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第1話 起の巻 『凍結チョコレート』
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「ア、アアア、アル君! こ、これを……受け取って下ひゃいっ!」
しどろもどろにそう言うと、アリアナは手に持った綺麗な包み紙に包まれた物を僕に差し出した。
砂漠都市ジェルスレイムでの大騒動が終わってからしばらく経った2月のこと。
この闇の洞窟に暮らす下級兵士のNPCである僕は、同居人の1人である魔道拳士の少女・アリアナが唐突に差し出してきたその包み紙に目を奪われた。
「え? これは?」
アリアナが差し出したそれはオシャレな水色のリボンが掛けられたクリーム色の包装紙で包まれている。
な、何だろう?
「わ、私が作ったの。チョ……チョ……チョコレート!」
「チョコレート?」
そう言って僕がキョトンとしていると、アリアナは焦れたようにチョコを胸に抱えて僕を見つめる。
「アル君。今日が何の日か知らないの?」
「知ってるよ。2月14日のバレンタイン・デー……ん?」
「そ、そうだよ。だからコレ、アル君に渡そうと思って私が作ってきたの」
ファッ?
な、何ですと?
「えっ? ぼ、ぼぼぼぼ……僕に?」
落ち着け僕。
声がニワトリのようにひっくり返ってるぞ。
いやしかしこれは何かの間違いでは?
確かに僕だって2月14日がどんな日か知ってるよ。
あれでしょ?
勝ち組の男子が女子からもらったチョコをいっぱい食べて血糖値が上がりまくる日だよね。
え?
微妙に違う?
まあともかく、僕みたいな底辺男子には参加資格のない日だということだけは分かる。
だって生まれてから今日まで一度ももらったことないし。
バレンタイン・チョコなんて遠い異国の見たこともないお菓子のようなものだと思っていたけれど……。
もし僕に誰かがチョコをくれるとしたら、絶対それは僕をからかうために激辛香辛料とかが混ぜられたドッキリ企画の罠に違いないと思ってるし。
僕は生唾を飲み込んでアリアナをマジマジと見つめた。
「マ、マジですか?」
アリアナは顔を真っ赤に染めてコクコクと何度も頷いた。
どうやらマジらしい。
そうだよね。
アリアナが僕を何かの罠にハメようとするわけないもんね。
僕みたいな冴えない男にくれるってんだから、ありがたく受け取らないと。
僕は緊張でカチカチになる体を動かして、ぎこちなく手を差し出した。
「あ、ありがたき幸せ。つ、謹んで頂戴し候」
どこのサムライだ。
「じ、人生初のチョコ作りだったから絶対おいしくないと思うけど……は、初めてはアル君にもらってほしくて」
アリアナは途切れ途切れにそう言いながら、やはりぎこちなくチョコを差し出した。
僕はそれを恭しく受け取って……。
「ヒエッ!」
それが手に触れた途端、あまりの冷たさに落としてしまった。
ああっ!
何やってんだ僕は!
チョコは地面に落ちる寸前で何とかアリアナがキャッチしてくれたけど、そのチョコを手にした途端に彼女の顔が青ざめて引きつった。
な、何てことをしてしまったんだ僕は。
「ご、ごめんね。せっかくアリアナがくれたチョコを落とすなんて僕……」
「違うのアル君。私のせいなの。せっかく作ったのに、私が緊張してずっと握りしめていたから……」
そう言うアリアナの手の中でチョコの包装紙はいつの間にか真っ白に凍結していた。
アリアナはランクAの優秀な氷の魔道拳士なんだけど、どうやら緊張で知らず知らずのうちに持っているチョコを凍らせてしまったみたいだ。
「こ、こんなんじゃアル君に渡せない」
「い、いや。もらうよ。せっかくアリアナが作ってくれたんだ。凍ってたって僕は食べるよ!」
そう言って僕は手がしもやけになりそうなのも堪えてチョコを受け取った。
くぅぅぅぅ!
