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第51話 黒き波動

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 アリアドの街からそれほど離れていない草原に小さな森がある。
 小さな森の木々の中からけむりが立ち上っている様子が月明かりに照らされてわずかに見えた。

「連中。今夜はあそこで夜を明かすようだな」

 草原の草むらに身を潜めるシジマがそう言うと、そのとなりでショーナも目をらす。 

「そう。今は私は役立たずね」
「フッ。まったくだ」

 そう鼻で笑うシジマにショーナは憮然ぶぜんとした。  
 黒髪術者ダークネスとしての力を閉ざしておかなければジュードやエミルにこちらの存在を気付かれてしまうだろう。
 今は彼女にはやれることは何も無い。

「退屈な任務だが、ダニアのプリシラとエミルを捕らえられれば、大きな保険が出来る。仮にチェルシー将軍が本来の目的を達成できない場合でも、あの2人を捕らえておけばジャイルズ王に対して面目は保てるからな」

 シジマの話にショーナは冷然とうなづく。
 チェルシーは将軍という栄職にいてはいるものの、王国軍本部からは冷遇されている。
 将軍である以上、本来であれば現在公国北部を進軍中の軍本部をひきいて公国首都をねらう立場にあるはずだ。

 だが、その立場を副将軍である次兄のウェズリーに譲り、チェルシーはこうして少数の別働隊をひきいる閑職かんしょくに追いやられている。
 それはジャイルズ王からある密命を受けてのことであるが、将軍職という格を考えると異例の人事だった。
 だが、この任務の特殊性を考えるとチェルシーが少数精鋭部隊をひきいて行うことが最も理にかなっている。
 それを分かっているからこそチェルシーは文句の一つも言わずに王の指示に従っているのだ。

(いや、そうでなくともチェルシーには兄たちに逆らうような気概はないな。あの娘はただの復讐鬼だ) 

 シジマはそんなことを思いながら一つ溜息ためいきをついた。

「ふぅ。しかし……寝込みを襲って捕らえられないものか。このまま監視を続けるのも時間と労力を浪費することになる」

 このシジマという男がただ腕が立つだけではなく、様々な知識を持ち、あの手この手で相手を追い詰める手練手管てれんてくだの持ち主だということはショーナも知っている。 
 それでもショーナの言うべきことは決まっていた。

「出来るかもしれないわね。でもするべきじゃないわ。おそらくアリアドの占領が終わったらチェルシー将軍はこの件に着手される。将軍が手ずから動かれれば、おそらくすぐに片付くと思うわ。とにかく相手はダニアの女王の娘よ。しかも幼子ではなく、成人まであと2年足らず。ワタシたちの想像を超える実力者だと思って行動しないと、痛い目を見ることになるわ。将軍の判断を仰ぎましょう」

 そう言うとショーナは再び前方の森へと目を向ける。
 その瞬間だった。

【ワタクシのかわいい坊やを付けねらうのは……あなたかしら?】

 誰かに耳元でそうささやかれ、そして後ろから首を手でめられたような気がした。
 ゾクリとする悪寒にショーナはハッとして背後を振り返る。
 だが、そこには誰もいない。
 ショーナは周囲をグルリと見回したが誰の姿も見当たらなかった。

 しかし……突如として体が地面の中に吸い込まれていくような感覚に襲われる。
 まるで自分が地面の上にいるのではなく、水の中にしずみ込んでいくような感覚だ。
 そこでショーナは見た。
 自分の両足に、長く黒い髪を持つ不気味な女がしがみついているのを。

「ひっ!」

 思わず短く悲鳴を上げるショーナを女は深く暗い水底へと引きずり込みながら言った。

【ダメよ……あの子はワタクシのかわいい坊やなんだから。奪おうとするなら……のろい殺してあげる】

 そう言った女の目が黒くうずを巻き、それを見たショーナは恐怖と絶望で体の震えが止まらなくなった。

「……ナ。ショーナ!」

 その声にハッとしてショーナは我に返る。
 気付くとショーナは草原の上に立ち尽くし、その肩にはシジマの手が置かれている。
 ショーナは呆然ぼうぜんとして彼に目を向けた。

「シ……シジマ」
「急にどうした? 様子がおかしいぞ。何かを感じたのか?」

 そういぶかしむシジマにショーナは荒い息をつきながら、少しずつ自分を落ち着かせる。
 周囲を見回すと何も変わらぬ静かな夜の草原が広がっていた。
 足はしっかりと草の大地を踏みしめているし、先ほどの自分の足にまとわりついてきた黒髪の女の姿はどこにもない。
 それが幻だったのだと気付き、ショーナは大きく息をついた。

「いえ、何でもないわ。ちょっと幻聴が……聞こえて……」
「幻聴? どういうことだ?」

 黒髪術者ダークネスであるショーナが感じ取った異変はすなわち危機を知らせるものなのだと知るシジマは、途端とたんに周囲を警戒する。
 だがショーナは落ち着きを取り戻すと、シジマに言う。

「大丈夫。今は何も感じないから。もしかしたらワタシの力の誤りで幻聴が聞こえただけかもしれないし……」

 そう言ったショーナだが、そうではないと分かっていた。
 そうであってほしいというのはただの願望だ。
 首にまとわりつく手の感触と足に絡みついた指の感触。

 それらの感覚が今も体にしっかりときざみつけらている。
 それは明らかに黒髪術者ダークネスの力による干渉だった。
 それも……今まで感じたことのないほど、深くて底の見えないやみのような力だった。
 黒髪術者ダークネスの力を閉じているはずのショーナの位置を探し当て、これほど強い念を送り込んでくる。
 そのことにショーナは底知れぬ恐ろしさを感じた。
 
(かわいい坊や……と言っていた……おそらくそれはエミルのことだわ。でも、どうして……一体何者なの? ブリジットの息子エミル)

 ただの黒髪術者ダークネスの子供だと思っていた。
 だが今、ショーナはエミルという存在に、ぬぐいように無いほどの不気味さと恐怖を感じているのだった。
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