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第99話 悪女たちの暗躍
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共和国南部に位置する郊外の街・エチュルデ。
比較的のどかな農業都市だが、ここにも夜の盛り場がある。
人が集まる街には酒場や娼館があるものだ。
特に娯楽の少ない田舎の街にはそうした猥雑な夜の店は欠かせない。
今夜も街の娼館が集まる繁華街には多くの男たちや女たちが行き交っていた。
この夜の街を楽しむのは何も男だけではない。
女も同じだった。
小金を持った比較的裕福な婦人たちが若い男を金で買うべく男娼の館を訪れることも、この街では珍しくない光景だ。
今もまさに1人の女が男娼の侍る館に足を踏み入れていく。
身なりの良い30代くらいの女だが、その顔には長年の苦労と怨念による隠しようもない暗い影が滲んでいた。
その女が娼館を訪れた目的は男ではない。
この館の主人に用があった。
女が館の敷地の表門に立つ衛兵の1人に用向きを伝えると、衛兵たちは女を品定めするようにジロジロと見て、それから1人の衛兵が女を館内に案内した。
男娼らの待つ本館ではなく、その隣にある豪奢な別棟へ。
そこはこの館の主人が部屋を構えている。
衛兵はその玄関をくぐると、十数メートル続く廊下の一番奥にある扉の前に立った。
そして扉を拳で叩くと野太い声をかける。
「レディー。御客人をお連れしました」
「……入りな」
中から聞こえてきたのは女性の声だ。
衛兵はそれを確認すると扉を開いて客の女を部屋の中に招き入れた。
広い部屋の真ん中には大きな机が置かれていて、やわらかそうな羽毛入りの椅子にこの館の主人である女が腰をかけている。
それは肉付きの良い体つきをした初老の女だった。
客の女はその机の前に立つと、両手でスカートの裾をつまんで貴婦人の礼を見せる。
「お久しぶりですわね。レディー・ミルドレッド」
ミルドレッドと呼ばれた初老の女性は、高価な白髪染めで今も黒々と染まっている髪をかき上げて鼻を鳴らした。
「フン。こんな田舎町に飛ばされて10年以上になるってのに、貴族の作法を忘れていないんだね。やめちまいな。自分を追いやった貴族社会なんざクソくらえなんだよ。マージョリー・スノウ」
マージョリーと呼ばれた女は冷笑を浮かべた。
「この身に染みついておりますのよ。生まれついての貴族ですので」
「相変わらず未練がましい女だね。上手く立ち回っていりゃ今頃は大統領夫人だったかもしれなかったが、あんたは失脚したんだ」
「レディーこそ、このような田舎の街の娼館に収まる方ではないはずでしたのに。公国のトバイアス閣下を失われてからは凋落の悲しい報せばかり聞きましてよ」
辛辣なミルドレッドの言葉にもマージョリーは臆さずに皮肉を返す。
ミルドレッドはそんなマージョリーの言動に気を悪くした風もなく逆にニヤリと笑みを浮かべた。
「悪女の魂は死んじゃいないようだね」
そう言うとミルドレッドは衛兵と、それから部屋の中に2人ほど控えさせていた用心棒の男らに合図をして部屋から出ていくように命じる。
人払いをされた部屋で女たちは2人きりで対峙した。
2人が再会するのは10年ぶりくらいになる。
レディー・ミルドレッド。
かつては公国で大きな娼館を経営するやり手の実業家だったが、後ろ盾となっていた公国の将軍の息子であるトバイアスを先の大戦で失って以降、彼女は徐々に力を失っていった。
今では共和国や公国の郊外に小さな娼館をいくつか持つだけに留まっている。
そしてその客人として訪れたマージョリー・スノウ。
共和国の名門貴族であるスノウ家の令嬢だった彼女は、当時の大統領の息子であったイライアスに執心し、その恋人だった平民の娘・ミアに嫌がらせをして自死に追い込んだ。
だがイライアスの次の相手であると噂になったダニアの銀の女王クローディアにも同様に嫌がらせを仕掛けたところ、まんまと返り討ちにされてしまったのだ。
