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四章
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しおりを挟む気のせいだろうか。途端に漂う空気が凍った感じがするのは。
『…何の話?』
ナオの表情は冷たくない。普段通りの柔らかい笑顔だ。しかしながら目の奥から光がなくなったように見えるのは、周りの明かりの影響か、それとも角度の問題か。
…なんか怖い。
『まさか別れ話じゃないよね?』
「ちがっ……―違うよ」
『そっか。良かった』
瞬間、張り詰めた空気がパッと和らいだ感じがした。思わず俺は小さく息を吐く。そうすれば俺を抱き寄せるナオは『じゃあ何の話?』と続きを促してくる。
「……」
口を開く前に、俺は視線を落とした。
俺たちはまだ繋がった状態だ。結合部はいやらしい光沢を放っていて白濁液が混ざった液体でぬめっている。会話を続けようにも、イったばかりのそこは敏感になってるから、少しでも動けば、変な声が漏れてしまいそうだ。
ちょっと一旦解放して欲しい。
そう思うが、腰にまわる腕の力は弱まる様子がない。ナオは俺との繋がりを解くつもりはないらしく、俺を凝視しながら続きの言葉をじっと待つ。
俺はごくりと唾を飲んだ。背筋をゾッと震わす悪寒のような感覚が不気味だ。甘い痺れとはまた違う。ホラゲーでもプレイするときのような、そんな緊張感が走る。なんとなく、ナオの視線が恐ろしく思えて、「放してくれ」の一言がすんなり喉から出てこない。というか、言ってはいけないような気がした。
ナオの一部が俺の内臓に挿入されている今、俺は急所に凶器を突きつけられてるようなものだ。ナオの機嫌次第では、何をされるか分からない。
若干言い出したことを後悔する。しかし話すなら早い方が良いだろう。そう思い、俺はナオを刺激しないように、このまま端的に話そうと決めた。
恐る恐る、俺は口を開く。
「…は、話ってのは、平塚さんのことなんだけどさ」
『……』
「ひ…ッ」
俺は小さく叫ぶ。もしナオの腕に拘束されてなければ飛び上がっていただろう。
“平塚”の名前を出した途端、ナオの表情から微笑みが消えて、刃物のような鋭い視線を向けられたんだ。
『……どうして…』
「え……?」
『どうして…どうしてどうしてどうして』
ナオは突然狂ったように同じ言葉を立て続けに呟く。
『どうして僕と愛し合ってる時に他の女の名前を出すの?その女が何?やっぱり連絡先を交換しとけば良かった?僕にそれを調べろって話?』
「違っ…、ナ、ナオっ、待て、最後まで聞いてっ……」
言いかけたときだ。足元の照明がブツンと切れた。
バルコニーを照らす唯一の光が消えたことで、視界が一気に悪くなる。ナオが原因か。いや、今はそんな事はどうでもいい。俺は慌てて言葉を続けようとするが、出来なかった。
「んああ゛…ッ」
目を見開く。
ナオが俺を抱いたまま立ち上がったのだ。
グチュ…という生々しい音とともに、内臓を押し上げるような圧迫感が襲い掛かる。口をパクパクさせていれば、ナオがそのまま歩き出すから、頭が真っ白になった俺は、咄嗟にナオにしがみついてしまう。
「ナオっ、何っ、ぉッ、…お、おろしてくれっ」
ナオが一歩踏み出すたびに、身体が上下し、己の体重が最奥にずしっとのしかかってくる。先程とは比較にもならない刺激に、涙がぶわっと込み上げる中、俺は必死に首を横に振った。
しかしナオは歩みを止めてくれない。虚ろにぶつぶつ呟きながら、バルコニーの奥に向かって進むだけだ。
『ヒロ、ここに手をついて』
「ぁ、…ぇ……?」
ようやく床におろされたのは、胸の高さほどの柵の前だった。ナオは俺に、銀色の手すりを握るよう促してくる。
訳が分からないが、そのまま孔から、ずるりとナオのモノが抜かれていくから俺はホッと息を吐きながら、とりあえずナオの言うことに従うことにした。
…なんだ?夜景でも眺めながら俺の話しを聞くつもりか?
