後宮を追放された数秘メイドですが、女子力(数理)で無双して幸せになりますねっ!

かんのななな

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⑫婚約破棄ですかっ!?

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列車は王国西部白央海沿岸に停車している。
アリーとガレスは最後尾の車掌車にいた。
雨が窓を叩いている。

巨人スケルトンのギガさんは、ガレスの身体から離れて全身骨格に戻り、列車の外で気象観測に勤しんでいる。

「暴風圏に入りましたね。レイさん、通信状況はどうですか?」
広げた地図に魔力嵐の想定位置と進行予想を書きこみながら、ガレスが尋ねる。

「王都との通信に魔導損失が発生しはじめています。ズィーさんとの通信はまだ確立できません」

アリーが地図を睨んで、首をかしげる。
「ズィーさんは嵐の西側にいるから、魔力擾乱の影響をもろに受ける……いまさらですけど、ズィーさんが何者なのか確認していいですか?」

「アリーさんの想像の通りだと思います。ズィーさんはエンシェントゾンビクイーン、この世界でもっとも巨大でもっとも長寿な哺乳類のゾンビです。あと、王立海軍特務大佐です」

ゾンビガレー船に始まり、王立海軍とゾンビの歴史は古い。水中において、ゾンビの欠点は打ち消され、無呼吸で無期限に活動できるという長所だけを享受できる。

「やっぱり……だとしたらボーカリゼーション、コール・オブ・ゾンビ、水中音響通信です!ズィーさんなら、中継用のドラウンドを海中に配置しているはずです」
「音波ですか!それなら魔力擾乱の影響を受けないし、海中でも減衰しませんね」

ガレスは車掌車のドアから叫ぶ。
「ギガさーん、海に入ってズィーさんの声を探査するアンテナになってください!レイさんはギガさんが拾った音響をそのまま王都に転送して、計算屍に入力してください」

巨人スケルトンのギガさんが線路を指さす。
「それだ!ギガさん、ひっぺがして持っていっちゃってください」
ミスリル線が埋め込まれた鉄製の魔導列車のレールを送受信アンテナに使うのである。

三角波が押し寄せる波打ち際から海中に入っていくギガさんを見送って、ガレスは車中に首を引っ込める。

「魔力嵐の観測結果が返ってきました」
アリーは偽装結婚指輪を左耳の手前にテープで貼りつえけている。レイさんの分体が王国軍中央技術研究所基盤計算技術開発本部と通信をつないでくれているのだ。

向こうでは留守を預かる老死霊術師ふたりが、十三階の計算屍たちを総動員して数値解析を行なっている。

「四時間後に魔力嵐が現地点を通過します。そのままの進路で進むと、さらに二十四時間後に王都に直撃します。魔力嵐を無力化する最適なタイミングは上陸する瞬間です」

「つまり、我々は四時間以内にパラメータを発見しなければならない、と。簡単な仕事ではないですね」

アリーは瓶底メガネをはずし、ケースにしまう。
「ええ、『天象』のネメシーダ、これほどのものとは思いませんでした」
魔力嵐の影響か、アリーの魔眼は桔梗色にらんらんと輝いている。ガレスはその輝きに見惚れた。

アリーは続ける。
「この人工魔力嵐の本質は、自然を利用した巨大魔導計算です。計算臨界に到達されていたら、危ないところでした」

「そうか、くそっ、蒸気計算機関なのか。化石燃料がないなら太陽が蒸発させた水蒸気を利用すればいい。合理的じゃないか」

「まったく帝国的な発想だと言えます。王国では自然を計算するのに対し、帝国では自然が計算するのですから。とはいえ、まだ投入されるエネルギーに対して、素朴な魔導式しか構築できていないように視えます」

「なるほど……なるほど……」
ガレスは唸るながら、狭い車内をクマのようにうろうろ歩きまわる。

「アリーさん、人工魔力嵐はまだ汎用計算機関になっていないのでしょうか?」

「ええ、その通りです。そして、ズィーさんが鹵獲した兵器は、水の三態を利用して計算を行う装置だと考えられます」

「帝国の目的は、魔力嵐によって王国の魔導インフラに打撃を与えることだと推定できます。しかし、魔人シビュラの目的は別にあるように思います。ネメシーダは、魔力嵐でどんな計算をしようとしたんでしょう?」

