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第137話 暗殺任務
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ダニア本家の群衆に紛れながらアーシュラはトバイアスが天幕から出ていく様子を見守っていた。
彼女の背後では体格のいい女たちがトバイアスに注目しながらヒソヒソと言葉を交わし合っている。
「あのトバイアスって男。なかなかいい男じゃねえか。あれがブリジットの新しい情夫か」
「まだ分かんねえだろ。情夫になるかどうかなんて」
「けどボルドが死んでからもう半年以上だろ。そろそろ新しい男が欲しくなってもおかしくねえよ」
「馬鹿言え。男好きのおまえと一緒にすんな。アタシなら心底愛した男が死んだ後は、次の男なんて数年は無理だぜ」
あれやこれやと言い合うダニアの女たちの声を背中に受けながら、アーシュラは少しずつ群衆の中を移動していく。
赤毛に褐色肌という身体的特徴を持つアーシュラは、誰にも疑われることなく本家の女たちの中に紛れ込んでいた。
本家では時折、戦死した者の補充人員として、奥の里から成人したばかりの若い女が派遣されることがあることを、アーシュラは知っていた。
ゆえに見ない顔があっても誰も疑いはしない。
分家訛りの言葉も直して、本家のそれにすることくらいはアーシュラにとっては造作もないことだった。
アーシュラはしっかり本家に溶け込み、クローディアから命じられた任務を遂行していた。
十分に距離を置いて、トバイアスを追うアーシュラに誰も目を留めなかった。
足音を消し、気配を消し、存在感を消す。
そうしてトバイアスを追っていったアーシュラはやがてダニア本家の一時宿営地を抜け、広野へと出ると、街道沿いの林の中へ移動した。
トバイアスたちはここに来る際に使っていた幌馬車に乗り込んで帰路についた。
ここから公国の最寄りの都市まで向かう道に3名の暗殺者を忍ばせている。
3人とも腕利きの弓の名手だった。
そして暗殺者たちの持つ矢じりには大型の熊や牛ですら数分で死に至らしめるほどの猛毒が塗り込まれている。
クローディアの従姉妹であるベリンダが調合したものだった。
その矢が少しでも当たればトバイアスの命はないだろう。
3人は暗殺の際の手順や心構えをある女から手ほどきされていた。
本家から寝返ったリネットという女だ。
すでにこの世にはいない彼女は本家で暗殺の任務に就いていて、その腕前は見事だったという。
リネットにはアーシュラも幾度か会ったことはあるが話をしたことはない。
今にして思えば後学のために色々と学んでおけばよかったと思う。
少しでも多くの力や知恵を身につけておけば、それだけクローディアの役に立つことが出来る。
クローディアはアーシュラに戦闘の任務は与えない。
それはアーシュラにとっては幸運なことだった。
ダニアの女に生まれながら、戦闘はあまり得意ではなかったからだ。
ゆえにアーシュラはそれ以外のことで主の役に立ちたかった。
クローディアに出会っていなかったら自分はどうなっていたか分からない。
あのまま山小屋で人生を終えていたかもしれない。
奴隷商にでも捕まって売り飛ばされていたかもしれない。
そうならなかったのはクローディアが自分をどん底から引き上げてくれたからだ。
そしてクローディアはある約束をしてくれた。
アーシュラの父を殺め、結果として母を死においやった遠因となった黒き魔女をいつか見つけ出して殺し、仇を討つと。
その約束が果たされるかどうかはアーシュラにとっては重要ではなかった。
ただクローディアだけが……彼女だけがこの世で唯一の自分の味方になってくれた気がしたのだ。
だからこそクローディアの役に立つためならば、どんなことでもするとアーシュラは心に決めていた。
「それにしても……」
トバイアスは護衛もなく侍女を1人連れているだけだった。
これなら3人の暗殺者が狙えば、少なくとも一本くらいの矢は当たる。
猛毒の矢が当たりさえすればトバイアスは一巻の終わりだ。
簡単な暗殺に思えたが、アーシュラは先ほどなら何か嫌な感じを覚えていた。
トバイアスがダニア本家の宿営地を訪れた時から、肌がヒリつくように感じている。
それは今も続いていて、追跡しながらもこれ以上彼らに接近してはいけないと、アーシュラの頭の中に警鐘が響き渡っていた。
「これは……何なんだ?」
アーシュラは林の中をゆっくりと進みながら、その拭えぬ違和感の正体を探っていた。
トバイアスは優れた武人なのかもしれないが、それだけではアーシュラはここまで警戒したりはしない。
直接、彼と対峙するわけではないのだから。
だというのに先ほどからどうにも落ち着かないのだ。
それが何であるのか分からぬまま、任務遂行の時が来た。
暗殺者たちの潜んでいる平原へとトバイアスらが差しかかる。
あの男はここで死ぬ。
それを見届けて、クローディアに報告するのだ。
クローディアの前に立ちはだかる問題を一つ一つ取り除くことが自分の仕事なのだから。