栓を失った孔から、ナオの出した液体がくぷりと溢れて股を伝う。その感覚に気恥ずかしさを覚えつつ、俺はササっと襟元を引っ張って乱れた浴衣を整える。そうしていると、俺を囲い込むように、背後からナオの腕が伸びてきた。
「…あ、あの……ナオ…」
ぴたりと隙間なく背後から抱き締められれば、俺は動揺の声を零す。ナオが何を考えてるのか分からなかった。
『いいよ、ヒロ』
「………?」
『その女と好きなだけ話せばいい』
振り返れば、ナオは口を大きく開いていた。俺は「あ」と目を見張る。そこから吐き出されたのは、レストランに入る前に『仕事の通知で邪魔されないように』と没収された俺の腕時計だった。ナオはそれを片手に取れば、俺の左手首に装着する。
「な、なに……―」
『出来るならね』
瞬間、俺は「えッ…」と身体をビクつかせた。
浴衣を押し上げられたんだ。そのまま、露わになった腰を掴まれてしまえば、ナオの先端が孔を押し広げ、射抜くように根本まで一気に俺の内部に沈み込み、ばちゅんッ…と、肌と肌が衝突する音が響き渡る。
「…ぁっ…ぁあ…」
しかし荒々しい音に反して、全身に駆け巡る感覚は痛みじゃなかった。まるで挿入されてる状態がそもそもの完成形と言わんばかりに、俺の孔はナオの肉茎を喜んで咥え込んでいた。それは多分、先程の体位では物足りなかった部分にナオの先端が当たってるからだろう。ゴリッと腹の内側あたりを抉るように摩擦されてしまえば、ビリビリと快感の電流が脳天に駆け上がる。
『ああっ、ヒロ……。ぎゅうぎゅうに締め付けてくれるね。…ふふ。嬉しそうにお尻を突き出しながら勃起もしちゃって可愛い。抜いてる間、寂しかった?』
「…ち、ち、がっ、あ、んっ、んん」
『……………へえ…違うんだ』
ナオの暗い声にゾクッと背筋が震える。
しかしナオに気を配ってる余裕はなかった。それよりもこんな場所で淫らな行為をするなんて、とても耐えられなかった。
先程のソファベッドがある奥まった場所とは違い、ここはバルコニーの端も端だ。見られるかどうかという心配もあるが、単純にあまりにも恥ずかしい。足元の照明が消えているからこそ、周りのビルの明かりが際立っていて、嫌でも外にいることを実感させられる。
「…な、おっ、ここは…―」
「ここは嫌だ。移動したい」と、ナオにそう言うつもりだった俺は口を閉ざす。左手首の光が視界に入り、血の気が引いたからだ。
… 一体いつから起動していたんだろう。
《はい平塚です。…どちら様でしょうか?》
「ッ…!?」
腕時計は通話モードになっていて、端末からは怪訝そうな声が聞こえる。
《…もしもし、聞こえますか?》
「ぁ…っ……」
耳に届いたのは、平塚の声だ。
『ほら。返事してあげなよ。ああ、そうだ。その女、僕たちが恋人同士かどうか疑ってたみたいだから、ビデオ通話にして、僕たちがラブラブで気持ち良いことしてるって見せつけちゃおうか。カメラを起動するにはここをオンにして…』
「ッ……そ、そんなこと、だ、だめに決まってるだろ!」
耳元で囁くナオは狂ってる。
愉快そうにクスクスと笑いながらそんな恐ろしいことをしようとするから思わず叫んで首を横に振ると、ナオは『そう? 残念』と言って、さらにクスクスと笑い続ける。
…どうしてこんな状況で笑ってられるんだ。
考えたところでハッとする。その笑顔の意味を理解したときには、遅かった。
《……その声、ヒロ?》
「!?」
ナオは平塚に俺の声を聞かせるために、わざと非常識な提案をしてきたんだ。
ナオの思惑通り、電話越しの平塚は、通話相手が俺だと気づいてしまったようで、《びっくりした~。連絡先教えてたっけ?》と軽い口調で話し続ける。