「視えている限りで判断するならば、天球曲線上の離散対数問題ですね。ご存知かと思いますが、王国の外交暗号に採用されている数学的構造です」

「そういうことですか……お姫様の無邪気さに油断していましたが、さすがはシビュラ第三席、屍してなお、絶妙な手を仕掛けてきますね」
「どういうことでしょう?」

「婚約破棄と自己紹介、どちらからにしましょうか?」
「は?はい?」

「魔力嵐を無力化した時点で、王国が誇る謎の数理学者クリス・セレスティアルの正体が判明してしまうんです」

ガレスはアリーをじっと見つめる。
クリス・セレスティアルはアリーの偽名であった。

「いや、まあ、それはいいんですけど……良くはないですけど、婚約破棄というのは?からあげを自分で揚げなかったのがやっぱり……」

アリーの表情が強張るのを見て、ガレスは慌てふためく。

「それはぜんぜん大丈夫ですから!あー、もう、ちょっとカッコつけてみただけなんです。ごめんなさい!ごめんなさい!……」
「えーと?うーん、それでは、どうぞ……!」

「アリアンヌ・フォルモールさん!貴女との偽装結婚契約を破棄させてもらいます!クリス・セレスティアル氏の正体がアリーさんだったなんて!これまで僕を騙していたんですね!ひどいですよ!」

アリーは手をぽんと叩いて得心する。

「ガレスさん、それはこちらのセリフですわ!まさか貴方がニューメ・ロマンサー様だったなんて!どうして教えてくださらなかったの!裏切られましたわ!貴方との偽装結婚なんてもうまっぴら!」

「よかった……正直、まだ気づいてもらえてないかもと思ってましたよ……おほんっ、僕は真実の愛に目覚めたのです!」

「九分九厘はそうだろうと思っていたのですが、一厘の確信が持てなくてですね……よよよ、ガレスさん、そのクリスなんとやらとお幸せに!私は修道院で神学計算に一生を捧げますわ……」

ガレスはアリーの前にひざまずき、その手をとって口づけをした。

「はじめまして、ニューメ・ロマンサーと申します。クリス・セレスティアル様、僕と結婚していただけませんか?」

アリーは一瞬真顔になり、それから頬をゆるめて微笑んだ。
「しかたありませんわね。私が結婚してさしあげないと超越数観測仮説を実用化できなさそうですからね。余儀なく、あわれみの心でもって、その求婚をお受けしますわ」

アリーは椅子から下り、ガレスの前に膝をつき、顔の高さを合わせる。きらきら輝く魔眼を閉じ、唇を近づける。

「はーい、コーヒー二丁、お待ちどうさまです」
ずぶぬれのイザベルが車掌車のドアからコーヒーを差し入れてくる。アリーは慌てて立ち上がり、髪を整えた。

「続きは魔力嵐から王国を救ってからでお願いできますでしょうか?一応、任務中なわけでして……」
どう考えてもタイミングを計っていたであろうイザベルがしれしれと告げる。

遠く雷鳴が轟いた。

◇◇◇

アリーはさらさらと数式を紙に書きつけていく。
「うん、この係数でいいでしょう」
ガレスに示す。
「これは……?」

ぬるくなったコーヒーをひと口飲んで、アリーは話しはじめる。
「かつてクリス・セレスティアルという偽名の数理学者が『離散数学基礎』という数学書を出版しました。この本は王国だけでなく帝国でも出版されたんですけど、ご存知でしたか?」

「それは知りませんでした……しかし、伝説の名著です。世界中で出版されてしかるべきでしょう」

「うふふ。ところで、このクリスという女は底意地が悪くてですね。帝国で出版された版では、離散対数の計算式の例にわざと脆弱なパラメータを提示しているんです。こすっからい女ですわね。本当にそんな女でいいんですの?」

「そういう女性だからいいんですよ」

「あらまあ。ところが、その帝国版がうっかり王立図書館に所蔵されてしまったのです、しかも機密文書館に、禁書扱いで。焦ったクリス・セレスティアルはこっそり借り出して、王国版のパラメータに修正することにしたのですが……禁書って改竄防止の魔導署名がついているんですよ。ニューメ・ロマンサーという方が開発したんですけど」

「ふむ、不埒で陰湿な男ですね。そんな男でいいのですか?」

「そういう男性だからいいんですよ。それでまあ、クリス・セレスティアルの世を忍ぶ仮の姿であるところのアリアンヌ・フォルモールは禁書を借りパクすることになったわけです」

ガレスはコーヒーをすすり、指先で額をとんとんと叩く。
「クリス氏の智略は帝国の人工魔力嵐にさえバックドアを仕込みますか。これが『魔眼乙女』の神算鬼謀、一生推せますね」

「私の最推しのニューメ様は、このパラメータをどう活用なさるのかしら?」

「魔力嵐を無効化するだけであれば、魔導式を自明な解に収束させてあげればよいわけですが……それだと面白みにかけますね。自己書き換え可能な計算機関を構成できたら面白いのですが、時間も機材も足りません。今日のところは自己消去でどうでしょう?」

「非可逆計算ですか……シビュラへのメッセージとして適当ですわね。それでまいりましょう、貴方」
「では、はじめましょう。王国を救うための計算を」

ふたりはぐいっとコーヒーを飲みほした。
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