灰色の犬は愚痴だらけ

皐月 翠珠

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「え、みっちゃんさんってトリマーの資格持ってるんですか?」
 きっかけはこんな何気ない会話から始まった。
 課長への想いが通じてから数週間。報告という名のノロケを聞いてもらうために、ご主人様はみっちゃんさんのカフェに来た。みっちゃんさんは、とても喜んでくれた。そして、お祝いだと言ってご主人様には特製のシフォンケーキを、おいらにはスイートポテトをご馳走してくれた。
 今度の週末、ご主人様は課長とデートをするらしい。会社では課長との関係は秘密にしようって事になってるから、ここまで恋人っぽい事は夜にちょっとだけ電話するくらいのものしかできなかった。安定のトラブルメーカーっぷりで二人ともお仕事にかかりっきりだから、デートと言えるようなものはお仕事終わりに反省会を兼ねたご飯ぐらい。ご主人様らしいと言えばらしいけど、課長はそれでいいのか。
 そんなこんなでやっと一日中デートできる事になったご主人様は、気合いを入れようと美容院を予約した。どんな髪型がいいかなってみっちゃんさんに相談していた流れで、みっちゃんさんがトリマーさんだった事を知った。
「結婚して主婦になったから、実際に現場にいたのはそんなに長くないけどね。ウチで飼ってる子や、ワンちゃん好き仲間のトリミングを時々してるの。家にそういう部屋を作ってね」
「そうだったんですか」
「とむ君はどこでお手入れしてもらっているの?」
「健康診断とかワクチン接種のついでに動物病院で切ってもらってるんです。トリミングサロンって地味にお財布に響くので。本当は、自分でやれれば一番いいんですけど…」
 そこまで言って、ご主人様の目が遠くなる。
「初めてカットした時は、加減がわからなくて体のあちこちに十円ハゲができました」
「美奈海ちゃんって、自分に対する過小評価と過大評価の振り幅がすごく大きいわよね」
 もっと言ってやってほしい。あの時は本当にひどかった。しばらく外を歩きたくなかった。実際、お散歩をしてたらパトロールしていたおまわりさんに虐待を疑われて交番まで連れていかれた。おいらを拾ってくれたのは嬉しかったけど、その気持ちがかすむくらい今でもちょっと根に持ってる。
「良かったら私がトリミングしましょうか?」
「え!いいんですか⁉あ、でも、お金…」
 期待の表情からシュンと眉を下げるご主人様に、みっちゃんさんはクスクス笑った。
「大丈夫よ。いつもお茶しに来てくれてるし、知り合いからお代は貰わない事にしてるから。お店が終わってからだから遅い時間になっちゃうんだけど、それでも良ければ」
「全然大丈夫です!うわー、うわー、聞いたとむ?夢のオシャレトリミングだよ!」
「キャン!」
 おいらもテンションが上がる。おじいさんも動物病院でカット派だったから、おいらの人生初オシャレトリミングだ。
「どんなカットがいいとかあるかしら?」
「ええー、迷っちゃうなぁ。トイプードルのカットってどんなのありましたっけ?」
 ご主人様はいそいそとスマホで画像を検索する。
「へぇ、トイプードルにもアフロやモヒカンってあるんだ。いや、でもザ・トイプードルって感じのカットも捨てがたいな。とむはどんなのがいい?」
 そう言って、おいらを抱っこして画面を見せてくれる。色んなカットのトイプードルがいるけど、どれもいいな。これまで可愛い系で通ってきたけど、この際めちゃくちゃスタイリッシュな見た目にイメチェンするのもありだな。そろそろおいらも大人の男感を出していく段階にあると思うんだ。
「う~ん、なかなか絞れないなぁ。みっちゃんさんはどんなのがいいと思います?」
「そうねぇ。まだ少し早いから今回じゃなくていいと思うけど、夏場は暑いから短めに切るサマーカットもおすすめよ。あとは好みの問題だから、美奈海ちゃんがとむ君をどんな雰囲気にしたいかによるかしら」
「なるほど。好みで言うなら、やっぱりこの辺かなぁ。全体をこんな風にして、尻尾だけこっちみたいな感じにできます?」
「ええ、もちろん」
 途中からご主人様とみっちゃんさんで盛り上がって画面が見えなくなったけど、じゃあこれで!って笑うご主人様の顔がワクワクでいっぱいだったからおいらも期待が高まる。
 そんなわけで、ご主人様と同じ時期においらもイメチェンをする事が決定した。



