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第176話 落ち着かない時間

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「おい。ボールドウィン。いや、ボルドだったな。本家の連中が来てるぞ。おまえの知り合いもいるんじゃないのか?」

 ブライズはそうボルドに声をかけると、谷戸の谷間に集まる赤毛の女たちを見下ろした。
 スリーク平原。
 その奥には谷戸と呼ばれる地形があり、両側を丘陵きゅうりょうはさまれた谷間がある。
 そこに野営地が展開され、いくつもの天幕が用意されて火がかれていた。
 中央線をはさんで東側に本家、西側に分家の者たちが陣取っている。

 ボルドはその様子を丘陵きゅうりょうの上に建てられた小さな小屋の窓から見下ろした。
 今朝方、ダニアの街からここまで移送されたボルドは今、ブライズとベリンダに見張られてこの小屋で待機している。
 ブライズとベリンダは共に自分がバーサの妹であるとボルドに名乗った。
 思わずボルドは自分の体の芯が冷たく強張こわばるのを感じた。

 2人とも髪型や体形は異なるが、その顔立ちはバーサに良く似ていた。
 彼女たちを見ているとどうしてもバーサに受けた仕打ちを思い出してしまう。
 ボルドの表情におびえの色を見て取ると、ブライズとベリンダは顔を見合わせてニヤリと笑う。

「心配すんな。別に取って食ったりしねえよ」
「まあ、おいしそうではありますけどねぇ」

 ボルドはそんな2人から目をらし、再び谷戸の谷間へと視線を落とした。
 ここからでは遠くて分からないが、あの中にベラやソニアなど顔見知りがいるかもしれない。 
 そう思うとついつい目をらしてしまうが、ボルドがブリジットを探していると勘違いをしたようで、ベリンダは意地の悪い笑みを浮かべた。

「残念ながらブリジットはあそこにはいませんわよ。1キロくらい先の天幕でクローディアと会談中ですから」
「クローディアと……」

 その話にボルドはあらためて不安になった。
 クローディアの口から自分の存命が伝えられた時、ブリジットはおどろくだろう。
 彼女の心を乱してしまうかもしれない。
 そしてどんな顔で彼女に再会すればいいのか、ボルド自身、困惑している。
 そんな彼の表情からその心情を読み取ったのか、ブライズとべリンダがボルドを取り囲んで言う。

「心配すんな。ブリジットにおまえの話をするのは明日だそうだ。先に話をしちまうと、ブリジットが会議どころじゃなくなっちまうかもしれねえからな。おまえよっぽど好かれてんだな」
「どうやってそんなにたらし込んだのですか? かわいい顔してあなた、ベッドの上では相当なやり手なのかしら」

 そう言ってもてあそぶように笑う2人からボルドは顔をらしてうつむく。
 そんなボルドの様子にブライズは顔をしかめた。

「おまえなぁ。言っておくが、おまえが川に浮かんでいるのを拾い上げたのはワタシなんだぞ。あのままだったらおぼれ死んでたかもしれないところを助けたんだから、少しくらい感謝しやがれ」
「……すみません。命を救っていただいたこと、感謝しています」

 そう言ってうなだれるボルドにブライズは肩をすくめ、窓からの景色を見下ろした。

「しかしここは特等席だな。ここからならよく見えるぞ。見てみろ。ボルド」

 そう言うブライズにうながされてボルドは窓から宴会場を見下ろす。
 すりばち状になっている谷戸の宴会場には、その中心に奇妙な空間があった。
 四隅に杭が立てられ、なわを張って四角く区切ってある空間だ。

「……あれは?」
「試合場さ。あそこで我らがクローディアがブリジットと試合をするんだ。といっても竹製の摸造もぞう刀を使った模擬戦だがな」

 そう言うブライズの表情は、新しい玩具がんぐを与えられた子供のように嬉々としている。
 対照的にベリンダはツンとした表情でそっぽを向いた。

「まあクローディアが勝つに決まっていますわ。あと、夜の間はこの窓の雨戸を閉めてふさぎますので試合は見られませんよ。ブリジットは目がいいから、ここからのぞき込むボルドを見つけてしまうかもしれませんので」

 そう言われてみてボルドはそのほうがいいかもしれないと少し安堵あんどした。 
 ブリジットが夜になればあの場所に姿を現す。
 遠くからでもその姿を一目見たいという思いがあるが、一方で姿を見てしまえば自分の心がかき乱され、どうなってしまうか分からないという怖さもあった。

(ブリジット。私は……)
 
 ボルドは押し寄せる様々な感情に翻弄ほんろうされながら、夜までの間、落ち着かない時間を過ごすのだった。
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