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第一幕 金色の愛
第19話 女王の不安
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夕刻、ブリジットは会議を終えて私邸に戻った。
そしてその足でまっすぐにボルドの個室に向かおうとした。
昨夜のことをきちんと謝りたい。
そして一刻も早く笑い合って過ごしたい。
だが、ブリジットを出迎えた小姓たちはその表情を曇らせて言う。
「ボルド様が助産師のところへ出かけたまま、まだ戻っていらっしゃいません」
「なに? 助産師のところへ? あいつは何をしに……」
そこまで言いかけてブリジットはすぐに気が付いた。
生真面目な彼のことだから、昨夜のことを助産師に相談しに行ったのだろう。
「ボルドはいつくらいに出かけたのだ?」
「昼食の後すぐに」
それにしては戻りが遅すぎる。
そう思ったブリジットは不安に襲われた。
(昨夜のことを気にかけて……まさかあいつ、戻らないつもりじゃ……)
ブリジットはすぐに踵を返して出て行こうとするが、下腹部が張って痛みを感じ、顔をしかめて思わず立ち止まる。
それを見た小姓たちが慌てて彼女を引き留めた。
「いけませんブリジット。お体に障ります」
「ボルド様のことはすでに人を向かわせておりますので」
すぐにでも追いかけて自分で彼を探しに行きたいブリジットだが、腹部の張りと痛みが少しだけ強くなったため仕方なく自室に戻る。
部屋で少し休むと、張りと痛みは徐々に和らいでいった。
だが、不安な気持ちは消えなかった。
自分は思っていた以上にボルドに負担をかけていたのではないか。
そしてそうしたものがボルドの心に積み重なり、彼が限界を迎えてしまったのではないか。
そうした嫌な考えが頭にこびりついて離れなかった。
もちろんブリジットはボルドの愛を信じている。
だが、それは何をしても失われない永遠不変のものではないのだ。
自分が彼の愛に胡座をかいてしまえば、それは形を歪に変えてしまうかもしれない。
初めての妊娠はブリジットにとって喜ばしいだけでなく、不安なこともたくさんあった。
だが、不安なのは自分だけではないのだ。
ブリジットのことを我が身以上に考えてくれるボルドもまた不安なはずなのだ。
そのことをしっかり考えてきた……そう胸を張って言える自信がブリジットにはなかった。
(ボルド……戻って来てくれ)
かつて彼と永遠の別れを迎えたと思い込み、絶望した時のことが胸に甦る。
ボルドが奥の里の山頂にある『天命の頂』から崖下に向かって身を投げた時のことだ。
彼が死んだものと思って過ごしたあの数ヶ月はブリジットにとって灰色の時間だった。
あの頃は何を食べても砂のような味にしか感じられなかったし、一度としてきちんと眠れたことはなかった。
あまりに辛過ぎて、その頃の記憶をほとんど覚えていないくらいだ。
ボルドが生きて戻って来てくれた時、止まったままのブリジットの時間がようやく動き出した。
ボルドを失うことはブリジットにとって、己の魂が死んでしまうほど辛いことなのだ。
(それなのに……アタシはどうしてもっとボルドを大事にしないんだ)
ブリジットは膨らんできている腹を撫でながら呟きを漏らす。
「頼りない母ですまないな」
その時だった。
1階の玄関口から小姓らの騒がしい声が聞こえてきた。
それに混じって聞き慣れた愛しい男の声が聞こえてきたので、ブリジットはいてもたってもいられなくなり、急いで部屋を出た。
「ボルド!」
声を上げながらブリジットは階下に降りていく。
すると1階では小姓たちが帰宅の遅れたボルドを𠮟りつけているとことだった。
ブリジットがそこに姿を現すと、小姓らはサッと脇に退き、頭を垂れて控えた。
ボルドも深々と頭を下げた。
「ブリジット。遅くなりまして申し訳……」
そこでブリジットは彼に歩み寄り、その顔を胸に埋めるように抱いた。
「ボルド。ゆうべはすまなかった。おまえに負担ばかりかけているのに、アタシは自分の思いばかり押し付けて……。あんな言い方をしてしまったこと、許してくれ」
ボルドは突然の抱擁とブリジットの思わぬ言葉に驚いて目を白黒させたが、彼はブリジットの手が小刻みに震えていることに気付くと彼女を抱きしめ返した。
「遅くなりまして申し訳ございません。お部屋でお話しいたしましょう。ブリジット」
そう言うとボルドは小姓たちに目礼し、ブリジットには優しい笑みを向ける。
