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都会、すごいっす(後編)

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「趣味じゃないのでコーヒーは置いてないんですが、オレンジジュースでいいですか?」
「す、お、お構いなく!」
 カチンコチンになりながら質問に答え、キッチンに消えた憧れの人物を目で追いかける。そして、今自分が座っている高そうなソファが小刻みに揺れているのが緊張で震えている自分が原因だと気づき、もうすでに限界まで浅く腰かけていた尻をもはやただ当たっているだけのところまで移動し直した。
 通されたリビングは実家が丸々入ってしまうほど広く、一面ガラス張りの窓からはあれほど立派に見えていた都会がまるで小さなおもちゃの街のように広がっている。これまた見るからに高級そうなローテーブルを挟んだ正面には、見た事がないほど大きな画面が壁に張りついている。まさか、あれはテレビなのだろうか。あんなに大きなテレビがこの世に存在するのだろうか。
(かかか勝ち組っす…!これが伝説の勝ち組の家っす…!)
「お待たせしました」
「す⁉」
 あまりにも自分とは縁遠えんどおい空間に完全に委縮いしゅくしていたゴロは、グラスを乗せたトレーを持ってきたぽってぃーの登場にビクゥッと心臓が飛び出しそうなほど驚いた。
「ど、どうかしましたか?」
「い、いえ、何でもないっす」
 ゴロにつられてぽってぃーも挙動不審になるが、ブンブンと首を横に振るゴロに納得してグラスをテーブルに置く。
「まあ、まずは喉を潤してください。道中、疲れたでしょう」
「あ、ありがとうございますっす。いただきます」
 そう言ったはいいが、ゴロは初めて見るオレンジジュースに混乱していた。故郷で飲む水以外の飲み物と言えば麦茶か緑茶、甘いものは花の蜜を吸って満足していた自分だ。ご近所さんが栽培していた数少ない果物は全て売り物で、よほど商品にならない限りそれらを口にできる機会はなかった。
("はいから"っす。こんな"はいから"なもの、飲んでいいんすか?)
 氷が浮かんだオレンジ色の液体を前に、ゴロはゴクリと喉を鳴らす。彼の左側、直角になる位置の一人掛けのソファに座ったぽってぃーはごく普通に飲んでいる。ガタガタとおぼつかない手つきでグラスを手にし、ちびりと舐める程度に口をつける。
「!」
 瞬間、ゴロの身体に電撃が走った。爽やかな香りが鼻を突き抜けたかと思うと、甘酸っぱい味が口の中に広がる。こんな美味しいものがあるのか。都会の人間はみんなこんなものを飲んでいるのか、それともぽってぃーだから飲めるのか。
 固まっているゴロに、ぽってぃーが申し訳なさそうに頭を掻いた。
「あ、100%ジュースは好みじゃないですか?何なら、もっと甘いのも…」
「美味しいっす!死ぬほど美味しいっす!」
「そ、そうですか」
 血走った目でそう言われ、なら良かったですという声が小さく続いた。
「えっと…じゃあ早速、契約の話をしたいんですが…」
 眼鏡をかけ、最初にいた部屋から持ってきたノートパソコンを開きながらぽってぃーは話を切り出した。
「ゴロさんはお手紙でドルチェ・ステージで観た私のパフォーマンスに感激したと書いてくれていましたが…」
「す、おいの村にはテレビがなかったので再放送だったんすが、おつかいに出かけた時に町のテレビで一度だけ拝見したっす!ドルチェ・ステージのパフォーマンス、とても素晴らしかったっす!ぽってぃーさんのキラキラしたオーラは今でも鮮明に思い出せるっす!」
「いやあ、面と向かってそんな風に言うてもらえると何や照れますなぁ」
 突然不思議な言葉遣いを始めたぽってぃーに、ゴロはキョトンとする。それを見たぽってぃーは、あ、と口に手を当てた。それから、少し恥ずかしそうにポリポリと頬を掻いて言った。
「はは、すんません。嬉しくて、ついいつもの話し方になってもうた」
「いつもの、っすか?」
