蛮族女王の娘 第1部【公国編】

枕崎 純之助

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第98話 後ろ髪引かれる帰還

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 プリシラは父のボルド、そしてソニアと共に谷間の周辺を徹底的に探した。
 あの斜面の滑落かつらく痕跡こんせきから、エミルを連れ去った者達が向かったであろう方角を予想するが、ソニアが足跡を調べても途中でその痕跡こんせきはほとんど消えてしまっていた。
 人手をかけて草をりながら綿密めんみつに調べれば分かったかもしれないが、3人だけではどうすることも出来ない。

「……相手は斥候せっこう技術にけた奴らだと思う。足跡の消し方に慣れている。向かったおおよその方角は、公国側の山のふもとだろう。今、分かるのはそれくらいだ」

 そう言うとソニアはいつものムスッとした顔でボルドを見る。
 彼の決断を待っているのだ。
 プリシラはあせった顔で父を見た。

「どうしよう。父様。エミルが……」

 ボルドも苦渋くじゅうの表情を浮かべるが、すぐに決断する。

「これ以上、この場での捜索そうさくは無理だ。一度ビバルデに戻ろう」
「そ、そんな……それじゃあエミルは!」
「落ち着きなさい。プリシラ。今この3人だけで追いかけ続けるのは難しいし、仮に追いついたとしても向こうにはチェルシーがいる。人数も敵のほうが断然多い。エミルを取り返す前に返りちにあい、僕らがまた新たな人質になってしまうだろう。そうなれば傷口を広げるだけだし、母様をさらに悲しませてしまうことになるんだよ」

 それでも納得できないプリシラだが、理路整然と語る父がその口ぶりとは裏腹に、拳を強く握りしめているのが分かった。
 それを見てプリシラはハッとする。

(父様……そうだ。父様だって辛くないはずがない)

 父が自分と同じように弟のことも大事にかわいがってくれていたことはプリシラもよく知っている。
 父の方がきっと自分よりもずっと辛いのだとプリシラは痛感し、口を引き結んだ。
 そんなプリシラの肩に優しく手を置くと、ボルドはソニアに目を向ける。

「ソニアさん。ベラさんと合流したら今日の夕方には山を降りてビバルデへと向かいましょう。ダニアまで戻るのは時間が惜しいので、ブリジットにもビバルデに足を運んでもらい、そこで対策本部を打ち立てて今後の動きを話し合わねば。エミルの捜索そうさく隊を組織しないとなりませんし」

 ボルドの話にソニアはうなづく。
 一方、プリシラは捜索そうさく隊という言葉を聞いて食いついてきた。

捜索そうさく隊にはアタシももちろん入るわ。エミルを助ける責任がアタシにはあるから」

 だがプリシラの言葉に即座に首を横に振るのはソニアだ。

「ダメだ。おまえは両親と一緒にダニアに帰るんだ。これ以上、心配をかけるな」
「嫌よ! 絶対にアタシも行くわ! エミルはアタシの弟なのよ。アタシのせいでさらわれたの。それを他の人の手なんかに任せられないわ!」

 気色けしきばんでそう言うプリシラにソニアは肩をすくめてボルドを見る。
 ボルドは落ち着いた表情をくずさずにプリシラの肩に置いた手に少しだけ力を込めた。

「その辺りはブリジットも含めて話をしよう。プリシラ。まずは母様に無事な顔を見せてあげてほしい」

 父の言葉にプリシラはハッとして、しばしの沈黙ちんもくの後、静かにうなづいた。
 今この瞬間も母であるブリジットは子供たちのことを想って落ち着かない時間を過ごしていることだろう。
 自分がエミルを探したいと思う気持ちのおそらく何倍も強い焦燥しょうそう感に、母は今、さいなまれているはずだ。
 そのことを考えるとプリシラは今は父の言葉に従うほかないと項垂うなだれるのだった。  

