蛮族女王の娘 第1部【公国編】

枕崎 純之助

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第58話 夫婦

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 春の草原を心地良い風が吹き抜けていく。
 よく晴れた空の下をプリシラたち4人は歩き続けていた。
 朝晩はまだ冷えるが昼間は歩くのにちょうどいい気温であり、道も平坦であることから、体力の無いエミルでさえ風を浴びてすずやかな顔で歩いている。
 そんな弟の姿を見ながらプリシラは奇妙な運命の変遷へんせんを感じていた。 

(何だか不思議ふしぎね)
 
 昨日の朝までは母と共に共和国のビバルデにいたのだ。
 自分もエミルも親の庇護ひごの元で恵まれた日々を送っていた。
 それが今は昨日まで知らなかったジャスティーナやジュードと共に公国の見知らぬ土地をこうして歩いている。
 たった一日でこのようなことになるとは予想も出来なかった。
 昨日と今日でまるで別の人生を歩んでいるようだ。

 それでも今この瞬間、プリシラは新鮮な喜びを味わっていた。
 親元を離れた不安は今でもあるが、自身の足で道を踏破とうはして行くことに充実感を覚えている。
 これが生きるということなのだとこんなふうに実感できたのは、生まれて初めてのことだった。

「出来れば馬車を調達したかったんだけれど、アリアドがあの調子だからな」

 そう言うジュードは一番体力の無いエミルのために、2時間ごとに休憩をはさんでくれていた。
 気弱なエミルが不安を抑えて歩いていられるのも、ジュードの気配りや柔らかな人当たりのおかげだろう。
 エミルはジャスティーナのことはまだ怖がっているようで近寄らないが、ジュードには徐々に慣れてきているようだった。

「僕……大丈夫だよ。ちゃんと歩くから」

 めずらしくそう自分から言葉を発したエミルにプリシラはおどろき、ジュードは嬉しそうな笑みを浮かべる。

「そうか。良かった。今日の夕方には目的の村に到着できるから、今夜はちゃんとベッドで眠れると思う。俺やジャスティーナは以前に何度か訪れたことのある村だから、知り合いもいるし安心していい」

 そう言うジュードにうなづき、エミルは草原の道を一歩ずつ着実に歩いていく。
 そんな弟の姿にプリシラは目を細めるのだった。
 
 ☆☆☆☆☆☆

 早朝にビバルデをったブリジットは、馬車に揺られながら一言も発しなかった。
 同乗している小姓こしょうや護衛の兵士らもその重苦しい空気の中でじっと押しだまっている。
 娘のプリシラと息子のエミルが行方ゆくえ不明になって丸1日。
 ブリジットは女王の仕事があるためダニアに戻らねばならなかった。

 ビバルデの街にはブリジットの信頼厚い側近であり竹馬ちくばの友であるベラとソニアを残してきている。
 だが、それでも子供らを見つけられないまま自分だけ街に戻らねばならないのは身を切られるような辛さだった。
 プリシラはもう13歳で体も大きく成長している。
 性格もしっかり者なので、弟のエミルを守りながら今もどこかで無事でいるはずだ。

 そう信じたかった。
 だが、もし2人に何か最悪な出来事が起きてしまえば……。
 そう考えると強心臓のブリジットでも不安で押しつぶされそうになる。 

(母になると強くもなるが……弱くもなるな)

 ブリジットがそう思っていたその時だった。
 馬車を走らせている御者が不意に声を上げる。

「前方から同胞のものとおぼしき馬車が向かってきます!」

 その声にブリジットはハッとして顔を上げ、馬車の窓を開けて顔を出すと前方に目をらした。
 御者の言葉通り、前方から一台の馬車がこちらに向かって走って来る。
 その馬車にはダニアのはたかかげられ、風にはためいていた。
 
めろ!」
 
 ブリジットの言葉に御者はあわてて馬の手綱たづなを引き、馬車をめた。
 すると向かってきていた馬車もすぐにまる。
 そして馬車のとびらが開き、中から1人の黒髪の男性が降りて来た。
 それを見たブリジットもすぐに馬車のとびらを開け、外に飛び出す。

「ボルド!」

 向かいからやって来た馬車から降りたのは、ブリジットの夫のボルドだったのだ。

「ブリジット!」

 2人はたがいに駆け寄り、固く抱きしめ合う。
 ぎ慣れた夫のニオイにブリジットはたまらずに、胸中の思いを吐露とろした。

「すまない。ボルド。アタシのせいで……子供たちが」
「ブリジット。落ち着いて。少し2人で話しましょう」

 そう言うとボルドは妻の手を引いて、自分が乗って来た馬車に向かう。
 彼と一緒に護衛の若い女戦士が数名、馬車に乗っていたのだが、彼女たちは状況を察して馬車から降りた。 
 そんな彼女らにボルドは目礼し、ブリジットを連れて馬車に乗り込んだ。
 そしてとびらを閉めると、2人きりの車内でブリジットを椅子いすに座らせ、自分もそのとなりに腰を下ろす。

「今朝、ビバルデからの鳩便はとびんを受け取って……いてもたってもいられず、すぐに出発を……」

 そう言うボルドの言葉をさえぎり、ブリジットは彼の手を握るとくちびるを震わせながら言う。
 
「すまない。アタシの責任だ。ちゃんと子供たちを見ていなかったから……」

 そんなブリジットの言葉を今度はボルドがさえぎった。

「ライラだけの責任ではないよ。一緒についていけなかった僕の責任でもある。子供たちのことは夫婦2人の責任なんだ。だから1人で背負い込まないで」

 ライラ。
 それはブリジットの幼名だった。
 夫婦の決めごとで、家族だけの時はライラと呼び、敬語も使わないことになっている。
 それはブリジットの強い希望でそうなったのだ。

「しかしボルド……」
「僕がちゃんと子供たちを無事に連れて帰るから、ライラは家に戻った子供たちを笑顔で迎えてあげて」

 ボルドはそう言うとブリジットをそっと抱きしめ、その背中を幾度いくど幾度いくども優しくさすり続ける。
 そうするうちにブリジットも落ち着きを取り戻していった。

「……すまない。取り乱してしまって」
「いいんだよ。夫婦なんだから」

 ボルドの言葉にブリジットはうなづき、ホッと安堵あんどの息をつく。
 常に女王として気を張っていなければならない彼女にとって、夫婦2人でいる時は弱い自分をさらけ出せる大切なひとときだった。

「ボルド。体調はどうだ?」
「もう治りかけだったから大丈夫。さあ、ライラ。そろそろ行かないとね」
「ああ。プリシラとエミルのこと。頼む」

 そう言い合うと夫婦はもう一度固く抱きしめ合うのだった。
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