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三章
33b
しおりを挟む「星すくい?」
首を傾げたときだ。近くにいた薫は「はい」と頷いた。
「このエリアにはジンクスがあると言いましたけど、それがこのアトラクションなんです」
「……ああ。入場する前に言ってた……」
庭園の奥には、透明な円柱の水槽で囲まれた空間が広がっていた。正面は全面ガラス張りになっていて、クルヴィの夜景を一望できるようになっている。
そんな空間の中央には腰の高さほどの石の台があり、台の上には大きな銀の器が嵌め込んである。その器を覗き込んだ俺は思わず「おお…」と感嘆の声を漏らした。器の中には水がたっぷりと注がれていて、白銀の鱗を持つ小魚が何十匹も泳いでいたからだ。
小魚は照明に反射して宝石のような輝きを放つ。器の底が濃紺色ということもあり、まるで星が流れる夜空を閉じ込めたような光景だった。目を奪われていると、薫は水面に映し出されたARの文字を読み上げる。
「星すくいのルールを説明しますね。えーと…、手を使って星魚をすくいます。星魚はロボットなのでどこを掴んでも問題ありません。但しすくえるのは一回だけ。アンドロイドなどの機械類の使用は禁止です。手に取った星魚はこの杯に入れてください」
薫は人差し指を少し離れたところに向けた。辿るように見れば、器の端には手のひらほどの金の杯が設置されている。白銀を基調とした空間の中でその杯は目立っていて、夜空に浮かぶ満月のようだと思った。
「星魚はこの金杯に入れるとダイヤモンドへ硬化します。是非お持ち帰りください―…だそうです。なるほど。だから永遠の愛を手に入れることができると言われてるんですね。ダイヤモンドの石言葉は“永遠の愛”なので」
「……へえ」
「まっ、とりあえずやってみましょうか!」
俺は相槌を打ちながら、薫と同じように水の中に片手を入れる。そうしてひんやりとした水の中を優しくかき混ぜていると、近くを泳いでいた魚たちは鰭を動かして俺の指に集まって来た。
「あはは。お兄さん、魚からモッテモテ~」
やけに俺の方に寄ってくる魚は人間の手に集まるようにプログラムされてるんだろうか。やがて器の中にいる殆どの魚が口をパクパクさせながら俺の指にくっついてくるから、俺は少し動揺しながら薫の方に目を向けた。
…2人同時に手を入れてるのに、どうして魚たちは俺の方ばかりに集まってくるんだろう…。たまたま俺が集まりやすい位置に居たのか、なんかすごい勢いで泳いでくる…。
水面にはちゃぷちゃぷと細かい飛沫が立っていて、少し手を動かすと『待って~』と言わんばかりに魚たちは小さい体を一生懸命に動かしてついてくる。そして俺の手に口先を擦り付ければ、かぷかぷと甘噛みを繰り返す。
その姿に、俺は思わず笑みを零した。
「ふふ…。可愛いな…」
暫くの間、そんな感じで魚たちをほのぼのと眺めていると、「お兄さーん」と呼ばれて顔を上げる。
「魚と戯れ続けるのも良いですけど、ナオくんめちゃくちゃジェラってるんで程々にしたほうが良いかもですよ~」
「……えっ、ああ、…ナオ、ちょっとその杯こっちに持って来てくれないか…?」
俺はビクッと肩を跳ね上げた。
含みのある笑みを浮かべた薫の視線を追うと、俺の腕を抱くナオがジトリとした目で魚を見下ろしていることに気が付いた。
そのせいか。先程まで『ボクと遊べ!』という感じで寄ってきた魚は、今やナオを見上げて『ヒイィ…』と小刻みに震えている。
ナオが魚たちを睨む理由はよく分からないが、これは早く終わらせたほうが良さそうだ。
そう考えた俺は水中を掴んで魚を何匹か手のひらに閉じ込めた。そうして杯にポロポロと魚を零す。
「―……お、おお」
驚いた。
説明通り、杯に魚を入れると鰭や口先などの突出した部位は徐々に丸みを帯びて、凹凸の激しい鱗は滑らかに繋がり、煌びやかに輝く小石に変わったのだ。
「す…すご…どういう仕組み……」
茫然としていると、ナオは耳元で言う。
『この魚型ロボットには、特殊なナノトランスフォーマー粒子が内蔵されてるんだよ。金杯の内側には強力な量子共鳴波動発生装置が組み込まれていて、魚型ロボットを金杯に入れると、量子共鳴波動がナノトランスフォーマー粒子に作用するんだ。そうすると魚型ロボットの構造が急速に解体され、原子レベルで再編成される。この分子再編成プロセスによって、魚型ロボットの炭素原子が高圧高温状態をシミュレートされるから、魚型ロボットは瞬時にダイヤモンドへと変わるんだよ』