 ☆☆☆☆☆☆

 太陽が西に傾いていく。
 まだ夕方というには早い時間帯ではあるが、谷間の岩橋の上には全員が集まっていた。
 ボルド、プリシラ、ソニア、ベラ、そしてジュード。
 5人は集合すると、探し人が見つからなかったことを報告し合った。

 そしてここからは別行動になるのだ。
 ジュードはボルドに頭を下げた。
 
「ボルドさん。俺はここからジャスティーナを探しに行きます」
「そうですか……本当ならばお手伝いして差し上げたいところなのですが……」

 ボルドも残念そうにそう言うと、ふところから路銀の詰まった小袋を取り出した。
 そしてそれとは別にもう少し大きな袋を取り出すと、それらをジュードに手渡す。

「ここまで子供たちを守ってくれた謝礼金です。あとは少しですが薬草や包帯、食糧もお渡しします」
「ボルドさん……感謝します。しかし、これは多すぎます」

 ふくろの中身を確かめるまでもなく路銀はぎっしりと詰まっており、それはジュードがプリシラからの謝礼として考えていた金額の3倍以上はあるだろう。
 困惑するジュードだがボルドは笑みを浮かべた。

「子供たちのためにご尽力いただいた御礼です。ダニアの女王ブリジットの夫として、そして子供たちの父親としての気持ちです。無論、こんなものでご恩が返せたとは思っておりません。ですからもしお困りの際は……いえ、お困りでなくともぜひ、ダニアの都を訪れて下さい。ジュードさんのお名前とお姿は都に周知しておきますので。もちろん……ジャスティーナさんのことも」

 そう言うとボルドは手を差し出す。
 
「ダニアはあなた方への恩を忘れません。いつでも歓迎いたします」

 その手を取るとジュードは強く握り締め、そして深く頭を下げる。
 そんなジュードの横からプリシラが声をかけてきた。

「ジュード……これ。ジャスティーナの剣」

 悔しげな表情で長剣を収めたさやを腰帯から外してジュードに手渡そうとするプリシラだが、ジュードはこれを受け取らず首を横に振る。

「そんな顔しないでくれ。その剣は君が持つべきだ。そのほうがジャスティーナも喜ぶよ」
「でも……」
「プリシラ……これは本来なら俺から言うことではないんだが、今となっては俺しか伝えられる者がいないから聞いてほしい。君に」

 神妙な顔でそう言うジュードにプリシラは首をかしげる。
 そんな彼女にジュードは静かに言った。

「ジャスティーナには……子供がいたんだ」
「えっ?」
「彼女が産んだその子は赤子の時に病気で死んでしまった。ジャスティーナはそのことをずっと悔いて生きて来た。彼女の生き方は……きっとその子へのつぐないの人生だったんだ」

 初めて聞くジャスティーナの過去に、プリシラはおどろきを隠せなかった。
 言葉を失うプリシラにジュードは話を続ける。

「多分、彼女の子供は生きていたら今の君と一緒くらいの年齢だろう」
「そうなんだ……」
「だからジャスティーナは……君やエミルのことを守ってやりたかったんだと思う。自分が救えなかった命を悔いているからこそ」

 その言葉にプリシラは思わず目をうるませる。

「……ジャスティーナ」

 もっと彼女と話したかった。
 共に過ごして笑い合いたかった。
 今となっては叶わぬその思いに涙するプリシラに、ジュードは優しい笑みを浮かべて手を差し出す。

「短い間だったけれど一緒に旅が出来て楽しかった。きっとジャスティーナもそう思っていると思う。プリシラ。エミルを助けてやってくれ。そして君自身も……生きて幸せになってくれ」
「ジュード。ありがとう。あなたとジャスティーナがいなければここまで来られなかった。感謝してもし切れないわ。ジャスティーナを……見つけてあげてね。いつか……また会いましょう」

 そう言うとプリシラはジュードの差し出した手を固く握り締めるのだった。
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