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第197話 白煙霧散
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「アーシュラ。怖い思いをしたのね」
トバイアスに襲われたところを本家・鳶隊のアデラに助けられたというアーシュラ。
クローディアは猛毒の白煙漂う周囲を警戒しながら、アーシュラの肩を優しく抱いた。
「アデラに感謝しないとね。でも……なぜ彼女は同胞に追われているの?」
アデラを追いかけているのは同じダニアの女たちだ。
腑に落ちない状況を訝しむクローディアにアーシュラは言った。
「アデラを追っている女たちはトバイアスと通じた裏切り者です。ワタシも彼女たちに襲われました。おそらくアメーリアやトバイアスに薬物で抱き込まれたのでしょう。他にもそういう者がいるかもしれません」
その話にクローディアは思わず唇を噛む。
「……厄介ね。考えたくないけれど、ワタシの部下にもそういう輩がいると考えるべきでしょうね。情けないけれど」
そう言うとクローディアは手を上げて後方に下がりながらアデラを誘導する。
アメーリアは完全に白煙の中に姿を消したようだ。
襲って来る気配はない。
逃げおおせたのかもしれないと思い、クローディアは憮然とする。
アデラはうまく煙を逃れたようだが、風向きが変わり、彼女を追う女たちは煙に巻かれた。
途端に女たちはその場に倒れ込み、激しく咳き込み始める。
その目から涙を流し、苦しみ喘いでいた。
「あの煙は何なの?」
「おそらく毒性の強い夾竹桃を松明に仕込んで、その他の毒物をさらに塗り込んだものでしょう。吸ったらあのように苦しみます。最悪、死に至る場合も」
即座にそれが分かったのは、かつて自分も任務で同じ物を使ったころがあるため、松明の外観と、煙の色合いとで直感的に悟ったとアーシュラは言った。
「そんな松明を手に持っていたのにアメーリアは平気だったの?」
「……アメーリアは恐ろしく抜け目のない女です。当然、対策はしているでしょうし、風を読み煙を避けることも彼女ならば造作もありません」
そこでアデラがクローディアの元へと駆け寄って来た。
アデラは全力で走って来たためわずかに息が切れていたが、すぐさまクローディアの前に跪く。
「クローディア。お初にお目にかかります。本家のアデラと申します」
「挨拶はいいわ。部下のアーシュラを助けてくれてありがとう。この件はブリジットにきちんと謝意を示すから」
そう言うクローディアに深々と頭を下げてアデラは立ち上がる。
そして空を見上げ、鳥たちが無事に煙から逃れたことを確認し安堵した。
やがて白煙は風に吹かれて霧散していく。
残ったのはひっくり返ったまま体を小刻みに痙攣させている女たちだけであり、アメーリアの姿はどこにもなかった。
「逃げられたわね……」
そうは言うものの、あのまま戦っていたとして勝てる見込みは薄かっただろう。
そう思ってクローディアは悔しげに拳を太ももに打ち付けた。
ブリジットに大きな口を叩きながら、自分はアメーリアを討つことが出来なかった。
(アーシュラとの約束だったのに)
だがクローディアはすぐに気を取り直した。
アメーリアは強い。
今のまま戦っても倒すことは難しいだろう。
ならば自分がもっと強くなればいい。
クローディアはもう一度己の戦闘能力を見直すことを心に誓った。
そんなクローディアにアデラはおずおずと申し出る。
「クローディア。下でブリジットが戦っています。お疲れのところ申し訳ございませんが……」
「ええ。もちろんよ。下に急ぎましょう」
そう言うとクローディアはアーシュラとアデラを伴い、傾斜の緩やかな斜面の東側へと向かう。