そう心に念じるアーシュラの視線の先で、3本の火矢がトバイアスの乗る幌馬車に向けて放たれたのだった。
彼女の背後では体格のいい女たちがトバイアスに注目しながらヒソヒソと言葉を交わし合っている。
「あのトバイアスって男。なかなかいい男じゃねえか。あれがブリジットの新しい情夫か」
「まだ分かんねえだろ。情夫になるかどうかなんて」
「けどボルドが死んでからもう半年以上だろ。そろそろ新しい男が欲しくなってもおかしくねえよ」
「馬鹿言え。男好きのおまえと一緒にすんな。アタシなら心底愛した男が死んだ後は、次の男なんて数年は無理だぜ」
あれやこれやと言い合うダニアの女たちの声を背中に受けながら、アーシュラは少しずつ群衆の中を移動していく。
赤毛に褐色肌という身体的特徴を持つアーシュラは、誰にも疑われることなく本家の女たちの中に紛れ込んでいた。
本家では時折、戦死した者の補充人員として、奥の里から成人したばかりの若い女が派遣されることがあることを、アーシュラは知っていた。
ゆえに見ない顔があっても誰も疑いはしない。
分家訛りの言葉も直して、本家のそれにすることくらいはアーシュラにとっては造作もないことだった。
アーシュラはしっかり本家に溶け込み、クローディアから命じられた任務を遂行していた。
十分に距離を置いて、トバイアスを追うアーシュラに誰も目を留めなかった。
足音を消し、気配を消し、存在感を消す。
そうしてトバイアスを追っていったアーシュラはやがてダニア本家の一時宿営地を抜け、広野へと出ると、街道沿いの林の中へ移動した。
トバイアスたちはここに来る際に使っていた幌馬車に乗り込んで帰路についた。
ここから公国の最寄りの都市まで向かう道に3名の暗殺者を忍ばせている。
3人とも腕利きの弓の名手だった。
そして暗殺者たちの持つ矢じりには大型の熊や牛ですら数分で死に至らしめるほどの猛毒が塗り込まれている。
クローディアの従姉妹であるベリンダが調合したものだった。
その矢が少しでも当たればトバイアスの命はないだろう。
3人は暗殺の際の手順や心構えをある女から手ほどきされていた。
本家から寝返ったリネットという女だ。
すでにこの世にはいない彼女は本家で暗殺の任務に就いていて、その腕前は見事だったという。
リネットにはアーシュラも幾度か会ったことはあるが話をしたことはない。
今にして思えば後学のために色々と学んでおけばよかったと思う。
少しでも多くの力や知恵を身につけておけば、それだけクローディアの役に立つことが出来る。
クローディアはアーシュラに戦闘の任務は与えない。
それはアーシュラにとっては幸運なことだった。
ダニアの女に生まれながら、戦闘はあまり得意ではなかったからだ。
ゆえにアーシュラはそれ以外のことで主の役に立ちたかった。
クローディアに出会っていなかったら自分はどうなっていたか分からない。
あのまま山小屋で人生を終えていたかもしれない。
奴隷商にでも捕まって売り飛ばされていたかもしれない。
そうならなかったのはクローディアが自分をどん底から引き上げてくれたからだ。
そしてクローディアはある約束をしてくれた。
アーシュラの父を殺め、結果として母を死においやった遠因となった黒き魔女をいつか見つけ出して殺し、仇を討つと。
その約束が果たされるかどうかはアーシュラにとっては重要ではなかった。
ただクローディアだけが……彼女だけがこの世で唯一の自分の味方になってくれた気がしたのだ。
だからこそクローディアの役に立つためならば、どんなことでもするとアーシュラは心に決めていた。
「それにしても……」
トバイアスは護衛もなく侍女を1人連れているだけだった。
これなら3人の暗殺者が狙えば、少なくとも一本くらいの矢は当たる。
猛毒の矢が当たりさえすればトバイアスは一巻の終わりだ。
簡単な暗殺に思えたが、アーシュラは先ほどなら何か嫌な感じを覚えていた。
トバイアスがダニア本家の宿営地を訪れた時から、肌がヒリつくように感じている。
それは今も続いていて、追跡しながらもこれ以上彼らに接近してはいけないと、アーシュラの頭の中に警鐘が響き渡っていた。
「これは……何なんだ?」
アーシュラは林の中をゆっくりと進みながら、その拭えぬ違和感の正体を探っていた。
トバイアスは優れた武人なのかもしれないが、それだけではアーシュラはここまで警戒したりはしない。
直接、彼と対峙するわけではないのだから。
だというのに先ほどからどうにも落ち着かないのだ。
それが何であるのか分からぬまま、任務遂行の時が来た。
暗殺者たちの潜んでいる平原へとトバイアスらが差しかかる。
あの男はここで死ぬ。
それを見届けて、クローディアに報告するのだ。
クローディアの前に立ちはだかる問題を一つ一つ取り除くことが自分の仕事なのだから。
そう心に念じるアーシュラの視線の先で、3本の火矢がトバイアスの乗る幌馬車に向けて放たれたのだった。
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