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第54話 混迷の夜明け
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うっすらと空が青くなり始めた時刻。
アリアド近くの草原の森の端に、一羽の梟が舞い降りてきた。
その辺りで一際大きめの木の枝に止まった梟はのんびりとした様子で毛繕いを始める。
同じ枝に真っ白な髪の男が腰をかけていることにまったく気付いていない。
「……」
その男は完全に気配を消し、ほとんど木と一体化をしているようだった。
身じろぎも瞬きもせず、呼吸すらしない。
とうとう梟はその男の存在に気付くことなく数分の毛繕いを済ませると再び飛び立っていった。
途端に男は静かに息をつき、瞬きを繰り返す。
そして木々の枝葉が茂るその隙間の遥か先に存在する水車小屋をその目に捉えていた。
常人の視力では捉えられないほど離れた距離だというのにだ。
「姉上様。ヒバリは姉上様のためにたくさんたくさん働きます。もう子供の頃のようにかわいがってはいただけませんが、姉上様への愛は変わりません」
無表情でボソリとそう呟くと、ヒバリはそのまま息を潜めて監視を続けるのだった。
☆☆☆☆☆☆
夜が明けた。
戦火が落ち着き、燻った白煙が立ち昇るアリアドの街。
アリアド兵の捕虜たちは両手両足を拘束されて、庁舎前の広場に集められていた。
その周囲では王国兵たちが油断なく大砲や狙撃銃を彼らに向けている。
つい先ほど、この公国領アリアドの街はチェルシー将軍率いる王国軍によって攻め落とされた。
街の領主がチェルシーに降伏し、チェルシーがそれに応じたのだ。
抵抗しなければ街の市民を含めてこれ以上は攻撃しないとチェルシーが宣言し、戦いは幕を閉じた。
チェルシーは今しがた庁舎の尖塔の見張り台に、捕えた領主と並び立ち、街の占領宣言を終えたばかりだ。
そのまま庁舎に残り、戦後処理を進めるチェルシーの目の前に白髪の従者が膝をつく。
この部隊の副官であるシジマの部下の1人だ。
「お疲れ様でございます。将軍閣下。シジマ様は現在、ショーナ様と共にアリアドの東の草原で目標を見張っていますが、目標が移動を開始したようです。いかがいたしましょうか」
その報告を受けてチェルシーは間髪入れずに告げた。
「ご苦労さま。軍本隊が来るまでワタシはここを動けないから、そのまま尾行を続けるように伝えなさい。連絡役を欠かさずに配置するように。それからワタシが合流するまで何があっても手出しはしないようにと伝えなさい」
そう命じられた部下は深々と頭を下げ、すぐさま踵を返して去って行く。
チェルシーは昨夜のシジマの報告を受けた際の驚きを思い返した。
そもそも第一報は正体不明の黒髪術者の存在をショーナが感知したというものだったが、それが第二報になると思いもよらない情報に化けたのだ。
ショーナ達が見つけたのは、ダニアの女王ブリジットの子女であるプリシラとエミルである可能性が高いというのだ。
(プリシラとエミル……)
面識はないがチェルシーもその2人のことは知っている。
同じダニアの女王の血を受け継ぐ者たちだ。
しかし2人ともまだ成人しておらず、子供のはずだというのに、深夜にそんな場所にいるというのは信じられなかった。
まさかダニアの女王ブリジットが軍を率いて公国まで出向いてきたのかと肝を冷やしたが、兵に周囲を探らせたところ軍勢の気配はなかった。
(なぜブリジットの子供たちが……何をしているの? 偵察……いいえ。そんな任務を子供たちに任せるはずはない)
女王の娘と息子がこんな時にこんな場所にいるその理由はまるで分からなかったが、もし本当に本人たちであるのならば、捕らえられれば思わぬ大きな戦果となる。
王から命じられた軍務の途中であるが、自ら出向いてこの目で確かめ、この手で捕らえるべきだとチェルシーは判断した。
その2人を捕らえられれば、兄であるジャイルズ王からの密命はその成果が2倍となるのだ。
妾の子として、兄たちやその他の王族たちが自分のことを疎ましく思っているのはチェルシーも嫌というほど肌で感じ取ってきた。
