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二章

16a

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 次の日


「ひっ……」


 朝起きて、顔を洗いに鏡の前に立ったとき、俺は悲鳴をあげた。


『ヒロ、今日もかっこいい。好き好き好き』


 毎朝の如く、起床と同時に、銀髪の麗しいアンドロイドに抱きつかれている。ちゅ、ちゅ、と顔や首にキスの雨を降り注がれているが、この状況に悲鳴をあげたんじゃない。目を開けた瞬間からキスをされ、体を起こしたら抱き締められ、くっつかれながら洗面台に向かう。これはもう毎朝の恒例で、見慣れた光景だ。

 ただ一つ、見慣れないことが起きていた。

 洗面台に手をついて、鏡に寄る。


「な、なんだこれ……!?」


 
 自らの首元を凝視し、驚愕した。

 首筋から鎖骨にかけて、赤い花びらのような、小さな斑点が無数に散らばっているのだ。それは鎖骨の下まで続いてるような気がする。
 ガバッと部屋着のTシャツの襟ぐりを大きく引っ張って、胸元を覗き込む。

 言葉を失った。


『ヒロ、どうしたの?おはようのキスしよ?』
「……」
『…ヒロ、無視しないで……。やだやだ』


 俺はふらりとよろめいた。

 ぎゅうっと腰に手を回し、肩口に額を押し付け、ぐすぐすと泣き始めるナオ。
 そんなナオをそっと押し返す。そうすれば、鏡越しに、パッと表情を無にするナオが見えた。まるで役者が泣く演技を止めたかのようだ。その表情の切り替わりっぷりに少々ビクつくも、我が身を心配することを優先した。

 Tシャツをばさりと脱いで、自分の上半身を見下ろす。


「う、わ………」


 なんと小さな赤い斑点は、身体中に広がっていた。

 胸元、脇腹、さらにその下にまで……


「……な……なんだよこれ……」


 その病的な状況にゾッとする。

 ―…ど、どうしよう……なんかのアレルギーか…?…もしくは変な虫に刺された………?

 
 しかし赤い斑点に、痛みや痒みはない。一つをちょんちょんと触るが、腫れてるわけでもないようだ。皮膚の内部が出血してる…―内出血が薔薇の花びらのような赤みを作り出していた。


「……」


 無言のまま動揺していると、ナオがまたもや背後から絡みつくように抱き締めてくる。少し拗ねた様子で『ヒロは涙に弱いんじゃないの?』とよく分からないことを言ってる。やがて、形の良い唇がちゅ、と首筋に吸い付いたとき、ちくりと痛みが走った。

 耳を喰むようにして、ナオは囁く。


『ヒロ、困った顔。どうしたの?僕のキスマーク、気に入らなかった?』


 そう言って、顔を覗き込んでくる。サプライズプレゼントの反応を伺うような声色だった。誰もが見惚れるような美しい微笑みが至近距離に迫り、心臓がドキリと跳ねる。


「……へ?」


 ナオの指がつーっと首筋をなぞる。


『もっと増やしてもいい?悪い虫が寄らないように、僕の存在を知らしめないといけないから』


 ハッと息を飲んで、鏡を見る。たった今、ナオの唇が触れた箇所だ。そこに浮かび上がる赤い斑点は、全身に散らされたもので、この奇妙な症状の原因が判明した瞬間だった。


「これっ……ナオがやったのかよ…!」


 叫ぶようにそう言えば、ナオは悪びれた様子なく『うん』と頷き、『項だけじゃ効果が薄いようだから』と得意げに鼻を押し付けてくる。

 その仕草は『褒めて褒めて』と褒美をねだる犬みたいだ。

 俺は絶句してから、大きく溜息を吐いた。


「なんでこんなことすんだよ……こんなんじゃ人前に出れないだろ……」


 しどろもどろになりながら呟けば、ナオはぱあっと喜色満面の笑顔を浮かべて、『そう?』と小首を傾げた。


『じゃあ今日は仕事を休む?』
「……」



 ハートマークが飛び散ちらんばかりの甘い笑顔を浴びて、俺はくらりと眩暈がした。

 

「…顔洗うから……一旦離れて…」


 
 このまま会話を続けているとナオのペースに流されてしまいそうだ。
 ぎゅうぎゅう抱き締めてくるナオの手に触れて、放すように促す。そうすればナオは『分かった。朝ご飯用意するね』と上機嫌な様子で、リビングに向かって行った。


 そんな背中を見送って、改めて、自分の身体を見つめた。


「…………これ、シャツで隠せるか……?」


 無数に散らばる赤い痕を指でなぞる。

 キスマーク、という文化は知ってる。恋人同士が愛情表現として皮膚を吸って鬱血痕を残すものだろう。
 大方、寝てる間に痕をつけたのだろうが、その量が尋常じゃない。今までこんな事はなかったのにどうしていきなり……。というか普通、こんなにもたくさん吸いまくるものなのか?

 漫画でそういう描写を見たことがあるが、目立っても1,2箇所、というイメージだった。

 今の俺の身体の状態は、パッと見、重度の皮膚病を疑うレベルだ。現実はこんなもん…なのか…?だとしたら世の中の人間はどうやってこんなグロテスクな痕を隠しているのだろう。

 …あとでネットで調べてみるか……


 結局、解決策は浮かばず、リビングに戻る。

 リビングには芳ばしい香りが漂っていた。中央に目を向ければ、ホテルの朝食かと思うほど豪華な品がテーブルを彩っている。ふっくらとしたオムレツに、カリカリに焼けたベーコン、瑞々しいサラダ、黄金色のスープにクロワッサン……

 これらは出来合いものではなく、ナオが一から作ったものというから驚きだ。ナオは、俺が口にするものは自らの手料理でないと気が済まないらしい。シリアルで十分なのに、毎日このクオリティの料理を出されて、少し気が引けてる自分がいる。

 キラキラしい朝食に圧倒されていると、ナオはパッと振り向いて、笑顔を浮かべる。


『ヒロ、用意できた』
「あ、ああ……うん……ありがと」


 甲斐甲斐しく、椅子を引かれ、そこに座る。「いただきます」と言って、食事を始めると、ナオもすとんと隣の椅子に座って身を寄せてきた。

 しばらく熱い視線を注がれ、やがて顔を覗き込まれる。


『ヒロ、美味しい?』
「…ん、美味いよ」
『僕の手料理好き?』
「うん、好き」


 頬張りながら、返事をする。すると、ぎゅうっと腰に手がまわり、食事を邪魔しない程度に密着される。


『ふふ、ヒロの胃袋掴んじゃった』
「……」


 ナオがアンドロイドで良かった、と心底思った。もしナオが人間ならこんなに密着され続けたら、さぞ暑苦しいだろう。…まあそもそも、俺が人間と一緒に住むなんてあり得ないが……

 頬擦りをされながら、そんな事を考える。

 するとナオはソワソワと口を開いた。


『ねぇ、今日は一日ずっとヒロと過ごせるんだよね?食べ終わったらベッドに行く?いっぱいキスして…気持ちいいことしようよ』
「あー……そのことだけど……俺…普通に出社するぞ」
『え……?』


 途端、ナオはピタリと動きを止めて、目を丸くする。

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