見下ろす宴会場ではブリジットら本家の女たちが必死に黒い軍勢と戦っていた。
漆黒兵士と入り乱れて戦う赤毛の女たちの姿を見て、クローディアは眉根を寄せる。
「裏切り者が下にもいるかもしれないことをブリジットに早く伝えないと。彼女、仲間だと思っている女から背中を刺されるわよ」
「その点は心配ないと思います……彼女の傍にはボールドウィンがいますから」
懸念を口にするクローディアにそう言うアーシュラの顔には、確信めいた表情が浮かんでいた。
******
「おのれ……女どもが!」
地面に打ち捨てられたいくつもの鳥の死骸を忌々しげに蹴飛ばしながらトバイアスはそう吐き捨てた。
すべてトバイアスが短剣で斬り捨てた鳥たちだった。
その腕や足は鳥たちの嘴や鉤爪を浴びて、あちこち傷だらけになっている。
特にひどいのは急降下してきた夜鷹の嘴で突き刺された左耳だ。
耳の一部が欠損している。
トバイアスは清潔な布を傷ついた耳に当てるが、血が止まらずに白い布が真っ赤に染まっていた。
「忌々しい! この俺にこのような屈辱を与えて……ただでは済まさぬぞ」
逃げ出したアーシュラを追おうとしたところ、ダニアの鳥使いの女が現れて邪魔された。
その女に大量の鳥をけしかけられ、それらを全て殺し尽くす頃には、アーシュラは逃げ去っていた。
鳥使いの女は、薬物で手なずけた女たちに追わせたが、捕まえられる可能性は低いだろう。
トバイアスは苛立ちながら明け方の空を見上げた。
だが、トバイアスにとって今回の襲撃の目的は2つだ。
その成否以外のことは些末なことだった。
それさえ達成できれば、耳の負傷すら名誉の勲章にできるだろう。
そう思っていたトバイアスの傷ついた耳に、聞き慣れた声が響く。
「トバイアス様!」
駆け寄って来たのはアメーリアだ。
だが、その姿は痛々しいものだった。
衣服はあちこち土まみれであり、胴に巻いた包帯の脇腹部分には血が滲んでいた。
その姿にトバイアスは目を疑う。
今までどんな戦場でも彼女がそんな深手を負うことはなかった。
「アメーリア。ひどい有り様だな。さすがのおまえも女王2人を相手にしたのでは無傷では済まなかったか。それで……クローディアは殺したか? ブリジットは捕らえたのか?」
トバイアスの問いにアメーリアは唇を噛みしめ、首を横に振る。
それを見たトバイアスはわずかに驚いたように目を見開き、アメーリアに歩み寄った。
トバイアスはアメーリアの肩に手を置き、心底心配そうにその顔を覗き込む。
「どうした? おまえらしくないぞ。何か不都合があったのか? おまえならば目的を達成するまで決してあきらめず執念深く任務を完遂するはずだ。コンラッド殺害の時のように」
「……クローディアがトバイアス様の剣を持っていて、トバイアス様の身に何かあったのかと……」
そう言うとアメーリアは不安げに口ごもった。
そんな彼女の言葉にトバイアスは慈しむような笑みを浮かべる。
「そうか。俺のことが心配でいてもたってもいられなかったというのか。そうかそうか」
そう言うとトバイアスは満面の笑みを浮かべたまま、アメーリアの頬をバシッと平手で張る。
そしてアメーリアの黒髪を手で掴むと、乱暴に引っ張りその耳に口を当てて囁いた。
「……アメーリア。俺はちゃんと言いつけを守れない女は嫌いだ。そんな女はいらない」
「申し訳ございません。トバイアス様。どうかアメーリアをお捨てにならないで下さい」
アメーリアは涙目でそう懇願する。
そんな彼女を見るとトバイアスはニヤリと笑い、髪を掴む手を放してその体を抱き寄せた。
「そんな顔をするな。俺のかわいいアメーリア。もちろん許すとも。おまえが深く反省しているのは分かっている。次はもう失敗しない。そうだろう?」
