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第135話 縁談
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豪奢な調度品や美しい花が飾られた天幕の下、ブリジットとトバイアスの歓談はすでに30分に及んでいた。
ブリジットは事前に調べ上げていたトバイアスの戦果について言及し、トバイアスはそれを謙遜することなく、その時の状況をひとつひとつ丁寧に説明していった。
彼は主に公国の北側の海で海軍に従軍することが多く、戦う相手は大陸の北方諸島を根城にする海賊たちだった。
そこで彼は海賊どもの船を何隻も沈めているらしい。
最近のトバイアスの急激な評価の上昇にはそれらの戦果が大きく影響していた。
「それにしても御父上はよく貴殿のご訪問を許されたな。アタシの最近の蛮行をご存知なのでは?」
ブリジットが優雅に紅茶を飲みながら和やかな調子でそう言うのを、ユーフェミアはその背後から穏やかならざる心中で眺めていた。
公国軍とは小競り合いが続いており、ブリジットはその剣で何十人もの公国軍兵士を斬り殺している。
ブリジットとトバイアスは紅茶と茶菓子や果物の置かれたテーブルを挟んで対面していた。
ブリジットの背後にはユーフェミアが立っており、トバイアスの背後には彼の侍女が立っている。
「蛮行などとご謙遜を。勇猛なブリジット殿の常人離れした戦いぶりは、我が公国軍の間でも有名になっております。戦場で出会いたくない相手だが、その戦達者な振る舞いは武人として拝見してみたいと言う者も少なくありません」
トバイアスはそう言うと紅茶の器をテーブルに置き、笑顔を崩さずに話を続けた。
「ブリジット殿。私といたしましては無用な小競り合いで我が軍の兵士たちをこれ以上減らしたくない気持ちです。ただ、お互いの事情もありますので今すぐにどうこうというわけにはいかないでしょう。ですが……」
そう言うとトバイアスは身を乗り出した。
「こんな時代ですので協力し合える相手は多い方がいい。我が軍としては武勲を誇るダニアの戦士たちとは出来れば戦いたくありません。ですから、もしブリジット殿が私を気に入っていただけるのでしたら、この縁談をまとめたく……」
そう言いかけたトバイアスの言葉をブリジットは遮った。
「トバイアス殿。アタシは言いたいことはハッキリと言う性格なので言わせていただく。正直なところ貴殿のことを情夫として受け入れるつもりはない。アタシの好みの問題なので、どうか気を悪くしないでいただきたい」
その言葉にトバイアスはわずかに悲しげな表情を見せたが、すぐに笑顔に戻った。
「……そうですか。確かに、男女の間には好みの問題は大きい。ブリジット殿のお眼鏡に叶わぬことは残念ですが、今はまだ初めて出会ったばかりだ。私の人となりを知っていただければ……」
「そういう問題ではないのだ。このブリジット、一度口にしたことは覆さない性分だとご理解いただければ幸いだ」
そう言うブリジットをトバイアスはジッと見つめた。
ブリジットもその視線をまっすぐに受け止めて彼を見つめ返す。
一歩も引かぬブリジットにトバイアスはフッと笑みを漏らして肩の力を抜いた。
「これは私の負けですかな。おっしゃる通りブリジット殿は心根を曲げぬ方ですね」
そう言うとトバイアスは立ち上がる。
「私はあきらめの悪い男だが、一方で女性を困らせることは好みません。ブリジット殿。我が父にはブリジット殿が大変熟慮された結果、丁重にお断りいただいたと申しておきましょう」
トバイアスは柔和な笑みを浮かべてそう言った。
ブリジットは胸の内で違和感を覚え、彼の真意を窺う。
トバイアスとて父親であるビンガム将軍の思惑を受けてここに来ているはずだ。
断られて、はいそうですかと帰るのでは子供の使いも同然だった。
(嘘くさい笑顔だ。何を考えている?)
