灰色の犬は愚痴だらけ

皐月 翠珠

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そんな日は

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 灰色の空から雪が降る。周りを見ても真っ白け。凍えた体がぶるぶる震える。離れていく背中を呼び止めようとするけど、一生懸命吠えてる筈なのに声が出ない。
 かなしい気持ちが込み上げてくる。待って。行かないで。ひとりぼっちにしないで。
 おいらは───



「クゥーン」
「どうしたの、とむ?今日はやけにくっつくね」
 帰ってからも仕事をしているご主人様の足にグリグリと顔をこすりつける。最近のご主人様は、残業が続いていて帰ってくるのが遅い。それ自体は別に今に始まった事じゃないし、おいらはちゃんといい子でお留守番できる。
 だけど、今日は無性に甘えたい気分なんだ。
「クゥーン」
「何々、どうした?」
 手を止めたご主人様が、おいらを抱っこして優しい声で聞いてくれる。こういう時、おいらが人間の言葉を話せたらなぁなんて無理な事を思う。ちょっとでも気持ちを伝えたくて、今度は肩に顔をこすりつける。
 ご主人様は静かにおいらの頭を撫でたり、赤ちゃんをあやすみたいに背中をポンポン叩きながらささやいてくれる。
「大丈夫だよ~。ちゃんといるからね。大丈夫大丈夫」
 あぁ、思い出すなぁ。あの頃も、ご主人様はこうやっておいらを安心させてくれたっけ。
 子守唄みたいな声を聞きながら、おいらはだんだん意識が遠のいていくのを感じた。



