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①追放ですかっ!?
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「アリアンヌ・フォルモール、貴女を追放します」
後宮の一角、夏の陽射しが差し込む会議室で、ボーモンティア夫人が宣告した。
追放劇は舞踏会で起こるのではない。
会議室で起こっているのだ。
「アリー、貴女はクビです。荷物をまとめて、即刻、後宮占星班から出ていきなさい」
アリーは分厚いメガネをかけた淑女である。長い髪をうなじでまとめ、化粧っ気はなく、地味な作業用のドレスを着ている。
彫りの深いしゅっとした美人顔なのだが、目元のクマとソバカス、瓶底メガネが野暮で堅物めいた印象を醸し出していた。
よく見れば、レンズに度が入っていないことに気づくかもしれない。魔導ガラスレンズの伊達メガネをかけているのである。
アリーはよろよろと壁に寄りかかり、漆喰壁の穴をほじって広げながら、
「そんな……」
「壁の穴を広げるのはやめなさい!今期はもう修繕予算ないんだから!そういうところですよ、アリー」
アリアンヌ・フォルモールは数秘メイドである。演算作業だけの計算メイドと違い、数理魔導の使用を許された国家資格保有者である。
「そんな……私がなにをしたというのですか!まさか……賭け数理令嬢勝負で侯爵令嬢をすってんてんにしたのがいけなかったのとでもいうの……!」
「ハンカチの一枚や二枚ならともかく、ドロワーズまでひんむく淑女がありますか!追いこむのではなく、手心を押し売りして、自発的な協力者に仕立てあげるのです!」
後宮占星班班長『数霊魔女』ボーモンティア夫人。役職付きの算命淑女、プレイング管理職である。人的諜報の専門家でもあった。
後宮の最奥にあって、占星班は——魔窟である。
古くはその名前の通り、後宮において懐妊や降誕に関わる占術を職掌とした。現在は、貴族社会の諜報を担う情報機関という側面が強い。
「あのね、アリー。シャルドン侯爵令嬢の件は不正の証拠と引き換えに手打ちにしたでしょう。それが理由ではありませんよ」
「やっぱり酒場で王弟殿下の女癖の悪さを吹聴してまわったのがまずかったのかしら……私、家庭の事情でああいうクズ男が大嫌いなんですの」
アリーの父、ヴィクター・フォルモールは、魔導算盤の製造で大儲けして、傾きかけていたフォルモール家を立て直した中興の祖である。
ところが、事業が成功した途端、ヴィクターは糟糠の妻エレーヌを捨てて、若く美しい女狐に乗り換えた。トロフィーワイフとかそういうあれである。
エレーヌは激怒した。烈火のごとく怒り狂い、フォルモール家の王都屋敷をヴィクターごとぶっとばし、王都を逐電してそのまま消息を絶った。以来、彼女の姿を見た者はいない。
一命を取り留めた父や後妻と折り合いがつくわけもない。アリーは家を出て、母エレーヌと同じく計算メイドになる道に進んだ。
家族を崩壊させた父は当然のこと、アリーが不誠実で不品行な浮気男に辛辣になったのも無理からぬことである。
「貴女の事情は分かっています。エレーヌは私の親友だったんですから。……それはさておき、王弟殿下の下半身事情の暴露は、遠因ではあっても原因ではありません」
「え?違うんですの?」
「貴女の懲戒事由は機密文書館から禁書を借りパクしたことです」
「あちゃー!そっちですかぁ!そちらに関しては……申し開きもございません」
機密文書館は王立図書館の秘密書庫である。
アリーは禁書指定の数学書を借り出して紛失した。
すくなくとも本人は紛失したと言い張っている。
禁書の借りパクである。
重罪であると王弟派が主張した。
しかし、法律に規定がなかった。
禁書とは存在を許されない本である。
存在していない本は横領できないのだった。
法務官僚が匙を投げ、統合情報保安会議で政治的決着が図られ、この追放劇に至ったのである。
「いつまで壁に寄りかかってよれよれのハンカチを噛んでいるの。こっちに来て座りなさい、正座で」
「はーい」
しぶしぶ壁から離れたアリーはスカートの裾を広げて床に座った。
「後宮占星班を追放される貴女には、ふたつの選択肢があります。ひとつめは計算メイド養成所に出戻って計算修道女の資格を取得し、神学計算に一生を捧げる道です」
「ひぃ!ブートキャンプも修道院も嫌でございます……今更、若い子といっしょに手計算で三神一柱問題を解くなんて無理!圧倒的無理!ごめんこうむりますっ……もうひとつの選択肢、ご提示願いまーす!」
「そう言うだろうと思って、貴女にぴったりの就職口を用意しましたよ。王国軍中央技術研究所基盤計算技術開発本部です。どうですか、うれしいでしょう?」
ボーモンティア夫人の圧が強い。
有無を言わせぬ。
拒否を許さぬという気概を感じる。
それでもアリーは抗う。
