視線

①

　バス停で毎日のように会う人がいた。彼の目はいつも俺を追っているような気がした。俺の寝癖が酷いのか。制服に変なシワがついてるのか。よく分からない。友人に相談したら『自意識過剰だ』と笑われてしまった。

　今日も熱い視線を感じる。読んでいた小説から顔を上げた。ほら、と心の中で呟く。彼と目が合った。その瞬間、「おはようございます」と爽やかな声が耳に触れる。律儀に挨拶をしてくる彼は制服を着ている。年齢は俺と同じくらいだ。この地域では見かけない制服。整った顔をしていて、すらっと背が高く、スタイルが良い。雑誌のモデルみたいだと思った。こんな田舎には似合わない、都会的で垢抜けた雰囲気だ。

　彼は聞いてもいないのに「今日は体育でバスケをするんです」とか「お弁当を作りました」とか、どうでもいい話をしてくる。俺はおずおずと頷いていた。決して話に乗ろうとは思わなかった。怖かったんだ。彼の視線は、どこか異様で、俺を束縛するようなものだった。

「来月に開催されるお祭り、参加しないんですか？」

　彼は言った。バス停付近に設置されてる掲示板を見たんだろう。小学校の低学年の頃まで渋々と参加していた祭り。大人たちにヒラヒラした服を着せられて、夜の神社で踊らされる行事だ。俺は女みたいな顔をしてるからか、大人たちから『めんこい、めんこい』と大絶賛されていた。どうやら今年も開催されるらしい。流石に高校生で露出の多い衣装を着るのは嫌だ。
　参加しないです、と答えれば、彼は寂しそうに、しかし嬉しそうに頷いていた。

　ある日、友人との小旅行から帰ってきて家に着くと、自分の部屋に鍵がかかっていることに気づいた。ドアをノックしたが、誰も応えない。両親は不在だった。買い物にでも出掛けたんだろうか。携帯電話を取り出し、部屋の鍵が壊れたと連絡しようとするが、繋がらない。

　暫くして、家のチャイムが鳴った。俺は玄関に向かい、扉を開けた。目を見開いた。そこにはバス停で会う彼がいた。彼は俺を見ると、俺の腕を掴んで、「ようやく準備ができました」と、金属製の拘束具で手首を縛った。俺は叫び声をあげたが、彼は口を塞いで、部屋に俺を押し込んだ。

「準備に時間がかかってしまいまして、申し訳ございません」

　彼は眉を垂らして、拘束具を強く縛る。俺の部屋の鍵は彼が改造したという。部屋の中を見て愕然とした。家具以外の小物が処分されていたのだ。友人と撮った写真や、中学校の卒業式で寄せ書きした色紙、誕生日に貰ったプレゼントの数々が、すっぽりと姿を消していた。ふと目を向ければ、窓には鉄格子が備え付けられていた。ベッドの端から伸びているのは鎖か。まるで牢屋のようだと思った。背後でガチャンッと音がしたとき、肩を大きく跳ね上げた。腰には彼の腕が回っている。逃げられない。放せ！、と叫ぶも、彼は「放す？やっと準備ができたんです。貴方が僕から離れることは許しません」と優雅に微笑むだけだ。俺は絶望した。彼の背後に無造作に置かれていたビニール袋。そこにはバラバラになった両親の体が収まっていた。

　彼は俺を拘束してから、毎日俺を監視し始めた。彼は俺が食べるもの、着るもの、生活の全てを管理した。俺は自由を奪われ、人形のように扱われていた。絶え間なく、「綺麗だ」「可愛い」「好きです」と甘い声が脳に注がれる。その声は熱を帯びており、洗脳のように身体中にこびりついた。

　彼の目は常に俺を見張っていたが、俺は逃げようとしなかった。直感的に思ったんだ。逃げようとすれば、さらに酷い扱いを受けるだろうと。だから俺は彼の束縛に従順になった。言われた通りに体を動かし、言葉を発した。肉体的に繋がった日には、彼は狂人のように喜んでいた。

　数ヶ月経った日のことだ。家に警察が来た。彼は自身の母親を殺害して、逃走していた殺人鬼らしい。人気女優の一人息子で、この田舎には別荘があり、幼少期はそこで暮らしていたとの事だ。俺のストーカーだったらしく、彼の部屋から、俺の写真が数千枚以上見つかったという。保護された部屋で、大人の女性から聞かされた。「あの子は重度の精神疾患があるから施設で管理するの。もう大丈夫よ」と頭を撫でられたとき、俺は思った。

　…そうか。もうあの人には会えないんだ。

　心に穴が開いたような感覚になった。