「ぁっ、…え……と…」
《ごめん。ヒロ、今外にいるでしょ?周りの音でよく聞こえないからもっとマイクに近づいてくれない?》
「…っ……う、ん」
気づかれてしまったからには無視はできない。
ぎこちなく頷いた俺は、おずおずと端末に顔を寄せようとする。
しかし、出来なかった。
代わりに、ビクッと肩を跳ね上げて、手すりを掴む力をグッと強める。
「……んっ…ぅ…」
鼻から抜ける声を必死に抑えた。
背後からぴたりと密着するナオがゆっくりと抽挿を始めたんだ。
俺を揺さぶるように腰を動かすナオは、俺の耳朶を食むようにすれば、暗い声で囁く。
『“ヒロ”、だって。ヒロを“ヒロ”と呼んで良いのは恋人の僕だけなのに…。何度も何度も、煩わしい…』
「…っ、ァ、なお…、やめっ……」
ぱちゅっぱちゅっと淫らな音が響き始める中、俺は喘ぎそうになるたびに出来るだけ端末から顔を逸らして下唇を噛む。
《おーい、ヒロー?大丈夫ー?》
「ッ…だ、だい、じょう、ぶ……」
《本当?具合悪そうに聞こえるけど…》
早くうまい言い訳を考えて通話を切らないといけない。しかし、少しでも口を開けば、計算したように弱いところを突かれてしまい、みっともない声を出しそうになる。
『ヒロ…ヒロ…ヒロ……嫌だ……その女と喋らないで…』
「んっ…く……ッ」
『ヒロは今僕と繋がってるんだよ…ほら…ここ…くちゅくちゅって擦ると気持ち良いよ…僕だけを感じて…ヒロ…』
ナオは自分の発言が矛盾していると思わないのか。それとも、俺が平塚を無視してナオとの行為を続ければ満足なんだろうか。
ナオは、構って構ってと言わんばかりに、腰を抱き寄せ、ぺろぺろと首筋を舐めてくる。
『ヒロが愛してるのは僕でしょう?そうだよね?ねえ、そうだと言って?“ナオが一番好き”って大きい声で言って?』
「んっ、んぅ…」
『言ってくれたら、もっと気持ち良いことしてあげる。何もかもどうでも良くなるくらい僕でいっぱいにしてあげる』
俺はいやいやと首を振る。それはナオの言葉に対してじゃなく、この状況に対してだった。通話中であることが頭を占めてナオの言葉は殆ど聞けてない。そんなことより、とにかく俺は早く通話を切りたくて仕方なかった。
「…ナオ」
『うん、ヒロ』
ナオの声は上擦ってて甘い。俺からの返事を期待するような声色だ。続きを催促するように、ナオは俺の弱いところをぐちゅぐちゅと小刻みに突き上げながら『なあに?』と耳の裏を吸い上げるようなキスをする。
しかし俺はナオの期待に応えるつもりはなかった。
「…そ、そういう冗談、いいから…。悪ふざけは、やめてくれっ…」
少し冷たい言い方だったと思う。
でもこれくらい言わないとナオの言動はエスカレートしていくような気がした。
掠れた声で途切れ途切れにそう言うと、ナオは『え……』と呟き、腰の動きをピタリと止める。その声から察するに、もしかしたらナオは俺から拒絶されることが想定外だったのか。ナオは石のように固まり、同時に、俺の腰にまわす腕の拘束をわずかに弱める。
俺は「今だ」と顔を上げた。
ナオの様子は気になるが、今は平塚との通話を終わらせることが優先だ。
俺は力を振り絞り、片手を振るって絡みつくナオを押し離せば、ぐぽっ…と粘りつく音を立ててナオのモノを引き抜く。
「っ……」
その刺激に声が漏れそうになるが、グッと抑えた俺は、よろめきながら手すりを伝ってナオから離れ、手首の端末に顔を近づけた。
「ひ、平塚さん…っ、ごめん、電話したのは、ちょっと手違いだった…。それで、その、…こっちから掛けといて悪いけど、今立て込んでるから、もう切るよ」