「う、うん?なのとらんす…?…なに…?」
呪文のような言葉を並べられて、俺は目を瞬かせた。会話の流れを考えれば、星魚がダイヤモンドに変化する原理を説明してくれたのだと薄っすら理解できるものの、内容はちんぷんかんぷんで、繰り出される単語にポカンと口を開けることしかできなかった。
すると、近くでパチパチと手を叩く音が湧き起こる。
「へぇ、ナオくん物知りですね!ナノトランスフォーマー粒子って学会でも全然取り上げられないマイナー分野なのによく知ってるね!?そんな知識どこで学習したの?お兄さんが知識を与えた感じじゃなさそうだけど…!」
『……』
薫は拍手を続けて、興奮気味にナオに尋ねる。しかしナオはそんな薫をチラリとも見ようとせず、口を閉ざして、俺にくっつくだけだった。
妙な沈黙が流れて、俺は気まずくなる。なんだか人見知りの子供にしがみつかれた親になった気分だ。
ナオは普段から俺以外の人間と喋ろうとしないし興味を持たない。だからこれが通常運転だ。たぶん悪意はないんだろう。しかし何も返さないのは無視のようで感じが悪い。
この会話に入っていける自信はないが、俺はナオの代わりに口を開いた。
「…そう、ですね。俺は何も教えてないです。いつもナオは自分で調べて俺にいろんなことを教えてくれるんです」
「なるほど…。“自ら調べる”というタスクを課すことで、AIの学習範囲を広げていくわけですね。勉強になります!」
「あ……いや……」
真面目にメモを取り始める薫を前に、俺は口ごもる。
ナオは人格を形成した特殊なAIだからあまり参考にならないかもしれない。しかしそう言ったところで薫を混乱させてしまうだけだろう。余計なことは言うまいと、俺は開いた口をそっと閉じた。
そうしてダイヤモンドを持ち帰り用のパウチに入れて、ガラス張りの庭園からクルヴィの夜景をぼんやりと眺めていたときだ。背後から声を掛けられた。
「お兄さん」
「はっ、はい」
パッと振り返ると薫が目に映る。薫も俺と同じようにダイヤモンドをパウチに入れたところのようだ。そのまま隣に歩み寄れば言葉を続けた。
「今日は予定合わせてくださりありがとうございました。月のエリアに一緒に入れてもらって、タクシー代まで頂戴して、お気遣いに感謝します」
「あ、いえ。そんなご丁寧に…。こちらこそ今日はありがとうございました…」
頭を下げると、ぎゅっと腕の拘束が強まる。
ふと目の前のガラス越しにナオを見れば、俺の腕を抱くナオの眉が不満そうに顰められていることが分かった。薫と喋るなと言いたげな目だが、この状況で会話を中断するのは無理がある。だから俺は察しが悪いふりをして、そのまま薫の声に耳を傾けた。
「ふふふ。ナオくんは本当にお兄さんが大好きなんですね。見かけるたびにくっついてて可愛い」
「あはは……」
俺はぎこちなく笑う。
…可愛いと形容するには少々力が強過ぎるような……
そう思うが、薫が話し続けようとするので内心に留めておく。
「人間とアンドロイドのカップルって世間的にまだまだ少ないから色々と不安になることが多いと思います。でも断言できます。研究所でお会いしたときから思ってましたけど、お兄さんたちは超お似合いのカップルですよ。きっとこれからもっとラブラブになると思います」
その瞬間『……超お似合いのカップル』という声が耳朶に触れる。チラリと視線を動かせば、ナオの目は薫を映していた。相変わらず退屈そうな視線だが、期待してなかった相手をわずかに見直したような、そんな色が窺えた。
俺はふと思い立つ。そして気になっていたことを投げかけてみた。
「そういえば…、研究所で会う前から俺のこと知っていたとおっしゃってましたけど、あれはどういう…?」
すると薫は「ああ」と頷く。
「そのままの意味ですよ。兄ちゃんの部屋に、お兄さんの顔写真いっぱい貼ってあるんです。だからお兄さんの顔を知ってた。それだけの話です」
「うん…?俺の顔写真…?」
「最初は、こんな超根暗そうな人の何が良いんだろ?って思ってたんですけど、こうやって話してみれば分かりました。お兄さんって一緒に居るとすごく安心するんです。…適切な表現が思いつかないんですけど、オトナ特有の邪気を感じないというか、良い意味も悪い意味でも他人を欺くことをしなさそうで、そういう誠実な雰囲気があの人間不信の兄ちゃんの心を溶かしたんでしょうね」
「…は、はあ」
…これは褒められてるんだろうか。
