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第145話 芽生えた気持ち
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「うぅ……」
軽い食事を終えてベッドに横になったレジーナだが、夜半から明け方にかけて再び高熱にうなされた。
生来、頑健な彼女だが、ここのところのクローディアとしての重責と過労が確実に自分の心身を蝕んでいたのだと痛感させられる。
そんなレジーナの傍では、ボルドが一睡もせずに甲斐甲斐しく彼女の世話を焼いていた。
冷たい水で冷やした布を定期的に取り替えながら彼女の額の熱を冷まそうとし、小屋に常備された熱冷ましの粉末薬を彼女に飲ませることも忘れない。
「世話を……かけるわね」
辛そうな声でそう言うレジーナに、ボルドは穏やかな笑みを浮かべて首を横に振る。
「レジーナさんにはあの時の恩返しが出来ていませんでしたから」
そう言うとボルドは温くなった彼女の額の布を冷たいものに取り替える。
ヒンヤリとした感覚に息をつきながらレジーナは彼の存在を頼もしく感じている自分に気が付いた。
幼い頃、自分が熱を出しても多忙な母は傍についていてはくれなかった。
先代クローディアであった母には一族を率いる重責があり、母として娘に割ける時間が少なかったのは今となっては理解できる。
それでも幼い娘だった頃に感じた母を求める寂しい気持ちは、綺麗な水底に貼り付いて取れない水苔のように今もレジーナの心の奥底にわだかまっている。
それは心のずっとずっと深いところに閉じ込めて決して人に見せることはない心細さだった。
その心細さが今、顔を出しかけていたが、ボルドがこうして見守ってくれていることで、不思議とそれも和らいだ。
彼は自分がクローディアであることを知らない。
知ればこうして世話を焼いてくれることもなくなるのだろうか。
そんな考えが頭をよぎり、そう思うと自身の素性を明かすことが怖くなる。
今まで誰かに優しくされたことはあるが、それはあくまでも自分がダニア分家の女王クローディアだからであって、自分をクローディアだと知らずに優しくされるのは初めてのことだった。
「喉、渇きませんか?」
そう言うボルドが水差しを持つ。
そこには例の甘い果汁水が入っているが、先ほどからそればかりを飲んでいるために口の中が甘くなってきた。
思わずレジーナは首を横に振る。
「甘くない水がいいわ……真水が飲みたい」
苦しげな声でそう言った。
そんな自分の言葉が自身でも驚くほど甘えたように聞こえて、レジーナは内心で戸惑う。
心の中でクローディアとしての自分が、何という醜態だと嘲笑っているような気がした。
だがボルドはお安い御用だとばかりに慈しむような笑顔を見せ、すぐに井戸から冷たい水を汲んできてくれた。
レジーナはそれを彼に飲ませてもらう。
冷たい水が胃の中に流れ落ちていき、体中に染み渡っていくような気がする。
そして先ほど飲んだ熱冷ましの薬が効き始めたのか少し体が楽になり、同時に眠くなってきた。
そんな彼女の表情から体調を察したのかボルトは額の冷たい布の位置をそっと直しながら言った。
「ゆっくり眠って下さい」
「…‥‥うん。ボールドウィン。ここに……いてくれる?」
眠気にまどろみながらレジーナはそんなことを口にしたが、ボルドはその顔に優しい笑みを浮かべて頷いた。
「朝までお傍にいますよ。何も心配しないで下さい」
その言葉にホッと安堵したレジーナは静かに眠りにつく。
先ほどまで感じていた心細さは、すでにどこかへ消えていた。
*******
レジーナは夢を見ていた。
暖炉の前に上半身の肌を晒して背を向けているボルドがいる。
そしていつしかその隣には彼を同じく素肌を晒した自分が座り、彼と向き合っていた。
暖炉の炎に赤く染められた彼の唇に、レジーナは自分の唇を重ね……。
*******
「ハッ……」
ふと目を覚ますとすでに夜が明けていた。
夜通し降り続いた雨がようやく止み、朝陽が明るい日差しを濡れた大地に注いでいる。
レジーナは外から小屋の中に差し込む朝の明かりに目を細めた。
心臓が高鳴っている。
(な、何て夢を見ているの。ワタシったら……)
気恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
ふと横を見ると、レジーナの寝ているベッドのすぐ脇にボルドが座っていた。
彼は顔をベッドに横たえて眠っている。
ずっと寝ずに看病していてくれたから、彼も疲れ切って眠ってしまったのだろう。
レジーナは彼に感謝の気持ちを抱くと同時に、先ほど見た夢のせいで落ち着かない気分で胸がいっぱいになるのを感じた。
(眠っていてくれて良かった……)
ボルドはその手に温くなった布を握ったまま眠っている。
こうして一晩中、自分の額の布を取り替え続けてくれたのだろうと思うと、レジーナは彼の優しさに心が満たされていくように感じた。
しかし彼女は同時に別の思いも抱いた。
ブリジットの情夫であったボルドは、以前はこうしてブリジットにも献身的に尽くしていたのだろう。
そう考えると、まだ顔を見たこともないブリジットという女に対して面白くない感情がレジーナの心に湧き上がる。
彼には……自分だけに優しくしてほしい。
そんな手前勝手な気持ちがレジーナの心に芽生えた瞬間だった。
「……ボールドウィン」
ささやくような小さな声で彼の名を呼ぶと、レジーナは眠っているボルドを起こさぬようそっとその黒髪に手を触れた。
雨に濡れて乾いたまま、自分の髪を洗うこともせずにレジーナの面倒を見続けていたせいか、少し髪質が荒れてパサついていた。
だが、そんなことは気にならなかった。
この髪にずっと触れていたい。