だがもし今回の任務を2倍の成果を伴って成功させれば、その実績には誰も文句をつけられなくなるだろう。
そんなことを考えている自分に気付き、チェルシーは思わず自嘲する。
(馬鹿なことだわ。あんな連中に認められたってワタシには何の意味もない。ワタシが戦うのは国のためなどではない。ましてや兄のためでもない。ワタシは……姉様にこの怒りを叩きつけねば気が済まないんだから)
チェルシーは己の内に宿る暗い怒りを自覚する。
それこそがチェルシーを突き動かす原動力なのだ。
(ワタシと母様は捨てられた……)
チェルシーの母親である先代クローディアは先細りするダニア分家の未来を危惧し、女王の座を娘であるレジーナに譲ると、王国の先代国王に我が身を差し出す様に輿入れした。
王の側室となり、王の子を産む。
その代わりに分家の一族は王国内に街を作って住むことを許されたのだ。
そうして分家を王国に所属させ、一族の生活の基盤を作ったのは間違いなく先代だった。
だが、そうした自己犠牲の上に手に入れた暮らしを王国への隷属と見なし、異を唱えたのが先代の娘である当代のクローディアだ。
(姉様は……母様の人生を否定した。絶対に……許せない)
そして当代のクローディアは他所に新たな街を作り、一族を率いて王国から出て行ってしまった。
母親である先代と、腹違いの妹であるチェルシーを置き去りにして。
それから数年して先代は体が衰弱し、銀の女王の一族の宿命である短命の例に漏れず、逝ってしまった。
母と過ごした日々はわずか数年だったが、チェルシーは幼かった頃の記憶を覚えている。
娘が出て行った後の母が時折見せていた寂しげな背中を。
その背中を思い出すたびに、母を悲しませた身勝手な姉に対する強い怒りがチェルシーの腹の底から湧き上がってくるのだ。
(姉様は母様とワタシの生活を壊した。今度はワタシが姉様の暮らしを壊してあげる。報いを受けて自分の愚かな行いを後悔するといいわ)
チェルシーは拳を握り締め、戦火に見舞われたアリアドの街の姿をその目に焼き付ける。
これが近い将来の共和国の首都の姿になるとその胸に誓って。
アリアド近くの草原の森の端に、一羽の梟が舞い降りてきた。
その辺りで一際大きめの木の枝に止まった梟はのんびりとした様子で毛繕いを始める。
同じ枝に真っ白な髪の男が腰をかけていることにまったく気付いていない。
「……」
その男は完全に気配を消し、ほとんど木と一体化をしているようだった。
身じろぎも瞬きもせず、呼吸すらしない。
とうとう梟はその男の存在に気付くことなく数分の毛繕いを済ませると再び飛び立っていった。
途端に男は静かに息をつき、瞬きを繰り返す。
そして木々の枝葉が茂るその隙間の遥か先に存在する水車小屋をその目に捉えていた。
常人の視力では捉えられないほど離れた距離だというのにだ。
「姉上様。ヒバリは姉上様のためにたくさんたくさん働きます。もう子供の頃のようにかわいがってはいただけませんが、姉上様への愛は変わりません」
無表情でボソリとそう呟くと、ヒバリはそのまま息を潜めて監視を続けるのだった。
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夜が明けた。
戦火が落ち着き、燻った白煙が立ち昇るアリアドの街。
アリアド兵の捕虜たちは両手両足を拘束されて、庁舎前の広場に集められていた。
その周囲では王国兵たちが油断なく大砲や狙撃銃を彼らに向けている。
つい先ほど、この公国領アリアドの街はチェルシー将軍率いる王国軍によって攻め落とされた。
街の領主がチェルシーに降伏し、チェルシーがそれに応じたのだ。
抵抗しなければ街の市民を含めてこれ以上は攻撃しないとチェルシーが宣言し、戦いは幕を閉じた。
チェルシーは今しがた庁舎の尖塔の見張り台に、捕えた領主と並び立ち、街の占領宣言を終えたばかりだ。
そのまま庁舎に残り、戦後処理を進めるチェルシーの目の前に白髪の従者が膝をつく。
この部隊の副官であるシジマの部下の1人だ。