ブリジットがそう訝しんだその時、トバイアスの背後に立っていた侍女がふいに頭巾を脱いだ。
それを見たブリジットがわずかに目を見開いた。
侍女は綺麗な長い黒髪をしていたからだ。
珍しい黒髪にブリジットはしばし言葉を失った。
その美しく艶のある黒髪がボルドを思い出させる。
「申し訳ございません。少し気分が……」
侍女は深々と頭を下げ、トバイアスはそんな彼女の態度に困ったものだと肩をすくめる。
すかさずユーフェミアが声をかけた。
「こちらこそ失礼した。今日はこの時期にしては少し暑いですな。どうぞごゆるりとお座り下さい」
そう言うとユーフェミアは小姓らに命じて侍女が座る椅子を持ってこさせようとした。
それをトバイアスは固辞する。
「いえ。お気遣いなく。今日はこのくらいで帰りますので。といっても次回のお約束を催促するわけではありませんが。ブリジット殿。もしよろしければ今後は良き友として意見交換などをさせていただければ幸いです。いずれにせよ一度お便りをお届けいたしますので」
そう言うとトバイアスは優雅に一礼して踵を返す。
だがそこで立ち止まるとふと振り返った。
「おっと。ひとつ言い忘れておりました。ブリジット殿は近いうちに分家のクローディア殿とお会いになられるとか」
「……よくご存知だな」
その話はまだあまり知られていないはずだったが、トバイアスの目には確信の光が宿っている。
知っているぞ、という目だ。
椅子から立ち上がってわずかにその目に鋭い光を浮かべるブリジットに、トバイアスは涼やかな笑みを崩さずに言った。
「クローディア殿の将来の夫候補である王国のコンラッド王子は我ら公国とあなた方ダニア本家とが手を結ぶことを警戒しております。逆にあなた方の戦力を手中に収めたいと考えているようです。クローディア殿との会談にはそのことを念頭に置かれながら臨まれたほうがよろしいかと。では失礼いたします」
そう言うとトバイアスは侍女に、行くぞと声をかける。
彼女はブリジットにわずかに視線を送ると、深々と頭を下げた。
そして美しい黒髪を頭巾で再び隠すと、主の後について天幕を出て行った。
ユーフェミアはすぐさま見送りに出て行く。
ブリジットは1人天幕の中に残り、椅子に腰を落ち着けると、最後にトバイアスが残した情報を頭の中で反芻するのだった。
ブリジットは事前に調べ上げていたトバイアスの戦果について言及し、トバイアスはそれを謙遜することなく、その時の状況をひとつひとつ丁寧に説明していった。
彼は主に公国の北側の海で海軍に従軍することが多く、戦う相手は大陸の北方諸島を根城にする海賊たちだった。
そこで彼は海賊どもの船を何隻も沈めているらしい。
最近のトバイアスの急激な評価の上昇にはそれらの戦果が大きく影響していた。
「それにしても御父上はよく貴殿のご訪問を許されたな。アタシの最近の蛮行をご存知なのでは?」
ブリジットが優雅に紅茶を飲みながら和やかな調子でそう言うのを、ユーフェミアはその背後から穏やかならざる心中で眺めていた。
公国軍とは小競り合いが続いており、ブリジットはその剣で何十人もの公国軍兵士を斬り殺している。
ブリジットとトバイアスは紅茶と茶菓子や果物の置かれたテーブルを挟んで対面していた。
ブリジットの背後にはユーフェミアが立っており、トバイアスの背後には彼の侍女が立っている。
「蛮行などとご謙遜を。勇猛なブリジット殿の常人離れした戦いぶりは、我が公国軍の間でも有名になっております。戦場で出会いたくない相手だが、その戦達者な振る舞いは武人として拝見してみたいと言う者も少なくありません」
トバイアスはそう言うと紅茶の器をテーブルに置き、笑顔を崩さずに話を続けた。
「ブリジット殿。私といたしましては無用な小競り合いで我が軍の兵士たちをこれ以上減らしたくない気持ちです。ただ、お互いの事情もありますので今すぐにどうこうというわけにはいかないでしょう。ですが……」
そう言うとトバイアスは身を乗り出した。
「こんな時代ですので協力し合える相手は多い方がいい。我が軍としては武勲を誇るダニアの戦士たちとは出来れば戦いたくありません。ですから、もしブリジット殿が私を気に入っていただけるのでしたら、この縁談をまとめたく……」
