蛮族女王の情夫《ジゴロ》 第二部【クローディアの章】

枕崎 純之助

文字の大きさ
上 下
6 / 100

第106話 目覚め

しおりを挟む
「……うぅ」

 何かの物音を聞き、目が覚めた。
 目を開くと若い女性が自分を見下ろしている。
 ボルドは今が何時いつでここが何処どこで自分が何をしているのか分からず、目をしばたかせた。
 その若い女性は頭に紺色のベールを被って髪を隠した修道女だった。
 修道女はボルドが目覚めたのを見ると穏やかな笑みを浮かべる。

「お目覚めね。寝坊助ねぼすけさん」

 見たことのない顔だった。
 ボルドは身を起こそうとしたが、両手両足が激しく痛んで動けない。
 その口から苦痛のうめき声がれる。

「ううっ……」
「両手と両足が折れているのよ。無理して動こうとしないことね。おとなしくしていなさい」

 そう言うと修道女は座っていた椅子いすから立ち上がり、部屋の奥にあるすだれの向こう側へと歩いていった。
 1人残されたボルドは自分の体を見る。
 体は動きやすい麻の服を着せられていた。
 記憶にない服だ。
 そして両腕両足には副木そえぎが当てられて包帯を巻かれ、動かしにくい。

(両腕と両足が折れている? 一体何が……)

 ボルドは頭の中を整理するように静かに目を閉じる。
 すると曖昧あいまいだった記憶が徐々につながりよみがえってきた。

(そうだ。あのがけから落ちて……)

 ボルドの脳裏に様々な光景が浮かんでは消える。
 天命のいただき
 処刑台。
 高所から落下する恐怖。

 そして……愛しい女性の悲しげな顔と、谷に響いた彼女の悲痛な叫び声。
 ボルドはがけから落ちてすぐに気を失ったが、彼女が自分の名を叫ぶその声は聞こえたような気がした。

「ブリジット……」

 思わず小声でその名を口にし、ボルドはすぐにだまり込む。
 そして部屋の中を見回した。
 そこはこじんまりとした小さな小屋の中のようだ。
 先程の修道女以外には人の気配がない。

(ここは? なぜ自分は生きているんだろうか……)

 すぐには状況が飲み込めなかった。
 自分が本当に生きているかどうかも現実感がない。
 死の間際まぎわの短い夢でも見ているような気がする。
 どう考えてもあの高さのがけから落ちて助かるとは思えなかった。

 ボルドはくちびるを強めにみ、その痛みを確かめる。
 そんなことをしているうちに戻ってきた修道女はぼんの上に食器と茶器を乗せていた。
 塩気のあるスープのにおいとハーブの効いた茶の香りがボルドの鼻腔びこうをくすぐる。
 途端とたんに猛烈な空腹感に襲われた。

「あなたが寝ている間、真水と薄い塩水だけは飲ませていたけれど、ちゃんと食事をするのはしばらくぶりだろうから、ゆっくりと少しずつ食べなさい」

 そう言うと修道女はベッド脇の机にぼんを置く。
 そしてさじでスープをすくうと、それをボルドの口元に運んだ。

「え? あ、あの……」

 困惑するボルドだが修道女は構わずにボルドの口にさじを近付ける。
 
「いいから。ちゃんと栄養をとらないと、その腕も足も治らないわよ」

 ボルドは戸惑いながらも目の前に差し出されるさじからただよう魅惑的なにおいにあらがえず、これを口に含んだ。
 途端とたんに野菜の甘みとほどよい塩味が口の中に広がり、ボルドはじんわりと幸福感が体に染み込んでいくのを感じた。
 そこからは修道女が次々と運ぶさじ黙々もくもくと口にふくむ時間が続き、ボルドはすぐにスープを飲み干してしまった。

「足りなければもっと持ってくるけれど?」
「いえ、もう……大丈夫です。ありがとうございます」

 決して空腹が満たされる量ではなかったが、食事をしただけでボルドはひどく疲れてしまった。
 どうやら相当に体が弱っているようだ。

「そう。多分、久々の食事だから胃が疲れるだろうし、このくらいにしておいたほうがいいかもしれないわね」
「あの……ありがとうございます。どうして私はここにいるんでしょうか?」

 そう言うボルドのほうけたような表情がおかしかったのか、修道女はクスリと笑った。

「あなたはワタシが住んでいた街に運び込まれてきたのよ。川に浮かんでいたところをワタシの従姉妹いとこが助け出してね。でも街に連れてきたはいいけど、従姉妹いとこは仕事が忙しくて面倒見られないっていうから、ワタシが預かったわけ」

