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第189話 真夜中の駆け引き
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「今日の俺はツイてるな。それもただの幸運じゃない。二重の幸運だ」
そう言うとトバイアスは剣の切っ先を寝かせ、冷たい剣の腹でボルドの頬を撫でる。
宴会場でダニアの女たちが襲撃を受ける中、ボルドはアーシュラに導かれてブリジットらの元へと急いでいた。
その途中で突如として現れたトバイアスに足止めを食っているのだ。
「死んだと思われた情夫ボルドが生きていたこと。そしてそれが俺の目の前にこうして偶然にも姿を現してくれたこと。これは天の采配だ。運命はいつでも俺の味方だな」
そう言うとトバイアスは唐突にボルドの腹部を拳で突き上げた。
「うぐっ!」
臓腑を抉られるような激痛にボルドは一瞬、目の前が真っ暗になる。
そして立っていられずにその場にしゃがみ込んだ。
「何をする!」
アーシュラが声を上げてボルドを引き起こそうとするが、トバイアスはそんな彼女に剣を向けた。
「動くな。この男はもう俺のものだ」
「……彼を手に入れてどうするつもりだ」
低く感情を抑えた声でそう言うアーシュラに、トバイアスは嘲るような笑みを浮かべた。
「知れたこと。ブリジットへの人質として使う。卑劣などとは言うまいな? どうせ貴様らもそうするつもりだったんだろう? 残念だったな。獲物を横取りされて」
そう言って狡猾な光をその目に宿すトバイアスの足元で、ボルドが痛みに震えながら必死に声を絞り出す。
「ブ……ブリジットは今……」
「クローディアと共に俺のかわいい侍女と交戦中だ。ブリジットだけは殺すなと命じておいたから、おそらく今も生きているはずだがな」
アメーリアがブリジットを殺したがっていることはトバイアスも承知している。
そして彼女が自分の命令を守ることも。
だが激しい戦闘の中でアメーリアが自身の力を制御できずにブリジットを殺してしまうかもしれない。
すぐにこのボルドを連れて引き返さねばとトバイアスは思った。
彼はボルドの黒髪を掴むと、無理やりその体を引き立たせる。
「さっさと立て」
「ううう……」
つい先ほどまでトバイアスは、この局面になればブリジットは殺してしまっても構わないと考えていた。
勝負で負けて死んだとなれば、ダニアの女たちもアメーリアを新たな長として認めざるを得なくなるだろう。
それならば間接的にトバイアスがダニアを支配できるという点では、ブリジットをたらし込むという当初の手段と結果は変わらない。
むしろ自分にぞっこんのアメーリアが長になってくれたほうが、よりダニアを支配しやすくなる。
だが……ボルドが生きていたとなれば話は別だ。
情夫を餌にブリジットを屈服させることが出来るとしたら、それはトバイアスにとって最高に痛快なことだった。
彼が最も重視するのは公国の覇権をその手にすることだ。
そして父を初め、かつて自分を蔑んだ周囲の者たちを屈服させたいと思っている。
だが、その他にも彼にはもっと原始的な欲望があった。
「ブリジットを俺のものにして、身も心も屈服させてやる」
そう言ったトバイアスの顔は禍々しく歪んでいた。
その邪悪な雰囲気にアーシュラは息を飲む。
トバイアスは女性に対する自らの歪んだ性根を自覚していた。
彼は女を屈服させ、意のままに操りたいのだ。
そして相手の女が気高ければ気高いほど、その自尊心をへし折りたくなる。
だからこそ女王として人の上に立っているブリジットやクローディアをその権威から引きずり下ろしてやりたかった。
だが……。
「……ブリジットの気高き御心は誰にも穢すことは出来ません」
ボルドは痛みを堪えてトバイアスをまっすぐに見つめる。
ブリジットのことを軽く見られることだけは我慢が出来なかった。
だが、そんなボルドを見て、トバイアスはひどく冷たい光をその目に浮かべる。
「まったく……優等生な情夫殿だ。だが、しょせんおまえは寄生虫だ。ブリジットに寄生して甘い汁を吸いたいんだろう? 以前は奴隷だったそうじゃないか。ブリジットの情夫としての暮らしは衣食住も保証されて、その上、ブリジットという美女との夜伽付きだ。さぞや甘い生活だったのだろうなぁ。それが忘れられず生き恥を晒して再び元の鞘に収まろうというのか。浅ましい」
その言葉にボルドは反射的に反論しようとしたが、心の中でアーシュラが扉を叩いた。
それがまるで「今は動くな」と言っているようで、ボルドは思わず言葉を飲み込む。
そんな彼の内心など露知らず、トバイアスはボルドの首元に剣を突き付けたまま、アーシュラに目を向けた。
「アーシュラ。おまえもついてこい。逃げたらコイツを殺す」
