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第84話 実力の差

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「ハアッ……ハアッ……」

 プリシラは全力で動き続けていた。
 そのため徐々に息が切れてくる。
 戦いの中で力の配分を誤って体力をけずってしまうことは最悪だと、母や他の戦士たちから教えられている。
 もちろんプリシラもそんなことはこれまでの訓連で十分に心得ていた。

 だが、この戦いではその最悪の状況に追い込まれつつある。
 チェルシーが繰り出す攻撃は苛烈で、しかもそれが徐々に激しさを増していた。
 そのためプリシラは全力を出し続けなければ対処できなくなっていたのだ。

「くっ!」

 張り詰めた表情のプリシラとは対象的にチェルシーの表情にはまだ余裕があった。
 力、速さ、技量。
 すべてにおいてチェルシーのほうが上だとプリシラは認めざるを得なかった。

 しかもチェルシーはまだ全力を出していない。
 そのことはプリシラも感じていた。
 その力の天井はまだ見えてこないのだ。

 プリシラは心の中に生じるあせりを必死に抑えて剣を振るう。
 防戦一方にならないよう懸命に攻勢に出る。
 だが、心の奥底には隠しようもない恐れがいていた。 

(つ、強い……アタシよりもずっと。このままじゃ……エミルや皆を守れない)

 プリシラは母との訓連を思い返す。
 母にはもちろん一度として勝てたことはない。
 すでに全盛期を過ぎているというのに母はとてつもなく強かった。
 そして今、目の前にいるチェルシーは母とは戦い方が異なるものの、同じように強かった。
 実力の差に打ちのめされそうになりながら、それでもプリシラは弟や皆を守るために絶対に引くまいと心に決めて不利な戦いを続けるのだった。

 ☆☆☆☆☆☆

 チェルシーは自分が戦いに興じていることを感じていた。
 プリシラという存在を目の前にしたら、どのような感情がくのだろうかと事前に想像していたが、今チェルシーの胸に広がっているのは戦うことへの興奮だった。
 怒りもうらみも今は感じない。

(プリシラ……やはり女王の系譜につらなる者だわ。ワタシがここまでやっても倒れない)

 全力を出しているわけではない。
 相手を殺すわけにはいかないからだ。
 だがそれでも力の8割以上は出している。
 そしてプリシラは懸命に食らいついてきていた。

 今までここまで自分の剣を受けられた者はいなかった。
 ゆえにチェルシーはこれほど力を込めた打ち合いをしたことがないのだ。
 彼女の相手になる者が王国にはいなかったのだから仕方ない。
 チェルシーは自分でも少しずつ力が入っていくのを感じていた。

(もっと抵抗して見せなさい)

 チェルシーは徐々に攻撃を強めていく。
 剣を振るう喜びを止められなかった。
 しかしそんなチェルシーの心にひとすじの影が差す。
 攻撃を受け止め続けるプリシラが、自分の背後に見ている者を感じ取ったからだ。

(そう……そういうことね)

 プリシラがこんなにも自分の攻撃に耐えることが出来るのは、同じように女王の系譜につらなる者たちが彼女の周囲にいたからだろう。
 そうした者たちとの訓練がプリシラを高めたのだ。 
 そしてその中には……クローディアもいたはずだ。

 そう考えた途端とたん、影を潜めていた黒い気持ちがチェルシーの胸に渦巻うずまき始める。
 自分とて姉のクローディアが共にいれば稽古けいこをつけてもらえただろう。
 だが孤独な人生を歩んできたチェルシーのそばにはクローディアはいなかった。 

(この娘は……何もかもを持っている。周りの人たちにも恵まれている。たった1人で生きてきたワタシとは何もかもが違う)

 途端とたんに目の前にいる何も知らぬ金髪の娘が憎くなった。
 チェルシーの腕に自分で思っていた以上の力が入る。
 チェルシーは上段に振り上げた剣を稲妻のように振り下ろした。