“こんな超根暗そうな人”というワードに絶妙にダメージを受けながら、おずおずと相槌を打つ。
「これからも兄ちゃんのことよろしくお願いします。ひねくれた性格してますけど、心を許した相手には義理堅いところあるんで好きなように使ってやってください。兄ちゃんもそれが本望だと思います」
「使うだなんてそんな……」
薫はどこまで犬飼から俺の話を聞いてるんだろうか。ラブホでの出来事まで伝わっていないことを祈りながら、俺は恥ずかしい記憶を振り払うように首を横に振った。
その瞬間だ。ピィイ…と遠くから鳥の鳴き声が聞こえて、頭上からほんのりと温かな光が注がれる。
「わ、なになに」
薫はポツリと零す。
その視線を追いかけた俺はハッとした。庭園の水辺で羽を休めてた鳥型ロボットが炎を纏わせたままこちらに向かって滑空してきたのだ。
そうして俺たちの頭上を通り過ぎた鳥型ロボットは天井の小窓から外に飛び出し、上空を舞う。その動きに連動するように地上のライトアップが変化し、塔から波打つように青色の光が帯び始めた。俺は息を飲む。まるで地上に大輪の花が咲いたような、そんな幻想的な景色が目前に広がったのだ。
「なにこれ……青い、薔薇……?こんなショーあったっけ……?」
茫然とした薫の声が響く。その隣で目を丸くしていると、そっと顔を寄せてきたナオが耳打ちをしてきた。
『ヒロに助けてもらった恩返しだって』
「え…?」
ナオは少し間を置いて、何かを読み上げるように言う。
『“―本日、貴方のおかげで私の仲間は廃棄処分を免れました。このプログラムは通常、特別なセレモニーでのみ実行されますが、貴方に感謝の意を示したいという我々の総意の元、特別に実行しております。お連れ様と一緒にお楽しみくださいませ―”』
『アレからそう伝言を受信したよ』とナオは目配せをした。その目は夜空を舞い飛ぶ鳥型ロボットに向けられている。
やがて鳥型ロボットは地上にいる何者かの指にひらりと降り立った。
「…ああ。あのアンドロイド……」
鳥の纏う炎の明かりでその者の姿が照らされる。
給仕係の制服を着た彼は田村に暴力を振るわれたアンドロイドだった。腫れた頬を隠すためだろうか、顔の一部を布で覆っているが、立ち姿は安定していて、動作に問題はなさそうに見える。
彼は俺たちの視線を察知したようで、恭しくお辞儀をする。そうして再び姿勢を正せば、鳥型ロボットを空に放ち、静かに暗闇に姿を消した。
『…もう。またヒロは僕以外を惹きつけた』
その姿を見送ったとき、俺の腕を抱くナオはポツリと零す。
拗ねたような声色だが、その目はどこか誇らしいものを見るように熱を帯びていた。
そのままナオは囁くように言う。
『…でも、そんなヒロの恋人は僕だけ。…僕だけがヒロに選ばれた』
「……え?」
『愛してる、ヒロ』
隣にいる薫は目の前に広がる美景に夢中になっているようだ。大きな声で「すごい!」と叫びながら、携帯で動画を撮り続けている。その熱中ぶりは、周囲の存在を忘れてしまったかのようだった。
だから、そんな薫は気付くことはないだろう。ナオと俺の唇が触れ合ったことに。
「…っ」
一瞬のキスだ。しかしそれでも人目のあるところでのキスに耳が熱くなった俺は口をパクパク開閉させた後、パッと顔の向きを正面に戻す。そんな俺の反応がおかしかったのか、ナオは耳元でクスクスと笑う。
『ねえ、ヒロ』
「…うん?」
炎を纏った鳥型ロボットは夜空に大きな円を描くように旋回する。その瞬間、それが合図のように、パーク内のあらゆる所からドローンが浮遊し、空中に無数の光が灯る。
『今日は一生に残る思い出になった?』
まるで“星すくい”の器の中を再現したような光景だった。キラキラと輝く光は人工的なものでありながら、どこか温かみを感じる。その理由は、一つひとつの光がまるで意思を持って浮遊を楽しんでいるように見えたからだ。
「…うん。なったよ」
こんな夢のような光景は、ナオと出会わなければ一生見ることはできなかっただろう。
そう頷けば、ナオはその答えに満足したように微笑み、『良かった』と優しく目を細めた。
『これからもたくさん僕と思い出を作っていこうね』
「ああ」
『約束だよ』
ナオは俺の手を取ると小指から絡めるように手を繋いで肩を寄せてくる。だから俺はその甘い眼差しに応えるように、重なった手をしっかりと握り返した。
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