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第53話 誇りと覚悟
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「もう。起こしてって言ったのに。ジュードったら」
ふくれっ面でそうぼやきながらプリシラは水車小屋の扉を開けて外に出る。
ヒヤリとした真夜中の空気に思わず身震いしつつ、前方に目を向けた。
すると小屋の近くにある切り株に腰をかけているジャスティーナの姿があった。
2時間の睡眠の後に見張りを引き受けている彼女は、短槍を手に持ち、すぐ傍らには短弓と矢筒を置いて周囲を警戒している。
そしてジロリとプリシラに目を向けてきた。
「厠か?」
「意地悪言わないでよ。ジャスティーナ。あなたと一緒に起きて見張りに立つつもりだったのに、ジュードが変な気を遣って起こしてくれなかったのよ。頼んでおいたのに」
まだ子供だと思われているのだとプリシラは憮然としながら、両頬をピシャリと両手で叩いて目を覚ます。
「アタシは小屋の反対側を見張るわ」
そう言って小屋を回り込もうと踵を返したプリシラをジャスティーナは呼び止めた。
「待ちな」
「なに?」
「一応聞くが……人を殺した経験は?」
その問いにプリシラは思わず振り返る。
その顔は心なしか強張っていた。
それを見てジャスティーナは肩をすくめる。
「勘違いするな。別に責めているわけじゃない。むしろあんたの年なら殺したことが無いのが普通だ」
「……無いわ。実戦も昨日の林の中が初めてだもの」
そう言うプリシラはゆうべの傭兵団との戦いを思い返す。
敵を無力化すればそれでいいと思っていた。
だが、無力化したと思っていた相手が息を吹き返し、危うく反撃を浴びるところだったのだ。
ジャスティーナはそうした敵の全てにトドメを刺し、本当の意味で無力化させた。
それはプリシラには出来ないことだった。
尻拭いをしてもらった格好のプリシラはそのことを気にしていた。
「無事に親元へ帰れたとして、あんたはブリジットの娘だ。いずれは実戦の場に立つことになる。そうなれば敵を斬らずにはいられない。必ず人を殺す日が来る。必ずだ」
そう言うジャスティーナの表情は淡々としていた。
分かり切ったことを話しているのだとプリシラにも理解できる。
「ええ……そうね」
「別に人を殺すことが偉いわけじゃないし、そんな経験を誇る奴を私は軽蔑する。だが戦場で咄嗟に決断が出来なければ、死ぬのは自分だぞ」
ジャスティーナの言葉にプリシラは重苦しい表情を見せる。
「ジャスティーナは最初に人を殺した時は……どうだったの?」
切実に答えを乞うようなプリシラの問いに、ジャスティーナは当時を思い返すかのようにしばし黙り込んだ。
そして落ち着いた口調で話し始める。
「……無我夢中だった。私も最初はビビッたよ。斬った相手が自分の目の前で死体になっていて、そいつの血が付いた刃物を握る私の手は震えていた。部族間の争いの戦場だ。同じ戦いに参加していた私の同期の女が2人いた。そいつらも初めての殺しだった。1人は殺したことに恐怖で震えてその場で動けなくなっていた。そして背後から敵に斬られてあっけなく死んだ。もう1人は敵を殺したことに高揚して平常心を失った。そして奇妙な笑い声を上げながら敵に突っ込み、何人か斬ったところで周囲を敵に囲まれて、四方八方から槍で串刺しにされて笑ったまま死んだよ」
その話にプリシラは息を飲む。
戦場の張り詰めた様子がありありと伝わってきた。
「私はそれから無心で敵を斬った。恐怖はあったが喜びや興奮はなかった。次第に恐怖も薄れていき、目の前の相手をただ斬ることだけに集中していると、気付いた時には周囲から敵がいなくなっていた。何人斬ったかは覚えていない。私が生き残ることが出来たのは殺しに溺れず、しかし殺しに臆さず躊躇わなかったからだ」
そう言うジャスティーナの表情は何の気負いもなく淡々としたままだ。
「人を殺すのって……どんな感じなの?」
それは思わず口を突いて出た言葉だった。
プリシラは今まで、そんなことを誰にも聞いたことはない。
母であるブリジットも、幼い頃から面倒を見てくれたベラとソニアも歴戦の戦士だ。
皆、これまでおそらく何百人と敵を斬り倒してきたことだろう。
だがプリシラは彼女らにそのことは聞けなかった。
自分に対して愛を持って接してくれる皆に、そんなことを聞くのが怖かったのだ。
違う一面を見てしまうようで。
そんなプリシラの問いにジャスティーナは嘆息しつつ、率直に答えてくれた。