そして反社会勢力との繋がりが世間に露呈することとなってしまい、マージョリーはスノウ家から勘当される格好で、共和国首都を追われた。
優雅な貴族暮らしから一転し、この地方都市エチュルデで謹慎生活を余儀なくされたのだ。
「もちろんですわ。腐るなら徹底的に腐って、その腐臭であの憎らしい女の鼻を曲げてやろうと思いまして」
「……例の情報は確かなんだろうね」
ミルドレッドとマージョリー。
2人には共通点があった。
失脚して落ちぶれた暮らしをしていたこと。
そしてそんな状況にあっても反社会的勢力との繋がりを断っていなかったことだ。
むしろ国の中央から離れたことで、監視の目が薄れて好き放題にやれるようになった。
2人は積極的に反社会的勢力の中に身を置き、裏社会での地盤を築いてきた。
腐っても実業家と貴族だ。
裏社会から見ても彼女たちの力は大きなものだった。
そしてマージョリーはそうした反社会的勢力の情報網を使い、ある極秘の情報を掴んでいたのだ。
「ええ。クローディアの息子ヴァージルと娘ウェンディー。2人は今、首都から離れて高原の村・パストラに疎開していますわ」
「……どうやってそんな極秘状況を手に入れたんだい?」
訝しむミルドレッドにマージョリーは笑みを浮かべる。
それは暗く深い恨みを宿した、悪魔のような笑みだった。
「ずっと……ずっと……大統領夫妻のことを監視し続けてまいりました。そのために私財も誇りも投げ打って優秀な間者を大統領夫妻の周囲に配してきたのです。すべては……あの憎き女に復讐を果たすめに」
「おお怖い……あんた異常だよ。マージョリー」
からかうように薄笑みを浮かべて肩を震わせるミルドレッドに、マージョリーも口の端を吊り上げて笑う。
「何とでも言って下さいまし。私は……一日たりともこの恨みを忘れたことはありません。クローディア……私からイライアス様を奪い、のうのうと大統領の妻の座に収まってこの世の春を享受している憎らしい女。あの女に地獄を見せるためならば、私は何だってやりますわ」
マージョリーの目に修羅の炎を見たミルドレッドは、久々に自分の胸に火が灯るのを感じた。
「いいねぇ。私もダニアの連中には煮え湯を飲まされて来たんだ。自分が地獄に落ちる前に奴らを地獄に落としてやるのも面白い」
2人の悪女は互いに微笑み合うと、復讐の幕を開けるべく行動を開始するのだった。
☆☆☆☆☆☆
公国領アリアド。
今は王国軍に占領統治されているこの街に白い髪の若い女が戻って来た。
チェルシー将軍の作戦行動に従軍して、右肩を負傷したオニユリだ。
彼女は庁舎に顔を出して占領軍の司令官に帰還の挨拶を済ませると、仮宿にしている裕福な商家跡へと戻った。
その入口では2人の若い白髪の男らがオニユリを出迎える。
「おかえりなさいませ。姉上様」
「お待ちしておりました。姉上様」
オニユリは2人に手を上げて上機嫌で笑みを浮かべる。
「ご苦労さま。ヒバリ。キツツキ。うまくいったようね。坊やは?」
「体を清めて治療と正装を済ませ、別邸の寝室に寝かせてあります」
「何か強いショックを受けているようでいまだ目を覚ましませんが、健康状態に問題はないと医務官は申しておりました」
「例の薬は?」
「飲ませてあります。黒髪術者の力も封じられていると確認済みです」
主の問いにそう答えると、ヒバリとキツツキは彼女を案内した。
本来の主はとうに失われている裕福な商家の敷地には、本邸から中庭を経て別邸が建てられている。
そこに案内されたオニユリは上気した顔で寝室の前に立つと振り返った。
そしてヒバリとキツツキに歩み寄ると満面の笑みを浮かべる。
「あなたたち。今回はよくやってくれたわね。夜には次の仕事があるから、それまでゆっくり休みなさい」
そう言うとオニユリは2人の若き男らの頬に口づけをした。
2人は頬を赤く染めて立ちすくむ。
そんな2人を残し、オニユリは寝室の扉を開けた。
そのすぐ先、ベッドにはゆったりとした純白の夜着を着せられた黒髪の少年の姿がある。
それはヒバリとキツツキが攫ってきたダニアのエミルだ。
「さあ。お楽しみの時間よ。坊や。たくさんたくさん可愛がってあげるわね」