 川に浮かんでいた。
 その言葉に自分が谷から落ちた後、どういうわけか川に着水して命が助かったことをボルドは悟った。
 自分の両腕と両足の骨折はその時の衝撃によるものだろうと想像はつく。
 ボルドは自分の奇妙な運に何と言っていいのか分からず、押しだまった。

(死ぬつもりだった……でも、生き長らえてしまった)

 ボルドは頭の中が真っ白になった。
 ここから先、どのようにしていけばいいのか分からずに彼は困惑の表情で修道女を見つめる。

「あの……どうして私を助けて下さるんですか?」

 そうたずねるボルドに修道女はあっけらかんとした顔で答えた。

「ワタシ修道女だから人助けが仕事だしね。それにあなたには手伝ってほしい仕事があるのよ」
「仕事?」
「そう。まあ、まずは体を治しなさい。あなた名前は?」

 名前。
 それを聞かれて彼は思わずボルドと名乗ろうとした。
 それは自分の本当の名ではないのだが、ブリジットがつけてくれた大事な名前でもあった。
 そしてボルドはここでその名を名乗るのはまずいのではないかと思い、咄嗟とっさに元々の名を名乗った。

「ボ、ボールドウィン……です」
「ボールドウィンね。ワタシはレジーナ。よろしくね」

 そう言うと修道女のレジーナはおだやかに微笑んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

運命は、手に入れられなかったけれど

夕立悠理
恋愛
竜王の運命。……それは、アドルリア王国の王である竜王の唯一の妃を指す。 けれど、ラファリアは、運命に選ばれなかった。選ばれたのはラファリアの友人のマーガレットだった。 愛し合う竜王レガレスとマーガレットをこれ以上見ていられなくなったラファリアは、城を出ることにする。 すると、なぜか、王国に繁栄をもたらす聖花の一部が枯れてしまい、竜王レガレスにも不調が出始めーー。 一方、城をでて開放感でいっぱいのラファリアは、初めて酒場でお酒を飲み、そこで謎の青年と出会う。 運命を間違えてしまった竜王レガレスと、腕のいい花奏師のラファリアと、謎の青年(魔王)との、運命をめぐる恋の話。 ※カクヨム様でも連載しています。 そちらが一番早いです。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

【完結】貴方が幼馴染と依存し合っているのでそろそろ婚約破棄をしましょう。

恋愛
「すまないシャロン、エマの元に行かなくてはならない」 いつだって幼馴染を優先する婚約者。二人の関係は共依存にも近いほど泥沼化しておりそれに毎度振り回されていた公爵令嬢のシャロン。そんな二人の関係を黙ってやり過ごしていたが、ついに堪忍袋の尾が切れて婚約破棄を目論む。 伯爵家の次男坊である彼は爵位を持たない、だから何としても公爵家に婿に来ようとしていたのは分かっていたが…… 「流石に付き合い切れないわね、こんな茶番劇」 愛し合う者同士、どうぞ勝手にしてください。

妹が聖女の再来と呼ばれているようです

田尾風香
ファンタジー
ダンジョンのある辺境の地で回復術士として働いていたけど、父に呼び戻されてモンテリーノ学校に入学した。そこには、私の婚約者であるファルター殿下と、腹違いの妹であるピーアがいたんだけど。 「マレン・メクレンブルク! 貴様とは婚約破棄する!」  どうやらファルター殿下は、"低能"と呼ばれている私じゃなく、"聖女の再来"とまで呼ばれるくらいに成績の良い妹と婚約したいらしい。 それは別に構わない。国王陛下の裁定で無事に婚約破棄が成った直後、私に婚約を申し込んできたのは、辺境の地で一緒だったハインリヒ様だった。 戸惑う日々を送る私を余所に、事件が起こる。――学校に、ダンジョンが出現したのだった。 更新は不定期です。

【完結】転生地味悪役令嬢は婚約者と男好きヒロイン諸共無視しまくる。

なーさ
恋愛
アイドルオタクの地味女子 水上羽月はある日推しが轢かれそうになるのを助けて死んでしまう。そのことを不憫に思った女神が「あなた、可哀想だから転生!」「え?」なんの因果か異世界に転生してしまう!転生したのは地味な公爵令嬢レフカ・エミリーだった。目が覚めると私の周りを大人が囲っていた。婚約者の第一王子も男好きヒロインも無視します!今世はうーん小説にでも生きようかな〜と思ったらあれ?あの人は前世の推しでは!?地味令嬢のエミリーが知らず知らずのうちに戦ったり溺愛されたりするお話。 本当に駄文です。そんなものでも読んでお気に入り登録していただけたら嬉しいです!

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです

新条 カイ
恋愛
 ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。  それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?  将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!? 婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。  ■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…) ■■

処理中です...