「元々出身は西の中心なんですわ。そういう背景もあって、西側で活動するグループのプロデュースを任されたんです。必然的に周りのスタッフも西の人間ばかりなもんで、この方がやりやすいんです。ステージはもちろん、会議や出張で東に行く事もしょっちゅうあるし、標準語も喋れるのは喋れるんですけど、オフの時はほぼ西の言葉になっとります」
「にしのことば、っすか…おいも喋れるようになった方がいいんすかね?」
 自信なさそうに呟くゴロに、ぽってぃーは笑いながら手を振る。
「心配せんといてください。西の人間でも標準語が主流のもんはおりますし、強制して喋らすもんでもないですから。まあ、特有の言い回しがあったりするんで知ってるに越した事はないですけどね」
 話戻しましょか、と脇に置いてあったクリアファイルから紙を数枚出してゴロに差し出す。
「さっきチラッと言いましたけど、ドルチェ所属のタレントの中でキャッツ・キャシーとわいがプロデュース能力を買われまして、東と西とでグループを作る事になったっちゅーのは知ってはりますか?」
「す⁉初耳っす。そうなんすか?」
「ちょっと前に発表したんですけど、すでにキャシーは東でトルタっちゅーグループを結成しとります」
「そうなんすか⁉」
 さっきから驚きの連続ばかりだ。自分がどれだけ世間知らずだったのかを改めて思い知り、ゴロは恥ずかしさで穴を掘りたい気分だった。
「そんなこんなで家の事に手が回らんようになってきたんで、ハウスキーパーを募集する事になったんですわ。募集要項にも書いてあった通り、ゴロさんにお任せするのはこの家の管理全般になります。掃除、洗濯、食事の用意、その他諸々。見ての通り、かなり広い部屋なんでなかなか大変やと思いますけど大丈夫ですやろか?」
「す、す!頑張らせて頂きますっす!」
「最初の内はお試し期間という事で給料はこれくらいになりますが、働き次第ではどんどん昇給させてもらうつもりでおりますんでよろしゅう頼んます」
 そう言ってトンと指差された契約書に書いてある報酬の額を見たゴロは、ピシッと石のように固まった。
「…あ、あの…これは、何年分の給料になるっすか?」
「何年分やなんて、月にこの額ですわ。あ、足りまへんか?ほな、もうちょっと色を付けて…」
「だだだ大丈夫っす!何も問題ないっす!」
「そ、そうでっか…」
 見た事のないけたにゴロは目眩めまいがした。やはり、勝ち組の金銭感覚は田舎者にはわからない。
(ばあちゃん…おい、死ぬ気で働くっす)
「そしたら、契約書にサインをしてもらってもええですか?あと給料の振込口座も登録させてもらいたいんですが、どこの銀行がええとかありますか?」
 提示された金額に見合う働きをせねばと故郷の祖母に誓ったゴロは、ぽってぃーの言葉に首を傾げた。
「口座、っすか?えっと、おいの村には銀行がないのでそういうのは…」
「ああ、ほんなら口座を作るところから始めましょか。印鑑は持っとりますか?」
「は、はい!それは持ってるっす!」
「えっと、さすがに消しゴムハンコはちょっと…」
 ふんすと鼻息荒く自分で彫ったハンコを見せたが、どうやら使えないらしい。自信作だったので残念だが、仕方ない。シュンとしながら風呂敷にしまうゴロに、ハンコも作りにいきましょかと優しい言葉がかけられた。
「ゴロさんの故郷の事は大体調べさしてもろたんで、生活のギャップが大きい事も理解しとるつもりです。慣れるまではこっちでサポートできる人間をつけさせてもらいますんで、ぼちぼち色んな事を覚えてってください」
「す、わかりましたっす!」
「ああ、あと…」
 サインしてもらった契約書の控えの方を渡しながら、ぽってぃーはニコリと笑った。
「ウチはアットホームな雰囲気が売りなんで、気にせんと敬語取ってもろてええで。わいの方も、ゴロって呼ばせてもろてええかな」
「は、はい!ぜひ呼んでくださいっす!」
 ピンと姿勢を正すゴロを見て、ぽってぃーは色んな意味で慣れるのはまだまだ先の事になりそうだと苦笑した。
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