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しおりを挟む迷惑にならない死に方を考えた。
いつからか、毎日のように考えるようになった。
幼い頃から疑問だった。どうして人は長く生きたいと願うのだろう。人はみんな死ぬ。生を与えられた存在なら、誰もが持っている権利が“死ぬこと”だ。それなのに、人々はその権利を悪のように扱う。『死んだら駄目だ』『天寿を全うしろ』と人々は説く。この世界において、自ら死を選ぶことは、最も悪らしい。
『まだ子供もあんなに小さいのに……』
これは過去の記憶だ。今でも鮮明に思い出してしまう。心の傷というのは塞がらず、永遠に開いたままだ。
『マンションの上からですって……』
『可哀想にねぇ』
『旦那さん、大丈夫かしら』
心配の色を宿す声。しかしその言葉が本心でないことは分かっていた。所詮は他人事だ。次の日には井戸端会議の小さな話題に過ぎない。当時の私は聞こえない程度に息を吐いた。いつも着ているスーツも喪服となるとこうも重苦しく感じるのか。線香を立てる人々へ頭を下げ続け、そろそろ意識が朦朧とし始めた。考え事をすれば気が紛れる。しかし考え事が私を苦しめる。
その日、妻が死んだ。
『おとうさん、なかないで』
私の隣に座る息子はそう言って、場にそぐわない可愛らしい笑顔を浮かべた。母親の通夜に満面の笑顔。一見奇妙な光景だが、仕方ないと思った。息子はまだ幼い。きっと何が起きたか分かっていないのだろう。
『……そうだな、お父さんばかり泣いていたら情け無いな』
そう言って、無理矢理に口角を上げ、笑顔を作った。
明け方だった。響き渡った衝撃音。私はあの音を忘れることはないだろう。何かが落ちる音だった。地を割るような衝撃音は私たち家族が暮らすマンションから聞こえた。飛び起き、窓を開けて、音を辿って、見下ろした。街灯に照らされた光景はあまりに惨かった。
マンションの下、自転車置き場の屋根の上だった。そこに妻が血だらけになって横たわっていた。頭が真っ白になった。しかし冷静な自分は居て、震える手で携帯を操作して救急車を呼んだ。住所や状況、色々聞かれた気がするが『助けてください、助けてください』と馬鹿みたいに繰り返したことを覚えてる。ようやくサイレンと共にやって来た救急車に乗り込んだとき、初めて人の血の匂いを感じた。救急隊によって救命処置を受ける妻。目を疑った。あんなに美しかった顔面はぐちゃぐちゃに潰れていた。
目の前が真っ暗になった。妻が自害した。受け入れたくない事実だった。妻は太陽のような女性だった。この世の悪を選ぶような女性じゃない。しかしそう思ってたのは私だけで、太陽の輝きの裏には底知れない闇があったのかもしれない。人知れず苦しんでいたのかもしれない。私はそのことに気付かず生きていた。愚かな自分を殴りたくなった。しかしそんな事をしても妻は帰ってこない。
太陽は、消えてしまった。
『おとうさん、ぎゅうしてぇ』
通夜を終えて、家に着けば、息子は私に身を寄せた。いつもと変わらない日常が無神経にも始まる。息子と一緒に風呂に入って、髪を乾かし、歯を磨き、毛布を被る。大丈夫だ、大丈夫。そう自分に言い聞かせた。しかし涙が止まらなかった。いつもと変わらない日常が、欠けた温もりを浮き彫りにするのだ。
『おとうさんにはぼくがいるよ』
腕の中で眠る息子はそう言って私にキスをした。とろんと目を潤ませ、そうして眠りに落ちてしまった。息子は母親の温もりを探す素振りを一切見せなかった。まるで元々存在してなかったかのように、妻を呼ばなかった。知らないほうが幸せなこともある。わざわざ『今日、お母さんは死んだんだよ』だなんて言う必要はない。
『…ああ、そうだな』
大きくなったら分かることだ。
『おやすみ』
今日はもう、眠りたい。
そう考えて目を瞑った。
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