まるで真冬の寒空の下で氷を素手で掴んでいるかのように、冷たいというよりもはや手が痛い。
そして凍りついてしまっているせいで、包装が開けられない。
永久凍土というスキルを持つアリアナが作り出す凍気はすさまじく、その氷はちょっとやそっとじゃ解けやしないんだ。
だけど僕が悪戦苦闘する様子をアリアナは涙目で見つめている。
くっ!
期待に応えねば!
僕は手に力を込めて包装を開けにかかる。
今こそ男らしく力を見せる時だ。
「ふぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
無理っ!
チョコの凍結具合は半端じゃなく、この包みはもうちょっとした鈍器だった。
これで釘が打てます。
見かねたアリアナが言う。
「ごめんねアル君。気にしなくていいから、もうそれは……捨てて下さい!」
「ああっ! アリアナ!」
アリアナは止める間もなく泣きながら走り去ってしまった。
とても追いつけないほどの高速で駆けていってしまったアリアナに置き去りにされた僕の背後から呆れたような声がかかる。
「何やってんだか。あのオトボケ拳士は」
振り返るとそこにはこの闇の洞窟の主にして僕の長年の友達、闇の魔女ミランダが立っていた。
「ミ、ミランダ……もしかして見てた?」
「ええ。一部始終をね。何を騒いでいるのかと思ったら。アリアナったら」
そう言って舌打ちをするミランダをよそに僕はアイテム・ストックから防寒用の手袋を取り出した。
せっかくもらったアリアナのチョコだけど、あまりに冷たすぎてこれ以上はとても素手で持っていられない。
そんな僕の手の中のチョコをミランダはじいっと見つめた。
その視線に僕はなぜだかオドオドしてしまい、思わず声を上ずらせる。
「な、なに?」
「別に。良かったわね。生まれて初めてバレンタイン・チョコもらえて」
ミランダは素っ気ない顔でそう言うとサッサと自分の定位置である闇の玉座へと戻って行こうとする。
僕は思わずその背中に声をかけた。
「ま、待ってミランダ。このチョコ、見ての通りなんだけど、どうやって食べたらいいと思う?」
僕の言葉にミランダは振り返り、ギロリと怖い顔で睨み付けてくる。
「あんたねえ。自分がもらったチョコなんだから食べ方くらい自分でどうにかしなさいよ。私の黒炎弾で溶かしてほしいわけ?」
そ、それはまずい。
チョコが溶けるどころか、包装紙ごと跡形もなく吹き飛んでしまう。
それにしてもミランダ。
何だか今日は素っ気ないというか冷たいというか。
いやまあ彼女が優しかったり愛想が良かったら逆に怖いけど。
とにかくこれ以上はやめたほうがいいな。
「ご、ごめん。自分で考えるよ」
そう言った僕はふと気が付いた。
ミランダがいつもの黒衣の上に装飾品をいくつも付けているのを。
あれはヨソ行き用の格好だ。
「ミランダ? どこかに出かけるの?」
「ええ。『血のバレンタイン』とかいう出張イベントがあって、今から隣町まで出かけてくるのよ。あんたには言ってなかったわね」
ち、血のバレンタイン?
物騒なその名称だけで、どんなイベントなんだか何となく想像がつくよ。
ミランダが大暴れをして街に血の雨を降らせるんだな。
甘いはずの日にまったく甘くなさそうなイベントだ。
これはミランダの家来、いや同僚として彼女がやり過ぎないよう同行して目を光らせていなければ。
「ぼ、僕も行くよミランダ」
「来なくていいわよ。あんたは留守番してなさい」
「えっ? で、でも……」
「いいから。ついてこないこと。分かったわね」
ミランダは念を押すようにそう言うと、サッサと身支度を済ませてそそくさと出かけて行った。
めずらしいな。
いつもだったら問答無用でついて来いとか言うのに。
もしかしてミランダ……機嫌が悪いのかな。
いや、不機嫌なのはいつものことなんたけど、今日は何だかいつもと違ってよそよそしい感じだった。
1人残された僕はどうにもモヤモヤとした気持ちを処理できず、主人のいなくなった闇の玉座を見つめる。
「静かになっちゃったな」
いつもはミランダ、アリアナに加えて光の聖女ジェネットもいるから、とても賑やかなこの場所なんたけど、今日ジェネットは城下町で催されている『真冬の火祭り』というチャリティー・イベントに出席しているため終日不在だった。
僕は静かにため息をつくと、手の中の凍結チョコをじっと見つめる。
「そうだよね。僕がアリアナからもらったんだから、僕が責任持って何とかしないと」
でも一体どうすれば……ん?