「ハアッ!」
「ぐっ!」

 強烈な一撃を剣で受け止めたプリシラは思わず顔をしかめた。
 背骨と腰骨に響く。
 それほどの衝撃だった。

(何でも持っているあなたには理解できないでしょうね。何も持っていないワタシのむなしさを)

 チェルシーはいつしか強張こわばった表情で、ムキになって剣を振るっていた。
 そのすさまじさにプリシラはとうとう耐え切れず、後方に押し込まれるように転倒した。

「くはっ……」

 プリシラは腕がしびれてしまったようで、剣を拾い上げることが出来ない。
 そんな彼女ののどに再びチェルシーの剣先が突き付けられる。

「ここまでね。プリシラ」

 チェルシーは急速に気持ちが冷えていくのを感じた。
 プリシラは疲労で息が荒い。
 これ以上の抵抗は弱々しくなるばかりだろう。

(これで終わりね)

 戦いの終わりを感じて不完全燃焼を残念に思いながら、チェルシーは頭が冷えてきた。
 やるべきことをやるのだという気持ちが舞い戻ってくる。

「プリシラ。抵抗をやめなさい。あなたが今すぐ投降するのならば、あの戦士への攻撃はやめさせるわ。彼女のことは殺さずに逃がしてあげる。ワタシたちが用があるのはあなたとエミル、それから……ジュードだから。あなたが今決断すればここにいる全員は死なずに済むわ」

 その言葉にプリシラはくちびるんだ。
 後方では発砲音が響き続けている。
 ジャスティーナが必死にエミルたちを守ってくれているはずだ。
 だが絶対的に不利な状況だった。

 このままではジャスティーナが命を落としてしまうかもしれない。
 そう思ったプリシラだが……頭に浮かぶのはダニアの仲間や民、そして共和国のことだった。
 今、投降すれば自分たちは生き長らえるかもしれない。

 だが、それはダニアや共和国に長く苦しい不利益をもたらすこととなり、多くの人を死に追いやるかもしれないのだ。
 プリシラは幼い頃より母の女王としての姿や振る舞いを見続けてきた。
 女王は自らの命や家族よりも大事にしなければならないことがある。

「……チェルシー。たとえここでアタシやエミルが生き永らえたとしても、それがダニアや共和国の不利益になることなら何の意味もないわ。あなただって王国で将軍職にいているのなら分かるでしょう? アタシはブリジットの娘なの」
「……なるほど。女王教育の賜物たまものね。でも護衛の戦士はともかく、弟のエミルまで巻き添えにするつもり? あんな幼子を……」
「幼くてもエミルは女王の息子よ。生まれながらにして背負っている宿命があるの。アタシもエミルも母やクローディアの姿を見てきている。女王たちが大事にしてきたものを踏みにじるわけにはいかないわ」

 そう言うとプリシラはようやくしびれが治まりつつある手で剣をつかみ取り、静かに立ち上がる。
 動いたせいでチェルシーが突き付けている剣の切っ先がプリシラののどに触れてわずかな傷をつけた。
 赤い血が玉のようにふくれて一滴二滴と首を伝い落ちても、プリシラは一切臆することなくチェルシーを見据みすえる。

「力及ばずとも最後まで戦うのみよ。アタシは……ダニアの女王の血と誇りを受け継いでいるんだから」

 曇りなきまなこよどみなくそう言うプリシラに、チェルシーは苛立いらだちを抑えられなかった。

「何が……何が誇りよ!」

 チェルシーは幼い頃の悲しみが鮮明に甦ってくるのを感じてこらえ切れずに言葉を重ねた。

「女王の誇り? 笑わせないで。姉は……クローディアは国を捨て、母を捨て、ワタシを捨てた!」

 チェルシーの目には深く暗い怒りが宿っている。
 長い年月をかけてり上げられたその重い感情を目の当たりにしたプリシラは、気圧けおされるように息を飲むのだった。
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