そう言いかけたトバイアスの言葉をブリジットは遮った。
「トバイアス殿。アタシは言いたいことはハッキリと言う性格なので言わせていただく。正直なところ貴殿のことを情夫として受け入れるつもりはない。アタシの好みの問題なので、どうか気を悪くしないでいただきたい」
その言葉にトバイアスはわずかに悲しげな表情を見せたが、すぐに笑顔に戻った。
「……そうですか。確かに、男女の間には好みの問題は大きい。ブリジット殿のお眼鏡に叶わぬことは残念ですが、今はまだ初めて出会ったばかりだ。私の人となりを知っていただければ……」
「そういう問題ではないのだ。このブリジット、一度口にしたことは覆さない性分だとご理解いただければ幸いだ」
そう言うブリジットをトバイアスはジッと見つめた。
ブリジットもその視線をまっすぐに受け止めて彼を見つめ返す。
一歩も引かぬブリジットにトバイアスはフッと笑みを漏らして肩の力を抜いた。
「これは私の負けですかな。おっしゃる通りブリジット殿は心根を曲げぬ方ですね」
そう言うとトバイアスは立ち上がる。
「私はあきらめの悪い男だが、一方で女性を困らせることは好みません。ブリジット殿。我が父にはブリジット殿が大変熟慮された結果、丁重にお断りいただいたと申しておきましょう」
トバイアスは柔和な笑みを浮かべてそう言った。
ブリジットは胸の内で違和感を覚え、彼の真意を窺う。
トバイアスとて父親であるビンガム将軍の思惑を受けてここに来ているはずだ。
断られて、はいそうですかと帰るのでは子供の使いも同然だった。
(嘘くさい笑顔だ。何を考えている?)
ブリジットがそう訝しんだその時、トバイアスの背後に立っていた侍女がふいに頭巾を脱いだ。
それを見たブリジットがわずかに目を見開いた。
侍女は綺麗な長い黒髪をしていたからだ。
珍しい黒髪にブリジットはしばし言葉を失った。
その美しく艶のある黒髪がボルドを思い出させる。
「申し訳ございません。少し気分が……」
侍女は深々と頭を下げ、トバイアスはそんな彼女の態度に困ったものだと肩をすくめる。
すかさずユーフェミアが声をかけた。
「こちらこそ失礼した。今日はこの時期にしては少し暑いですな。どうぞごゆるりとお座り下さい」
そう言うとユーフェミアは小姓らに命じて侍女が座る椅子を持ってこさせようとした。
それをトバイアスは固辞する。
「いえ。お気遣いなく。今日はこのくらいで帰りますので。といっても次回のお約束を催促するわけではありませんが。ブリジット殿。もしよろしければ今後は良き友として意見交換などをさせていただければ幸いです。いずれにせよ一度お便りをお届けいたしますので」
そう言うとトバイアスは優雅に一礼して踵を返す。
だがそこで立ち止まるとふと振り返った。
「おっと。ひとつ言い忘れておりました。ブリジット殿は近いうちに分家のクローディア殿とお会いになられるとか」
「……よくご存知だな」
その話はまだあまり知られていないはずだったが、トバイアスの目には確信の光が宿っている。
知っているぞ、という目だ。
椅子から立ち上がってわずかにその目に鋭い光を浮かべるブリジットに、トバイアスは涼やかな笑みを崩さずに言った。
「クローディア殿の将来の夫候補である王国のコンラッド王子は我ら公国とあなた方ダニア本家とが手を結ぶことを警戒しております。逆にあなた方の戦力を手中に収めたいと考えているようです。クローディア殿との会談にはそのことを念頭に置かれながら臨まれたほうがよろしいかと。では失礼いたします」
そう言うとトバイアスは侍女に、行くぞと声をかける。
彼女はブリジットにわずかに視線を送ると、深々と頭を下げた。
そして美しい黒髪を頭巾で再び隠すと、主の後について天幕を出て行った。
ユーフェミアはすぐさま見送りに出て行く。
ブリジットは1人天幕の中に残り、椅子に腰を落ち着けると、最後にトバイアスが残した情報を頭の中で反芻するのだった。
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