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第二章
7話
しおりを挟む「暑い……」
唯との待ち合わせの時間。光留は修業のために少し早く出てきたが、真夏の午前十時となると日が高くなり暑さは人体にとって害になり始める時間だ。
それだけじゃない。
(確か、月夜が処刑されたのも夏だったな……)
あの当時は現代ほどの殺人級の暑さではなかったが、処刑前の処遇が酷く、弱った身体に暑さは堪えた。
夢で見ただけだが、唯――凰花のあの悲痛な叫びが、耳に強く残っている。
「お待たせ」
夢とは似ても似つかない素っ気ない声音に、ふと顔を上げれば、唯がすぐ近くに立っていた。
「おう」
「じゃ、行きましょう」
唯はスタスタと光留を置いて歩き出す。その腕には花束が抱えられている。
(誰かに会うのか?)
しかし、千年以上生きる唯に知り合いはそう多くないはずだ。
唯の表情も人と会うと言うよりも、泣きそうになるのを堪えているようだ。
社殿の奥に小さな社がある。こちらは歴代の巫女や守り人を祀ったものだが、唯はこれを通り過ぎ、その奥にある林へ向かう。
木が多いからか、日陰になっていて境内よりは涼しいが、鬱蒼としていて陰鬱な場所だ。道そのものは整備されているから、歩けないわけではないけれど、あまり気持ちのいい場所ではない。
(昔はこんなんじゃなかったよな……)
ふいに、光留の脳裏に月夜の記憶が流れ込んでくる。
かつてこの場所は、もっと拓けた丘だった。この先に、一本の山桜の木があって、よく凰花と二人で訪れていた。
山桜に寄りかかり、こくりこくりと頭を揺らしている凰花を下から眺める。彼女の膝がどうにも心地よくて眠っている間に、彼女も眠ってしまったのだろう。
安心しきった表情が愛おしくて、頰を撫でればうっすらと目を開ける。長い睫毛が影を作り、寝起きのぼんやりした表情が何処か色を匂わせる。
『兄様……?』
『おはよう』
『ん、わたし、寝ちゃって……兄様?』
きょとんとする表情が可愛らしくて、思わず笑った。
『今日は風が気持ちいいからな』
『はい。……ずっと、このままいられたらいいのに』
兄妹である以上、それは難しい。二人とも頭ではわかっている。
『俺の可愛い巫女姫』
『?』
凰花の頭を引き寄せて、そっと口付ける。触れるだけの優しくて甘やかな感触に、凰花の目が潤む。
『愛してる』
『はい。私もです。月夜様――』
光留はハッとして立ち止まる。
数メートル先を歩いていた唯が、光留の異変に気付いたのか立ち止まる。
「どうかした?」
「……いや。暑くて立ち眩みしただけ」
「そう。キツかったら無理に来なくていいわ」
そっけない言葉と態度だが、光留を気遣っているのだろう。彼女は優しすぎて、不安になる。
「無理してるってわけじゃない。……ここ、随分変わったんだな」
唯は再び歩きながら「そうね」と返す。
「ねえ、まだ夢は見ているの?」
唐突に唯の方から声をかけてくる。
「時々な」
「……月夜様は、きっと私を憎んでいるのでしょうね。私みたいな女の守り人になったこと」
兄妹でなければ月夜は死ぬことはなかった。唯も、とっくに人としての生を終わらせていたはずだ。
光留はどう答えるか悩む。
夢の内容は月夜の記憶だ。だから、月夜が本心から凰花を愛していたことを知っている。光留がそれを伝えることは出来るが、何か違うと思う。
「俺が答えていいかわかんねえけど、少なくとも憎んではなかった」
「じゃあ、後悔した?」
「いや。未練はあったみたいだけどな」
「そう」
それきり、唯はまた口を閉ざす。
それからしばらく歩くと、かつて山桜のあった場所は既に切られてしまったのか別の木が植えられていた。
見晴らしも決していいとは言えない場所。木々に隠れるように苔の生えた石が積み上げられていた。
唯はそこにそっと花束を置くと、手を合わせる。
きっと墓なのだろう。誰のなんて明白だ。光留も複雑な思いを感じながら唯と同じように手を合わせる。
ちらりと唯の方を見れば、泣いていた。声を上げずに肩を揺らして。儚くて、今にも消えそうな小さな背中にどう声をかけていいかわからなくて、光留も胸が痛む。
どれくらいそうしていたのか、唯が顔を上げると、目はまだ赤かったが涙は流れていなかった。
「ありがとう」
「俺は、何もしてねえよ」
「でも、祈ってくれたでしょう? 察しはついていると思うけど、ここは月夜様のお墓。本来罪人として扱われたあの方に、お墓なんてなかったけど、私がこっそり建てたの」
