上 下
3 / 14

③歓迎会ですっ!

しおりを挟む
地下十三階の会議室、ガレスは菓子箱を開き、皿に盛った。後ろから覗きこんでアリーは無邪気に話しかける。
「わあ、チョコレートでございますね。そういえばカカオって催淫薬?なんでしたっけ……?」

ガレスはフリーズした。

ぱんっ!
ガレスの尻で小気味良い破裂音が鳴った。
ズィーのゾンビビンタである。

再起動したガレスが必死に釈明する。
「そそそそんなつもりはなくっ、なくてですね!店員さんに勧められた舶来の菓子を買い求めただけで……違うんです!そういうあれを意図していたわけじゃなくですね!」

「これは重大なコンプライアンス違反。死刑が妥当」
ズィーが判決を下す。
「スケルトンとゾンビ、どっち?」

「ちょっちょっちょっと、俗説!そういう説もあるってだけですから!これくらいなら大丈夫ですから!たぶん!きっと!」
アリーも必死に弁護する。

配属一日めに上司がアンデッドになるなんて、あんまりにあんまりである。このフロアに生きている人間がアリーひとりになってしまう。

「アリーがそう言うなら今回は見逃す」
「ほっ、よかったです……」
「ありがとうございます、アリーさん」

チョコレートをお茶請けにコーヒーを飲んでいると、休憩時間に入った演算屍たちがぞろぞろやってきた。アリーに挨拶に来たのである。

「アリー、メガネはずして」
ズィーの代弁にゾンビたちがうんうんうなずく。
スケルトンたちも歯をかたかた鳴らして催促する。

アリーはうなずき、瓶底メガネに手をかける。
はずしたメガネを机に置く。
ぶあついレンズに度は入っていない。

視力矯正用のメガネではない。
アリーから世界を隔離するための、特注の魔導ガラスレンズであった。『魔眼乙女』から世界を守護るためのメガネであった。

「よろしいんですか?視ますわよ?」
深紫色の瞳孔が昏さを増す。
「お願いします。そのためにアリーさんに来ていただいたんですから」

アリーの眼球の奥、魔眼細胞が起動する。光子でなく演算子に反応する特殊な視細胞である。可視光と計算波を吸収し、黒紫の瞳が漆黒に染まる。

ゾンビがうなり声をあげる。
スケルトンが足の骨を踏み鳴らす。
演算屍たちの歓喜の表現であった。

「これは長々周期の擬似混沌……なんて均等で緻密な系列なの……」
アリーが恍惚とした声でつぶやく。

屍者たちは眼を輝かせた。
比喩表現である。
涙を流さないゾンビの水晶体は濁りきっているし、スケルトンの眼窩にいたっては虚ろである。

しかし、アリーには視えている。光り輝くアルジェブラニウムと、その上を這い回る無数の曲線が。
「綺麗で頑固で、とびきり邪悪な多項式……これが死霊計算の真髄ですか……」

「さすが『数霊魔女』の秘蔵っ娘……そこまで視通しますか……」
ガレスが感嘆する。
「アリーのほうが綺麗。ってみんな言ってる」
ズィーが通訳する。ゾンビたちはうなずいている。

「いや、そんな……でっへっへ……!?」
アリーは照れながら、ズィーのほうを向き、言葉を失う。

そこに視たのは原初の混沌である。有史以来人類に計算されたことがない、夜の海のよりも深く、濃墨よりも黒い、少女の形をした数列であった。

「視えてる?」
ズィーの問いかけに、なんとか答える。
「……ズィーさん、ひとではないと思っていましたが、いえゾンビなんでしょうけれど、ほとんど概念になりはてているじゃありませんか!」

概念と神性は同義であった。

「あたしはエンシェントゾンビクイーンのズィー!コンゴトモヨロシク!」
「仲間と認めてくださるんですね……!」
「ズィーとアリーはズッ友だょ……!」

所在なさげに立っている男がいる。
ガレスであった。
レイスのレイさんが寄ってきて、慰めるようにふわふわと周りを漂う。

「帝国海軍暗号四百四十八号の解読が完了しました。演習を隠れ蓑に秘密実験を行うようです」
「さすがレイさん、仕事が早い。十階に戻すついでにジュリアンにもリストを回しておいてください」
「了解しました」

レイさんにめざとく気づいたアリーが寄ってくる。

「アリーさん、こちら、レイスのレイさんです。前職、もとい生前は高僧だったそうです。『死霊迷宮』でいちばん徳が高い魂魄さんなんですよ」

有徳ランキング統一王者のレイスのレイさんであった。アンデッドより徳が低い生者しかいないのである。

「はじめまして御坊様。アリアンヌ・フォルモールでございます。本当に魂の共鳴で通信なさるんですね!これが大規模並列死霊計算を支えるインターコネクト!素晴らしいですわ!今日からお世話になりますのでどうぞよろしくお願いいたします!」

「こちらこそよろしくお願い申し上げます」
お辞儀をするアリーに、レイさんはふわふわぽよよんと礼を返したのだった。

ひととおり顔見せが済んだところでアリーはガレスに声をかける。
「私、めきめきやる気が出てまいりましたわ。まずは死霊魔術の教科書を貸してくださいませんか?」

「僕が使っていた教科書で良ければ居室の本棚に置いてありますから、ご自由にどうぞ。そうだ!アリーさん、僕の秘蔵のコレクションも見ていただけませんか?クリス・セレスティアル氏の最初の論文『魔力代謝の形式的表現』の直筆原稿があるんです!給料半年分継ぎこんでオークションで落札したんですよ!」

