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第100話 再びのビバルデ
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「プリシラ!」
その声にプリシラは思わずビクッと肩を震わせて振り返る。
父であるボルドとその従者として同行したベラ、ソニアと共に山を降りたプリシラは、徒歩で丸一日かけて共和国領ビバルデの街に戻ってきた。
その後、訪れてきたのはいち早く知らせを受けてダニアからビバルデにとんぼ返りしてきたブリジットだった。
「母様……」
街の広場で待つプリシラの姿を見たブリジットは、風のような速さで駆け寄ってきて娘の前に立つ。
おそらくほとんど眠れていないのだろう。
目の下に隈を拵えたブリジットは、疲れ切った表情でプリシラを見下ろした。
その表情に怒りが滲んでいるのを見たプリシラは身をすくませて立ち尽くす。
幼い頃からプリシラを怒る時、母はこのような顔をしていて、それを見ると今でもプリシラは怖くて何も言えなくなる。
母は優しくていつも大きな愛情で包みこんでくれたが、怒らせると嵐の日の雷のように怖いのだ。
「母様。ごめんなさ……」
そう言いかけたプリシラをブリジットはギュッと強く抱きしめた。
「この馬鹿娘。いつもいつも心配ばかりかけて」
母がわずかに肩を震わせているのを感じ、プリシラはたまらなくなってその体を抱きしめ返す。
戦いで傷付いた体があちこち痛かったが、それでもプリシラは母の温もりにしがみつく幼子のようにブリジットに抱きついていた。
「母様。アタシ、エミルを助けられなくて……」
「おまえは精一杯やった。エミルのことは皆で探して必ず見つけ出す。おまえ1人が背負わなくていい」
「で、でもアタシが勝手にエミルを連れ出したりしなければ……」
そう言うプリシラの頬をギュッとつねる。
「イタッ! か、母様?」
「それはおまえが悪い。身勝手なことをするなといつも言っているだろう。だが、おまえのそんな性格を知りながら、この街に連れ出したのはアタシだ。アタシにも責任がある」
「母様……」
「おまえがそんなことをすることくらいお見通しだったぞ。少しくらい羽目を外してもいいと思ったんだ。せっかくの外出だったからな」
「……うん」
「今回は運が悪かったんだ。だが、とにかく反省はしろ。それでも後ろは振り返るな。悔いてばかりの女には誰も付いてこないぞ」
そう言うとブリジットはプリシラを放した。
そして娘の隣に立つ夫のボルドと固く抱擁を交わす。
「すみません。ブリジット。エミルも連れ帰る約束を果たせませんでした」
「ボルド。病み上がりのところお疲れ様。よくプリシラを連れ帰ってくれた。感謝するよ。エミルのことは皆で協力して見つけ出そう」
エミルがこの場にいないことは誰よりも辛いはずのブリジットだが、彼女は夫と娘の前で暗い顔を見せない。
女王としてというよりも、母としての強い振る舞いを見てプリシラは胸を打たれた。
(母様は……すごい人だ)
ブリジットはボルドだけではなくベラやソニア、そしてこの街に駐留しているエリカとハリエットにも労いの言葉をかける。
ベラやソニアの弟子である彼女たちは、女王からの直々の言葉に恐縮していた。
ブリジットが一通り皆に挨拶を済ませると、そこでボルドがすぐに本題に入る。
「この街に対策本部を作り、エミルの捜索隊を組織しましょう。ブリジット」
「ああ。だが人選はどうする? 捜索隊ともなれば長期の単独活動になるぞ」
そう話し合う両親に、プリシラは決然とした表情で手を挙げる。
「アタシが行くわ。母様や父様が反対しても絶対にエミルを助けに行くから」
両親に我儘を言うことはこれまでもあった。
だがプリシラはこれだけは譲れないという強い意思をその目に宿して両親を見つめる。
そんな娘の表情を見て、ブリジットもボルドもしばし黙り込んだ
やがてブリジットがため息交じりに口を開く。
「……プリシラ。おまえの決意は分かった。だがアタシはもちろん、ベラやソニアも付いていってやることは出来ないぞ。今はダニアを離れるわけにはいかない」
ダニアは同盟国である共和国と共に、王国からの侵略に備えなければならない。
