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第122話 忍びのアーシュラ
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「あと一時間ほどでコンラッド王子がご到着されます」
客人の到着に向けて準備をしていたクローディアの元にその知らせを持ってきたのはアーシュラだった。
彼女はつい今しがた、ダニアの街に戻ったばかりだ。
クローディアが腹心の部下として従えているアーシュラは、ダニア本家のブリジットへ主からの非公式の文書を渡す役割を果たした後、別の場所を経由して、そこで次の用事を済ませてから帰還した。
「ご苦労さま。アーシュラ。ブリジットと話してみた感想は?」
「……嫌な汗をかきました。すぐにでも殺されるかもしれないと思ったのは、クローディアと出会った時以来です」
アーシュラは無表情でそう言った。
見慣れたその姿を見つめるクローディアは、落ち着いた色調の緑色のドレスで着飾っている。
滅多に着ることのない晴れ着を身に纏った主を見ても、アーシュラは世辞のひとつも口にしない。
この腹心の部下がそうした世渡り的なことにまったく疎いことを知っているクローディアは、気にした様子もなく笑った。
「そう。以前にバーサも言っていたわ。怖い女だって。ブリジットの名にふさわしい人物みたいね。で、ワタシの誘いには乗ってきそう?」
その問いにアーシュラは視線をクローディアの足元に据えたまま言う。
彼女はほとんど他人と視線を合わせることがない。
理由を聞いたことがあるが、目を合わせると自分でも意図しない意識の底で他人の感情に引き込まれ、任務に支障が出るためだという。
そんな彼女の任務は主に3つだ。
調べる、忍び込む、伝える。
それ以外は何もしない。
戦うことも殺すことも。
だから任務の際は小刀一本以外にこれといった武器は持たない。
それでもこれまでどんな危険な任務に当たっても、命を落とすことがなかった。
それは自分の命を守るための術を誰よりもよく心得ているからだ。
戦場で命を顧みずに刃を振るうことを美徳とするダニアの女としては異質な性格だが、クローディアはその腕前に全幅の信頼を寄せていた。
「会談自体はおそらく乗ってくると思います。その後の内々の話まではワタシでは判断がつきません。ですがクローディアは必ずブリジットを呼び寄せることが出来る切り札をお持ちですよね。それをお使いになる気は?」
アーシュラの問いにクローディアはフゥと息をついた。
「切り札ねぇ。あの子は使いようによっては切り札になるかもしれないけれど、今のところその気はないわ。ワタシがブリジットに求めているのは、もっと政治的な目線での決断だから。あの子を取り戻したくてなりふり構わず動くようなら、しょせんそこまでの女だってこと。彼女がダニアの未来を作り上げる器かどうか。見極めの時よ」
「左様でございますか。その切り札ですがマジメに働いている様子でした」
アーシュラは大陸中央部に位置するダニア本家の一時宿営地でブリジットに手紙を渡した後、西進して数日のうちに岩山の遺跡へと立ち寄ったのだ。
クローディアが修道女レジーナとして新たに都を築こうとしている場所だ。
「それは分かっているわ。あの子は純粋だから。ワタシへの恩義で一生懸命働いてくれる。そうじゃなくて安否確認よ」
その言葉にアーシュラは淡々と報告する。
「ジリアンが彼と関係を持ったと吹聴していますが、どうやら方便のようです。ですが、その方便のおかげで他の女たちも彼に手出しをせずにいます」
それを聞くとクローディアはわずかに笑みを浮かべた。
「そう。彼は今もブリジットひとすじなのね。そういうところは好感が持てるわ。あの小屋で過ごした時も、ワタシをいやらしい目で見るようなことは一度もなかったもの」
そう言うクローディアだが、アーシュラは冷然と首を横に振る。
「それは修道女の格好をしていたからかと。罰当たりなことはしない常識を弁えた人物というだけで、彼もしょせん男ですよ。男は性欲には抗えません。まあ、我らダニアの女も同じですが。護衛もつけずによろしいのですか? 彼は切り札なのでしょう? 次に様子を見に行った時には、嘘から出た誠になっているかもしれません」
アーシュラの言葉の意味するところはクローディアにも分かっている。
男と女に絶対はない。
彼が他の女のものになってしまえば切り札としての価値は薄れる。
それでもクローディアはボルドという人物を試してみたかった。
「それならそれまでよ。どうしても彼を切り札として使わなければならない、という状況ではないわ。今のところね」
そう言うとクローディアはドレスを着飾った姿で椅子から立ち上がる。
「さて、第4王子様のお相手をしないと。アーシュラ。今日はゆっくり休みなさい。それともワタシの代わりにドレスを着て王子と会う?」
「……ご冗談を」