トバイアスは冷たい殺意を込めた目でアーシュラをじっと見つめた。
だがアーシュラは臆することなく静かに彼を見つめ返す。
「落ち着いて下さい。彼を殺せばあなたはブリジットに対する有効な手札を失いますよ。人質は無傷でなければ価値が下がる。どうせならワタシを人質にしてはいかがですか? 彼は律儀な人間です。ワタシを置いて逃げることは考えにくい。それに彼なら例え逃げようとも、あなたにとっては簡単に捕まえられる相手のはずです。ワタシを手ぶらにしておくよりは遥かにいい」
アーシュラの言葉にトバイアスは目を細める。
そしてボルドに剣を突き付けたまま、彼女に手招きをした。
「いい考えだ。賢しい女だな。アーシュラ。剣を捨ててこちらへ来い」
そう言うトバイアスに従ってアーシュラは剣をその場に捨てて彼の元へ歩み寄る。
するとトバイアスはその左手でアーシュラの肩を掴んで引き寄せた。
もちろん剣の切っ先はしっかりとボルドの首を狙ったままだ。
ボルドとアーシュラに緊張が走る。
トバイアスはアーシュラの肩から背中、腰へとその手を這わせる。
その目にトバイアス本来の好色な色が滲んだ。
彼の手が腰から尻をいやらしく撫で回すと、アーシュラは俯いて屈辱に耐えた。
その様子にトバイアスは、徐々に興奮してきたように顔を綻ばせる。
「おまえが人質というのも悪くない……」
彼がそう言ったその時、アーシュラは俯いたまま左手の小指で左の太ももに仕込んでいた仕掛けを押した。
すると彼女の衣服の内側に仕込まれた管が人知れず作動する。
その管の先端は彼女の赤い頭髪の中に隠されていた。
そこから無色透明の液体が飛び、トバイアスの顔にかかる。
途端に強い刺激臭が彼の目や鼻を襲った。
「ぐああああっ!」
トバイアスは思わず顔をのけ反らせて倒れ込み、その弾みでたまらずに剣を落としてしまう。
それを見たアーシュラはその剣を拾い上げてすばやくボルドに手渡した。
さらに彼女は先ほどの捨てて剣をすばやく拾い上げると、それも彼に手渡す。
2本の剣を受け取りつつボルドは驚いて目を白黒させた。
「ア、アーシュラさん?」
「ここからまっすぐ尾根の先まで走って、クローディアとブリジットにこの剣を渡して。早く!」
アーシュラはそう言うと腰に巻きつけていた縄を取り外し、倒れているトバイアスを縛りにかかる。
「ワタシはこの男を縛り上げてから後を追います。すぐにあの2人にその剣を。今は丸腰で困っているはずです」
その話を聞いたボルドは2本の剣を握り締め、躊躇いを振り切るように駆け出した。
「アーシュラさん! どうかご無事で!」
そう言うとトバイアスは剣の切っ先を寝かせ、冷たい剣の腹でボルドの頬を撫でる。
宴会場でダニアの女たちが襲撃を受ける中、ボルドはアーシュラに導かれてブリジットらの元へと急いでいた。
その途中で突如として現れたトバイアスに足止めを食っているのだ。
「死んだと思われた情夫ボルドが生きていたこと。そしてそれが俺の目の前にこうして偶然にも姿を現してくれたこと。これは天の采配だ。運命はいつでも俺の味方だな」
そう言うとトバイアスは唐突にボルドの腹部を拳で突き上げた。
「うぐっ!」
臓腑を抉られるような激痛にボルドは一瞬、目の前が真っ暗になる。
そして立っていられずにその場にしゃがみ込んだ。
「何をする!」
アーシュラが声を上げてボルドを引き起こそうとするが、トバイアスはそんな彼女に剣を向けた。
「動くな。この男はもう俺のものだ」
「……彼を手に入れてどうするつもりだ」
低く感情を抑えた声でそう言うアーシュラに、トバイアスは嘲るような笑みを浮かべた。
「知れたこと。ブリジットへの人質として使う。卑劣などとは言うまいな? どうせ貴様らもそうするつもりだったんだろう? 残念だったな。獲物を横取りされて」
そう言って狡猾な光をその目に宿すトバイアスの足元で、ボルドが痛みに震えながら必死に声を絞り出す。
「ブ……ブリジットは今……」
「クローディアと共に俺のかわいい侍女と交戦中だ。ブリジットだけは殺すなと命じておいたから、おそらく今も生きているはずだがな」
アメーリアがブリジットを殺したがっていることはトバイアスも承知している。
そして彼女が自分の命令を守ることも。
だが激しい戦闘の中でアメーリアが自身の力を制御できずにブリジットを殺してしまうかもしれない。
すぐにこのボルドを連れて引き返さねばとトバイアスは思った。
彼はボルドの黒髪を掴むと、無理やりその体を引き立たせる。
「さっさと立て」
「ううう……」
つい先ほどまでトバイアスは、この局面になればブリジットは殺してしまっても構わないと考えていた。
勝負で負けて死んだとなれば、ダニアの女たちもアメーリアを新たな長として認めざるを得なくなるだろう。