いくら家族のこととはいえ、攫われた息子を探しに行くために女王が公務を放り出すわけにはいかない。
ベラとソニアも同様だ。
彼女らはブリジットの側近というだけでなく、ダニア軍の中でそれぞれ立場がある。
この有事に国を空けるわけにはいかない。
そうした事情を踏まえてボルドはプリシラに言った。
「プリシラが捜索隊に参加したい気持ちは分かるし、君の力や武術の腕はよく知っている。だから私もブリジットも絶対に反対というわけじゃない。それでも君を参加させるなら絶対に作戦を完遂できる精鋭部隊を組織する必要がある。プリシラ。自覚して欲しいんだ。君は確かに強くて、エミルを助けるための作戦に適した人物かもしれない。でも同時に君自身がエミルと同じく敵にとっての有用な人質となり得てしまうことを忘れないで欲しい。分かるね?」
優しい口調ではあるが、厳しい父の言葉にその意味を噛み締めながら、それでもプリシラは頷く。
絶対に曲げない意思をその引き結んだ口元に滲ませて。
そんな娘の表情を見たボルドはブリジットと顔を見合わせて頷き合う。
「先日の宿に部屋を取ってある。そこで緊急会議を始めるぞ。大至急、捜索隊の人選を行う」
そう言うブリジットにその場にいる一同は声を上げて応えるのだった。
☆☆☆☆☆☆
暗闇の中で何者かの気配を感じ、エミルは目を開けた。
茫洋とした意識の中、目には灯りが飛び込んでくる。
随分と長いこと眠っていたような気がしてエミルは目をしばたかせた。
(ここは……? 僕は何をしていたんだっけ……)
今、自分がどのような状況に置かれているのかすぐには理解できない。
故郷であるダニアの、いつもの自分の部屋で目が覚めたのだと思っていた。
だが……。
「あら坊や。お目覚めね」
それは女の声だった。
その声に驚いて首を傾けると、すぐ隣に誰かが寝そべっているのが分かる。
思わずエミルは悲鳴のような声を上げた。
「ひっ!」
エミルは驚いてその場から逃げようとする。
だが手足が縄のようなもので拘束されているらしく、動くことが出来ない。
「ふふふ。驚かせてごめんなさいね。坊や。私のこと覚えているかしら?」
その声にエミルは恐る恐る女の顔を見る。
白い髪の若い女だ。
それが自分たちを襲ってきた敵の女だと知ると、エミルは臓腑の底から冷たい恐怖がこみ上げてきて、体の震えが止まらなくなった。
(ぼ、僕……敵に捕まってしまったの?)
エミルの脳裏にここまでの様々な出来事が甦ってくる。
最後の記憶はあの谷間の岩橋からジャスティーナが落下してしまった時のことだ。
その後、自分がどうして敵に捕まってしまったのかは分からない。
だが、今こうして自分が敵の手に落ちてしまったということは、自分のことを守るために戦ってくれた仲間たちはどうなったのかとエミルは恐ろしくなった。
「ぼ、僕の仲間たちは……」
「さて、どうなったでしょうねぇ。いい子にしていたら教えてあげるわよ。坊や」
そう言うとオニユリは恍惚とした笑みを浮かべる。
その顔が恐ろしくてたまらず、エミルはガタガタと震えながら必死に黒髪術者の力で周囲を探ろうとした。
だが……。
(……あれ? 何も感じない。力が……使えない)
その事実にエミルは愕然とする。
黒髪術者としての力が自分の体から消えてしまっていた。
それは自分がただの無力な子供に過ぎなくなっているという冷たい事実をエミルに否応なし突き付けてくる。
「さあ坊や。お楽しみの時間よ」
そう言うオニユリの顔がゆっくりと近付いてくる。
エミルは震えながら顔を背けた。
あまりの恐怖に声も出ない。
今のエミルに出来ることは、歯を食いしばり心の中で必死に助けを求めることだけだった。
(助けて。母様、父様。助けて……姉様)
*『蛮族女王の娘』第1部【公国編】 完
************************************
今回もお読みいただきましてありがとうございました。
『蛮族女王の娘』第1部【公国編】はここで完結となります。
引き続き
第2部【共和国編】第101話【銀色の憂い】をお楽しみ下さい。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/540294390/449909734/episode/8856651