「お疲れ様でございます。将軍閣下。シジマ様は現在、ショーナ様と共にアリアドの東の草原で目標を見張っていますが、目標が移動を開始したようです。いかがいたしましょうか」
その報告を受けてチェルシーは間髪入れずに告げた。
「ご苦労さま。軍本隊が来るまでワタシはここを動けないから、そのまま尾行を続けるように伝えなさい。連絡役を欠かさずに配置するように。それからワタシが合流するまで何があっても手出しはしないようにと伝えなさい」
そう命じられた部下は深々と頭を下げ、すぐさま踵を返して去って行く。
チェルシーは昨夜のシジマの報告を受けた際の驚きを思い返した。
そもそも第一報は正体不明の黒髪術者の存在をショーナが感知したというものだったが、それが第二報になると思いもよらない情報に化けたのだ。
ショーナ達が見つけたのは、ダニアの女王ブリジットの子女であるプリシラとエミルである可能性が高いというのだ。
(プリシラとエミル……)
面識はないがチェルシーもその2人のことは知っている。
同じダニアの女王の血を受け継ぐ者たちだ。
しかし2人ともまだ成人しておらず、子供のはずだというのに、深夜にそんな場所にいるというのは信じられなかった。
まさかダニアの女王ブリジットが軍を率いて公国まで出向いてきたのかと肝を冷やしたが、兵に周囲を探らせたところ軍勢の気配はなかった。
(なぜブリジットの子供たちが……何をしているの? 偵察……いいえ。そんな任務を子供たちに任せるはずはない)
女王の娘と息子がこんな時にこんな場所にいるその理由はまるで分からなかったが、もし本当に本人たちであるのならば、捕らえられれば思わぬ大きな戦果となる。
王から命じられた軍務の途中であるが、自ら出向いてこの目で確かめ、この手で捕らえるべきだとチェルシーは判断した。
その2人を捕らえられれば、兄であるジャイルズ王からの密命はその成果が2倍となるのだ。
妾の子として、兄たちやその他の王族たちが自分のことを疎ましく思っているのはチェルシーも嫌というほど肌で感じ取ってきた。
だがもし今回の任務を2倍の成果を伴って成功させれば、その実績には誰も文句をつけられなくなるだろう。
そんなことを考えている自分に気付き、チェルシーは思わず自嘲する。
(馬鹿なことだわ。あんな連中に認められたってワタシには何の意味もない。ワタシが戦うのは国のためなどではない。ましてや兄のためでもない。ワタシは……姉様にこの怒りを叩きつけねば気が済まないんだから)
チェルシーは己の内に宿る暗い怒りを自覚する。
それこそがチェルシーを突き動かす原動力なのだ。
(ワタシと母様は捨てられた……)
チェルシーの母親である先代クローディアは先細りするダニア分家の未来を危惧し、女王の座を娘であるレジーナに譲ると、王国の先代国王に我が身を差し出す様に輿入れした。
王の側室となり、王の子を産む。
その代わりに分家の一族は王国内に街を作って住むことを許されたのだ。
そうして分家を王国に所属させ、一族の生活の基盤を作ったのは間違いなく先代だった。
だが、そうした自己犠牲の上に手に入れた暮らしを王国への隷属と見なし、異を唱えたのが先代の娘である当代のクローディアだ。
(姉様は……母様の人生を否定した。絶対に……許せない)
そして当代のクローディアは他所に新たな街を作り、一族を率いて王国から出て行ってしまった。
母親である先代と、腹違いの妹であるチェルシーを置き去りにして。
それから数年して先代は体が衰弱し、銀の女王の一族の宿命である短命の例に漏れず、逝ってしまった。
母と過ごした日々はわずか数年だったが、チェルシーは幼かった頃の記憶を覚えている。
娘が出て行った後の母が時折見せていた寂しげな背中を。
その背中を思い出すたびに、母を悲しませた身勝手な姉に対する強い怒りがチェルシーの腹の底から湧き上がってくるのだ。
(姉様は母様とワタシの生活を壊した。今度はワタシが姉様の暮らしを壊してあげる。報いを受けて自分の愚かな行いを後悔するといいわ)
チェルシーは拳を握り締め、戦火に見舞われたアリアドの街の姿をその目に焼き付ける。
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