ワンチャン夢見るタイプの乙女なのだった。
「中技研の基盤計算技術開発本部……それって変態と屍体しかいないって噂の『死霊迷宮』じゃないですか!純情可憐清浄無垢な乙女をそんなところに放りこむなんて、班長の鬼!悪魔!魔女!」
ボーモンティア夫人はアリーの罵倒を柳に風と受け流す。『数霊魔女』が魔女と呼ばれたところで蛙の面に水であった。
「これは統合情報保安会議で正式に決定された処分です。陛下の裁可もいただいています。嫌なら修道院に幽閉でもいいんですよ」
「……あんまりですわ……」
アリーは泣き真似をしながら、こっそり足を崩す。慣れない正座で足が痺れたのである。
「正座!」
「はいぃ!」
アリーは慌てて正座に戻った。
「で、どちらにするの?」
「うーん、こういうときはあれですわ!田舎に引っ込んでスロー計算ライフを送っているあいだに追放した側が没落して、戻ってきてくれーって懇願するのが様式美ですわよね?ね?」
「アリアンヌ・フォルモールは修道院で一生スローライフを希望……と」
「冗談、冗談ですよぅ……分かりました。私、覚悟を決めましたわ。軍への出向、謹んで拝命いたします」
「なにをしれっと出向にしてるのですか、アリー。これは転籍です。貴女の帰る場所はありません」
「えっ……もしかして、これ、ガチのやつでして?追放ごっこではなくて……マジでクビなんですの!?」
「……初手からマジよりのマジでございます」
「たはーっ……あれ?ってことは、退職金が出るってことですわね!やったー!やほほーい!ニューメ様の論文の直筆原稿落札しちゃうぞー!」
一般に頒布される論文はスケルトンが写本した量産品である。著者の直筆原稿には数霊が宿るとされ、王都の数理お嬢様界隈の必携アイテムなのであった。
ニューメ・ロマンサーという、あからさまに偽名の数理学者がアリーの最推しなのである。
「アリー、それをするのは落ち着いてからにしておきなさい。これは『数霊魔女』が『魔眼乙女』に送る最後の忠告ですよ」
「どういうことですの……?」
ボーマント夫人は微笑み、追い払うように手をひらひら振った。アリーは立ち上がり、スカートの埃をはらい、深々と頭を下げる。
「今までお世話になりました。私がいなくなってから私の有能さに気づいてももう遅いですからぁ!泣いて頼まれたって戻ってきてあげないんですからねっ!」
「ここは貴女の帰る場所でないと、すでに告げたわよ。さあ、お行きなさい、アリアンヌ・フォルモール。行ってなすべきことをするのです」
こうして、アリーは後宮占星班を追放されたのである。
後宮の一角、夏の陽射しが差し込む会議室で、ボーモンティア夫人が宣告した。
追放劇は舞踏会で起こるのではない。
会議室で起こっているのだ。
「アリー、貴女はクビです。荷物をまとめて、即刻、後宮占星班から出ていきなさい」
アリーは分厚いメガネをかけた淑女である。長い髪をうなじでまとめ、化粧っ気はなく、地味な作業用のドレスを着ている。
彫りの深いしゅっとした美人顔なのだが、目元のクマとソバカス、瓶底メガネが野暮で堅物めいた印象を醸し出していた。
よく見れば、レンズに度が入っていないことに気づくかもしれない。魔導ガラスレンズの伊達メガネをかけているのである。
アリーはよろよろと壁に寄りかかり、漆喰壁の穴をほじって広げながら、
「そんな……」
「壁の穴を広げるのはやめなさい!今期はもう修繕予算ないんだから!そういうところですよ、アリー」
アリアンヌ・フォルモールは数秘メイドである。演算作業だけの計算メイドと違い、数理魔導の使用を許された国家資格保有者である。
「そんな……私がなにをしたというのですか!まさか……賭け数理令嬢勝負で侯爵令嬢をすってんてんにしたのがいけなかったのとでもいうの……!」
「ハンカチの一枚や二枚ならともかく、ドロワーズまでひんむく淑女がありますか!追いこむのではなく、手心を押し売りして、自発的な協力者に仕立てあげるのです!」
後宮占星班班長『数霊魔女』ボーモンティア夫人。役職付きの算命淑女、プレイング管理職である。人的諜報の専門家でもあった。
後宮の最奥にあって、占星班は——魔窟である。
古くはその名前の通り、後宮において懐妊や降誕に関わる占術を職掌とした。現在は、貴族社会の諜報を担う情報機関という側面が強い。
「あのね、アリー。シャルドン侯爵令嬢の件は不正の証拠と引き換えに手打ちにしたでしょう。それが理由ではありませんよ」
「やっぱり酒場で王弟殿下の女癖の悪さを吹聴してまわったのがまずかったのかしら……私、家庭の事情でああいうクズ男が大嫌いなんですの」
アリーの父、ヴィクター・フォルモールは、魔導算盤の製造で大儲けして、傾きかけていたフォルモール家を立て直した中興の祖である。
ところが、事業が成功した途端、ヴィクターは糟糠の妻エレーヌを捨てて、若く美しい女狐に乗り換えた。トロフィーワイフとかそういうあれである。
