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第215話 兄弟たち
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「父上は少々お年を召したようだな」
トバイアスは廊下を歩きつつ、誰にも聞かれぬよう小さな声で1人呟いた。
レディー・ミルドレッドとの一夜が明けた朝、トバイアスは父であるビンガム将軍の私邸に呼ばれていた。
ところがいざ馳せ参じてみれば用件は取るに足らないものだった。
王国との開戦を間近に控えて、ここのところビンガム将軍は神経過敏になっていた。
以前はそのようなことはなかったのだが、妻子を失ってからやはり将軍には往年の貫禄が見られなくなっている。
「衰えたな。いい傾向だが、少々面倒だ」
そう言うとトバイアスはケガがまだ癒えていない耳に軽く手を当てた。
新しく取り変えたばかりの白い包帯の肌触りを確かめながら昨晩のことを思う。
昨夜の接待では、出資者であるミルドレッドはトバイアスの耳のことについて何も言わなかった。
トバイアスも軍人だ。
そしてミルドレッドは軍人の扱い方を心得ている。
負傷のことなど夜伽の際に触れるのは、軍人相手に無粋というものだと彼女は分かっていた。
(フンッ。さすがは将軍のかつての愛妾といったところか)
トバイアスの心の奥底にはビンガムへの暗い怒りがいまだ渦巻いている。
そんな父親がかつて愛した女を……老いてかつての輝きを失った女を抱く。
その行為に嫌悪と恍惚の両方を感じながらも、それを実行できるのが自分であるとトバイアスは自認していた。
(全ては復讐のためだ)
ビンガムの妻と四男坊をまんまと殺したが、それは復讐の第一段階に過ぎない。
トバイアスが暗い感情を腹の底でかき混ぜていたその時、行く手に数人の男たちが姿を見せた。
私邸内の一階玄関前の大広間に続く階段の踊り場に、3人の男たちが立っている。
全員がトバイアスと年の近い若い男たちであり、皆、厳しい目つきでトバイアスを睨んでいた。
トバイアスは彼らの顔を見ると、薄笑みを浮かべて鷹揚に両手を広げて見せる。
「これはこれは兄上たち。お元気そうで何よりです」
トバイアスの前に姿を現した3人は、ビンガムの息子たちだった。
長男ディーンと次男デリック、そして三男のダスティンだ。
彼らは先日亡くなった夫人が生んだ嫡子たちであり、アメーリアに殺された四男坊ディックの兄たちだった。
「トバイアス。ここは俺たちの生家だ。街の娼館生まれの落とし児が我が物顔で歩いていい場所じゃない」
彼らとはまだ子供だった時分から時折顔を合わせることがあったが、終始この調子だった。
正妻である夫人が生んだ嫡子である自分たちと、愛人の産んだ子供である庶子のトバイアスとの間に明確な線引きを求めているのだ。
トバイアスにとって彼らは取るに足らない存在だった。
彼らが自分に勝っているのは、単に嫡子であるという一点においてのみであり、1人の男として彼らに劣る点は一つもないとトバイアスは確信していた。
「これは失礼した。兄上たちを不快にさせてしまい申し訳ない。自分の立場は弁えております」
トバイアスは心にも無いことを、いかにも真摯な表情で口にした。
そんな彼を見据えて長兄のディーンが不遜な態度で言う。
「ここのところ随分とご活躍のようだが、父上の重用に甘えて自分の立場というものを見失うなよ? トバイアス。俺たちの目に余るようなら……」
そう言うとディーンはツカツカと歩み寄ってトバイアスの前に立ち、包帯の巻かれた耳に囁くように声を落として言った。
「もう片方の耳を俺が切り落としてやる」
そう言うとディーンはトバイアスの目をじっと見据えてから踵を返し、2人の弟たちを伴い立ち去って行く。
もちろん去り際に一言添えるのも忘れない。
「その耳。大方、娼婦にでも噛みつかれたのだろう? 低俗な娼婦の母親から生まれた息子はやはり生き様も薄汚いな? 血が汚れているんだろうよ」
そう言うとビンガムの息子たちはことさらに笑い声を立てて去って行った。
トバイアスはその様子を冷然と見送りながら、内心で彼らを嘲る。
(父上にとっての不幸は、妻が生んだ息子たちがことごとく無能だということだな)
彼らは自分に嫉妬しているのだ。
庶子でありながら功績を上げて父に取り立てられているトバイアスが、嫡子の彼らには面白くないのだろう。
だが、憂さ晴らしのために嫌味を言うことくらいしか出来ない彼らを、トバイアスは憐れみを込めた眼差しで見送った。
