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第50話 心残り

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「ねえジュード。姉様はワタシのこと……忘れちゃったのかな」

 わずか6歳のチェルシーに唐突にそうたずねられ、13歳のジュードはすぐに答えることが出来なかった。
 チェルシーのことはまだ彼女が歩き始めたばかりの頃から知っている。
 彼女の母である先代クローディアの下で暮らしていたジュードを初めとする黒髪の子供たちは皆、交代でチェルシーの遊び相手になってきたからだ。
 それはチェルシーの両親である先代クローディアと前国王が亡くなった後でも変わらなかった。

 むしろ両親を失ったチェルシーがさびしがらぬよう、ショーナを中心とする黒髪の者達で毎日手厚く相手をしていたのだ。
 中には幼子の相手をすることをうとましく思う者もいたが、ジュードはチェルシーの相手をすることは嫌いではなかった。
 身寄りのない彼には幼いチェルシーがどこか妹のように思えたのだ。
 だからこそそんなチェルシーを置いて自分もこの場所から出て行こうとしていることに罪悪感を覚えていた。

 もちろん自分がチェルシーに兄のようにしたわれているなどと自惚うぬぼれるつもりはないが、それでもチェルシーは傷付くかもしれない。
 姉に会いたくても会えない彼女の心はもう十分に傷付いているというのに。
 そのことを思うと心苦しかったが、それでもジュードはすでに心に決めていた。
 このくさった場所を出て行くと。

「お姉さんがチェルシーのことを忘れるはずはないと思うよ。きっと忙しくてお手紙を書けないんじゃないかな」

 ジュードがそう言うとチェルシーは残念そうに目をせる。
 そんな様子にジュードはズキリと胸が痛んだ。
 チェルシーの姉である当代のクローディアは王国と決別して出て行ったのだ。
 王国から見れば裏切り者だった。
 もう戻ってくることはないだろう。

 そのくらいはまだ13歳のジュードにも分かる。
 きっとチェルシーもいずれそのことを理解するだろう。
 その時にチェルシーがどのような受け止め方をするのかは分からないが、自分に出来ることは何もない。
 ジュードはおのれの選択を胸の内でチェルシーにびるのだった。

 ☆☆☆☆☆☆

(チェルシー……)

 幼かったチェルシーの面影おもかげがどうしても脳裏のうりから離れない。
 だがジャスティーナの言った通り、あの幼子はもういない。
 今、彼女は公国を侵略する王国軍のチェルシー将軍なのだ。
 今さら会わせる顔もなければ、かける言葉もない。

 心残りを振り払うように短い追憶から意識を引き戻し、ジュードは夕食後の後片付けを済ませる。
 ジャスティーナはその間、小川でんできた水で歯磨はみがきを済ませ、寝藁ねわらに寝転んだ。

「先に寝るぞ。2時間で起こしてくれ」
「了解」

 それから1分もしないうちにジャスティーナは寝息を立て始める。
 そんな彼女を見てジュードは苦笑した。
 ジャスティーナはいつでもどこでもああしてすぐに寝入ることが出来るのだ。
 そのくせ何かあればサッと目を覚ます。
 聞いたところによると若い頃に師である戦士からそう訓練をされたので、身に染み付いているらしい。

(あの特技は俺も欲しいんだが、なかなか身につかないな)

 そのうちプリシラとエミルが歯磨はみがきを終えて小屋に戻ってきた。
 そしてジャスティーナがすでに寝ているのを見ると、プリシラは気を使って声を潜める。

「もう寝たんだね。ジャスティーナ」
「ああ。今夜は俺とジャスティーナが交代で見張りをするから、2人は先に寝てくれ」
「そんな。アタシも見張りをするわ。野営訓練で見張り役もやったことがあるから大丈夫よ。2人だけに任せるわけにはいかないわ」

 そう言うプリシラを見てジュードは微笑ほほえんだ。

(根がまっすぐな子だな。きっといい女王になる)

 王族には良い印象がまったくないジュードだが、まだ出会って1日足らずのプリシラの性根の正しさに好感を覚えていた。

「分かった。じゃあジャスティーナと一緒に2時間後に起こすから、すぐに寝たほうがいい。もうエミルは寝ているみたいだけどな」

 プリシラのとなりでエミルはすでに立ったままコックリコックリと船をいでいた。
 そんな弟に苦笑しつつ、プリシラはエミルを連れて寝藁ねわらに横たわる。
 寝心地がいいとは決して言えなかったが、寝藁ねわらはしっかりと天日干しをされているようで、良い香りがした。
 すでにとなりで寝入っている弟を見つめながら、心身の疲労が蓄積ちくせきしていたプリシラもすぐに眠りに落ちていったのだった。

 ☆☆☆☆☆☆

 エミルは夢を見ていた。
 母の夢でもなければ父の夢でもない。
 自分が水の底でうずくまっている夢だ。
 そして目の前には……彼女がいる。

【坊や……困ったことになっているみたいね】

 黒い髪の女はそう言うとエミルの両頬りょうほほを手で包み込み、面白がるようにクスクスと笑った。

【あなたをねら不埒ふらちやからもいるみたい……ワタクシのかわいい坊や。気をつけないと誰かに食べられちゃうわよ】
「……えっ?」

 その言葉にエミルは戸惑った。
 そんなエミルの黒髪をゆっくりと手ででながら黒髪の女は目を細めて笑う。

【ふふふ。大丈夫。しつこい相手には……ワタクシが怒っておいてあげるから】

 そう言う黒髪の女の口元が冷酷にゆがみ、その禍々まがまがしさにエミルはゾクリとした恐怖を覚えるのだった。
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