そしてブリジットを促して彼女の自室へと上がっていくのだった。
そしてその足でまっすぐにボルドの個室に向かおうとした。
昨夜のことをきちんと謝りたい。
そして一刻も早く笑い合って過ごしたい。
だが、ブリジットを出迎えた小姓たちはその表情を曇らせて言う。
「ボルド様が助産師のところへ出かけたまま、まだ戻っていらっしゃいません」
「なに? 助産師のところへ? あいつは何をしに……」
そこまで言いかけてブリジットはすぐに気が付いた。
生真面目な彼のことだから、昨夜のことを助産師に相談しに行ったのだろう。
「ボルドはいつくらいに出かけたのだ?」
「昼食の後すぐに」
それにしては戻りが遅すぎる。
そう思ったブリジットは不安に襲われた。
(昨夜のことを気にかけて……まさかあいつ、戻らないつもりじゃ……)
ブリジットはすぐに踵を返して出て行こうとするが、下腹部が張って痛みを感じ、顔をしかめて思わず立ち止まる。
それを見た小姓たちが慌てて彼女を引き留めた。
「いけませんブリジット。お体に障ります」
「ボルド様のことはすでに人を向かわせておりますので」
すぐにでも追いかけて自分で彼を探しに行きたいブリジットだが、腹部の張りと痛みが少しだけ強くなったため仕方なく自室に戻る。
部屋で少し休むと、張りと痛みは徐々に和らいでいった。
だが、不安な気持ちは消えなかった。
自分は思っていた以上にボルドに負担をかけていたのではないか。
そしてそうしたものがボルドの心に積み重なり、彼が限界を迎えてしまったのではないか。
そうした嫌な考えが頭にこびりついて離れなかった。
もちろんブリジットはボルドの愛を信じている。
だが、それは何をしても失われない永遠不変のものではないのだ。
自分が彼の愛に胡座をかいてしまえば、それは形を歪に変えてしまうかもしれない。
初めての妊娠はブリジットにとって喜ばしいだけでなく、不安なこともたくさんあった。
だが、不安なのは自分だけではないのだ。
ブリジットのことを我が身以上に考えてくれるボルドもまた不安なはずなのだ。
そのことをしっかり考えてきた……そう胸を張って言える自信がブリジットにはなかった。
(ボルド……戻って来てくれ)
かつて彼と永遠の別れを迎えたと思い込み、絶望した時のことが胸に甦る。
ボルドが奥の里の山頂にある『天命の頂』から崖下に向かって身を投げた時のことだ。
彼が死んだものと思って過ごしたあの数ヶ月はブリジットにとって灰色の時間だった。
あの頃は何を食べても砂のような味にしか感じられなかったし、一度としてきちんと眠れたことはなかった。
あまりに辛過ぎて、その頃の記憶をほとんど覚えていないくらいだ。
ボルドが生きて戻って来てくれた時、止まったままのブリジットの時間がようやく動き出した。
ボルドを失うことはブリジットにとって、己の魂が死んでしまうほど辛いことなのだ。
(それなのに……アタシはどうしてもっとボルドを大事にしないんだ)
ブリジットは膨らんできている腹を撫でながら呟きを漏らす。
「頼りない母ですまないな」
その時だった。
1階の玄関口から小姓らの騒がしい声が聞こえてきた。
それに混じって聞き慣れた愛しい男の声が聞こえてきたので、ブリジットはいてもたってもいられなくなり、急いで部屋を出た。
「ボルド!」
声を上げながらブリジットは階下に降りていく。
すると1階では小姓たちが帰宅の遅れたボルドを𠮟りつけているとことだった。
ブリジットがそこに姿を現すと、小姓らはサッと脇に退き、頭を垂れて控えた。
ボルドも深々と頭を下げた。
「ブリジット。遅くなりまして申し訳……」
そこでブリジットは彼に歩み寄り、その顔を胸に埋めるように抱いた。
「ボルド。ゆうべはすまなかった。おまえに負担ばかりかけているのに、アタシは自分の思いばかり押し付けて……。あんな言い方をしてしまったこと、許してくれ」
ボルドは突然の抱擁とブリジットの思わぬ言葉に驚いて目を白黒させたが、彼はブリジットの手が小刻みに震えていることに気付くと彼女を抱きしめ返した。
「遅くなりまして申し訳ございません。お部屋でお話しいたしましょう。ブリジット」
そう言うとボルドは小姓たちに目礼し、ブリジットには優しい笑みを向ける。
そしてブリジットを促して彼女の自室へと上がっていくのだった。
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