《え?…ああ…そうなの?》
「う、うん。ほんとにごめん」
平塚には失礼なことをしてしまった。申し訳ない気持ちしかないが、無理に会話を続ける必要はないし、なんだかマズイ予感もしたので、通話終了のアイコンへ早々に指を滑らそうとする。
「じゃ…」
《…なーんだ。ちょっと期待しちゃった私バカみたいだな》
「え?」
しかし平塚が喋り続けるので、指を止める。
《ううん。ヒロは相変わらずだなぁって。…というか、さっき言い出せなかったんだけど、今度一緒にランチでも行かない?私しばらくヒロの職場のビルに通う予定だし、周辺でおすすめの店あったら教えてよ》
「え………いや…それは……」
《ああ…営業だと昼時合わせにくいよね。夜はー…って、そういえば、あのアンドロイドの子はいつも迎えに来てるの?》
ナオのことだろう。そう思った俺はそわそわとしながら「いつもじゃないよ。今日はたまたま…」と返す。あまり興味を持たれたくない。正直なところ、これ以上会話を広げたくなかった。
《ふーん。恋人型、なんだっけ?すごい綺麗な子だね。ヒロのこと好きってのもあの一瞬だけで伝わってきたよ。……でも…さ、あの子、本当に大丈夫?》
「……うん…?」
ナオの方から何も物音がしないことに違和感を覚えた。
様子を確認するために振り返ろうとするが、平塚の声が不穏な影を見せるので、思わず画面に視線を戻す。
《…ううん。なんというか、勘違いならいいんだけど、ヒロを見る時と、私を見る時の目が……別物、だったというか……》
「……別物?」
《……恋人型アンドロイドってそんなものなのかな。こういう言い方って良くないと思うけど、…怖かったよ。あの子、ヒロしか見てない。さっきヒロたちと別れたあと、実はこっそり振り返ったの。そしたら、あの子、こっち見てた。その目は、“見てる”、というよりも、自分たちだけの世界に邪魔者が入らないように監視してるみたいで……なんか…変…だったよ。ヒロを見る時の目だって……恋人に向けるものにしてはちょっと……異様な感じで……。ねえ、ヒロ、大丈夫?あの子、最近ニュースとかになってるアンドロイドウイルスってやつに感染してるんじゃない?そもそもあの子はヒロの意思で買ったの?なんだかヒロ、あの子にすごく怯えてるように見えたけど…。もし変なことに巻き込まれてるなら私で良かったら相談に乗るよ。私、ヒロの力になりた―》
その瞬間、ブチッと液晶画面が真っ黒に染まる。
「あ、れ………」
腕時計の電源が切れたんだ。
『ねぇヒロ……“冗談”………って何』
背後から聞こえる声は、あまりにも暗く、抑揚がなかった。誰の声かなんて確認するまでもないのに、まるで別の者の声のように感じてしまう。それほどまでに、その声の主は絶望に押し潰されているようだった。
『“ヒロが僕のこと好き”って、これは、冗談、なの?』
振り返った俺は小さく息を飲んだ。
薄暗闇に赤い双眸を灯らせるナオは、壊れたカラクリ人形のように、ギギッ、ギギッと不自然に首を傾げている。
やがてナオは、俺の方にゆらりゆらりと不安定な歩調で近寄ってくれば、俺の足元にどさりと膝から崩れ落ちる。見下ろして気づいた。その両目は大きく見開かれている。
『違う、よね…?ヒロは僕を愛してるでしょう?』
腕を伸ばしたナオは縋るように俺の腰を掴む。その力は怖いくらいに強くて、俺は反射的に身を引いてしまう。
途端、ナオの瞳孔部分がぐわっと大きく広がった。
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