エレーヌは激怒した。烈火のごとく怒り狂い、フォルモール家の王都屋敷をヴィクターごとぶっとばし、王都を逐電してそのまま消息を絶った。以来、彼女の姿を見た者はいない。
一命を取り留めた父や後妻と折り合いがつくわけもない。アリーは家を出て、母エレーヌと同じく計算メイドになる道に進んだ。
家族を崩壊させた父は当然のこと、アリーが不誠実で不品行な浮気男に辛辣になったのも無理からぬことである。
「貴女の事情は分かっています。エレーヌは私の親友だったんですから。……それはさておき、王弟殿下の下半身事情の暴露は、遠因ではあっても原因ではありません」
「え?違うんですの?」
「貴女の懲戒事由は機密文書館から禁書を借りパクしたことです」
「あちゃー!そっちですかぁ!そちらに関しては……申し開きもございません」
機密文書館は王立図書館の秘密書庫である。
アリーは禁書指定の数学書を借り出して紛失した。
すくなくとも本人は紛失したと言い張っている。
禁書の借りパクである。
重罪であると王弟派が主張した。
しかし、法律に規定がなかった。
禁書とは存在を許されない本である。
存在していない本は横領できないのだった。
法務官僚が匙を投げ、統合情報保安会議で政治的決着が図られ、この追放劇に至ったのである。
「いつまで壁に寄りかかってよれよれのハンカチを噛んでいるの。こっちに来て座りなさい、正座で」
「はーい」
しぶしぶ壁から離れたアリーはスカートの裾を広げて床に座った。
「後宮占星班を追放される貴女には、ふたつの選択肢があります。ひとつめは計算メイド養成所に出戻って計算修道女の資格を取得し、神学計算に一生を捧げる道です」
「ひぃ!ブートキャンプも修道院も嫌でございます……今更、若い子といっしょに手計算で三神一柱問題を解くなんて無理!圧倒的無理!ごめんこうむりますっ……もうひとつの選択肢、ご提示願いまーす!」
「そう言うだろうと思って、貴女にぴったりの就職口を用意しましたよ。王国軍中央技術研究所基盤計算技術開発本部です。どうですか、うれしいでしょう?」
ボーモンティア夫人の圧が強い。
有無を言わせぬ。
拒否を許さぬという気概を感じる。
それでもアリーは抗う。
ワンチャン夢見るタイプの乙女なのだった。
「中技研の基盤計算技術開発本部……それって変態と屍体しかいないって噂の『死霊迷宮』じゃないですか!純情可憐清浄無垢な乙女をそんなところに放りこむなんて、班長の鬼!悪魔!魔女!」
ボーモンティア夫人はアリーの罵倒を柳に風と受け流す。『数霊魔女』が魔女と呼ばれたところで蛙の面に水であった。
「これは統合情報保安会議で正式に決定された処分です。陛下の裁可もいただいています。嫌なら修道院に幽閉でもいいんですよ」
「……あんまりですわ……」
アリーは泣き真似をしながら、こっそり足を崩す。慣れない正座で足が痺れたのである。
「正座!」
「はいぃ!」
アリーは慌てて正座に戻った。
「で、どちらにするの?」
「うーん、こういうときはあれですわ!田舎に引っ込んでスロー計算ライフを送っているあいだに追放した側が没落して、戻ってきてくれーって懇願するのが様式美ですわよね?ね?」
「アリアンヌ・フォルモールは修道院で一生スローライフを希望……と」
「冗談、冗談ですよぅ……分かりました。私、覚悟を決めましたわ。軍への出向、謹んで拝命いたします」
「なにをしれっと出向にしてるのですか、アリー。これは転籍です。貴女の帰る場所はありません」
「えっ……もしかして、これ、ガチのやつでして?追放ごっこではなくて……マジでクビなんですの!?」
「……初手からマジよりのマジでございます」
「たはーっ……あれ?ってことは、退職金が出るってことですわね!やったー!やほほーい!ニューメ様の論文の直筆原稿落札しちゃうぞー!」
一般に頒布される論文はスケルトンが写本した量産品である。著者の直筆原稿には数霊が宿るとされ、王都の数理お嬢様界隈の必携アイテムなのであった。
ニューメ・ロマンサーという、あからさまに偽名の数理学者がアリーの最推しなのである。
「アリー、それをするのは落ち着いてからにしておきなさい。これは『数霊魔女』が『魔眼乙女』に送る最後の忠告ですよ」
「どういうことですの……?」
ボーマント夫人は微笑み、追い払うように手をひらひら振った。アリーは立ち上がり、スカートの埃をはらい、深々と頭を下げる。
「今までお世話になりました。私がいなくなってから私の有能さに気づいてももう遅いですからぁ!泣いて頼まれたって戻ってきてあげないんですからねっ!」
「ここは貴女の帰る場所でないと、すでに告げたわよ。さあ、お行きなさい、アリアンヌ・フォルモール。行ってなすべきことをするのです」
こうして、アリーは後宮占星班を追放されたのである。
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