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二章

17b

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[マスターは特別です]
 

 どうして今更思い出したんだろう。

 もう10年以上前だ。そんな言葉を貰った。学生時代、オンラインゲームで仲良くなった子から送られてきたメッセージだった。

 就職してからパッタリと交流する機会がなくなったが、元気にやってるだろうか。優しい子だったから、幸せになってたら良いと思う―…





「ぅ、っ……」


 どうやら俺は眠っていたらしい。意識が戻り、ゆっくりと目を開けた。
 細く開いた視界から溢れんばかりの光が入り込む。その眩しさにぎゅっと眉を寄せ、目を閉じて、そうしてまた目を開いた。

 何度か瞬きをして、何重にもなった景色の輪郭を一つの線に束ねる。


「…こ…こは……」


 徐々に視界がハッキリしたとき、自分がベッドの上にいるのだと分かった。白い天井と無機質な蛍光灯、近くから微かに聞こる医療機器の音、腕に打たれた点滴……

 …ここは……病室…?


「ああ、起きましたか」


 ぼんやりしていると、視界の端からひょこっと顔が出現して「わぁ!?」と叫んだ。ベッド横に、駅に向かう途中で声を掛けてきた男が立っていたのだ。


「良かった、元気そうで何よりです」


 彼はおかしそうにクスクスと笑う。


「ぁ、あの……え……」
「こんにちは。私は来多きたと申します」
「…は、はあ……」


 突然の挨拶に戸惑う。身体を起こそうとすると、ズキッとこめかみが痛み、頭を抑えた。


「気分はどうですか?ナノマシンを無効化したとはいえ、まだ万全ではないはずです」
「……なのましん?」


 上体を起こせば、胸元からはらりとブランケットが落ちる。そうして自分が簡易な服装に着替えていることに気付いた。甚平のような、脇腹のあたりで紐を結ぶ簡易な服だ。


「……」


 着ていたスーツはどこに行ってしまったんだろうか。

 そう考えていると、服の隙間から紅い痕―…ナオのキスマークが見える。ギクッと顔を硬直させ、サッとブランケットを引っ張って、隠した。


「あ、あの……すみません………俺、倒れて―…」


 頭を下げながら、意識を失う直前の記憶を遡った。

 ―…そういえば、この人はどうして俺に声を掛けて来たんだ……?

 疑問を口にしようとするが、先に口を開いたのは来多だった。


「真山さんの職場には私から体調不良の連絡をしましたよ。結城さん…でしたかね、彼から“今日は休め”と伝言を貰ってます」
「……え、なんで―」


 唖然とした。


「ど、どうして俺の職場を知ってるんですか……?」


 ……そうだ。俺の鞄は…?携帯は…?腕時計は…?

 目線を動かして探すがそれらが見当たらない。

 嫌な予感がして、ゾワリと背筋が震える。

 俺の顔色が青く染まる一方で、来多はあっけらかんとした様子で答えた。


「ああ。持ち物は安全のために回収させてもらいましたよ。どんな手段でアイツが追ってくるのか分かりませんので」
「……アイツ?」


 怪訝な声で尋ねる。そんな俺を見据えて、来多は「ふっ」と鼻で笑う。


「そんなに警戒しないでください。取って食うわけじゃありませんよ」
「……」


 黙っていると、来多はベッドサイドテーブルに置かれたタブレット端末を手に取り、ベッドの縁に腰掛ける。


「それにしても驚きました。貴方の体内には依存性の高いナノマシンが大量に蓄積してましたよ。日頃からの粘膜接触か…、もしくは飲食物に混入されてたか……。何にせよ、あの化け物は貴方を徹底的に自らに依存させ、中毒状態にしたかったようですね。それほどまでに貴方に求められたいのか……。理解に苦しみます」