(フンッ。馬鹿どもが。貴様らが大した功績も上げられず燻っているのは、貴様らが冴えないボンクラだからだ)
心の内の声が口を突いて出ぬよう気をつけながら、トバイアスはビンガムの私邸を後にした。
外の空気を大きく吸って吐き出すと、私邸の敷地を出たところで彼は小さく呟いた。
「あの能無しどもは放っておいても大した障壁にはならないが……皆殺しにしてやるのも面白いな。どうせなら彼女の餌にでもしてやるか」
そう言ってトバイアスは喉を鳴らしてクックと笑った。
それから彼は都の東側に位置する運河の河川港へと足を向ける。
港の奥には運河から運び込まれた荷物が保管されている倉庫が立ち並ぶ区画があった。
その倉庫のひとつにレディー・ミルドレッドの所有するものがある。
トバイアスがそこに向かうと、あらかじめ話を聞いていた倉庫の守衛が彼を倉庫内に招き入れた。
倉庫に入った途端、トバイアスは目を細める。
その隣では守衛が顔をしかめて手で鼻を押さえていた。
「これが彼女のニオイか……」
獣のようなニオイが倉庫内には充満していた。
そしてそこには血と肉の腐ったようなニオイも混じっている。
薄暗い倉庫の奥に、鉄ごしらえの檻が置かれていた。
倉庫の窓からわずかに差す日光が、檻の中を照らし出している。
そこには鎖付きの首輪をつけられた何者かの姿が見える。
その体つきからして女だと分かるが、顔は影に隠れてよく見えない。
だがその様子は異様だった。
女はまるで獣のように四つん這いで檻の中に佇んでいる。
トバイアスは檻に近付くと鉄格子をコツコツと手で叩いた。
すると……。
「ウガウッ!」
檻の中にいる人物がものすごい勢いで駆け寄って来て、鉄格子の間から手を差し出して来た。
トバイアスはサッと後方に下がってそれをかわす。
今にもトバイアスを掴もうとしたその手は赤い血で汚れていた。
トバイアスは自分に襲いかかろうとしているその人物を見下ろす。
「ウゥゥゥ……」
その女は獣のような唸り声を上げていた。
ボサボサの赤毛と、血で汚れた簡素な衣服の間から覗く褐色の肌。
ダニアの特徴を持つその女は、異様にギラついた目でトバイアスを睨みつけていた。
怯えたように身を引く守衛の隣でトバイアスは肩をすくめると、言葉が通じるかも分からぬその相手に笑顔を浮かべて声をかけた。
「はじめまして。ドローレス。俺はトバイアス。ようこそ公国へ」
トバイアスは廊下を歩きつつ、誰にも聞かれぬよう小さな声で1人呟いた。
レディー・ミルドレッドとの一夜が明けた朝、トバイアスは父であるビンガム将軍の私邸に呼ばれていた。
ところがいざ馳せ参じてみれば用件は取るに足らないものだった。
王国との開戦を間近に控えて、ここのところビンガム将軍は神経過敏になっていた。
以前はそのようなことはなかったのだが、妻子を失ってからやはり将軍には往年の貫禄が見られなくなっている。
「衰えたな。いい傾向だが、少々面倒だ」
そう言うとトバイアスはケガがまだ癒えていない耳に軽く手を当てた。
新しく取り変えたばかりの白い包帯の肌触りを確かめながら昨晩のことを思う。
昨夜の接待では、出資者であるミルドレッドはトバイアスの耳のことについて何も言わなかった。
トバイアスも軍人だ。
そしてミルドレッドは軍人の扱い方を心得ている。
負傷のことなど夜伽の際に触れるのは、軍人相手に無粋というものだと彼女は分かっていた。
(フンッ。さすがは将軍のかつての愛妾といったところか)
トバイアスの心の奥底にはビンガムへの暗い怒りがいまだ渦巻いている。
そんな父親がかつて愛した女を……老いてかつての輝きを失った女を抱く。
その行為に嫌悪と恍惚の両方を感じながらも、それを実行できるのが自分であるとトバイアスは自認していた。
(全ては復讐のためだ)
ビンガムの妻と四男坊をまんまと殺したが、それは復讐の第一段階に過ぎない。
トバイアスが暗い感情を腹の底でかき混ぜていたその時、行く手に数人の男たちが姿を見せた。
私邸内の一階玄関前の大広間に続く階段の踊り場に、3人の男たちが立っている。
全員がトバイアスと年の近い若い男たちであり、皆、厳しい目つきでトバイアスを睨んでいた。
トバイアスは彼らの顔を見ると、薄笑みを浮かべて鷹揚に両手を広げて見せる。
「これはこれは兄上たち。お元気そうで何よりです」
トバイアスの前に姿を現した3人は、ビンガムの息子たちだった。
長男ディーンと次男デリック、そして三男のダスティンだ。
彼らは先日亡くなった夫人が生んだ嫡子たちであり、アメーリアに殺された四男坊ディックの兄たちだった。
