心配そうな顔で覗き込んでいる。
「ええ」
月夜に身体を貸している間、光留の意識は奥深くに沈んでいて、途中から見ても聞いてもいない。
とはいえ、さすがにセックスに持ち込みそうになった時には焦ったが、唯が止めてくれて助かった。
「もういいのか?」
唯は頷く。
「ありがとう。兄様に逢わせてくれて」
「……別に、今のままじゃどうせ月夜に身体乗っ取られるのが目に見えているからな。穏便に済むならその方がいいと思っただけだ」
「そうね。でも、兄様は優しいもの。きっとそんなことしないわ」
優しいのは唯だからであって、光留に対しては殺意すら抱いている男を優しいとは思えない。
(まぁ、誰にでもっていうわけじゃないんだろうけど、あいつも別に人間が心底嫌いっていうわけじゃないんだろうな)
でなければ次期長としての役目を果たそうとは思わないだろう。最終的に彼女との幸せに繋がるのだとしても、彼は村人たちが好きだった。たとえ、裏切られたとしても、彼らを憎む気持ちは凰花たちを案ずる気持ち以上にはならなかった。
「話したいことは話せたか?」
「ええ」
「顔色も良くなってる。ごめん……俺、なんの役にも立てなかったな」
「そんなことないわ。あなたの気持ちはとても嬉しいもの。それに、あなたが生きてくれている。あなたがいなければ兄様にこうして会うことも出来なかった」
唯は柔らかな笑みを浮かべて光留を見つめる。
その表情に、ドクリと心臓が跳ねる。
それから光留はしばらく逡巡して、やがて意を決したように強い意志を持って唯を見る。
「あのさ、俺、お前に言っておきたいことがある」
「なぁに?」
彼女の無垢な少女のような表情に、光留は一瞬たじろぐ。
だが、これはけじめだ。自分はきっと、これから唯を失望させることになる。その前に、気持ちに整理をつけなくてはならない。
唯との本当の意味での別れは近いのだから。
光留は何度か口を震わせる。
「前にも言ったけど、っ、俺はお前が、鳳凰が好きだ」
唯は驚いたように目を見開く。
光留の熱のこもった瞳に、目が逸らせない。月夜と似ているようで、まるで違う。
純粋な男の子の好意に、愛情に、唯は応えることは出来ない。
「ごめんなさい」
俯いて、謝るのが精いっぱいだった。
光留からの反応は、怖くて見れなかった。
しばらく沈黙が続いた後、光留が小さく息を吐き出した。
「うん、知ってた」
初めからわかっていた。本当は言うつもり何てなかった。
でも、どうしても未練がましく思ってしまうのだ。もし、月夜が出てこなければ、少しは自分にもチャンスがるんじゃないかと。
夢を見ていた。けれど、月夜と二人で過ごす唯は本当に幸せそうで、自分はこれ以上の幸せを彼女にあげることは出来ない。
月夜だから出来るのだと、思い知らされた。
「ありがとう、振ってくれて。おかげでスッキリした」
唯を詰るでもなく、責めることもなく、光留の声は落ち着いていて、清々しくさえあった。
「あとさ、勝手で悪いんだけど、守り人の件は保留にしておいてくれるか?」
「いいけど……」
唯はなんだか嫌な予感がした。まるで、光留が遠くに行ってしまうようだ。
「消えたりするわけじゃない、わよね?」
「そう言うのは考えてない。俺、凰鳴神社の宮司になろうと思うんだ」
「そう、なの?」
「うん、鳳凰がいつ死ねるかなんてわかんねえけど、あそこは二人にとっての帰る場所だろ? そう言うのを守るのも悪くないなって思ってるんだ」
これは、光留が守り人修業を始めてからずっと考えていたことだ。
「月夜の墓も守ってかないといけないだろうし」
あの場所を知っているのは、唯と光留だけだ。時代とともに凰鳴神社も敷地を減らしている。いつあの場所が他人の手に渡ってしまうかもわからない。
だから、せめて二人の思い出の場所が無くならないように守っていきたい。
「っ、なんで、こんな女の為にそこまで優しくできるのよ……。私は、あなたを振ったのよ?」
光留は困ったように眉尻を下げる。
「何でだろうな。月夜に影響されたのもあるけど、やっぱり、振られても鳳凰が好きだからさ。好きな女の子を助けたいって言うのは男として普通だと思うけど」
それは、下心や打算があってそうできるのであって、普通は振られた相手にここまで出来ない。
(そういうところも、月夜様にちょっと似ている……)
生まれ変わりだから、とかではなく生まれ育った環境の違いはあれど、本質的に似ているのだろう。
「そういう、ものなの?」
「男って結構単純だからさ。そういうもんだよ」