僕はあることを思い付いて顔を上げた。
「真冬の火祭りか……ひょっとしたらいけるかもしれない」
善は急げだ。
そう考えた僕は即座に行動に移した。
運営本部へ外出申請を出し、ほどなくして許可を得る。
それからおよそ一時間後……。
「うわぁ。予想はしてたけど、すごい人だかりだな」
闇の洞窟を出発した僕は、王城を中心として栄える城下町に到着していた。
王城の下級兵士である僕にとっての本来の主はこの街の王様だ。
この街にもちょくちょく訪れていて、僕にとっては第2の本拠地だった。
開かれた大門をくぐって城下町へ入ると、街の中はいつも以上に大勢の人でごった返していた。
「やっぱりバレンタイン・デーって感じだな」
人だかりの中の多くは、手にチョコらしき包みを抱えた若い女性だった。
周囲を見回すと、同じようにオシャレな手提げ袋を手にした女性たちがせわしなく道を行き交っている。
そしてどこかそわそわとして道を行き来する男性たちも多い。
むぅ。
世の中にはこんなにもリア充人口が溢れているのか。
いつもはまったく僕には関係のない世界だから気にすることもなかったけれど、こういうイベントごとって世の中を大きく動かしているんだなぁ。
まあ、今年は僕も当事者なのか。
自分がそうなるとはまったく想像していなかったから、嬉しいというより不慣れなことへの戸惑いのほうが大きいけれど。
さて、僕も目的の場所を目指さなければ。
僕がこの城下町にやってきたのは、ジェネットも参加しているチャリティー・イベント『真冬の火祭り』の会場に向かうためだった。
そこでは数々の鍛冶職人たちが簡易的な炉に火を入れて、金属鍛造の実演をしたり、炎の魔法が得意な各種のNPCたちが火を使った演出や大道芸などで祭りを盛り上げるらしい。
そして暖かなスープや食べ物などが炊き出しとして提供され、さらには熱を利用して菓子職人たちが各種のお菓子を作って振る舞ってくれるらしい。
寒いこの季節には本当にありがたいお祭りだ。
僕がそこに向かうのは、今も僕のアイテム・ストックの中で凍り続けているアリアナのチョコを何とか食べられる状態にしてもらうためだった。
実は闇の洞窟で運営本部からの外出許可を待っている間、僕は試しに洞窟の壁にかけられた篝火でチョコを溶かしてみようと思ったんだ。
だけどアリアナが凍り付かせたチョコは多少火に近付けたくらいじゃ、まったく溶ける気配がなかった。
かといってあまり火に近付けすぎるとチョコがドロドロに溶けてダメになっちゃうかもしれない。
そして調べてみたんだけど、チョコはあまり高温で溶かすと再度固めるときにちゃんと固まらなかったりするらしい。
お菓子作りの知識がない僕が、下手にいじってせっかくのアリアナのチョコを台無しにしてしまうわけにはいかない。
だから火祭りでちゃんと菓子職人にお願いしようと思って、ここへやってきたんだ。
うまくアリアナのチョコが元通りになればいいんだけど……。
そんなことを考えながら僕は城下町を進み、イベントの開かれている中央公園へと向かった。
と、その時、ふいに背中から誰かにぶつかられたんだ。
「っと」
驚いて僕が振り返るとそこにはまだ小さな女の子が立っていた。
しどろもどろにそう言うと、アリアナは手に持った綺麗な包み紙に包まれた物を僕に差し出した。
砂漠都市ジェルスレイムでの大騒動が終わってからしばらく経った2月のこと。
この闇の洞窟に暮らす下級兵士のNPCである僕は、同居人の1人である魔道拳士の少女・アリアナが唐突に差し出してきたその包み紙に目を奪われた。
「え? これは?」
アリアナが差し出したそれはオシャレな水色のリボンが掛けられたクリーム色の包装紙で包まれている。
な、何だろう?