「トバイアス。ここは俺たちの生家だ。街の娼館生まれの落とし児が我が物顔で歩いていい場所じゃない」
彼らとはまだ子供だった時分から時折顔を合わせることがあったが、終始この調子だった。
正妻である夫人が生んだ嫡子である自分たちと、愛人の産んだ子供である庶子のトバイアスとの間に明確な線引きを求めているのだ。
トバイアスにとって彼らは取るに足らない存在だった。
彼らが自分に勝っているのは、単に嫡子であるという一点においてのみであり、1人の男として彼らに劣る点は一つもないとトバイアスは確信していた。
「これは失礼した。兄上たちを不快にさせてしまい申し訳ない。自分の立場は弁えております」
トバイアスは心にも無いことを、いかにも真摯な表情で口にした。
そんな彼を見据えて長兄のディーンが不遜な態度で言う。
「ここのところ随分とご活躍のようだが、父上の重用に甘えて自分の立場というものを見失うなよ? トバイアス。俺たちの目に余るようなら……」
そう言うとディーンはツカツカと歩み寄ってトバイアスの前に立ち、包帯の巻かれた耳に囁くように声を落として言った。
「もう片方の耳を俺が切り落としてやる」
そう言うとディーンはトバイアスの目をじっと見据えてから踵を返し、2人の弟たちを伴い立ち去って行く。
もちろん去り際に一言添えるのも忘れない。
「その耳。大方、娼婦にでも噛みつかれたのだろう? 低俗な娼婦の母親から生まれた息子はやはり生き様も薄汚いな? 血が汚れているんだろうよ」
そう言うとビンガムの息子たちはことさらに笑い声を立てて去って行った。
トバイアスはその様子を冷然と見送りながら、内心で彼らを嘲る。
(父上にとっての不幸は、妻が生んだ息子たちがことごとく無能だということだな)
彼らは自分に嫉妬しているのだ。
庶子でありながら功績を上げて父に取り立てられているトバイアスが、嫡子の彼らには面白くないのだろう。
だが、憂さ晴らしのために嫌味を言うことくらいしか出来ない彼らを、トバイアスは憐れみを込めた眼差しで見送った。
(フンッ。馬鹿どもが。貴様らが大した功績も上げられず燻っているのは、貴様らが冴えないボンクラだからだ)
心の内の声が口を突いて出ぬよう気をつけながら、トバイアスはビンガムの私邸を後にした。
外の空気を大きく吸って吐き出すと、私邸の敷地を出たところで彼は小さく呟いた。
「あの能無しどもは放っておいても大した障壁にはならないが……皆殺しにしてやるのも面白いな。どうせなら彼女の餌にでもしてやるか」
そう言ってトバイアスは喉を鳴らしてクックと笑った。
それから彼は都の東側に位置する運河の河川港へと足を向ける。
港の奥には運河から運び込まれた荷物が保管されている倉庫が立ち並ぶ区画があった。
その倉庫のひとつにレディー・ミルドレッドの所有するものがある。
トバイアスがそこに向かうと、あらかじめ話を聞いていた倉庫の守衛が彼を倉庫内に招き入れた。
倉庫に入った途端、トバイアスは目を細める。
その隣では守衛が顔をしかめて手で鼻を押さえていた。
「これが彼女のニオイか……」
獣のようなニオイが倉庫内には充満していた。
そしてそこには血と肉の腐ったようなニオイも混じっている。
薄暗い倉庫の奥に、鉄ごしらえの檻が置かれていた。
倉庫の窓からわずかに差す日光が、檻の中を照らし出している。
そこには鎖付きの首輪をつけられた何者かの姿が見える。
その体つきからして女だと分かるが、顔は影に隠れてよく見えない。
だがその様子は異様だった。
女はまるで獣のように四つん這いで檻の中に佇んでいる。
トバイアスは檻に近付くと鉄格子をコツコツと手で叩いた。
すると……。
「ウガウッ!」
檻の中にいる人物がものすごい勢いで駆け寄って来て、鉄格子の間から手を差し出して来た。
トバイアスはサッと後方に下がってそれをかわす。
今にもトバイアスを掴もうとしたその手は赤い血で汚れていた。
トバイアスは自分に襲いかかろうとしているその人物を見下ろす。
「ウゥゥゥ……」
その女は獣のような唸り声を上げていた。
ボサボサの赤毛と、血で汚れた簡素な衣服の間から覗く褐色の肌。
ダニアの特徴を持つその女は、異様にギラついた目でトバイアスを睨みつけていた。
怯えたように身を引く守衛の隣でトバイアスは肩をすくめると、言葉が通じるかも分からぬその相手に笑顔を浮かべて声をかけた。
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