「それじゃあ早速始めるわね」
「よろしくお願いします!」
「わふっ」
 いよいよだ。みっちゃんさんのおうちにお邪魔して、おいら達は今トリミングの部屋にいる。
 みっちゃんさんはまず、おいらをブラッシングするところから始めた。当たり前だけど、ご主人様がやるより手際がいいし上手い。あっという間に全身がふわっふわになった。
「すごーい。倍以上に膨らんじゃった」
「初めて見るとビックリするわよね」
 驚いているご主人様の言葉に笑いながら、お次はシャンプーに入った。ブラッシングもそうだけど、シャンプーをする手が気持ち良すぎてうっとりする。ゴッドハンドってこういう事を言うのかな。泡を流して、タオルで丁寧に体を拭いてもらう。ああ、おいらもうご主人様のシャンプーに戻れないかもしれない。そのままドライヤーで乾かしてもらっている間も、ご主人様は目をキラキラさせてこっちを見ている。
 そして、ついにトリミングの台に乗せられる。バリカンやハサミを器用に使いこなしながら、みっちゃんさんはおいらの毛を整えていく。床に毛が落ちていく度に、ウキウキしてる自分がいる。
 でも、ちょっと困った事がある。トリミングされている間、おいらはずっと立ちっぱなしだって事だ。疲れておすわりをしようとすると…
「はーい、立っててね」
 そう言われて、お尻を持ち上げられる。よくご主人様や先輩がオシャレは我慢との戦いだって言っている意味がわかった気がする。結構しんどいな、これ。
 だけど、この我慢を乗り越えた先にスタイリッシュなおいらが待ってるんだ。それを考えたら、これくらい何て事な…
「はい、立っててね」
 …頑張れ、おいら。
 そうやって筋肉痛になりそうなくらい立ちっぱなしの姿勢に耐える事、約二時間。
「こんな感じでどうかしら?」
「わああ、やばい、やばいです!」
 完成したおいらの姿を見て、ご主人様が感動しまくっている。ふふん、おいらが素敵すぎて言葉も出ないって感じだな。元々ボキャブラリが少ないご主人様だけど、さっきからやばいしか言ってない。
 おいら自身はまだ自分がどんな仕上がりになったのか見えないけど、全体的にサッパリしたのはわかる。足は細めながらもふわふわで、毛で隠れ気味だった視界が広い。これはかなりいいんじゃないかな。
「はい、とむ君。新しい自分はどうかしら?」
 そう言って、みっちゃんさんが折りたたみ式の大きな鏡を開いて見せてくれる。
「…」
「やばいです、みっちゃんさん!可愛すぎます!天才です!」
 大興奮のご主人様がスマホでパシャパシャ写真を撮りまくっている。いや、可愛いよ?さすがおいらと言わざるを得ない仕上がりだよ?でも、おいらイケてるミドルを想像してたんだ。こんなにプリティーに…っていうか、プリチーになるとは思ってなかったんだ。プリチーだよ、プリチー。この微妙なニュアンス通じるかな?
「テディベアカットって、名前も見た目も優勝でしかないですね!」
「最近だと、一番人気のスタイルだしね」
「もー、可愛い!女の子みたいだよ、とむ!」
 ご主人様は褒めてるつもりだろうけど、おいらは複雑だよ。こんなメスがいたら、確かにおいらならナンパ一択だよ。
 こうしておいらのオシャレトリミングデビューは、みっちゃんさんの凄腕でご主人様の大満足な結果で終わった。


もっと魅力的に、おいらはやっぱりプリティー系?
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