唯は釈然としないながらも一応は納得する。
「槻夜君、ありがとう」
「別に礼なんていらない。俺が勝手にやってることだし」
「それでも、私たちの子孫があなたみたいな優しい人で、嬉しいわ」
「あー、そういえば、そうなるのか。家系図だと確か、鳳凰にとっては伯父になる人の子孫になるんだよな」
「……そうなの? じゃあ、あの子結婚もせず……」
唯は当時の顔も知らない娘に対して申し訳なく思う。
「ていうか、家系図には月夜も凰花も名前がないんだよ。お前の父親と母親止まりになってる」
「そうよね……私たちは罪人だもの。名前なんて残らないわよね」
「名前はちゃんと残ってるだろ。まぁ、意味としてはあんまり良くないけどさ」
「槻夜……あぁ、そういうこと。確かに、兄様のお名前はちゃんと残っているわね」
名前が残らないことが悲しいわけではない。ただ、自分たちの後もこうして世代が重なることが何となく嬉しいのだ。罪人の兄妹だとしても何かを光留達に残せたようで。
「でも、反面教師だとしても私は悪いことだとは思わないわ。私は、兄様を――月夜様を愛したことを後悔なんてしていないもの」
「それでいいんじゃねえか? まぁ、そういうわけだからさ。守り人以外にもお前を助けることが出来るならって思ったんだ。俺じゃ月夜みたいに上手くできないだろうし」
「……そう」
「じゃ、俺そろそろ帰るわ」
時刻は午後五時を回っている。まだ陽は明るいがもうすぐ逢魔が刻だ。落神や悪霊たちの活動が活発になる。
「そうね、その方がいいわ」
「悪いな、長く邪魔したみたいで」
「いえ、私の方こそ、来てくれてありがとう。朱華ちゃんにもよろしくね」
「おう。ってか、あいつどこ行ったんだ?」
「森の方から気配がするけど、探してみる?」
「いや、それくらい自分でやるよ」
別れの挨拶をして、光留は朱華を探しに森へ入る。
だが、光留が耐えられたのはそこまでだった。
「っ、やっぱ、キツイな……」
覚悟はしていた。唯はどうしたって振り向いてくれない。月夜に会えた時の彼女の表情は、今まで見たことのないくらい蕩け、甘やかな声だった。
もともと唯は絶世の美少女と言っても過言ではないくらい綺麗な顔立ちをしているが、あんなふうに女の顔をさせられるのは、月夜だけ。
悔しくて、みっともなくて、切なくて、でも何処かで安堵している。ぐちゃぐちゃな感情のまま、家に帰るなんて出来ない。
ひとり蹲って声を殺して泣いていると。
『みっちゃん』
スッと音もなく朱華が現れた。
「っ、な、んだよ……驚かせるなよ……」
恥ずかしいところを見られた気まずさに、光留はつい強い口調で朱華を責めてしまう。
『泣いてたの?』
しかし、朱華は意に介さず光留の頬に手を添える。
触れられている感触は無いが、鳥肌が立つくらいゾッとする冷たさを感じた。
恐る恐る朱華を見れば、その瞳は濁り始め、魂の周りに黒い靄が覆っていた。
「っ、お前……朱華、か?」
光留は朱華から一歩距離を置く。
『そうだよ~』
悪霊に堕ちる一歩手前。すぐに朱華を切り離さなれけば、光留の命が危ない。
「月夜の忠告、遅すぎだろ……」
いや、もっと前からその前兆はあったのだろう。
そもそも、死んだ巫女が現世にいる事自体おかしいのだ。その意味をもっとちゃんと考えるべきだった。
朱華は昏い瞳で光留を見る。それから、手を軽く握る。
「ぐっ、あ……ぅ……がはっ!」
突然喉が焼けるような痛みを感じて、咳き込めば口から吐きでたのは血だった。
『苦しいでしょ~? 巫女としての力はなくても、あたしにもこれくらいはできるんだ~』
「呪い、か……」
悪霊のなりかけとはいえ、力の強い巫女だった朱華だ。半人前の光留を呪殺するなど容易いだろう。
『んふふ~、大丈夫。今はみっちゃんを殺さないよ~』
「何が目的?」
『強いて言うなら、会わせたい人がいるの。みっちゃんが、嫌がらないように保険をかけとこうと思って』
「お前、俺に取り憑いてるんだから身体乗っ取るなり出来るだろ」
『出来るけど、今は無理かな~。みっちゃんの身体入ったら月夜様に祓われちゃう』
月夜ならやりかねない、と光留は妙に納得してしまう。
『まあ、これも唯ちゃんのためだよ~』
朱華の言葉に光留は怪訝そうな表情をする。
「鳳凰の?」
『うん。悪いようにはしないからさ』
こっちだよ~と先を進む朱華。
逆らえば光留を殺すと宣言されたばかりだ。光留は仕方ないと、朱華の後を追う。
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