「自分が振るった刃によって相手が倒れ、それまで息をして血が通い動いていた人間という生き物が死体という肉の塊に変わるんだ。生命が……ただの物質に変わる。そんな感じだな」
そう言うとジャスティーナは短剣を鞘から抜いて、その刃を見つめる。
「殺した相手にも人生があった。生まれたことを祝福されて母親の腕の中で慈しまれた日もあっただろう。人生という時間を積み重ねてきたはすだ。それを……この刃の一撃で終わらせてしまう。それは……とても重いことだ」
「そう……」
「だが、戦士はその重さに囚われては戦えない。敵の死をまともに受け止め過ぎると、その重さで体が動かなくなる。そうやって私の同期の1人は震えながら斬り殺された。かと言ってその重さから逃げると、今度は次第に殺すことへの高揚感に支配されてしまう。そうなればそいつは戦士ではなくただの人殺しだ。自らの命の重さすら分からなくなるんだ。もう1人の同期はそうやって死んだ」
そう言うとジャスティーナは短剣を鞘にしまい込む。
そして静かな思いを込めて言った。
「私は敵の死を受け止め過ぎず、軽んじることもなく、そうやって自分自身を律してきた。この胸には常に戦士としての誇りがある。戦士も人殺しも見る者が見れば同類だろう。だが私は戦士としての誇りを忘れないからこそ、戦場でも迷いなく戦えるんだ。それでも死ぬ時は死ぬと覚悟はしているがな」
そう言うとジャスティーナは固い表情で自分を見つめているプリシラに目をやった。
「誇りと覚悟がなければ戦場に立つべきじゃない。その意味が分かるだろう? 後は自分でよく考えるんだな。さあ見張りに立つなら立ちな。ボーッとするなよ」
その言葉にプリシラは静かに頷き、固い表情で水車小屋の反対側へ向かって行った。
その背中を見送りながらジャスティーナはポツリと呟きを漏らす。
「……まったく。私も余計なお喋りしちまったね。小娘にはまだ早いだろうに」
ジャスティーナは切り株から立ち上がり、短槍で鋭く虚空を突く。
そして星の瞬く夜空を見上げた。
「……まさかダニアの女王の娘や息子に直接会うことになるなんてな。あの日、あのまま新都ダニアに攻め込んでいたら、私はここにいなかったかもしれないね。人生は何があるか分からんとあなたは言っていたけれど、私も今、同じことを感じていますよ。師匠」
ジャスティーナはプリシラやエミルに出会うことになった自分の奇妙な運命に、溜息をつくのだった。
ふくれっ面でそうぼやきながらプリシラは水車小屋の扉を開けて外に出る。
ヒヤリとした真夜中の空気に思わず身震いしつつ、前方に目を向けた。
すると小屋の近くにある切り株に腰をかけているジャスティーナの姿があった。
2時間の睡眠の後に見張りを引き受けている彼女は、短槍を手に持ち、すぐ傍らには短弓と矢筒を置いて周囲を警戒している。
そしてジロリとプリシラに目を向けてきた。
「厠か?」
「意地悪言わないでよ。ジャスティーナ。あなたと一緒に起きて見張りに立つつもりだったのに、ジュードが変な気を遣って起こしてくれなかったのよ。頼んでおいたのに」
まだ子供だと思われているのだとプリシラは憮然としながら、両頬をピシャリと両手で叩いて目を覚ます。
「アタシは小屋の反対側を見張るわ」
そう言って小屋を回り込もうと踵を返したプリシラをジャスティーナは呼び止めた。
「待ちな」
「なに?」
「一応聞くが……人を殺した経験は?」
その問いにプリシラは思わず振り返る。
その顔は心なしか強張っていた。
それを見てジャスティーナは肩をすくめる。
「勘違いするな。別に責めているわけじゃない。むしろあんたの年なら殺したことが無いのが普通だ」
「……無いわ。実戦も昨日の林の中が初めてだもの」
そう言うプリシラはゆうべの傭兵団との戦いを思い返す。
敵を無力化すればそれでいいと思っていた。
だが、無力化したと思っていた相手が息を吹き返し、危うく反撃を浴びるところだったのだ。
ジャスティーナはそうした敵の全てにトドメを刺し、本当の意味で無力化させた。
それはプリシラには出来ないことだった。
尻拭いをしてもらった格好のプリシラはそのことを気にしていた。
「無事に親元へ帰れたとして、あんたはブリジットの娘だ。いずれは実戦の場に立つことになる。そうなれば敵を斬らずにはいられない。必ず人を殺す日が来る。必ずだ」
そう言うジャスティーナの表情は淡々としていた。
分かり切ったことを話しているのだとプリシラにも理解できる。
「ええ……そうね」
「別に人を殺すことが偉いわけじゃないし、そんな経験を誇る奴を私は軽蔑する。だが戦場で咄嗟に決断が出来なければ、死ぬのは自分だぞ」
