蛮族女王の情夫《ジゴロ》 第二部【クローディアの章】

枕崎 純之助

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第178話 心の糸

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 太陽が西の山の向こうにしずんでいき、南西の空に一番星がかがやき始めた。
 谷戸の丘陵きゅうりょう地帯に生い茂る常緑樹の間に身を潜ませながら、アーシュラはひとりその様子を見つめている。
 見下ろす谷戸の谷間ではダニアの女や小姓こしょうらがあわただしく動き回り、いくつもの火が煌々こうこうかれていた。 
 舞い上がる白い湯気と共に肉や野菜の焼かれる良いにおいがただよってくる。

 宴会の準備は整いつつあった。
 すでに両家の会談は初日を終え、クローディアたちはこの宴会場へ向かって来る時刻だ。
 スリーク平原の最奥部となるこの谷戸では今宵こよい、ダニア本家と分家による合同の宴会が繰り広げられることになる。
 この数年、交流が途絶えていた両家が争いを越えて手打ちをするためのうたげだった。

 アーシュラ自身はこうしたうたげには興味がない。
 もっと言ってしまえば、本家と分家のわだかまりを解消すること自体も興味が無かった。
 だが、クローディアが切望することならば、何としてもそれを叶えるべくアーシュラが力を惜しむことはない。
 そして本家と分家の戦力が統合され、クローディアとブリジットが本当に手を結べるならば、黒き魔女アメーリアを打ち倒し、故郷である砂漠島をその支配から解き放つことが出来るかもしれない。
 それは亡き母の悲願だった。

 そのためにアーシュラは重責を負っている。
 砂漠島の戦力をまとめ上げ、クローディアの元に集結させなけれならない。
 すでに島の有力部族たちはクローディアの強さに感服し、彼女こそ黒き魔女を打ち倒して新たな長になる存在だと崇敬すうけいの念を抱きつつあった。
 全ては昨年、5日間に及ぶ船旅の果てに、砂漠島への遠征を成功させたクローディアとアーシュラの努力の賜物たまものだった。

(クローディア。ようやくここまで来ましたね。でもまだ道なかばです)

 アーシュラは視線を谷の底から丘の上へと引き上げた。
 100メートル以上先の尾根に、生い茂る常緑樹におおい隠されるように建てられた粗末な小屋が見える。
 明かりもともっておらず、夕暮れのやみの中へと沈んでいこうとしているその小屋では今、ボルドが待機していた。
 明日の会談でブリジットにその身柄を返すためだ。
 彼のそばにはブライズとベリンダが見張り役として共にいる。
 
 だが、クローディアは今夜、皆が寝静まった後に、この丘陵きゅうりょうでブリジットと2人だけで会うつもりだ。
 2人だけの話をするために。
 そこでクローディアはボルドを一日早くブリジットに会わせることにしている。
 そのためにクローディアはアーシュラをここに待機させているのだ。

 夜がけて皆が寝静まったら、アーシュラはあの小屋からボルドを連れ出し、ブリジットと2人で話すクローディアの元へと連れて行く。
 それがクローディアから命じられた任務だった。
 
(それにしても……)

 完全に日没の時間を迎え、空には星が次々と顔を出し始めた。
 アーシュラは静かに目を閉じる。
 そして耳を澄ますと自分が完全にやみに溶け込んだかのように全身の神経を静めていく。
 呼吸だけでなく心臓の鼓動や血流までもがゆっくりとなっていくような錯覚を覚え、アーシュラは周囲の空気と一体化した。

 すると感じる。
 前方の小屋からボルドの気配がやみの中に光る糸のように延びて、こちらに伝わってくるのだ。
 ボルドがいるのを感じる。
 そんな感覚はアメーリア以外には他の誰にも感じたことはない。

 母から聞いたことがある。
 砂漠島では黒髪の男は特殊な力を持ち、そしてそうした者同士は互いに感覚を通じ合わせることが出来る場合があったと。
 離れた場所にいても互いを感じ取ったりすることが出来たのだという。

 アーシュラは黒髪でもなければ男でもないが、母から受け継いだ力は確かに彼女の身の内に流れている。
 彼女は確信した。
 やはりボルドは何かしらの力を持っているのだ、と。
 彼自身がそのことに気付いているかどうかは分からないが。
 アーシュラはボルドの存在を感じながら、逆に自分の心から糸を放出するイメージで飛ばして、ボルドにこちらの存在を伝える。

(ボールドウィン。ワタシを感じ取りなさい)

 そう強く念じる。
 彼女の心の糸はやみの中を稲妻のように走った。

******

 ボルドはやみの中で1人、粗末なベッドに身を横たえていた。
 日が沈み、雨戸で窓をふさがれた小屋の中には星明かりすら入って来ない。
 ブリジットにこちらの存在を悟らせないため、部屋の明かりをつけることすら許されず、食事は明るいうちに済ませたので、あとは夜が明けるまで眠るだけだ。
 ただ同じ部屋にはブライズとベリンダが彼を見張り続けていて、とても眠れそうにない。
 
 粗末な小屋の中に持ち込まれた、場違いなほどゆったりとしたソファーにブライズとベリンダは腰を深くしずめている。
 真っ暗なやみの中で2人は時折、宴会に参加できない愚痴ぐちなどを言い合っていた。
 立場のある2人なので本来ならばこんな場所にいるべきではないのだが、ボルドという最重要人物の護衛を任せられるのはクローディアに次ぐ実力者である2人しかいなかったのだ。

 ボルドは出来るだけ彼女たちのことを気にしないよう、目を閉じて眠ろうと心掛けた。
 呼吸を整え、自分もやみに溶け込むようなつもりで意識を深くしずめていく。 
 すると……。

(……ん?)

 ふいに誰かに呼びかけられたような気がした。
 目を開けるが、ブライズもベリンダもやみの中で静かに目を閉じて体を休めている。 
 気のせいかと思い、ボルドは再び目を閉じた。
 すると今度は誰かに見られているような感覚に襲われる。
 ボルドは目を開けずにそのまま違和感の正体を探った。
 
(小屋の外だ……誰かが見ている)

 そしてボルドはなぜだか分からないが気が付いた。
 こちらがその何者かを知覚していることを、その相手も気付いたということに。
 彼にとってはそんな感覚は初めてだった。
 もう少しその感覚を感じてその違和感の正体をつかみたかったが、相手の存在感は波が引くようにゆっくりと静かに遠ざかって行き、やがて消えた。
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