次回もよろしくお願いいたします。
その声にプリシラは思わずビクッと肩を震わせて振り返る。
父であるボルドとその従者として同行したベラ、ソニアと共に山を降りたプリシラは、徒歩で丸一日かけて共和国領ビバルデの街に戻ってきた。
その後、訪れてきたのはいち早く知らせを受けてダニアからビバルデにとんぼ返りしてきたブリジットだった。
「母様……」
街の広場で待つプリシラの姿を見たブリジットは、風のような速さで駆け寄ってきて娘の前に立つ。
おそらくほとんど眠れていないのだろう。
目の下に隈を拵えたブリジットは、疲れ切った表情でプリシラを見下ろした。
その表情に怒りが滲んでいるのを見たプリシラは身をすくませて立ち尽くす。
幼い頃からプリシラを怒る時、母はこのような顔をしていて、それを見ると今でもプリシラは怖くて何も言えなくなる。
母は優しくていつも大きな愛情で包みこんでくれたが、怒らせると嵐の日の雷のように怖いのだ。
「母様。ごめんなさ……」
そう言いかけたプリシラをブリジットはギュッと強く抱きしめた。
「この馬鹿娘。いつもいつも心配ばかりかけて」
母がわずかに肩を震わせているのを感じ、プリシラはたまらなくなってその体を抱きしめ返す。
戦いで傷付いた体があちこち痛かったが、それでもプリシラは母の温もりにしがみつく幼子のようにブリジットに抱きついていた。
「母様。アタシ、エミルを助けられなくて……」
「おまえは精一杯やった。エミルのことは皆で探して必ず見つけ出す。おまえ1人が背負わなくていい」
「で、でもアタシが勝手にエミルを連れ出したりしなければ……」
そう言うプリシラの頬をギュッとつねる。
「イタッ! か、母様?」
「それはおまえが悪い。身勝手なことをするなといつも言っているだろう。だが、おまえのそんな性格を知りながら、この街に連れ出したのはアタシだ。アタシにも責任がある」
「母様……」
「おまえがそんなことをすることくらいお見通しだったぞ。少しくらい羽目を外してもいいと思ったんだ。せっかくの外出だったからな」
「……うん」
「今回は運が悪かったんだ。だが、とにかく反省はしろ。それでも後ろは振り返るな。悔いてばかりの女には誰も付いてこないぞ」
そう言うとブリジットはプリシラを放した。
そして娘の隣に立つ夫のボルドと固く抱擁を交わす。
「すみません。ブリジット。エミルも連れ帰る約束を果たせませんでした」
「ボルド。病み上がりのところお疲れ様。よくプリシラを連れ帰ってくれた。感謝するよ。エミルのことは皆で協力して見つけ出そう」
エミルがこの場にいないことは誰よりも辛いはずのブリジットだが、彼女は夫と娘の前で暗い顔を見せない。
女王としてというよりも、母としての強い振る舞いを見てプリシラは胸を打たれた。
(母様は……すごい人だ)
ブリジットはボルドだけではなくベラやソニア、そしてこの街に駐留しているエリカとハリエットにも労いの言葉をかける。
ベラやソニアの弟子である彼女たちは、女王からの直々の言葉に恐縮していた。
ブリジットが一通り皆に挨拶を済ませると、そこでボルドがすぐに本題に入る。
「この街に対策本部を作り、エミルの捜索隊を組織しましょう。ブリジット」
「ああ。だが人選はどうする? 捜索隊ともなれば長期の単独活動になるぞ」
そう話し合う両親に、プリシラは決然とした表情で手を挙げる。
「アタシが行くわ。母様や父様が反対しても絶対にエミルを助けに行くから」
両親に我儘を言うことはこれまでもあった。
だがプリシラはこれだけは譲れないという強い意思をその目に宿して両親を見つめる。
そんな娘の表情を見て、ブリジットもボルドもしばし黙り込んだ
やがてブリジットがため息交じりに口を開く。
「……プリシラ。おまえの決意は分かった。だがアタシはもちろん、ベラやソニアも付いていってやることは出来ないぞ。今はダニアを離れるわけにはいかない」
ダニアは同盟国である共和国と共に、王国からの侵略に備えなければならない。
いくら家族のこととはいえ、攫われた息子を探しに行くために女王が公務を放り出すわけにはいかない。
ベラとソニアも同様だ。
彼女らはブリジットの側近というだけでなく、ダニア軍の中でそれぞれ立場がある。