ジャスティーナの言葉にプリシラは重苦しい表情を見せる。
「ジャスティーナは最初に人を殺した時は……どうだったの?」
切実に答えを乞うようなプリシラの問いに、ジャスティーナは当時を思い返すかのようにしばし黙り込んだ。
そして落ち着いた口調で話し始める。
「……無我夢中だった。私も最初はビビッたよ。斬った相手が自分の目の前で死体になっていて、そいつの血が付いた刃物を握る私の手は震えていた。部族間の争いの戦場だ。同じ戦いに参加していた私の同期の女が2人いた。そいつらも初めての殺しだった。1人は殺したことに恐怖で震えてその場で動けなくなっていた。そして背後から敵に斬られてあっけなく死んだ。もう1人は敵を殺したことに高揚して平常心を失った。そして奇妙な笑い声を上げながら敵に突っ込み、何人か斬ったところで周囲を敵に囲まれて、四方八方から槍で串刺しにされて笑ったまま死んだよ」
その話にプリシラは息を飲む。
戦場の張り詰めた様子がありありと伝わってきた。
「私はそれから無心で敵を斬った。恐怖はあったが喜びや興奮はなかった。次第に恐怖も薄れていき、目の前の相手をただ斬ることだけに集中していると、気付いた時には周囲から敵がいなくなっていた。何人斬ったかは覚えていない。私が生き残ることが出来たのは殺しに溺れず、しかし殺しに臆さず躊躇わなかったからだ」
そう言うジャスティーナの表情は何の気負いもなく淡々としたままだ。
「人を殺すのって……どんな感じなの?」
それは思わず口を突いて出た言葉だった。
プリシラは今まで、そんなことを誰にも聞いたことはない。
母であるブリジットも、幼い頃から面倒を見てくれたベラとソニアも歴戦の戦士だ。
皆、これまでおそらく何百人と敵を斬り倒してきたことだろう。
だがプリシラは彼女らにそのことは聞けなかった。
自分に対して愛を持って接してくれる皆に、そんなことを聞くのが怖かったのだ。
違う一面を見てしまうようで。
そんなプリシラの問いにジャスティーナは嘆息しつつ、率直に答えてくれた。
「自分が振るった刃によって相手が倒れ、それまで息をして血が通い動いていた人間という生き物が死体という肉の塊に変わるんだ。生命が……ただの物質に変わる。そんな感じだな」
そう言うとジャスティーナは短剣を鞘から抜いて、その刃を見つめる。
「殺した相手にも人生があった。生まれたことを祝福されて母親の腕の中で慈しまれた日もあっただろう。人生という時間を積み重ねてきたはすだ。それを……この刃の一撃で終わらせてしまう。それは……とても重いことだ」
「そう……」
「だが、戦士はその重さに囚われては戦えない。敵の死をまともに受け止め過ぎると、その重さで体が動かなくなる。そうやって私の同期の1人は震えながら斬り殺された。かと言ってその重さから逃げると、今度は次第に殺すことへの高揚感に支配されてしまう。そうなればそいつは戦士ではなくただの人殺しだ。自らの命の重さすら分からなくなるんだ。もう1人の同期はそうやって死んだ」
そう言うとジャスティーナは短剣を鞘にしまい込む。
そして静かな思いを込めて言った。
「私は敵の死を受け止め過ぎず、軽んじることもなく、そうやって自分自身を律してきた。この胸には常に戦士としての誇りがある。戦士も人殺しも見る者が見れば同類だろう。だが私は戦士としての誇りを忘れないからこそ、戦場でも迷いなく戦えるんだ。それでも死ぬ時は死ぬと覚悟はしているがな」
そう言うとジャスティーナは固い表情で自分を見つめているプリシラに目をやった。
「誇りと覚悟がなければ戦場に立つべきじゃない。その意味が分かるだろう? 後は自分でよく考えるんだな。さあ見張りに立つなら立ちな。ボーッとするなよ」
その言葉にプリシラは静かに頷き、固い表情で水車小屋の反対側へ向かって行った。
その背中を見送りながらジャスティーナはポツリと呟きを漏らす。
「……まったく。私も余計なお喋りしちまったね。小娘にはまだ早いだろうに」
ジャスティーナは切り株から立ち上がり、短槍で鋭く虚空を突く。
そして星の瞬く夜空を見上げた。
「……まさかダニアの女王の娘や息子に直接会うことになるなんてな。あの日、あのまま新都ダニアに攻め込んでいたら、私はここにいなかったかもしれないね。人生は何があるか分からんとあなたは言っていたけれど、私も今、同じことを感じていますよ。師匠」
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