レジーナはそうした思いを噛みしめながら、そっと彼の髪に触れ続けるのだった。
軽い食事を終えてベッドに横になったレジーナだが、夜半から明け方にかけて再び高熱にうなされた。
生来、頑健な彼女だが、ここのところのクローディアとしての重責と過労が確実に自分の心身を蝕んでいたのだと痛感させられる。
そんなレジーナの傍では、ボルドが一睡もせずに甲斐甲斐しく彼女の世話を焼いていた。
冷たい水で冷やした布を定期的に取り替えながら彼女の額の熱を冷まそうとし、小屋に常備された熱冷ましの粉末薬を彼女に飲ませることも忘れない。
「世話を……かけるわね」
辛そうな声でそう言うレジーナに、ボルドは穏やかな笑みを浮かべて首を横に振る。
「レジーナさんにはあの時の恩返しが出来ていませんでしたから」
そう言うとボルドは温くなった彼女の額の布を冷たいものに取り替える。
ヒンヤリとした感覚に息をつきながらレジーナは彼の存在を頼もしく感じている自分に気が付いた。
幼い頃、自分が熱を出しても多忙な母は傍についていてはくれなかった。
先代クローディアであった母には一族を率いる重責があり、母として娘に割ける時間が少なかったのは今となっては理解できる。
それでも幼い娘だった頃に感じた母を求める寂しい気持ちは、綺麗な水底に貼り付いて取れない水苔のように今もレジーナの心の奥底にわだかまっている。
それは心のずっとずっと深いところに閉じ込めて決して人に見せることはない心細さだった。
その心細さが今、顔を出しかけていたが、ボルドがこうして見守ってくれていることで、不思議とそれも和らいだ。
彼は自分がクローディアであることを知らない。
知ればこうして世話を焼いてくれることもなくなるのだろうか。
そんな考えが頭をよぎり、そう思うと自身の素性を明かすことが怖くなる。
今まで誰かに優しくされたことはあるが、それはあくまでも自分がダニア分家の女王クローディアだからであって、自分をクローディアだと知らずに優しくされるのは初めてのことだった。
「喉、渇きませんか?」
そう言うボルドが水差しを持つ。
そこには例の甘い果汁水が入っているが、先ほどからそればかりを飲んでいるために口の中が甘くなってきた。
思わずレジーナは首を横に振る。
「甘くない水がいいわ……真水が飲みたい」
苦しげな声でそう言った。
そんな自分の言葉が自身でも驚くほど甘えたように聞こえて、レジーナは内心で戸惑う。
心の中でクローディアとしての自分が、何という醜態だと嘲笑っているような気がした。
だがボルドはお安い御用だとばかりに慈しむような笑顔を見せ、すぐに井戸から冷たい水を汲んできてくれた。
レジーナはそれを彼に飲ませてもらう。
冷たい水が胃の中に流れ落ちていき、体中に染み渡っていくような気がする。
そして先ほど飲んだ熱冷ましの薬が効き始めたのか少し体が楽になり、同時に眠くなってきた。
そんな彼女の表情から体調を察したのかボルトは額の冷たい布の位置をそっと直しながら言った。
「ゆっくり眠って下さい」
「…‥‥うん。ボールドウィン。ここに……いてくれる?」
眠気にまどろみながらレジーナはそんなことを口にしたが、ボルドはその顔に優しい笑みを浮かべて頷いた。
「朝までお傍にいますよ。何も心配しないで下さい」
その言葉にホッと安堵したレジーナは静かに眠りにつく。
先ほどまで感じていた心細さは、すでにどこかへ消えていた。
*******
レジーナは夢を見ていた。
暖炉の前に上半身の肌を晒して背を向けているボルドがいる。
そしていつしかその隣には彼を同じく素肌を晒した自分が座り、彼と向き合っていた。
暖炉の炎に赤く染められた彼の唇に、レジーナは自分の唇を重ね……。
*******
「ハッ……」
ふと目を覚ますとすでに夜が明けていた。
夜通し降り続いた雨がようやく止み、朝陽が明るい日差しを濡れた大地に注いでいる。
レジーナは外から小屋の中に差し込む朝の明かりに目を細めた。
心臓が高鳴っている。
(な、何て夢を見ているの。ワタシったら……)
気恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
ふと横を見ると、レジーナの寝ているベッドのすぐ脇にボルドが座っていた。
彼は顔をベッドに横たえて眠っている。
ずっと寝ずに看病していてくれたから、彼も疲れ切って眠ってしまったのだろう。
レジーナは彼に感謝の気持ちを抱くと同時に、先ほど見た夢のせいで落ち着かない気分で胸がいっぱいになるのを感じた。
(眠っていてくれて良かった……)
ボルドはその手に温くなった布を握ったまま眠っている。
こうして一晩中、自分の額の布を取り替え続けてくれたのだろうと思うと、レジーナは彼の優しさに心が満たされていくように感じた。
しかし彼女は同時に別の思いも抱いた。
ブリジットの情夫であったボルドは、以前はこうしてブリジットにも献身的に尽くしていたのだろう。
そう考えると、まだ顔を見たこともないブリジットという女に対して面白くない感情がレジーナの心に湧き上がる。
彼には……自分だけに優しくしてほしい。
そんな手前勝手な気持ちがレジーナの心に芽生えた瞬間だった。
「……ボールドウィン」
ささやくような小さな声で彼の名を呼ぶと、レジーナは眠っているボルドを起こさぬようそっとその黒髪に手を触れた。
雨に濡れて乾いたまま、自分の髪を洗うこともせずにレジーナの面倒を見続けていたせいか、少し髪質が荒れてパサついていた。
だが、そんなことは気にならなかった。
この髪にずっと触れていたい。
レジーナはそうした思いを噛みしめながら、そっと彼の髪に触れ続けるのだった。
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