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第162話 連行

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「ふぅ……今日は久しぶりに温かいな」

 ボルドは農作業のかたわら、手を止めてひたいに浮かぶ汗を手拭てぬぐいでぬぐった。
 その日は朝からよく晴れた一日だった。
 岩山の新都建造地でボルドはこの日も朝から忙しく働いていた。
 その働きぶりは勤勉なもので、ダンカンを初めとする同僚たちからボルドは働き者として大きな評価と信頼を得るようになっていた。

 毎日の労働は疲れるものだったが、それでもボルドにとってはこの忙しさはありがたかった。
 今でもブリジットの夢を毎夜のように見続けているし、彼女のことを恋しく思わない日は無い。
 それでもこうして働き続けて日々を過ごしていると、胸の痛みは一日また一日と静かに薄れていくような気がした。
 彼は晴れ渡った空を見上げ、ふとレジーナのことを思い返した。

(レジーナさん。もう体は大丈夫かな)

 ボルドは数日前に体調をくずしたレジーナの身を案じる。
 彼女はボルドにとって新たな居場所を与えてくれた恩人だった。
 レジーナがすこやかにいられることをいのりつつ、ボルドは農作業にいそしむ。
 だが、午前中の仕事を終えてこれから昼食にしようかという時に、唐突な訪問者たちがこの岩山に現れたのだ。

 やって来たのは10人ほどの騎馬兵たちだった。
 ボルドと共にいたダンカンはそれを見ると思わず顔を引きつらせる。
 馬から降りた騎馬兵たちは全員が女で、赤毛に褐色かっしょく肌という共通点を持っていた。
 彼女たちを見たボルドは思わず息を飲む。

(ダニアの人たちだ……)
 
 彼女たちはこの岩山で働く者の中で唯一の黒髪であるボルドの元へ、まっすぐに向かってきた。
 その先頭に立つのは赤毛を男性のように短くり込んだ女性だった。
 年齢は本家のリネットやユーフェミアよりも上だろう。
 ボルドは戸惑いながら彼女の前に立った。

「あの……あなたは?」
「ダニア分家の十血会評議員が1人。セレストだ。貴様がボールドウィンだな」

 ボルドはブリジットの元にいた頃に小姓こしょうらから教えられたことを思い出した。
 十血会。
 本家の十刃会に相当する分家の評議会であり、十刃長ユーフェミアと同じ立場の十血長オーレリアという女性がまとめ役になっていると聞いていた。
 彼女らの急な訪問にボルドは警戒心を抱く。

(十血会の人が来たってことは……)

 彼女たちは自分がブリジットの情夫だったということを知っているということだ。
 そうでなければわざわざボルドを名指しでやって来るはずがない。

「私に何か……御用でしょうか?」
「ボールドウィン。貴様をダニアの街に連行する」
「えっ……?」

 その言葉にボルドは絶句した。
 ダンカンが思わずボルドを守る様に彼の前に立って、困惑の表情でセレストを見上げた。
 
「セレスト殿。なぜ、このような……」
「ダンカンか。久しぶりだな。すでに隠居いんきょしたものと思っていたが、こんな場所にいたとは」

 そう言うとセレストはなつかしげに笑みを浮かべる。
 2人は旧知の仲らしいとボルドはすぐに理解したが、状況を完全には理解できずにいた。
 騒ぎを聞きつけて様子を見に来たジリアンやリビーら5人のダニアの女たちは、セレストらの姿を見て固まったように立ち止まる。
 そんな彼女たちに目をやり、セレストは嘆息たんそくした。

「ふぅ。やれやれ。クローディアはお優しい。追放組に住処すみかを提供なさるとは」

 セレストの言葉にボルドはハッとした。
 クローディア。
 それは分家の女王の名だ。

 かがやくような美しい銀色の髪を持つ女王だと小姓こしょうから聞かされたことを思い出した。
 そんな彼の脳裏のうりに、銀色にかがやく頭髪をあらわにしたレジーナの姿がよみがえる。
 頭の中で一致する人物像に、ボルドはわずかに肩を震わせてつぶやきをらした。

「まさかそんな……。レジーナさんが……クローディア」

 そうだ。
 ダニアは本家がブリジット、分家がクローディアと、女王は代々その名を名乗る。
 だがその血脈を継ぐ者は皆、女王の名を継承する前には赤子の時につけられた幼名を名乗っているのだ。
 ブリジットにもライラという幼名があった。
 すなわち、レジーナとはクローディアの幼名だったのだ。

「そんな……」

 愕然がくぜんとするボルドはダンカンやジリアンたちを見た。
 彼らは皆、バツが悪そうにボルドから目をらす。
 そうした彼らの様子から、知らなかったのは自分だけだとボルドは悟った。
 そんなボルドにセレストは冷然と告げる。

「ボールドウィン。いや……ブリジットの情夫ボルド。おまえの身柄みがらは我ら分家が預かる。断ることはまかりならん。おまえたち、ボルドを連行しろ」

 セレストの言葉に今度はダンカンらが驚愕きょうがくの表情を浮かべた。
 皆、初めて聞いたボルドの身分におどろき、一様に声を失っている。
 そんな皆の顔を見てボルドはくちびるむ。
 だまっていたのは自分も同じだ。

 セレストの部下らはボルドをなわで縛り上げて拘束こうそくする。
 その様子にカッとなったジリアンが思わず詰め寄ってきた。
 彼女はリビーたちが止める間もなく、ボルドを拘束こうそくする女戦士らにつかみかかる。

「おまえら! ボールドウィンを放せ!」

 だが、女戦士らが2人がかりで彼女を押さえたところで、セレストが容赦ようしゃなくジリアンの顔面をなぐり付けた。
 強烈な殴打おうだを受けたジリアンはたまらずにその場に昏倒こんとうする。

「うっ!」
おきて破りで追放された身で我らに逆らうなら、容赦ようしゃはせぬぞ」

 ジリアンに侮蔑ぶべつの目を向けながらセレストは、振り返ってダンカンを見やる。

「これは十血長オーレリア殿の命令だ。ボルドの身柄みがらはこちらで預かる」
「セ、セレスト殿……。どうか手荒な真似まねはおやめ下さい」
「このボルドがおとなしくしているのならば丁重ていちょうに扱うさ。貴重な人材だからな」
 
 そう言うとセレストは拘束こうそくしたボルドを馬車に押し込んだ。
 ボルドは馬車の荷台から振り返って、その場で成すすべなく呆然ぼうぜんとしている仲間たちに目をやった。
 鼻を血で汚したジリアンが立ち上がり、彼に視線を送る。
 ボルドの想い人がブリジットだと知り、彼女は困惑の表情で口を開いた。

「ボールドウィン……おまえ」

 ジリアンはそう言ったきりくちびるを震わせる。  
 ボルドは申し訳なさそうに顔をゆがめ、彼女に頭を下げた。

だまっていてすみませんでした。ジリアンさん」
「……だまっていたのはワタシらだって同じだ」

 そう言ってうつむくジリアンからダンカンに視線を移し、ボルドは自分に親切にしてくれた今日までの礼を込めて頭を下げた。
 混乱する感情と別れのさびしさが入り混じり、顔を上げられないままのボルドを乗せた馬車は無情に出発する。
 そんな彼の耳に最後に響いたのはジリアンの声だった。
 
「ボールドウィン! 頼む! レジーナ様の……レジーナ様のことだけは信じてくれ!」 

 彼女のその声にはくやしさやさびしさがにじんでいて、ボルドの頭の中でいつまでも反響するのだった。
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