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第120話 足音なき者
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秋が深まってきた。
朝晩はやや冷える日が増え、遠くに冬の来訪を控えた季節となった。
大陸北部は雪が深くなるため、冬になると交易の中心は南部になる。
必然的に行き交う隊商も大陸南部の移動が多くなり、略奪稼業のダニア本家も活動範囲は南部に限られることとなる。
冬はダニアにとっても実りの少ない季節なのだ。
そんなダニア本家の者たちの間には不文律があった。
彼女たちが略奪をするのは、国同士を往来する貴族間の取引を主に行う大きな隊商相手に限っている。
たとえ自分たちが貧しくとも、農民や寒村の人々からは決して略奪をしない。
これに違反した者はブリジットから厳しく罰せられることとなる。
それには理由があった。
そもそも貧しい者たちから奪えるものは少なく、奪ってしまえばわずかな収穫と引き換えに人々の恨みを買うこととなる。
ダニア本家は王国を後ろ盾とする分家と違って、寄る辺のない流浪の民だ。
大陸中を敵に回せばさすがに立ち行かなくなる。
それゆえにダニアの女たちは貧しい村々にはほとんど関わらなかった。
そうした村の人々にすればダニアはどこか遠くで金持ちを相手に盗みを働く痛快な盗賊団、くらいの認識だろう。
場合によっては寒村を襲う盗賊たちをダニアが追い払うこともあった。
同業者は少ない方がいいし、相手が悪党ならば根絶やしにして全てを奪ってしまっても構わない。
そうした縁からダニアに好意的な見方をする人々もいた。
必要以上に人の恨みを買わないことが、ダニアという一族を長らえさせる。
ブリジットは代々それを守り続けてきたのだ。
「冷えるようになったな……」
大陸中央部の大河のほとり。
その場所にダニア本家が一時的な宿営地を築いていた。
朝、夜明け前に1人、寝室のある天幕から外に出たブリジットは、まだ薄暗い野営地を抜けて、川岸の水辺に立った。
辺りは白い霧が立ち込めている。
ほんの少し前、この時期には珍しく夜鷹が鳴いていたので、ふいに目が覚めたのだ。
ボルドが共にいた頃にはよく2人で聞いた声だった。
胸に残る痛みが再びブリジットを苛んでいた。
ボルドが彼女の元を去ってからもう半年。
彼の夢を見ない日はない。
「ボルド……これから来る冬の寒さをおまえの温もり無しで過ごすのは侘しいな」
そう言った彼女はふいに背後に気配を感じて、腰の剣を抜き放つと即座に振り返った。
そこには黒い頭巾を被った1人の人物が立っていた。
身長はブリジットよりもかなり低いが、体は引き締まった筋肉に覆われている。
何よりこの深い霧の中とはいえ、足音すら立てず気配も悟らせずにここまで近付かれたことに、ブリジットは脅威を感じて鋭い声を発した。
「……何者だ」
ブリジットが剣を手にそう言うと、その者は頭巾を取ってその場に跪き、深く頭を垂れた。
そして武器を持っていないことを示すように両手を地面につける。
それは赤毛に褐色肌のダニアの女だった。
「突然の無礼をお許し下さい。ワタシは分家のアーシュラと申します。我が主クローディアからの内々の便りをお届けにまいりました」
ブリジットは最大限の警戒心を持って剣を握る。
それ以上、一歩でも踏み込めば一瞬にして斬り捨てるぞ。
そうした殺気を感じ取っているのか、アーシュラと名乗る女はピクリとも動かなかった。
「手紙だと? 手紙ならば再三に渡ってクローディアから受け取っている」
クローディアからは以前に会談を求める手紙を正規の伝書鳩により受け取っていた。
だが十刃会の反対もあって、ブリジットは返事を送らずにいたのだ。
その後も同様の文が送られ、手紙は全部で三通になった。
そのどれも分家の総意を示す正式な外交文書であるため、分家の評議会である十血会の押印が成されていた。
だがブリジットの言葉にアーシュラは首を横に振る。
そして彼女は素早い動作で懐から手紙を取り出し、それをブリジットに捧げるように両手で差し出した。
「こちらは非公式の文でございます」
「非公式だと? どういうことだ」
「クローディアにも色々と事情がございまして、十血会を通さずにブリジット様にお伝えしたいお話があるのです」
ブリジットは眉を潜める。
「その口ぶりだと、アタシにだけ知らせたい秘密の話というわけか」
「左様でございます。この手紙の内容は、今はまだご内密に。ブリジット様の胸の内にのみ留め置き下さい」
そう言うとアーシュラは地面に絹織物を思しき布を敷き、その上に手紙を載せると静かに立ち上がる。
その動きにはまったく無駄がなく、彼女は戦士の中でも特別な職務に就いているのだとブリジットはすぐに見抜いた。
どことなく佇まいが亡きリネットに似ている。
「そろそろクローディアもお返事を欲しております。お早いご回答をお願いいたします」
そう言うとアーシュラは立ち込める霧の中へとスッと姿を消していった。
現れた時と同じように足音ひとつ立てずに。
「……相当な手練れだな」
おそらく彼女は単純に戦場で刃を振るう戦士ではない。
今回のような隠密の任務に使われる人材なのだろう。
クローディアからの信任も厚いはずだとブリジットは感じながら、拾い上げた手紙をその場で開く。
アーシュラの言う通り、そこには十血会の押印は見当たらない。
そしてその内容に目を走らせたブリジットは驚きに大きく目を見開いた。
そこに書かれていることが真実だとしたら、現在のダニア本家と分家の在り様が大きく変わることになる。
「クローディア……本気か?」