「わ、私が作ったの。チョ……チョ……チョコレート!」
「チョコレート?」
そう言って僕がキョトンとしていると、アリアナは焦れたようにチョコを胸に抱えて僕を見つめる。
「アル君。今日が何の日か知らないの?」
「知ってるよ。2月14日のバレンタイン・デー……ん?」
「そ、そうだよ。だからコレ、アル君に渡そうと思って私が作ってきたの」
ファッ?
な、何ですと?
「えっ? ぼ、ぼぼぼぼ……僕に?」
落ち着け僕。
声がニワトリのようにひっくり返ってるぞ。
いやしかしこれは何かの間違いでは?
確かに僕だって2月14日がどんな日か知ってるよ。
あれでしょ?
勝ち組の男子が女子からもらったチョコをいっぱい食べて血糖値が上がりまくる日だよね。
え?
微妙に違う?
まあともかく、僕みたいな底辺男子には参加資格のない日だということだけは分かる。
だって生まれてから今日まで一度ももらったことないし。
バレンタイン・チョコなんて遠い異国の見たこともないお菓子のようなものだと思っていたけれど……。
もし僕に誰かがチョコをくれるとしたら、絶対それは僕をからかうために激辛香辛料とかが混ぜられたドッキリ企画の罠に違いないと思ってるし。
僕は生唾を飲み込んでアリアナをマジマジと見つめた。
「マ、マジですか?」
アリアナは顔を真っ赤に染めてコクコクと何度も頷いた。
どうやらマジらしい。
そうだよね。
アリアナが僕を何かの罠にハメようとするわけないもんね。
僕みたいな冴えない男にくれるってんだから、ありがたく受け取らないと。
僕は緊張でカチカチになる体を動かして、ぎこちなく手を差し出した。
「あ、ありがたき幸せ。つ、謹んで頂戴し候」
どこのサムライだ。
「じ、人生初のチョコ作りだったから絶対おいしくないと思うけど……は、初めてはアル君にもらってほしくて」
アリアナは途切れ途切れにそう言いながら、やはりぎこちなくチョコを差し出した。
僕はそれを恭しく受け取って……。
「ヒエッ!」
それが手に触れた途端、あまりの冷たさに落としてしまった。
ああっ!
何やってんだ僕は!
チョコは地面に落ちる寸前で何とかアリアナがキャッチしてくれたけど、そのチョコを手にした途端に彼女の顔が青ざめて引きつった。
な、何てことをしてしまったんだ僕は。
「ご、ごめんね。せっかくアリアナがくれたチョコを落とすなんて僕……」
「違うのアル君。私のせいなの。せっかく作ったのに、私が緊張してずっと握りしめていたから……」
そう言うアリアナの手の中でチョコの包装紙はいつの間にか真っ白に凍結していた。
アリアナはランクAの優秀な氷の魔道拳士なんだけど、どうやら緊張で知らず知らずのうちに持っているチョコを凍らせてしまったみたいだ。
「こ、こんなんじゃアル君に渡せない」
「い、いや。もらうよ。せっかくアリアナが作ってくれたんだ。凍ってたって僕は食べるよ!」
そう言って僕は手がしもやけになりそうなのも堪えてチョコを受け取った。
くぅぅぅぅ!
