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二章

14b

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 その人物は、長身で体格が良く、高い鼻筋とは対照的に、深い目元を持ち、精悍な顔立ちをしていた。その一方で姿勢は悪く、気怠げな様子が漂っている。


「お前いっつも犬飼にべたべたじゃれられてんな」


 威厳と脱力感、そんな相反する雰囲気が絶妙に合わさっている人こそ、現在、浮気疑惑をかけられている張本人で俺の上司。結城所長だ。

 彼は俺の傍にドガッと腰を下ろす。その勢いで、酒と煙草の匂いがぶわりと舞い上がる。


「お疲れ様です……」


 息が詰まる。右は犬飼、左は所長に挟まれてしまい、席を外し難くなってしまった。


「お前らが懐こうが懐かれようがどうでもいいが、また2人で結託してサボるんじゃねぇぞ。次は始末書じゃ済ませねぇからな」
「は、はい……」


 所長が言う“サボり”とは、先日の展示会の件だ。あの後、事実のまま所長へ報告し、あの件は始末書処分という判断が下された。業務中に社用車を使って無意味な移動をしたのだから当然のペナルティだろう。社内の規則上、2人以上で問題を起こした場合は、そのうち最も肩書きが上の者がペナルティを負うことになっている。場合によっては、理不尽な結果に繋がる規則だが、これが会社の決まりである。本来なら問題を起こした全員がペナルティを負うことが通説かもしれないが、全員が全員でペナルティを負ったところで業務の遅延に繋がり、会社にとってメリットがない。だからこういう規則が定められた。

 あの場において最も肩書きが上の者は俺だった。そういうわけで、俺は粛々と始末書を作成し、つい先日提出したばかりだった。

 所長にとって記憶に新しい事柄だから、引き合いに出してきたんだろう。とは言っても、冗談を言ってる雰囲気だ。怒っている様子はない。しかし事柄は事実なので、深々と頭を下げた。

 
「その節は……申し訳ございませんでした……」


 すると、少し離れたところにいる社員から「おっ、真山さん、また謝ってるんすか?」とからかうような言葉を受け、ドッと笑いが起きる。


「はぁ、お前は馬鹿の一つ覚えみてぇに……。この頭は空っぽか?」


 所長も笑い、俺の頭をぐりぐりと押さえつけた。


「あ、あはは……」


 …いっ、痛ぇ……

 所長の手はデカくて、力も強いので、首が折れてしまいそうだ。畳に鼻の先を潰しながら、苦笑いをしていると、パンッと軽い音が鳴り、ふいに、頭が軽くなった。


「真山さん痛がってますよ」


 その声は、冷ややかだった。わずかに顔を上げれば、色白の手が見えた。どうやら犬飼が所長の手を退けてくれたようだ。助かったことに違いないが、役職による序列が絶対である弊社において、所長の手を払うとは……―なかなか度胸があるというか……

 ややあって、犬飼はこちらに目を向ける。


「…真山さん。何度も言いますが、先日の件は全部俺のせいです。だから、こういうの、やめてください」


 肩に手を置かれて、頭を上げるよう促された。当惑しながらチラリと所長に視線だけ向ける。そうすれば所長はクイッと顎を僅かに上に向ける。

 その仕草を合図に、俺はゆるゆると体勢を戻して、犬飼を見た。


「……」


 嘘を吐いたことに対して後悔しているのか分からないが、犬飼の表情は酷く暗い。


「おうおう。さすが、最年少で飛び昇格した部下は強気だな」


 所長は笑う。しかし目は笑っていないような気がした。基本的に、この人が心から笑う姿を見たことはないが、今の笑顔は完全に作り物と思えるものだった。よく見れば、所長の少しカサついた手の甲は赤く染まってる。どうやら相当強めに叩かれた様子だった。


「ええ。所長のご指導の賜物です」
「はは、その強気な態度と優秀な才能を買って本社に推薦してやるよ。喜べ。エリートコースだぞ」
「既にその件はお断りしましたが」


 芝居じみた様子で賛辞を並べる所長と、ピシャリと冷たい眼差しで返す犬飼。間にいる俺は口をあわあわと震わせることしかできなかった。


「…あーそうだったかねぇ」
「もうお忘れですか?知り合いが勤務する病院に認知機能を専門にしている名医がいますので紹介しましょうか?」
「あ?」


 俺の背中は冷や汗で濡れていた。

 どういうわけか、2人ともめちゃくちゃ喧嘩腰である。
 
 空気は最悪だった。

 周りの社員もその空気を察して、顔の向きを変えて、各々の話題に戻っていく。俺もこの空気に耐えられなかった。というか、俺がいなければこんなことにならなかったのではないか。「お、俺は邪魔かと思うので……」とその場から退散しようとしたときだ。


「あ?どこ行くんだよ」


 手首をグッと掴まれた。


「ぇっぁっ、す、すみませんっ……」


 犬飼とは違い、咄嗟に謝罪の言葉が出てくるのが俺である。


「ここ、座っとけ」
「は、はい……」


 ペコペコと頭を下げて、座りなおす。

 …はぁ。犬飼もそうだったが、どうして離れようとするとキレ気味になるんだ。俺がいても何も面白くないだろうに。

 すると所長は「んで?」と口を開いた。
 

「誰だ、このガキ」


 所長が怪訝な顔を向けるのは、ホログラムの少年だ。てっきり既に通話を終えたのかと思っていたが、ホログラムの少年は退屈そうに、ジッとこちらを見つめていた。いつのまにか、背後のアンドロイドたちは姿を消していて、少年は桃色のパーカーを羽織っていた。

 俺たちの視線が集まったとき、少年は口を開いた。


《ガキじゃねぇよ。お前こそ誰だよ、ジジイ》


 一瞬、空気にヒビが割れるような音がした。耳を疑った。先程の可愛らしい表情、声、仕草はどこへ行ったのか。少年はくしゃりと顔を歪ませて、悪態を吐く。


《はぁ、興醒めー……。せっかく盛り上がってきてたのに。これだからジジイって嫌いなんだよな。自分が世界の中心とでも思ってるのか?他者を愚弄して悦に入る様なんてあまりに卑俗で哀れに思えてきたよ。醜い。吐き気がしたね》


 つらつらと紡がれる言葉は内容にまで耳を傾けていなければ、歌を奏でているかのようだ。しかし内容は敵意に満ちていた。
 先程までと別人のような口調だ。しかしこの独特な言葉選びや喋り方に聞き覚えがあり、彼が研究所で会った少年だと再認識した。恐らくこちらが彼の本性なんだろう。

 そうして、少年はにっこりと微笑んだ。


《オレ、相手は選びたいんだ。ジジイみたいな男は論外。んじゃ。兄ちゃんたち、ばいばい》


 少年が可愛らしく小首を傾げたところで、ブツっと通話が切れた。周りは相変わらずガヤガヤと騒がしいが、俺たちの空間だけ妙な沈黙が流れる。ホログラムには[通話終了]と表示されたマークが回転していた。


「……」


 俺は恐ろしくて左隣を見上げることができなかった。テーブルに置かれた皿に反射して見える所長の顔。そのこめかみには4本ほどの青筋がぴくぴくと痙攣していた。

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