それならば間接的にトバイアスがダニアを支配できるという点では、ブリジットをたらし込むという当初の手段と結果は変わらない。
むしろ自分にぞっこんのアメーリアが長になってくれたほうが、よりダニアを支配しやすくなる。
だが……ボルドが生きていたとなれば話は別だ。
情夫を餌にブリジットを屈服させることが出来るとしたら、それはトバイアスにとって最高に痛快なことだった。
彼が最も重視するのは公国の覇権をその手にすることだ。
そして父を初め、かつて自分を蔑んだ周囲の者たちを屈服させたいと思っている。
だが、その他にも彼にはもっと原始的な欲望があった。
「ブリジットを俺のものにして、身も心も屈服させてやる」
そう言ったトバイアスの顔は禍々しく歪んでいた。
その邪悪な雰囲気にアーシュラは息を飲む。
トバイアスは女性に対する自らの歪んだ性根を自覚していた。
彼は女を屈服させ、意のままに操りたいのだ。
そして相手の女が気高ければ気高いほど、その自尊心をへし折りたくなる。
だからこそ女王として人の上に立っているブリジットやクローディアをその権威から引きずり下ろしてやりたかった。
だが……。
「……ブリジットの気高き御心は誰にも穢すことは出来ません」
ボルドは痛みを堪えてトバイアスをまっすぐに見つめる。
ブリジットのことを軽く見られることだけは我慢が出来なかった。
だが、そんなボルドを見て、トバイアスはひどく冷たい光をその目に浮かべる。
「まったく……優等生な情夫殿だ。だが、しょせんおまえは寄生虫だ。ブリジットに寄生して甘い汁を吸いたいんだろう? 以前は奴隷だったそうじゃないか。ブリジットの情夫としての暮らしは衣食住も保証されて、その上、ブリジットという美女との夜伽付きだ。さぞや甘い生活だったのだろうなぁ。それが忘れられず生き恥を晒して再び元の鞘に収まろうというのか。浅ましい」
その言葉にボルドは反射的に反論しようとしたが、心の中でアーシュラが扉を叩いた。
それがまるで「今は動くな」と言っているようで、ボルドは思わず言葉を飲み込む。
そんな彼の内心など露知らず、トバイアスはボルドの首元に剣を突き付けたまま、アーシュラに目を向けた。
「アーシュラ。おまえもついてこい。逃げたらコイツを殺す」
トバイアスは冷たい殺意を込めた目でアーシュラをじっと見つめた。
だがアーシュラは臆することなく静かに彼を見つめ返す。
「落ち着いて下さい。彼を殺せばあなたはブリジットに対する有効な手札を失いますよ。人質は無傷でなければ価値が下がる。どうせならワタシを人質にしてはいかがですか? 彼は律儀な人間です。ワタシを置いて逃げることは考えにくい。それに彼なら例え逃げようとも、あなたにとっては簡単に捕まえられる相手のはずです。ワタシを手ぶらにしておくよりは遥かにいい」
アーシュラの言葉にトバイアスは目を細める。
そしてボルドに剣を突き付けたまま、彼女に手招きをした。
「いい考えだ。賢しい女だな。アーシュラ。剣を捨ててこちらへ来い」
そう言うトバイアスに従ってアーシュラは剣をその場に捨てて彼の元へ歩み寄る。
するとトバイアスはその左手でアーシュラの肩を掴んで引き寄せた。
もちろん剣の切っ先はしっかりとボルドの首を狙ったままだ。
ボルドとアーシュラに緊張が走る。
トバイアスはアーシュラの肩から背中、腰へとその手を這わせる。
その目にトバイアス本来の好色な色が滲んだ。
彼の手が腰から尻をいやらしく撫で回すと、アーシュラは俯いて屈辱に耐えた。
その様子にトバイアスは、徐々に興奮してきたように顔を綻ばせる。
「おまえが人質というのも悪くない……」
彼がそう言ったその時、アーシュラは俯いたまま左手の小指で左の太ももに仕込んでいた仕掛けを押した。
すると彼女の衣服の内側に仕込まれた管が人知れず作動する。
その管の先端は彼女の赤い頭髪の中に隠されていた。
そこから無色透明の液体が飛び、トバイアスの顔にかかる。
途端に強い刺激臭が彼の目や鼻を襲った。
「ぐああああっ!」
トバイアスは思わず顔をのけ反らせて倒れ込み、その弾みでたまらずに剣を落としてしまう。
それを見たアーシュラはその剣を拾い上げてすばやくボルドに手渡した。
さらに彼女は先ほどの捨てて剣をすばやく拾い上げると、それも彼に手渡す。
2本の剣を受け取りつつボルドは驚いて目を白黒させた。
「ア、アーシュラさん?」
「ここからまっすぐ尾根の先まで走って、クローディアとブリジットにこの剣を渡して。早く!」
アーシュラはそう言うと腰に巻きつけていた縄を取り外し、倒れているトバイアスを縛りにかかる。
「ワタシはこの男を縛り上げてから後を追います。すぐにあの2人にその剣を。今は丸腰で困っているはずです」
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