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一章
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しおりを挟む「腹減ったなぁ」
夕焼け空に向かって言葉を投げた。
手続きが済んで、研究所から出る。点検料金の支払いをしてる間、やたらと施設内のアンドロイドにチラチラと見られた。たぶん先程の騒ぎが施設中に共有されてしまったんだろう。恥ずかしすぎる。
「暫く此処に来れないな」と心の中で呟くが、「感染してなかったんだし殆ど来ることはないか」と考え直す。
すると腹からきゅるきゅると音が鳴った。
『ヒロ、お腹鳴ってる。可愛い』
「腹鳴らしてるおっさんは可愛くないと思うぞ」
『ヒロは可愛いよ』
「へえへえ」
ナオの左手首に目を落とす。そこにはしっかりと白い包帯が巻かれていた。時折、ナオはそれを撫でてウットリと目を細める。一体何が良いのか。包帯フェチってやつか。アンドロイドの感性が分からない。
「飲み放題やってるよ!」
「焼き鳥、すぐ出せますよ!」
人の声が増えてくる。駅の方は活気に満ちていた。キャッチのような若者に「おにーさーん!キャバクラとか探し―…」と声をかけられたときだ。隣にぴったりと寄り添っていたナオは『ヒロ、虫がいる』と俺の腰を引き寄せた。
「ん?虫?」
キョロキョロと辺りを見渡す。しかし虫は見当たらない。代わりに、腰を抜かした様子で逃げていく若者が見えた。『逃げた。駆除し損ねちゃった』とナオは暗い声で呟く。駆除しないといけないほどの害虫がいたのか。こんなコンクリートジャングルに珍しい。ぼーっとしていると、またしても腹の虫が鳴いた。
パッと腹に手を当てる。
「…なんか食って帰るかぁ…」
『ふふっ。分かった』
ナオはクスクスと笑う。研究所のカフェでコーヒー以外に何か頼めば良かった。後悔しながら、「どっか良い店は…」と辺りを見渡す。
『位置情報からヒロが好きそうな店を抽出するね』
「お…おお、さんきゅ」
俺が好きそうな店が分かるのか。そういえば初期設定に“好きな食べ物・料理”という項目があった。こういう時の為に必要な情報だったんだなと考えながら歩く。
『ヒロ、腕時計を見て』
「ん?ああ」
言われた通り、腕時計に目を落とす。そうすれば液晶の画面上にはいくつかの写真が表示されていた。
『ハンバーグ、とんかつ、お好み焼き、どれが良い?』
「うーん…どれも良いけど、ハンバーグって気分かなあ」
『了解。―…予約した。ここから直ぐだよ。こっち』
腰を抱かれたまま歩く。店まで案内してくれるようだ。助かるが密着し過ぎじゃないだろうか。こういう繁華街に行くと、会社の人間と遭遇する事も珍しくない。見られて不味いことはないが、なんかこう…小っ恥ずかしいものがある。誰にも遭遇しないことを祈りながら道を歩いた。
『腕時計にメニューを表示した。注文が決まったら教えて。到着したら直ぐに提供するから』
「お、おう…そんな事できるのか…?」
『できる。僕が作るからね』
「……?」
『遠隔で調理場のアンドロイドを乗っ取った。僕たちの到着時間を推定してタイミングを調整してるよ』
『出来立てが良いでしょう?』とナオは微笑む。
「乗っ取ったって…、え?」
意味が分からず当惑した。そういえばマネキンを見ていたときも『乗っ取ってくる』とか言ってた。平然と言うが、それって一般的な機能なのか。いちいちアンドロイド同士で乗っ取り合っていたら、面倒な事になりそうだが……。
怪訝な顔をしていると、ナオは言う。
『ヒロが口にする料理は僕が作ったもの以外許さない。本当は水の一滴まで僕が用意したいところだけどそれはまだ難しいからせめて料理だけは僕が全て用意する』
「……」
『僕が作った料理以外食べたら駄目だよ?』
『食べさせないけどね』とナオは色っぽく囁く。耳に触れる唇の感触に、ゾクッと背筋が震えた。
「は…はは…」
俺は引き攣った笑みを浮かべた。冗談なのか本気なのか分からん。いかんせん、説明書を失くしたのでナオの全機能を把握できてないんだ。点検したばかりだ。異常ではないんだろう。
メニューを決めて、少し歩く。やがて洋館っぽい建物の前に到着した。目的地の洋食屋だろう。背の高いビルに挟まれてるせいか人目を引かない立地だ。店内は数人ほどの客がいた。知る人ぞ知る。そんなお洒落な雰囲気だ。
…俺一人なら入りにくいタイプの店だな。
木製のドアの前に立つ。デミグラスソースと肉の焼ける良い香りがした。
『ヒロ、此処だよ』
「ああ」
『足元に気をつけてね』
地面が石畳になっていて少し段差があったようだ。言われたそばから躓き、「わっ」と、よろめき、咄嗟にナオの両手を握る。「わ、悪い…」と顔を上げた。
『ううん。気にしないで』
ナオはニコッと口端を上げる。至近距離で目が合い、「あ」と声を漏らした。銀の睫毛に縁取られた美しい瞳。
そこに輝く色は、赤だ。
『僕がいつでも支えるよ』
「…あ、ありがと」
三日月に歪む目元を見つめながら考えた。ナオの瞳の色、たびたび変わるが、何か意味があるんだろうか。
丁重にエスコートされながら、店に入る。宣言通り、座席に座ったタイミングで料理が出される。俺はゴクリと唾を飲んだ。ソースが絡まりじゅわっと焼けたハンバーグ。香ばしい匂いが鼻腔を刺激する。
う、うまそ...。
胃がグゥと唸る。
『ごゆっくりお過ごしくださいませ』
「どうも…」
料理を運んできたアンドロイドは深々と一礼する。まるで大物を接客するような対応だ。少し萎縮しながら、ナオから渡されたナイフとフォークを手に取った。
そして暫くして気付く。ホールに居るアンドロイド、調理場に居るアンドロイド、
彼らの双眸は、ナオと同様、赤い光を帯びていた。
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