蛮族女王の娘 第1部【公国編】

枕崎 純之助

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第52話 真夜中の密行

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 真夜中の共和国。
 首都の中心部にある大統領イライアスの私邸していに一台の馬車が到着した。
 装飾の一切無い質素な馬車だ。
 その馬車を待っていたのは一組の家族だった。

「父様。母様。行ってまいります」

 そう言ったのは黒髪の少年だった。
 近くで従者が持つ角灯にほのかに照らされたその顔には、まだ幼さが残っている。
 しかし少年は背すじをピンと伸ばし、毅然きぜんとした表情を見せた。
 
 そんな彼のとなりでは、彼よりもさらに幼い銀髪の少女がメソメソと泣いている。
 そしてその2人の対面には黒髪の男性と銀髪の女性が立っていた。
 この共和国の大統領であるイライアスと、その妻でありダニアの銀の女王でもあるクローディアだ。

「ヴァージル。ウェンディー。2人とも体には気をつけるんだぞ」
「無事に帰って来るのよ」

 今、この街から離れようとしているのは2人の子女だった。
 兄であるヴァージルは8歳。
 妹のウェンディーは6歳だ。

「いつ? いつワタシたちはここに帰って来られるの?」

 涙で目を赤くらしながら幼いウェンディーはそう言って母にすがりつく。 
 クローディアはそんな娘をやさしく抱きしめながらその背中をでてやった。

「ウェンディー。少しの間、我慢してね。母様や父様がいなくても兄様が一緒にいてくれるから。お泊まりの練習だと思って。大丈夫。またすぐ会えるから」

 そう言うクローディアの横では彼女の夫であるイライアスが息子の肩を抱く。

「ヴァージル。おまえにもさびしい思いをさせてすまないな」
「大丈夫です。僕は父様の息子ですから。ウェンディーのことは心配しないで下さい。僕がついていますから」

 まだわずか8歳だというのに気丈に振る舞うことを覚えたヴァージルに、イライアスは複雑な思いを抱きながらその肩に手を置く。

「……頼んだぞ。たが、決して無理はするな」
「はい。父様。ほら、ウェンディー。もう行くよ」

 そう言うとヴァージルは母とも抱擁ほうようを交わし、それから妹の手を引いて馬車に乗り込んでいく。
 共に乗り込むのは2名の護衛の兵士と側付きの小姓こしょう2名だ。
 クローディアは護衛である赤毛の女戦士2人に声をかける。

「ジリアン、リビー。世話をかけるわね。2人のこと。お願いね」

 ジリアンとリビー。
 元々ダニアの分家に所属していた2人は、新都ダニアの創世期からクローディアにつかえていた古株だ。
 共に年齢は35歳を迎えているが、今でも現役の戦士だった。
 クローディアはこの2人なら腕も確かであるし、信頼がおけると思って子供たちの護衛を任せることに決めたのだ。
 ヴァージルもウェンディーもジリアン達にはなついている。

「お任せ下さい」
「命にかけてお2人を御守りします」

 王国がすぐ隣国りんごくの公国に攻め込んだ。
 この事実が共和国内にも大きな衝撃を与えていた。
 もし王国が公国を侵略し占領するのであれば、やがて戦火は共和国にも及ぶ恐れがある。
 ゆえに共和国では今、戦時に向けた準備を急拡大させていた。
 そして大統領の子女である兄妹を国内の高原の村に避難させることにしたのだ。

「2人とも。道中気をつけるんだぞ」
「2人で助け合うのよ」

 夫妻はそう言うと馬車の御者に目を向ける。
 御者は深々と頭を下げ、馬車を出した。
 車窓から涙目でこちらを見つめるウェンディーと、手を振るヴァージルの姿が見えたが、それもすぐに遠ざかり暗闇くらやみの街へと消えて行く。
 
 移動を悟られぬよう大々的な護衛は付けない。
 秘密の行程だ。
 馬車が見えなくなった後もその方角を辛そうに見つめるクローディアの肩を、イライアスは優しく抱いた。
 クローディアは肩を小刻みに震わせている。

「イライアス。想像以上に辛いものね。幼い子供たちと離れ離れになるのは」

 そう言うクローディアの目には涙が浮かんでいた。
 子供らへの愛情深い母親であるクローディアだけに、その辛さも人一倍なのだ。
 イライアスは妻を元気付けるために優しい声で言った。

「あの子たちを守るためだ。ここにいても俺たちが四六時中、一緒にいてやれるわけじゃない。少しの辛抱さ。今は耐える時だ」

 夫の言葉にクローディアは涙をいてうなづいた。
 なぜ子供たちを遠方へ避難させることになったのか。
 事の発端はこの共和国首都で3日前に起きた事件だった。
 政府外交官の長の子供が誘拐ゆうかいされたのだ。

 幸いにして犯人はすぐに捕まり、子は無事に救出された。
 そして犯人は自供したのだ。
 自分は王国の手の者だと。
 要人の家族を誘拐ゆうかいし、王国に連れ去る任務にいているのだと。

 その供述の真偽しんぎはいまだ確認中てあるが、このことが共和国政府に衝撃と緊張をもたらした。
 政府要人の多くが自宅の警備を手厚くしたり、家族を遠方に避難させたりする中、大統領夫妻も我が子の避難を決めたのだ。
 しかも2人の子は他の者たちとは事情が違った。
 兄のヴァージルは父譲りの黒髪術者ダークネスであり、妹のウェンディーは母であるクローディアの血を色濃く受け継いだ女王の系譜の力を持つ。
 どちらも王国にとってはのどから手が出るほど欲しい人材でもあるのだ。

 この2人がねらわれる危険性は高く、いかに警備を厚くしたところで、共和国の首都にいたのでは危険を排除し切れない。
 そのため2人を首都から離れさせることを決めたのだ。
 当初、2人はダニアの都への避難が検討されていた。
 ダニアは屈強くっきょうな女戦士たちが守る都であり、クローディアの盟友であるブリジットがいる。
 その条件を考えると安全な場所に思えた。

 だが地理的にダニアの都は公国首都と共和国首都の間にある。
 仮に王国が公国を占領した場合、その首都を足がかりにして共和国を攻めるには、ダニアの都を攻め落とす必要があるのだ。
 要するにダニアの都は苛烈かれつな戦場となる恐れがある。
 そのため大統領夫妻は2人の子供をダニアではなく、戦場から遠く離れた共和国南部の高原の村へと逃がすことを決めたのだった。
 このことは情報の漏洩ろうえいを防止するために、夫妻とそれに近しいごく一部の者しか知らない。

「早く終わらせなければ……戦など」

 イライアスはやみにらみつけ決然とそう言う。
 クローディアはそんな夫の手を取った。

「ええ。あの子たちが……いえ、この国の人々が安心して暮らせる日々を取り戻さないと」

 母として流した涙をぬぐい、クローディアは大統領の妻として、そしてダニアの銀の女王として覚悟を決めるのだった。
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