人外と人間のSS集

しろみ

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泡となって  ※人魚×人間

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 あの人だ、と心の中で呟いた。

 嬉しさのあまり、つい岩にビタビタと尾鰭を叩きつけてしまう。勢いよく水中に潜り、あの人の足元に忍び寄る。
 悪戯心が疼いて、水面に泡を浮かばせていると、その人はハッとして視線を下に向けた。


「君?そこにいるんだろ?」
「えへへ、バレた~」


 バシャッと水中から顔を出した。そうすれば、海岸の浅瀬に立っていたその人は「ふっ」と空気が抜けるように笑った。

 僕はこの人の笑い方が好きだ。


「君はまたこんなところで遊んでいたの?寒くない?」


 優しい声に、胸の奥が温まる。


「大丈夫だよ。貴方は心配症だな」
「こんな真冬に服を着ていないんだ。心配しないほうがおかしいよ」


 僕はこの人間に恋をしてる。


「人魚は人間と違って丈夫なんだ。体温もすっごく低いんだよ。ほら」
「わ、冷た」
「わぁ…!貴方って燃えてるみたい!」


 服を着たまま足首まで浸かった貴方は、僕の体温の低さに驚いたように目を丸くする。同時に僕も驚いた。人間に触れたのは初めてだったからだ。


「人間って体温が高いんだね。貴方こそ海に入って寒くないの?」
「……私は」


 そのとき「しまった」と口をつぐんだ。少し意地悪な質問をしてしまった自分が嫌になり、水中で腰の鱗をつねった。

 貴方は陰鬱な表情を浮かばせて、自嘲気味に口角を上げる。


「寒いよ。とても」
「……」
「でもこれが心地良いんだ」


 貴方と出会ったのは一年前。今日と同じような、寒い日の夜だった。真っ暗な水中で、海藻のベッドで眠っていたときだ。水面がバシャンッと割れて、貴方が沈み落ちてきた。思わず手を伸ばした。空に住む神様が舞い降りてきたのかと思うほど、沈む貴方は美しかった。

 しかし直ぐに手を引っ込めて、珊瑚の裏に身を翻した。

 その後、次々に別の人間が落ちてきて、貴方は彼らによって陸に上げられてしまったんだ。

 それから貴方は毎日この海にやって来る。この世界に絶望した顔をして。

 …―『海が好きなの?』

 僕が初めて海から顔を出して、そう声を掛けたとき、貴方はとても驚いていた。

 …―『好きだよ。僕を自由にしてくれると思うから』

 でも僕を化け物だと呼ばず、僕の質問に優しく答えてくれた。貴方に真っ直ぐ見下ろされて『好き』という言葉を聞いたとき、僕のことじゃないと分かっていながらも、顔が火照って、体の奥が疼くのを感じた。

 瞬間、僕の中の本能が囁いた。

 僕はこの人を番にしたい、と。

 人魚は人間の空想の中で、理性的で温厚な神獣だと思われてるらしい。でも実際は違う。僕たちは生々しい欲望に支配された魔族だ。
 普段は海辺で歌を紡いで過ごしていることが多いから文化レベルが高いと思われているようだが、発情期が来れば、その姿はどこにもない。
 僕たちは陸から気に入った人間を攫って、その人間に不老不死の力を分け与える。そして永遠に自らの子種を植え付け続けるんだ。独占欲が強い種族だから、番となった人間は二度と陸に返さない。人魚の吐き出す酸素に依存させて、海藻で四肢を縛り、孕ませ続ける。それが人魚の習性だ。

 勿論、僕も例外じゃない。
 
 本当は、今すぐに貴方の足首を引っ張って、海の底に連れ去りたい。誰にも奪われないように海藻のベッドに縛り付けて、僕の血肉を与えて、永遠に愛し合いたい。

 でも―…


「…―!…――様!」


 遠くから醜い人間が走ってくる姿が見えた。そいつはでっぷりと太った体を揺らしながら、貴方の美しい名を呼ぶ。貴方はそちらをチラリと見て「ふっ」といつもみたいに諦めたように笑った。


「…ああ、時間切れだ」
「お迎えだね、勇者様」
「まったく。今日も君のせいで奴らから逃げられなかったよ」
 

 貴方は、この陸に広がる王国のたった一人の勇者らしい。それを知ったとき、僕は不思議とあまり驚かなかった。貴方はいつも品がある仕草で、上等な身なりをしていたからかもしれない。

 そんな貴方がどうして毎日のように海にやって来るのか。

 貴方の恋人が、この海で命を落としたからだ。

 初めて貴方を見た日。貴方はその人を追って身を投げた。しかし貴方は王国唯一の勇者だ。王の従者によってそれを阻止されてしまった。


「また明日も来てね。待ってるよ」
「…ああ、気が向いたら来るよ」


 貴方は死にたがりの勇者様。

 僕は、貴方と一つになりたい。

 でも、僕の不老不死の力は、死にたがりの貴方に不幸の花を咲かせてしまう。

 だから僕は決めたんだ。

 次、貴方がこの海に身を投げたら…


「僕は、貴方を恋人の元まで連れて行ってあげる」


 少し寂しいけど、僕は泡となって、貴方の幸せを見届けるつもりだ。


「…喜んでくれると嬉しいな」

 
 空から雪が降り注ぐなか、遠ざかる貴方の背中を見送る。僕はそんな歌を柔らかく紡いだあと、貴方の体温が残る手を握りしめて、冷たい水の中に一粒の雫を落とした。









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