オニユリは恍惚の表情を浮かべてそう言うと、寝室の扉を後ろ手に閉めるのだった。
比較的のどかな農業都市だが、ここにも夜の盛り場がある。
人が集まる街には酒場や娼館があるものだ。
特に娯楽の少ない田舎の街にはそうした猥雑な夜の店は欠かせない。
今夜も街の娼館が集まる繁華街には多くの男たちや女たちが行き交っていた。
この夜の街を楽しむのは何も男だけではない。
女も同じだった。
小金を持った比較的裕福な婦人たちが若い男を金で買うべく男娼の館を訪れることも、この街では珍しくない光景だ。
今もまさに1人の女が男娼の侍る館に足を踏み入れていく。
身なりの良い30代くらいの女だが、その顔には長年の苦労と怨念による隠しようもない暗い影が滲んでいた。
その女が娼館を訪れた目的は男ではない。
この館の主人に用があった。
女が館の敷地の表門に立つ衛兵の1人に用向きを伝えると、衛兵たちは女を品定めするようにジロジロと見て、それから1人の衛兵が女を館内に案内した。
男娼らの待つ本館ではなく、その隣にある豪奢な別棟へ。
そこはこの館の主人が部屋を構えている。
衛兵はその玄関をくぐると、十数メートル続く廊下の一番奥にある扉の前に立った。
そして扉を拳で叩くと野太い声をかける。
「レディー。御客人をお連れしました」
「……入りな」
中から聞こえてきたのは女性の声だ。
衛兵はそれを確認すると扉を開いて客の女を部屋の中に招き入れた。
広い部屋の真ん中には大きな机が置かれていて、やわらかそうな羽毛入りの椅子にこの館の主人である女が腰をかけている。
それは肉付きの良い体つきをした初老の女だった。
客の女はその机の前に立つと、両手でスカートの裾をつまんで貴婦人の礼を見せる。
「お久しぶりですわね。レディー・ミルドレッド」
ミルドレッドと呼ばれた初老の女性は、高価な白髪染めで今も黒々と染まっている髪をかき上げて鼻を鳴らした。
「フン。こんな田舎町に飛ばされて10年以上になるってのに、貴族の作法を忘れていないんだね。やめちまいな。自分を追いやった貴族社会なんざクソくらえなんだよ。マージョリー・スノウ」
マージョリーと呼ばれた女は冷笑を浮かべた。
「この身に染みついておりますのよ。生まれついての貴族ですので」
「相変わらず未練がましい女だね。上手く立ち回っていりゃ今頃は大統領夫人だったかもしれなかったが、あんたは失脚したんだ」
「レディーこそ、このような田舎の街の娼館に収まる方ではないはずでしたのに。公国のトバイアス閣下を失われてからは凋落の悲しい報せばかり聞きましてよ」
辛辣なミルドレッドの言葉にもマージョリーは臆さずに皮肉を返す。
ミルドレッドはそんなマージョリーの言動に気を悪くした風もなく逆にニヤリと笑みを浮かべた。
「悪女の魂は死んじゃいないようだね」
そう言うとミルドレッドは衛兵と、それから部屋の中に2人ほど控えさせていた用心棒の男らに合図をして部屋から出ていくように命じる。
人払いをされた部屋で女たちは2人きりで対峙した。
2人が再会するのは10年ぶりくらいになる。
レディー・ミルドレッド。
かつては公国で大きな娼館を経営するやり手の実業家だったが、後ろ盾となっていた公国の将軍の息子であるトバイアスを先の大戦で失って以降、彼女は徐々に力を失っていった。
今では共和国や公国の郊外に小さな娼館をいくつか持つだけに留まっている。
そしてその客人として訪れたマージョリー・スノウ。
共和国の名門貴族であるスノウ家の令嬢だった彼女は、当時の大統領の息子であったイライアスに執心し、その恋人だった平民の娘・ミアに嫌がらせをして自死に追い込んだ。
だがイライアスの次の相手であると噂になったダニアの銀の女王クローディアにも同様に嫌がらせを仕掛けたところ、まんまと返り討ちにされてしまったのだ。
そして反社会勢力との繋がりが世間に露呈することとなってしまい、マージョリーはスノウ家から勘当される格好で、共和国首都を追われた。
優雅な貴族暮らしから一転し、この地方都市エチュルデで謹慎生活を余儀なくされたのだ。