ブリジットは思わずそう呟きを漏らすと同時に、まだ面識のない分家の女王に会い、その人間性をこの目で見極めたいと思うようになった。
朝晩はやや冷える日が増え、遠くに冬の来訪を控えた季節となった。
大陸北部は雪が深くなるため、冬になると交易の中心は南部になる。
必然的に行き交う隊商も大陸南部の移動が多くなり、略奪稼業のダニア本家も活動範囲は南部に限られることとなる。
冬はダニアにとっても実りの少ない季節なのだ。
そんなダニア本家の者たちの間には不文律があった。
彼女たちが略奪をするのは、国同士を往来する貴族間の取引を主に行う大きな隊商相手に限っている。
たとえ自分たちが貧しくとも、農民や寒村の人々からは決して略奪をしない。
これに違反した者はブリジットから厳しく罰せられることとなる。
それには理由があった。
そもそも貧しい者たちから奪えるものは少なく、奪ってしまえばわずかな収穫と引き換えに人々の恨みを買うこととなる。
ダニア本家は王国を後ろ盾とする分家と違って、寄る辺のない流浪の民だ。
大陸中を敵に回せばさすがに立ち行かなくなる。
それゆえにダニアの女たちは貧しい村々にはほとんど関わらなかった。
そうした村の人々にすればダニアはどこか遠くで金持ちを相手に盗みを働く痛快な盗賊団、くらいの認識だろう。
場合によっては寒村を襲う盗賊たちをダニアが追い払うこともあった。
同業者は少ない方がいいし、相手が悪党ならば根絶やしにして全てを奪ってしまっても構わない。
そうした縁からダニアに好意的な見方をする人々もいた。
必要以上に人の恨みを買わないことが、ダニアという一族を長らえさせる。
ブリジットは代々それを守り続けてきたのだ。
「冷えるようになったな……」
大陸中央部の大河のほとり。
その場所にダニア本家が一時的な宿営地を築いていた。
朝、夜明け前に1人、寝室のある天幕から外に出たブリジットは、まだ薄暗い野営地を抜けて、川岸の水辺に立った。
辺りは白い霧が立ち込めている。
ほんの少し前、この時期には珍しく夜鷹が鳴いていたので、ふいに目が覚めたのだ。
ボルドが共にいた頃にはよく2人で聞いた声だった。
胸に残る痛みが再びブリジットを苛んでいた。
ボルドが彼女の元を去ってからもう半年。
彼の夢を見ない日はない。
「ボルド……これから来る冬の寒さをおまえの温もり無しで過ごすのは侘しいな」
そう言った彼女はふいに背後に気配を感じて、腰の剣を抜き放つと即座に振り返った。
そこには黒い頭巾を被った1人の人物が立っていた。
身長はブリジットよりもかなり低いが、体は引き締まった筋肉に覆われている。
何よりこの深い霧の中とはいえ、足音すら立てず気配も悟らせずにここまで近付かれたことに、ブリジットは脅威を感じて鋭い声を発した。
「……何者だ」
ブリジットが剣を手にそう言うと、その者は頭巾を取ってその場に跪き、深く頭を垂れた。
そして武器を持っていないことを示すように両手を地面につける。
それは赤毛に褐色肌のダニアの女だった。
「突然の無礼をお許し下さい。ワタシは分家のアーシュラと申します。我が主クローディアからの内々の便りをお届けにまいりました」
ブリジットは最大限の警戒心を持って剣を握る。
それ以上、一歩でも踏み込めば一瞬にして斬り捨てるぞ。
そうした殺気を感じ取っているのか、アーシュラと名乗る女はピクリとも動かなかった。
「手紙だと? 手紙ならば再三に渡ってクローディアから受け取っている」
クローディアからは以前に会談を求める手紙を正規の伝書鳩により受け取っていた。
だが十刃会の反対もあって、ブリジットは返事を送らずにいたのだ。
その後も同様の文が送られ、手紙は全部で三通になった。
そのどれも分家の総意を示す正式な外交文書であるため、分家の評議会である十血会の押印が成されていた。
だがブリジットの言葉にアーシュラは首を横に振る。
そして彼女は素早い動作で懐から手紙を取り出し、それをブリジットに捧げるように両手で差し出した。
「こちらは非公式の文でございます」
「非公式だと? どういうことだ」
「クローディアにも色々と事情がございまして、十血会を通さずにブリジット様にお伝えしたいお話があるのです」
ブリジットは眉を潜める。
「その口ぶりだと、アタシにだけ知らせたい秘密の話というわけか」
「左様でございます。この手紙の内容は、今はまだご内密に。ブリジット様の胸の内にのみ留め置き下さい」
そう言うとアーシュラは地面に絹織物を思しき布を敷き、その上に手紙を載せると静かに立ち上がる。
その動きにはまったく無駄がなく、彼女は戦士の中でも特別な職務に就いているのだとブリジットはすぐに見抜いた。
どことなく佇まいが亡きリネットに似ている。
「そろそろクローディアもお返事を欲しております。お早いご回答をお願いいたします」
そう言うとアーシュラは立ち込める霧の中へとスッと姿を消していった。
現れた時と同じように足音ひとつ立てずに。
「……相当な手練れだな」
おそらく彼女は単純に戦場で刃を振るう戦士ではない。
今回のような隠密の任務に使われる人材なのだろう。
クローディアからの信任も厚いはずだとブリジットは感じながら、拾い上げた手紙をその場で開く。
アーシュラの言う通り、そこには十血会の押印は見当たらない。
そしてその内容に目を走らせたブリジットは驚きに大きく目を見開いた。
そこに書かれていることが真実だとしたら、現在のダニア本家と分家の在り様が大きく変わることになる。
「クローディア……本気か?」
ブリジットは思わずそう呟きを漏らすと同時に、まだ面識のない分家の女王に会い、その人間性をこの目で見極めたいと思うようになった。
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