「はい。必ずや……」
そう言うアメーリアにトバイアスは深い口づけをした。
暗き喜びの浮かぶアメーリアの目は、星の消えた明け方の空を静かに映していた。
トバイアスに襲われたところを本家・鳶隊のアデラに助けられたというアーシュラ。
クローディアは猛毒の白煙漂う周囲を警戒しながら、アーシュラの肩を優しく抱いた。
「アデラに感謝しないとね。でも……なぜ彼女は同胞に追われているの?」
アデラを追いかけているのは同じダニアの女たちだ。
腑に落ちない状況を訝しむクローディアにアーシュラは言った。
「アデラを追っている女たちはトバイアスと通じた裏切り者です。ワタシも彼女たちに襲われました。おそらくアメーリアやトバイアスに薬物で抱き込まれたのでしょう。他にもそういう者がいるかもしれません」
その話にクローディアは思わず唇を噛む。
「……厄介ね。考えたくないけれど、ワタシの部下にもそういう輩がいると考えるべきでしょうね。情けないけれど」
そう言うとクローディアは手を上げて後方に下がりながらアデラを誘導する。
アメーリアは完全に白煙の中に姿を消したようだ。
襲って来る気配はない。
逃げおおせたのかもしれないと思い、クローディアは憮然とする。
アデラはうまく煙を逃れたようだが、風向きが変わり、彼女を追う女たちは煙に巻かれた。
途端に女たちはその場に倒れ込み、激しく咳き込み始める。
その目から涙を流し、苦しみ喘いでいた。
「あの煙は何なの?」
「おそらく毒性の強い夾竹桃を松明に仕込んで、その他の毒物をさらに塗り込んだものでしょう。吸ったらあのように苦しみます。最悪、死に至る場合も」
即座にそれが分かったのは、かつて自分も任務で同じ物を使ったころがあるため、松明の外観と、煙の色合いとで直感的に悟ったとアーシュラは言った。
「そんな松明を手に持っていたのにアメーリアは平気だったの?」
「……アメーリアは恐ろしく抜け目のない女です。当然、対策はしているでしょうし、風を読み煙を避けることも彼女ならば造作もありません」
そこでアデラがクローディアの元へと駆け寄って来た。
アデラは全力で走って来たためわずかに息が切れていたが、すぐさまクローディアの前に跪く。
「クローディア。お初にお目にかかります。本家のアデラと申します」
「挨拶はいいわ。部下のアーシュラを助けてくれてありがとう。この件はブリジットにきちんと謝意を示すから」
そう言うクローディアに深々と頭を下げてアデラは立ち上がる。
そして空を見上げ、鳥たちが無事に煙から逃れたことを確認し安堵した。
やがて白煙は風に吹かれて霧散していく。
残ったのはひっくり返ったまま体を小刻みに痙攣させている女たちだけであり、アメーリアの姿はどこにもなかった。
「逃げられたわね……」
そうは言うものの、あのまま戦っていたとして勝てる見込みは薄かっただろう。
そう思ってクローディアは悔しげに拳を太ももに打ち付けた。
ブリジットに大きな口を叩きながら、自分はアメーリアを討つことが出来なかった。
(アーシュラとの約束だったのに)
だがクローディアはすぐに気を取り直した。
アメーリアは強い。
今のまま戦っても倒すことは難しいだろう。
ならば自分がもっと強くなればいい。
クローディアはもう一度己の戦闘能力を見直すことを心に誓った。
そんなクローディアにアデラはおずおずと申し出る。
「クローディア。下でブリジットが戦っています。お疲れのところ申し訳ございませんが……」
「ええ。もちろんよ。下に急ぎましょう」
そう言うとクローディアはアーシュラとアデラを伴い、傾斜の緩やかな斜面の東側へと向かう。
見下ろす宴会場ではブリジットら本家の女たちが必死に黒い軍勢と戦っていた。