まるで真冬の寒空の下で氷を素手で掴んでいるかのように、冷たいというよりもはや手が痛い。
そして凍りついてしまっているせいで、包装が開けられない。
永久凍土というスキルを持つアリアナが作り出す凍気はすさまじく、その氷はちょっとやそっとじゃ解けやしないんだ。
だけど僕が悪戦苦闘する様子をアリアナは涙目で見つめている。
くっ!
期待に応えねば!
僕は手に力を込めて包装を開けにかかる。
今こそ男らしく力を見せる時だ。
「ふぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
無理っ!
チョコの凍結具合は半端じゃなく、この包みはもうちょっとした鈍器だった。
これで釘が打てます。
見かねたアリアナが言う。
「ごめんねアル君。気にしなくていいから、もうそれは……捨てて下さい!」
「ああっ! アリアナ!」
アリアナは止める間もなく泣きながら走り去ってしまった。
とても追いつけないほどの高速で駆けていってしまったアリアナに置き去りにされた僕の背後から呆れたような声がかかる。
「何やってんだか。あのオトボケ拳士は」
振り返るとそこにはこの闇の洞窟の主にして僕の長年の友達、闇の魔女ミランダが立っていた。
「ミ、ミランダ……もしかして見てた?」
「ええ。一部始終をね。何を騒いでいるのかと思ったら。アリアナったら」
そう言って舌打ちをするミランダをよそに僕はアイテム・ストックから防寒用の手袋を取り出した。
せっかくもらったアリアナのチョコだけど、あまりに冷たすぎてこれ以上はとても素手で持っていられない。
そんな僕の手の中のチョコをミランダはじいっと見つめた。
その視線に僕はなぜだかオドオドしてしまい、思わず声を上ずらせる。
「な、なに?」
「別に。良かったわね。生まれて初めてバレンタイン・チョコもらえて」
ミランダは素っ気ない顔でそう言うとサッサと自分の定位置である闇の玉座へと戻って行こうとする。
僕は思わずその背中に声をかけた。
「ま、待ってミランダ。このチョコ、見ての通りなんだけど、どうやって食べたらいいと思う?」
僕の言葉にミランダは振り返り、ギロリと怖い顔で睨み付けてくる。
「あんたねえ。自分がもらったチョコなんだから食べ方くらい自分でどうにかしなさいよ。私の黒炎弾で溶かしてほしいわけ?」
そ、それはまずい。
チョコが溶けるどころか、包装紙ごと跡形もなく吹き飛んでしまう。
それにしてもミランダ。
何だか今日は素っ気ないというか冷たいというか。
いやまあ彼女が優しかったり愛想が良かったら逆に怖いけど。
とにかくこれ以上はやめたほうがいいな。
「ご、ごめん。自分で考えるよ」
そう言った僕はふと気が付いた。
ミランダがいつもの黒衣の上に装飾品をいくつも付けているのを。
あれはヨソ行き用の格好だ。
「ミランダ? どこかに出かけるの?」
「ええ。『血のバレンタイン』とかいう出張イベントがあって、今から隣町まで出かけてくるのよ。あんたには言ってなかったわね」
ち、血のバレンタイン?
物騒なその名称だけで、どんなイベントなんだか何となく想像がつくよ。
ミランダが大暴れをして街に血の雨を降らせるんだな。
甘いはずの日にまったく甘くなさそうなイベントだ。
これはミランダの家来、いや同僚として彼女がやり過ぎないよう同行して目を光らせていなければ。
「ぼ、僕も行くよミランダ」
「来なくていいわよ。あんたは留守番してなさい」
「えっ? で、でも……」
「いいから。ついてこないこと。分かったわね」
ミランダは念を押すようにそう言うと、サッサと身支度を済ませてそそくさと出かけて行った。
めずらしいな。
いつもだったら問答無用でついて来いとか言うのに。
もしかしてミランダ……機嫌が悪いのかな。
いや、不機嫌なのはいつものことなんたけど、今日は何だかいつもと違ってよそよそしい感じだった。
1人残された僕はどうにもモヤモヤとした気持ちを処理できず、主人のいなくなった闇の玉座を見つめる。
「静かになっちゃったな」
いつもはミランダ、アリアナに加えて光の聖女ジェネットもいるから、とても賑やかなこの場所なんたけど、今日ジェネットは城下町で催されている『真冬の火祭り』というチャリティー・イベントに出席しているため終日不在だった。
僕は静かにため息をつくと、手の中の凍結チョコをじっと見つめる。
「そうだよね。僕がアリアナからもらったんだから、僕が責任持って何とかしないと」
でも一体どうすれば……ん?