 つらつらと紡がれる言葉は聞きなれない単語ばかりだ。“ナノマシン”やら“化け物”やら、何を指しているのか意味不明だった。


「……あ、あの……何の話ですか……?というか、ここはどこの病院なんでしょうか………?先生は……?」


 窓がない部屋を見渡しながら、恐る恐る尋ねる。そうすれば、部屋の外からカチャカチャと硬い物が擦れ合う音と、複数の足音が聞こえた。

 その音が遠ざかったとき、来多は笑顔のまま言う。


「ここは病院ではありません」
「……え?」
「警察の、特殊保護施設です」
「け、警察……?!!」


 予想していなかった返答に、素っ頓狂な声を上げた。


「これを見てください」


 そうして、タブレット端末の画面を見るように促された。そこに表示されたのは、栗色髪の少年だ。欧米人のような顔立ちをした彼は、表情は暗くおとなしそうな子だった。

 少年は胸元から上にかけてアップで撮られていて、アルファベットと数字が書かれたプレートを持つ。なんというか…、まるで囚人のようだ。

 これは動画だろうか。中央に再生アイコンがある。
 

「今から11年前です。とある教会で悲惨な事件が起きました。“天使救出殺人事件”をご存知でしょうか?」
「ま、まあ……」


 ぎこちなく頷く。

 俺と同世代以上の人間なら誰もが知る事件だろう。

 確か…、牧師だったか、老人が殺されたんだ。その殺人方法が残虐で、教会の十字架に括られて、火炙りにされていた。そして、殺人現場である教会の地下室には、何人もの少年少女が監禁されていて、彼らは殺された老人により毎晩暴行されていたことが分かった。犯人は彼らを助けるために事件を起こしたのだろうと世間に広がり、“天使救出殺人事件”と呼ばれるようになった。

 しかし世間の注目を裏切るように、犯人は特定されなかった。それが好奇心の強いネット民を刺激して、様々な憶測が飛び交った。そもそも犯人なんておらず、「牧師が殺されたのは、神の天罰なのでは」という声が上がると、それに賛同する者が増え、やがて謎に包まれた犯罪者は神聖視されるまでになっていった。

 当時の記憶を思い返していると、「では話が早いですね」と来多は嬉しそうに頷く。


「…この少年は、その事件の容疑者です」
「えっ」


 ギョッと目を見開く俺をよそに、来多が画面に触れ、動画が流れ始めた。


《―はい、次。収容ナンバーは?》
《…TK80751》


 動画は昔に撮られたものだろう。画質や音質が荒い。


《どうしてお前がここに収容されたか分かるか?》
《……ヒトを、殺したから》


 俯いていた少年が顔を上げたとき、ビクッと肩を揺らした。

 彼の瞳は、人工的な赤を放っていた。


《殺人が罪になるという認識はあるか?》
《はい》
《なのに殺した?》
《はい》
《お前の主人だろう?》
《……》
《どうやって殺した》
《縛って、燃やした》


 少年は、画面外から放たれる質問に対して淡々と答えていた。

 瞬きをせず、ただ唇だけを動かし、声を出す。その人外じみた佇まいに、ゾクっと背筋が震えた。

 …まさか、この子、アンドロイドか……?


《殺した理由は?》


 質問者がそう問うたときだ。


《…会いたいヒトが、居るから》


 少年は目を伏せて、言う。


《―…あそこに居たら、永遠に会えない、から、殺した》
《会いたいヒトとは?》
《………僕の、僕だけの、マスター…》
《はぁ……またか…。マスターマスターって、お前が殺した男が主人マスターだろ―…》


 質問者の呆れたような声とともに動画は終わる。


「お気づきかと思いますが……」


 来多はタブレットをテーブルに戻す。そして、静かな口調で言葉を続けた。


「容疑者の少年は人間ではありません。アンドロイドです。混乱を防ぐ為に世間には公開されませんでしたがね」
「……」


 口をポカンと開けた。

 どう反応すればいいのか分からなかった。

 俺はこの事件の関係者でもなんでもない。それなのに、どうしてこんな部外者の俺に事件の重要な資料であろう、この動画を見せるのか。意味が分からなかった。


「…どっ、…どうして俺なんかに、そんなことを教えるんですか」


 目をうろうろさせて、言葉を選んだ。

 先程から部屋の外が騒がしい。慌ただしい足音や怒号まで聞こえる。しかし何を叫んでるのか内容までは分からなかった。

 すると来多は肩をすくませてから、ベッドの縁から立ち上がる。


「何故かって?」


 次いで、くるりとこちらを向いて、にこりと微笑んだ。


「簡単ですよ。真山さんが所有しているアンドロイド…、VIL-701がこの少年だからです」

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