漆黒兵士と入り乱れて戦う赤毛の女たちの姿を見て、クローディアは眉根を寄せる。
「裏切り者が下にもいるかもしれないことをブリジットに早く伝えないと。彼女、仲間だと思っている女から背中を刺されるわよ」
「その点は心配ないと思います……彼女の傍にはボールドウィンがいますから」
懸念を口にするクローディアにそう言うアーシュラの顔には、確信めいた表情が浮かんでいた。
******
「おのれ……女どもが!」
地面に打ち捨てられたいくつもの鳥の死骸を忌々しげに蹴飛ばしながらトバイアスはそう吐き捨てた。
すべてトバイアスが短剣で斬り捨てた鳥たちだった。
その腕や足は鳥たちの嘴や鉤爪を浴びて、あちこち傷だらけになっている。
特にひどいのは急降下してきた夜鷹の嘴で突き刺された左耳だ。
耳の一部が欠損している。
トバイアスは清潔な布を傷ついた耳に当てるが、血が止まらずに白い布が真っ赤に染まっていた。
「忌々しい! この俺にこのような屈辱を与えて……ただでは済まさぬぞ」
逃げ出したアーシュラを追おうとしたところ、ダニアの鳥使いの女が現れて邪魔された。
その女に大量の鳥をけしかけられ、それらを全て殺し尽くす頃には、アーシュラは逃げ去っていた。
鳥使いの女は、薬物で手なずけた女たちに追わせたが、捕まえられる可能性は低いだろう。
トバイアスは苛立ちながら明け方の空を見上げた。
だが、トバイアスにとって今回の襲撃の目的は2つだ。
その成否以外のことは些末なことだった。
それさえ達成できれば、耳の負傷すら名誉の勲章にできるだろう。
そう思っていたトバイアスの傷ついた耳に、聞き慣れた声が響く。
「トバイアス様!」
駆け寄って来たのはアメーリアだ。
だが、その姿は痛々しいものだった。
衣服はあちこち土まみれであり、胴に巻いた包帯の脇腹部分には血が滲んでいた。
その姿にトバイアスは目を疑う。
今までどんな戦場でも彼女がそんな深手を負うことはなかった。
「アメーリア。ひどい有り様だな。さすがのおまえも女王2人を相手にしたのでは無傷では済まなかったか。それで……クローディアは殺したか? ブリジットは捕らえたのか?」
トバイアスの問いにアメーリアは唇を噛みしめ、首を横に振る。
それを見たトバイアスはわずかに驚いたように目を見開き、アメーリアに歩み寄った。
トバイアスはアメーリアの肩に手を置き、心底心配そうにその顔を覗き込む。
「どうした? おまえらしくないぞ。何か不都合があったのか? おまえならば目的を達成するまで決してあきらめず執念深く任務を完遂するはずだ。コンラッド殺害の時のように」
「……クローディアがトバイアス様の剣を持っていて、トバイアス様の身に何かあったのかと……」
そう言うとアメーリアは不安げに口ごもった。
そんな彼女の言葉にトバイアスは慈しむような笑みを浮かべる。
「そうか。俺のことが心配でいてもたってもいられなかったというのか。そうかそうか」
そう言うとトバイアスは満面の笑みを浮かべたまま、アメーリアの頬をバシッと平手で張る。
そしてアメーリアの黒髪を手で掴むと、乱暴に引っ張りその耳に口を当てて囁いた。
「……アメーリア。俺はちゃんと言いつけを守れない女は嫌いだ。そんな女はいらない」
「申し訳ございません。トバイアス様。どうかアメーリアをお捨てにならないで下さい」
アメーリアは涙目でそう懇願する。
そんな彼女を見るとトバイアスはニヤリと笑い、髪を掴む手を放してその体を抱き寄せた。
「そんな顔をするな。俺のかわいいアメーリア。もちろん許すとも。おまえが深く反省しているのは分かっている。次はもう失敗しない。そうだろう?」
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