「もちろんですわ。腐るなら徹底的に腐って、その腐臭であの憎らしい女の鼻を曲げてやろうと思いまして」
「……例の情報は確かなんだろうね」
ミルドレッドとマージョリー。
2人には共通点があった。
失脚して落ちぶれた暮らしをしていたこと。
そしてそんな状況にあっても反社会的勢力との繋がりを断っていなかったことだ。
むしろ国の中央から離れたことで、監視の目が薄れて好き放題にやれるようになった。
2人は積極的に反社会的勢力の中に身を置き、裏社会での地盤を築いてきた。
腐っても実業家と貴族だ。
裏社会から見ても彼女たちの力は大きなものだった。
そしてマージョリーはそうした反社会的勢力の情報網を使い、ある極秘の情報を掴んでいたのだ。
「ええ。クローディアの息子ヴァージルと娘ウェンディー。2人は今、首都から離れて高原の村・パストラに疎開していますわ」
「……どうやってそんな極秘状況を手に入れたんだい?」
訝しむミルドレッドにマージョリーは笑みを浮かべる。
それは暗く深い恨みを宿した、悪魔のような笑みだった。
「ずっと……ずっと……大統領夫妻のことを監視し続けてまいりました。そのために私財も誇りも投げ打って優秀な間者を大統領夫妻の周囲に配してきたのです。すべては……あの憎き女に復讐を果たすめに」
「おお怖い……あんた異常だよ。マージョリー」
からかうように薄笑みを浮かべて肩を震わせるミルドレッドに、マージョリーも口の端を吊り上げて笑う。
「何とでも言って下さいまし。私は……一日たりともこの恨みを忘れたことはありません。クローディア……私からイライアス様を奪い、のうのうと大統領の妻の座に収まってこの世の春を享受している憎らしい女。あの女に地獄を見せるためならば、私は何だってやりますわ」
マージョリーの目に修羅の炎を見たミルドレッドは、久々に自分の胸に火が灯るのを感じた。
「いいねぇ。私もダニアの連中には煮え湯を飲まされて来たんだ。自分が地獄に落ちる前に奴らを地獄に落としてやるのも面白い」
2人の悪女は互いに微笑み合うと、復讐の幕を開けるべく行動を開始するのだった。
☆☆☆☆☆☆
公国領アリアド。
今は王国軍に占領統治されているこの街に白い髪の若い女が戻って来た。
チェルシー将軍の作戦行動に従軍して、右肩を負傷したオニユリだ。
彼女は庁舎に顔を出して占領軍の司令官に帰還の挨拶を済ませると、仮宿にしている裕福な商家跡へと戻った。
その入口では2人の若い白髪の男らがオニユリを出迎える。
「おかえりなさいませ。姉上様」
「お待ちしておりました。姉上様」
オニユリは2人に手を上げて上機嫌で笑みを浮かべる。
「ご苦労さま。ヒバリ。キツツキ。うまくいったようね。坊やは?」
「体を清めて治療と正装を済ませ、別邸の寝室に寝かせてあります」
「何か強いショックを受けているようでいまだ目を覚ましませんが、健康状態に問題はないと医務官は申しておりました」
「例の薬は?」
「飲ませてあります。黒髪術者の力も封じられていると確認済みです」
主の問いにそう答えると、ヒバリとキツツキは彼女を案内した。
本来の主はとうに失われている裕福な商家の敷地には、本邸から中庭を経て別邸が建てられている。
そこに案内されたオニユリは上気した顔で寝室の前に立つと振り返った。
そしてヒバリとキツツキに歩み寄ると満面の笑みを浮かべる。
「あなたたち。今回はよくやってくれたわね。夜には次の仕事があるから、それまでゆっくり休みなさい」
そう言うとオニユリは2人の若き男らの頬に口づけをした。
2人は頬を赤く染めて立ちすくむ。
そんな2人を残し、オニユリは寝室の扉を開けた。
そのすぐ先、ベッドにはゆったりとした純白の夜着を着せられた黒髪の少年の姿がある。
それはヒバリとキツツキが攫ってきたダニアのエミルだ。
「さあ。お楽しみの時間よ。坊や。たくさんたくさん可愛がってあげるわね」
オニユリは恍惚の表情を浮かべてそう言うと、寝室の扉を後ろ手に閉めるのだった。
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