ガレスは興奮気味にまくし立てる。

「あ、あはは……ガレスさん落ち着いてくださいませ。私、クリス・セレスティアルには興味はなくてですね」

「そんな莫迦な!だったらどうしてクリス氏の『離散数学基礎』を借りパクしたんですか。あの伝説の名著を手元に置いておきたかったんでしょう!たった三十部しか出版されなかった稀覯本を!ええ、入手できていなかったら僕だって同じことをしたかもしれません!」

まったく的外れなのだが本当の理由を告げるわけにもいかなかった。
「ガレスさん、ちょっと……こわいです……」
「はっ!?す、すみません!ごめんなさい!」
ガレスはこめつきばったのように平謝りする。

「私もオタクなので熱くなる気持ちは分かりますけれど、ほどほどになさってくださいね」
「はい、肝に銘じます……!」

しかし、その約束は一日も保たず破られることになるのだった。

◇◇◇

王国軍中央技術研究所基盤計算技術開発本部の地上部分には、職員専用の酒場がある。防諜上の理由で通常の飲み屋で酔っ払うことは原則禁止されている。

一般に、計算メイドは女神教の教えに従って飲酒せず、コーヒーを燃料に演算を行う貞女たるべしとされている。数秘メイドに上がっても戒律は変わらない。

アリーは例外である。

身持ちは堅いほうというか、父親のやらかしのせいで男性不信気味なので、貞淑のほうは条件を満たすけれど、お酒がだいすきなのであった。

しかも酒癖が悪い。
酒場の立ち飲みテーブルを挟んで、アリーはガレスと睨みあっていた。

「だーかーらー、ニューメ様が至高なんだってば!クリス・セレスティアルなんて地に足がついていない夢想家でしょ!」

アリーは推し数理学者のニューメ・ロマンサーがいかに素晴らしいかを力説している。ふたりの間には麦酒のジョッキと山盛りのからあげがある。

「いえいえ、そんなことはありません!ニューメ・ロマンサーの論文なんぞ、データや統計をまとめただけの取るに足らないものです。クリス氏の美麗極まる数式とは比べるのもおこがましい!」

ガレスも負けてはいない。
すっかり出来上がったふたりは、周囲の迷惑などお構いなしに舌鋒を交わす。

「ガレスさん、死霊術師なのに数理学に詳しいなんて、あやしいです!」
「あやしくないです!数理科学を学ばないとスケルトン解析機関の設計はできませんから」
「えらいっ!よっ、ベルトラン屋ぁ!努力の人!」

完全に酔っ払いである。

「ありがとうございます!話は戻るんですけど、アリーさんはどうして……むぐっ」
アリーはガレスの口にからあげをつっこんで黙らせる。

「もぐもぐ……アリーさんがその、あれしたあれはクリス氏の傑作じゃないですか……むぐっ」
ガレスの口にからあげをつっこむのが楽しくなってきたアリーである。

最初はおもしろがっていた周囲の客も、さすがに辟易してきた。店主が衛兵に連絡し、ズィーが呼ばれた。

スイングドアを押してゾンビの少女が入ってくると、酒場の喧騒がぴたりと止んだ。うるさいのは中央の立ち飲みテーブルでがなり立てている男女だけであった。

「あー、ガレスさん、もしかしてぇ、クリス・セレスティアルに懸想しちゃってるとかぁ?趣味わるっ。あんなの絶対性格ブスに決まってるじゃないですか。数式から滲みでてますよ」

「アアアリーさん、そそそそういう邪推はやめてください!僕は純粋にクリス氏の数式を愛でているんです。それに、クリス氏の性別なんか分からないじゃないですか!男性であれ女性であれ、明晰で思慮深く情の深い人物です。僕には分かります!」

セーラー服を着た美少女ゾンビが音もなく歩を進め、両手を振りかぶり、振りおろした。

ぱんっ!ぱんっ!ぱんっ!ぱんっ!

乾いた音が四度、酒場に響く。
ズィーのゾンビビンタ四連撃である。
ガレスの右の尻と左の尻、アリーの右の尻と左の尻を、目にも止まらぬ速度でひっぱたいていく。

ズィーは動けるゾンビなのであった。

ふたりはなかよくお尻を抑えて口をつぐみ床にへたりこんだ。周囲から拍手が巻き起こり、歓声まで上がる。

「帰る」
ズィーはふたりの首根っこを掴んで引きずっていく。エンシェントゾンビクイーンの膂力からすれば、成人ふたりの重量など物の数ではない。
「ぐえっ」
「あーれー」

「ガレスにツケといて」
店主はうなずいて、ズィーのためにスイングドアを開いてやるのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

婚約破棄されたので、契約不履行により、秘密を明かします

tartan321
恋愛
婚約はある種の口止めだった。 だが、その婚約が破棄されてしまった以上、効力はない。しかも、婚約者は、悪役令嬢のスーザンだったのだ。 「へへへ、全部話しちゃいますか!!!」 悪役令嬢っぷりを発揮します!!!

転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています

平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。 生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。 絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。 しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

少し先の未来が見える侯爵令嬢〜婚約破棄されたはずなのに、いつの間にか王太子様に溺愛されてしまいました。

ウマノホネ
恋愛
侯爵令嬢ユリア・ローレンツは、まさに婚約破棄されようとしていた。しかし、彼女はすでにわかっていた。自分がこれから婚約破棄を宣告されることを。 なぜなら、彼女は少し先の未来をみることができるから。 妹が仕掛けた冤罪により皆から嫌われ、婚約破棄されてしまったユリア。 しかし、全てを諦めて無気力になっていた彼女は、王国一の美青年レオンハルト王太子の命を助けることによって、運命が激変してしまう。 この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。 *小説家になろう様からの転載です。

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

処理中です...