 実は、ご主人様は本当のご主人様じゃない。いや、こう言うと語弊ごへいがあるか。おいらの最初のご主人様は、一人暮らしのおじいさんだった。奥さんに先立たれて、一人でいるのが寂しくなってペットショップにいたおいらを買ってくれた。
 ちょっと頑固で偏屈で、おまけにあんまりおしゃべりが好きじゃない。近所の小学生からは"カミナリオヤジ"って呼ばれるくらい、礼儀に厳しい人だった。だけど一緒に暮らし始めた頃はおいらもまだ子犬だったから、イタズラをしたりトイレが上手くできなかったりなんてのはしょっちゅうだったのに、おじいさんは一度もおいらを叱った事はなかった。
「赤ん坊ができねぇのは当たり前の事だ。それをできるように躾けてやんのが大人の役目なんだよ」
 それがおじいさんの口癖だった。その言葉の通り、おじいさんはおいらに根気強くトイレの場所を覚えさせたり、「働かざるもの食うべからずだ」と言っておすわりやお手、回れをしてからじゃないとご飯が貰えないんだと教えた。
 おじいさんの髪は白髪がいっぱいで、おいらみたいな灰色の頭をしていた。
「俺みたいな頭の色の奴がいるのが面白かった」
 それが色んな犬がいる中でおいらを選んでくれた理由だった。それを聞いたおいらも、自分の毛色が大好きになった。
 おじいさんは干し芋が好きだった。よくおやつに食べていたのをジッと見ていたら、人間が食べる干し芋は犬には良くないからってわざわざ犬用の干し芋を買ってくれた。あんまり頻繁にはくれなかったけど、おじいさんが縁側でお茶を飲む時には一緒に干し芋を食べた。
 おじいさんはお散歩も好きだった。長い長い河川敷を一緒にのんびり歩いては、草の上に座って川の流れを眺めた。すれ違う人がおいらを褒める時だけ、頑固なおじいさんは自慢そうに笑っていた。
 おいらはおじいさんが大好きだった。おしゃべりはしなくても、おいらが近寄ると黙って頭を撫でてくれた。甘えた声で鳴くと、膝の上に乗っけてくれた。他の人が何と言おうと、おいらにとっておじいさんは大事なご主人様だった。
 おいらが七歳になった冬。おじいさんはお空に行ってしまった。いつものように朝起きると、隣で寝ていたおじいさんはもう冷たくなっていた。老衰ってやつだった。
 おじいさんには一人息子がいた。結婚して子供もいたその人は、おいらの二番目のご主人様になった。おいらはその人に連れられて遠くの町に引っ越した。新しいおうちは、昼間は誰もいなかった。おいらはおじいさんがいない事がかなしくて、一人でお留守番しなきゃいけないのが寂しくて、ずっと家の中で吠えていた。そしたら、ご近所さんから苦情が来て新しいご主人様に怒られた。
 だけど、おいらは吠えるのをやめられなかった。ひとりぼっちなのが嫌だった。誰かに側にいてほしかった。
 冷たい雪が降るとても寒い日。新しいご主人様は、おいらをダンボールに入れて公園に捨てようとした。おいらが追いかけてこられないように、時計の柱にリードをくくりつけた新しいご主人様は申し訳なさそうな顔で言った。
「ごめんな。もうウチじゃ飼ってあげられないんだ。いい人に拾ってもらえるように祈ってるよ」
 そのまま向けられた背中に向かって、おいらは一生懸命吠えた。ごめんなさい。いい子にするから、一人にしないで。おいらを置いていかないで。でも、遠ざかる背中が振り向く事はなかった。
「ちょっと!そこの人、待ってください!」
 その時、一人の女の人がおいらを置いていったその人を呼び止めた。コートの下にスーツを着た女の人は、血相を変えてその人に走り寄った。
「何考えてるんですか!こんな寒空の下で、あんな所に動けなくして捨てるなんて!」
「し、仕方ないだろ!ウチで飼えないんだから」
「だからって捨てる事ないでしょ⁉私聞いてたんですからね!何なんですか、って!そんなの優しさでも何でもないですからね!」
「貰い手もないし、保健所に連れていったら殺処分されると思って…」
「このままにしてたって結果は変わらないでしょ⁉」
「じゃあどうすればいいんだよ!大体、赤の他人のあんたに何かを言われる筋合いはない!」
「あーわかりました!じゃあ他人じゃなくなればいいですか⁉」
「は?」
 女の人はツカツカとこっちに来ると、リードをほどいておいらを抱き上げた。
「私がこの子貰います!なので、餌とかおもちゃとか一式今すぐ持ってきてください!あと、名前教えて!」
 そう啖呵を切った女の人、それが今のご主人様だった。
 後から知った事だけど、この時のご主人様は会社を辞めて転職活動中だったそうだ。毎日パソコンとにらめっこしながら、履歴書を書いては面接に行く日々。それでも、時間が許す限りおいらと一緒にいてくれた。
 吠えてしまうおいらを怒らずに、同じマンションの人に頭を下げては「とむは悪くないよ」って頭を撫でてくれる手つきは、おじいさんみたいに温かかった。おいらが玄関でおすわりをして来る筈のないおじいさんをジッと見つめて待っていると、持ってきた毛布でおいらをくるんで何時間でも隣にいてくれた。ちょっとでも姿が見えないと不安でウロウロするおいらを抱っこしては、優しく背中を叩いてくれた。
「大丈夫だよ~。ちゃんといるからね。大丈夫大丈夫。一人じゃないよ」
 そんな風にずっと、ずっと一緒にいてくれた。



 フッと目が覚める。つけっぱなしのテレビは、深夜のニュースをやっていた。随分長い事夢を見ていたみたいだ。
 お昼寝の時に見た夢は、とてもかなしいものだった。同時にとても寂しくなって、ご主人様が帰ってくるとおいらはずっと後をついて回った。ご主人様は、そんなおいらを笑顔で受け入れてくれた。嬉しかった。
 そっと上を見ると、ご主人様はおいらを膝の上に乗っけたままテーブルに突っ伏してうたた寝をしていた。小さな寝息を聞いていると、また心がポカポカした。おいらはご主人様のほっぺを一回舐めると、また襲ってくる眠気に従って丸くなった。今度はいい夢が見られる気がした。

そんな日は思い出す、このあったかい気持ち。
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