「そうか……」
「この下には、月夜様の首を埋葬している。あなたは何か感じる?」
唯に言われて地面を見てみるが、正直何も感じない。
当たり前だ。ここに眠るのはただの抜け殻。否、もうずいぶん昔だから、骨すら残っているかも怪しい。
光留は首を横に振ると、唯は何処か安堵したような表情をした。
「昨日の質問の答え合わせをしましょう」
唯は光留と向き直ると、真っすぐに光留を見つめる。
光留もそれを正面から受け止める。
「……あなた自身、気付いている通りあなたは、月夜様の生まれ変わりよ」
唯の言葉に光留は納得した。
「まぁ、じゃなきゃ夢の事とか説明つかねえよな」
「そうね。でも、ここに来て自分の意志を保っていられるなら大丈夫よ」
「?」
唯は申し訳なさそうに俯く。
「生まれ変わりの場合、大抵は前世の記憶なんて思い出すことはないの。私の両親の生まれ変わりも視たことあるけど、私の事なんて欠片も覚えてなかったわ」
唯は苦笑する。そもそも、凰花が両親と過ごしたのは数えで五つまでだ。自分ですら朧げなのに、両親が覚えてないことを責めるのはお門違いだ。
「でも、稀に記憶を持ったまま生まれてくる人がいるの。その場合、前世の記憶に飲まれて魂を壊したり、人格がおかしくなったりするケースがあるの」
「なるほどな、人格が乗っ取られるならまだしも、魂が壊れれば二度と生まれ変わることも出来ないってことか」
「ええ。特にここは私たちにとってとても縁の深い場所。血筋もそうだけど、月夜様の影響が強く出る可能性があった」
光留は少し悩んでから口を開く。
「……鳳凰はさ、月夜に会いたいって思わねえの? その、お前の言う通りだとすると、俺の人格が月夜に乗っ取られた方が都合がいいんじゃねえの?」
唯は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに光留を睨みつけた。
「バカなこと言わないで! 確かに、月夜様には会いたい。けど、私も月夜様も過去の人間よ。あなたを、”槻夜光留”という人間を消してまですることじゃないわ」
強い口調で否定され、光留はビクリと肩を震わす。
「でも、月夜はお前に会いたがってる」
「っ!」
「……全部知ってるわけじゃねえけど、月夜は本当に、鳳凰を――凰花を愛してたんだ。最期だって、お前とその子供が無事ならいいって思って死んでる」
月夜の生まれ変わりの可能性に気付いてから、ずっと月夜がどうしたいのかを考えていた。
我が子に会いたい。それもあったのかもしれないが、やはり一番は生涯ただ一人と決めた女性である凰花に会いたかったのではないだろうか。
無論、光留に月夜の本心などわからない。ただ、強制的に見せられる夢から想像しただけだ。妄想と言われてしまえばそれで終わりだが、月夜を誰よりも知っている唯が、否定しない。
「それでも、私は、あなたに、”槻夜光留”として生きてほしい。だって、あなたは今を生きているもの」
「鳳凰だって、生きてるだろ」
「私はもう、化け物だもの。落神よりも性質の悪い化け物よ」
「不老不死、だからか?」
「そうよ。目の色だって、昔と変わってしまった」
唯は瞬くと瞳の色が翡翠色から金色に変化する。
「あぁ、それ、霊力使ってる時だけかと思ったら地なのか」
光留は「へえ」と何でもないことのように言う。
「気持ち悪いとか思わないの?」
「別に? むしろ綺麗だと思うけど?」
これは光留の本心だ。初めて見た時から、ずっとそう思っていた。
唯にもそれが伝わったのか、僅かに顔を赤らめる。
「あのさ、それだけなら別に気持ち悪いとか思わねえよ。むしろ、ずっと独りで寂しかっただろ」
唯がビクリと震える。
「俺は、ずっと一緒にいることは出来ないかもしれないけど、生きてる間はお前の守り人として、生きたい」
「どうして、そこまで言えるのよ。あなたと私は、元クラスメイトっていう関係しかないはずだけど」
光留は苦笑する。
「さあな。月夜に感化されてるんじゃねえの?」
「それなら、なおさら私と関わるべきではないわ」
「今さらだろ」
だってもう、光留は唯の事が好きだから。気持ちを伝えることはしないけれど、こうしてたまに話してくれるだけで、十分だ。
「ほんと、変な人……」
唯の悪態に光留は吹き出す。
こんな、何気ないやり取りがずっと続けばいい。
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