僕はあることを思い付いて顔を上げた。
「真冬の火祭りか……ひょっとしたらいけるかもしれない」
善は急げだ。
そう考えた僕は即座に行動に移した。
運営本部へ外出申請を出し、ほどなくして許可を得る。
それからおよそ一時間後……。
「うわぁ。予想はしてたけど、すごい人だかりだな」
闇の洞窟を出発した僕は、王城を中心として栄える城下町に到着していた。
王城の下級兵士である僕にとっての本来の主はこの街の王様だ。
この街にもちょくちょく訪れていて、僕にとっては第2の本拠地だった。
開かれた大門をくぐって城下町へ入ると、街の中はいつも以上に大勢の人でごった返していた。
「やっぱりバレンタイン・デーって感じだな」
人だかりの中の多くは、手にチョコらしき包みを抱えた若い女性だった。
周囲を見回すと、同じようにオシャレな手提げ袋を手にした女性たちがせわしなく道を行き交っている。
そしてどこかそわそわとして道を行き来する男性たちも多い。
むぅ。
世の中にはこんなにもリア充人口が溢れているのか。
いつもはまったく僕には関係のない世界だから気にすることもなかったけれど、こういうイベントごとって世の中を大きく動かしているんだなぁ。
まあ、今年は僕も当事者なのか。
自分がそうなるとはまったく想像していなかったから、嬉しいというより不慣れなことへの戸惑いのほうが大きいけれど。
さて、僕も目的の場所を目指さなければ。
僕がこの城下町にやってきたのは、ジェネットも参加しているチャリティー・イベント『真冬の火祭り』の会場に向かうためだった。
そこでは数々の鍛冶職人たちが簡易的な炉に火を入れて、金属鍛造の実演をしたり、炎の魔法が得意な各種のNPCたちが火を使った演出や大道芸などで祭りを盛り上げるらしい。
そして暖かなスープや食べ物などが炊き出しとして提供され、さらには熱を利用して菓子職人たちが各種のお菓子を作って振る舞ってくれるらしい。
寒いこの季節には本当にありがたいお祭りだ。
僕がそこに向かうのは、今も僕のアイテム・ストックの中で凍り続けているアリアナのチョコを何とか食べられる状態にしてもらうためだった。
実は闇の洞窟で運営本部からの外出許可を待っている間、僕は試しに洞窟の壁にかけられた篝火でチョコを溶かしてみようと思ったんだ。
だけどアリアナが凍り付かせたチョコは多少火に近付けたくらいじゃ、まったく溶ける気配がなかった。
かといってあまり火に近付けすぎるとチョコがドロドロに溶けてダメになっちゃうかもしれない。
そして調べてみたんだけど、チョコはあまり高温で溶かすと再度固めるときにちゃんと固まらなかったりするらしい。
お菓子作りの知識がない僕が、下手にいじってせっかくのアリアナのチョコを台無しにしてしまうわけにはいかない。
だから火祭りでちゃんと菓子職人にお願いしようと思って、ここへやってきたんだ。
うまくアリアナのチョコが元通りになればいいんだけど……。
そんなことを考えながら僕は城下町を進み、イベントの開かれている中央公園へと向かった。
と、その時、ふいに背中から誰かにぶつかられたんだ。
「っと」
驚いて僕が振り返るとそこにはまだ小さな女の子が立っていた。
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