この有事に国を空けるわけにはいかない。
そうした事情を踏まえてボルドはプリシラに言った。
「プリシラが捜索隊に参加したい気持ちは分かるし、君の力や武術の腕はよく知っている。だから私もブリジットも絶対に反対というわけじゃない。それでも君を参加させるなら絶対に作戦を完遂できる精鋭部隊を組織する必要がある。プリシラ。自覚して欲しいんだ。君は確かに強くて、エミルを助けるための作戦に適した人物かもしれない。でも同時に君自身がエミルと同じく敵にとっての有用な人質となり得てしまうことを忘れないで欲しい。分かるね?」
優しい口調ではあるが、厳しい父の言葉にその意味を噛み締めながら、それでもプリシラは頷く。
絶対に曲げない意思をその引き結んだ口元に滲ませて。
そんな娘の表情を見たボルドはブリジットと顔を見合わせて頷き合う。
「先日の宿に部屋を取ってある。そこで緊急会議を始めるぞ。大至急、捜索隊の人選を行う」
そう言うブリジットにその場にいる一同は声を上げて応えるのだった。
☆☆☆☆☆☆
暗闇の中で何者かの気配を感じ、エミルは目を開けた。
茫洋とした意識の中、目には灯りが飛び込んでくる。
随分と長いこと眠っていたような気がしてエミルは目をしばたかせた。
(ここは……? 僕は何をしていたんだっけ……)
今、自分がどのような状況に置かれているのかすぐには理解できない。
故郷であるダニアの、いつもの自分の部屋で目が覚めたのだと思っていた。
だが……。
「あら坊や。お目覚めね」
それは女の声だった。
その声に驚いて首を傾けると、すぐ隣に誰かが寝そべっているのが分かる。
思わずエミルは悲鳴のような声を上げた。
「ひっ!」
エミルは驚いてその場から逃げようとする。
だが手足が縄のようなもので拘束されているらしく、動くことが出来ない。
「ふふふ。驚かせてごめんなさいね。坊や。私のこと覚えているかしら?」
その声にエミルは恐る恐る女の顔を見る。
白い髪の若い女だ。
それが自分たちを襲ってきた敵の女だと知ると、エミルは臓腑の底から冷たい恐怖がこみ上げてきて、体の震えが止まらなくなった。
(ぼ、僕……敵に捕まってしまったの?)
エミルの脳裏にここまでの様々な出来事が甦ってくる。
最後の記憶はあの谷間の岩橋からジャスティーナが落下してしまった時のことだ。
その後、自分がどうして敵に捕まってしまったのかは分からない。
だが、今こうして自分が敵の手に落ちてしまったということは、自分のことを守るために戦ってくれた仲間たちはどうなったのかとエミルは恐ろしくなった。
「ぼ、僕の仲間たちは……」
「さて、どうなったでしょうねぇ。いい子にしていたら教えてあげるわよ。坊や」
そう言うとオニユリは恍惚とした笑みを浮かべる。
その顔が恐ろしくてたまらず、エミルはガタガタと震えながら必死に黒髪術者の力で周囲を探ろうとした。
だが……。
(……あれ? 何も感じない。力が……使えない)
その事実にエミルは愕然とする。
黒髪術者としての力が自分の体から消えてしまっていた。
それは自分がただの無力な子供に過ぎなくなっているという冷たい事実をエミルに否応なし突き付けてくる。
「さあ坊や。お楽しみの時間よ」
そう言うオニユリの顔がゆっくりと近付いてくる。
エミルは震えながら顔を背けた。
あまりの恐怖に声も出ない。
今のエミルに出来ることは、歯を食いしばり心の中で必死に助けを求めることだけだった。
(助けて。母様、父様。助けて……姉様)
*『蛮族女王の娘』第1部【公国編】 完
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今回もお読みいただきましてありがとうございました。
『蛮族女王の娘』第1部【公国編】はここで完結となります。
引き続き
第2部【共和国編】第101話【銀色の憂い】をお楽しみ下さい。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/540294390/449909734/episode/8856651
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