真顔で即答するアーシュラにクローディアは苦笑いした。
「もう。人気ないわね。第4王子様は」
そう言うとクローディアはドレスの裾を翻し、颯爽とその場を後にした。
客人の到着に向けて準備をしていたクローディアの元にその知らせを持ってきたのはアーシュラだった。
彼女はつい今しがた、ダニアの街に戻ったばかりだ。
クローディアが腹心の部下として従えているアーシュラは、ダニア本家のブリジットへ主からの非公式の文書を渡す役割を果たした後、別の場所を経由して、そこで次の用事を済ませてから帰還した。
「ご苦労さま。アーシュラ。ブリジットと話してみた感想は?」
「……嫌な汗をかきました。すぐにでも殺されるかもしれないと思ったのは、クローディアと出会った時以来です」
アーシュラは無表情でそう言った。
見慣れたその姿を見つめるクローディアは、落ち着いた色調の緑色のドレスで着飾っている。
滅多に着ることのない晴れ着を身に纏った主を見ても、アーシュラは世辞のひとつも口にしない。
この腹心の部下がそうした世渡り的なことにまったく疎いことを知っているクローディアは、気にした様子もなく笑った。
「そう。以前にバーサも言っていたわ。怖い女だって。ブリジットの名にふさわしい人物みたいね。で、ワタシの誘いには乗ってきそう?」
その問いにアーシュラは視線をクローディアの足元に据えたまま言う。
彼女はほとんど他人と視線を合わせることがない。
理由を聞いたことがあるが、目を合わせると自分でも意図しない意識の底で他人の感情に引き込まれ、任務に支障が出るためだという。
そんな彼女の任務は主に3つだ。
調べる、忍び込む、伝える。
それ以外は何もしない。
戦うことも殺すことも。
だから任務の際は小刀一本以外にこれといった武器は持たない。
それでもこれまでどんな危険な任務に当たっても、命を落とすことがなかった。
それは自分の命を守るための術を誰よりもよく心得ているからだ。
戦場で命を顧みずに刃を振るうことを美徳とするダニアの女としては異質な性格だが、クローディアはその腕前に全幅の信頼を寄せていた。
「会談自体はおそらく乗ってくると思います。その後の内々の話まではワタシでは判断がつきません。ですがクローディアは必ずブリジットを呼び寄せることが出来る切り札をお持ちですよね。それをお使いになる気は?」
アーシュラの問いにクローディアはフゥと息をついた。
「切り札ねぇ。あの子は使いようによっては切り札になるかもしれないけれど、今のところその気はないわ。ワタシがブリジットに求めているのは、もっと政治的な目線での決断だから。あの子を取り戻したくてなりふり構わず動くようなら、しょせんそこまでの女だってこと。彼女がダニアの未来を作り上げる器かどうか。見極めの時よ」
「左様でございますか。その切り札ですがマジメに働いている様子でした」
アーシュラは大陸中央部に位置するダニア本家の一時宿営地でブリジットに手紙を渡した後、西進して数日のうちに岩山の遺跡へと立ち寄ったのだ。
クローディアが修道女レジーナとして新たに都を築こうとしている場所だ。
「それは分かっているわ。あの子は純粋だから。ワタシへの恩義で一生懸命働いてくれる。そうじゃなくて安否確認よ」
その言葉にアーシュラは淡々と報告する。
「ジリアンが彼と関係を持ったと吹聴していますが、どうやら方便のようです。ですが、その方便のおかげで他の女たちも彼に手出しをせずにいます」
それを聞くとクローディアはわずかに笑みを浮かべた。
「そう。彼は今もブリジットひとすじなのね。そういうところは好感が持てるわ。あの小屋で過ごした時も、ワタシをいやらしい目で見るようなことは一度もなかったもの」
そう言うクローディアだが、アーシュラは冷然と首を横に振る。
「それは修道女の格好をしていたからかと。罰当たりなことはしない常識を弁えた人物というだけで、彼もしょせん男ですよ。男は性欲には抗えません。まあ、我らダニアの女も同じですが。護衛もつけずによろしいのですか? 彼は切り札なのでしょう? 次に様子を見に行った時には、嘘から出た誠になっているかもしれません」
アーシュラの言葉の意味するところはクローディアにも分かっている。
男と女に絶対はない。
彼が他の女のものになってしまえば切り札としての価値は薄れる。
それでもクローディアはボルドという人物を試してみたかった。
「それならそれまでよ。どうしても彼を切り札として使わなければならない、という状況ではないわ。今のところね」
そう言うとクローディアはドレスを着飾った姿で椅子から立ち上がる。
「さて、第4王子様のお相手をしないと。アーシュラ。今日はゆっくり休みなさい。それともワタシの代わりにドレスを着て王子と会う?」
「……ご冗談を」
真顔で即答するアーシュラにクローディアは苦笑いした。
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