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第37話 ジュード走る
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燃えるアリアドの街の中でジュードは荷物を背負いながら東側を目指して走り続けていた。
市壁で囲まれたアリアドの街は東西南北の4ヶ所に大門がある。
そのうち北の大門はつい先ほど破壊されて燃え崩れ、そこから敵の侵入を許していた。
現在、残された3つの大門はさらなる敵の侵入を防ぐべく固く閉ざされているはずだ。
必然的に街の外への脱出は許されないだろう。
だがジュードは数日に渡るこの街の滞在で知っていた。
この街の東側には市壁のすぐ傍に背の高い教会の聖堂があり、その屋根の上からならば市壁を乗り越えることが可能だと。
(とにかくこの街から出なければ)
街はそこかしこで火の手が上がっている。
だが、王国兵たちの狙いは街の中央部にある庁舎らしく、それ以外の場所に敵兵の姿はなかった。
ただ、火の勢いが強く、さらには風も吹き出したために炎が次々と家屋に燃え移っていく。
あっという間に火災は街中に拡大していった。
「くそっ! ひどいことになってきた」
人々が逃げ惑う中、ジュードはひたすら目的の教会を目指して走り続ける。
黒髮術者としての感覚は閉ざしたままだ。
王国兵の中にはおそらく軍事的な訓練を受けた黒髮術者の集団である黒帯隊がいるはずだ。
今、黒髮術者の力を使えば、自分の存在に勘付かれてしまうかもしれない。
それにこれほどの被害が出ている中で黒髮術者の感覚を開いてしまうと、人々の苦しみや恐怖がとめどなく押し寄せてきて、その抑制に労力を割かねばならない。
だが、街中を走るその途上で彼は黒髮術者としての感覚ではなく、その耳で聞いた。
幼い子供が泣き叫ぶのを。
「おかぁぁぁぁさぁぁぁぁん!」
足が止まる。
そしてジュードは見た。
細い路地の先、焼けて崩れ落ちた屋根とその隣の家の壁との間に出来た隙間に、まだ幼い女の子が挟まるようにして倒れて泣いているのを。
それを見たジュードはすぐさま路地に駆け込むと、まだ火がついたままの瓦礫を慎重にどかし、その下から子供を引っ張り出した。
それはまだ3歳にも満たないくらいの幼子だった。
だが体が小さかったことが幸いして、瓦礫の隙間の中でも大きなケガはしていないようだ。
手足に軽く擦り傷を負っている程度だが、それでも幼子にはあまりにも恐ろしい出来事だったのだろう。
ジュードは激しく泣きじゃくるその子の背中を優しくさすり宥める。
「もう大丈夫だよ。お父さんかお母さんは?」
そう尋ねても幼子は首を横に振るばかりで答えることが出来ない。
(どこか安全な場所に避難させないと)
仕方なくジュードはその子を抱えて細い路地から通りに出た。
すると今度は泣き叫ぶように誰かを呼ぶ女性の声が聞こえてきた。
見ると若い女性があちこちの細い路地を出たり入ったりして、半狂乱になりながら誰かを探している。
それを見たジュードはピンと来て声をかけた。
「おい! そこのあんた!」
呼ばれた女性はすぐにジュードに目を向け、彼の腕に抱かれた幼子の姿を見ると、泣きながら駆け寄ってきた。
ジュードはすぐに子供を彼女に手渡す。
「あんたの子だな?」
「は、はい。逃げている途中で爆発がおきて、はぐれてしまって……無事で良かった」
顔を煤と涙でグシャグシャに汚したその女性は子の名を呼びながらその命を確かめるように抱きしめる。
幼い娘も母と出会えた安堵でしゃくり上げるように泣きながら母親にしがみついていた。
「ここから安全な場所に逃げるんだ。行けるか?」
そう言うジュードだが、女性は困惑の表情を浮かべる。
「あちこち火事だらけで、どこへ逃げたらいいか分からないんです」
今こうしている間にも街を焼く炎は燃え広がっている。
風下の方角に火災が拡大しているため、風向きを読んで避難しなければならないが、こうして街中にいるとそれもままならない。
ジュードは目の前で困窮している母娘を見て唇を噛みしめると覚悟を決めた。
(一か八かやるしかないな)
ジュードは静かに息を吐くと、黒髮術者の力を開放する。
するとその感覚が周囲に広がっていき、人々の苦しみや恐れがあちこちから伝わってきた。
しかしその濃度には方角によって明確に差があり、多くの人が苦しんでいるところにはそれだけ強い感情が渦巻いている。
ジュードはその濃度が出来る限り低い方角を探し出す。
街の西側にはまだ火の手が回っておらず苦しんでいる人はほぼいない。
そして頭の中にこのアリアドの地図を思い浮かべると、すぐさま黒髮術者としての感覚を閉じて母娘に伝えた。
「俺は西から人を探してこちらへ来たんだが、街の西部はまだ火の手が回っていない。ここから北西通りを通って西側に逃げるんだ」
ジュードは細かい経路を簡潔に伝え、それから水袋を一つ渡してやった。
「気をつけて」
そう言うジュードに母は何度も礼を言い、幼い娘を抱いて走り出した。
その姿を見送ると、ジュードは自分も踵を返して走り出す。
(大丈夫だっただろうか)
時間にしてほんの十数秒のことだったが、黒髮術者の力を開放する間、他者からの接触は感じられなかった。
おそらくこの戦乱の最中であり、黒帯隊の面々は自軍の助力に意識を傾けているのだろう。
そう思い、ジュードは目的の東の市壁に向かって走り続けるのだった。
市壁で囲まれたアリアドの街は東西南北の4ヶ所に大門がある。
そのうち北の大門はつい先ほど破壊されて燃え崩れ、そこから敵の侵入を許していた。
現在、残された3つの大門はさらなる敵の侵入を防ぐべく固く閉ざされているはずだ。
必然的に街の外への脱出は許されないだろう。
だがジュードは数日に渡るこの街の滞在で知っていた。
この街の東側には市壁のすぐ傍に背の高い教会の聖堂があり、その屋根の上からならば市壁を乗り越えることが可能だと。
(とにかくこの街から出なければ)
街はそこかしこで火の手が上がっている。
だが、王国兵たちの狙いは街の中央部にある庁舎らしく、それ以外の場所に敵兵の姿はなかった。
ただ、火の勢いが強く、さらには風も吹き出したために炎が次々と家屋に燃え移っていく。
あっという間に火災は街中に拡大していった。
「くそっ! ひどいことになってきた」
人々が逃げ惑う中、ジュードはひたすら目的の教会を目指して走り続ける。
黒髮術者としての感覚は閉ざしたままだ。
王国兵の中にはおそらく軍事的な訓練を受けた黒髮術者の集団である黒帯隊がいるはずだ。
今、黒髮術者の力を使えば、自分の存在に勘付かれてしまうかもしれない。
それにこれほどの被害が出ている中で黒髮術者の感覚を開いてしまうと、人々の苦しみや恐怖がとめどなく押し寄せてきて、その抑制に労力を割かねばならない。
だが、街中を走るその途上で彼は黒髮術者としての感覚ではなく、その耳で聞いた。
幼い子供が泣き叫ぶのを。
「おかぁぁぁぁさぁぁぁぁん!」
足が止まる。
そしてジュードは見た。
細い路地の先、焼けて崩れ落ちた屋根とその隣の家の壁との間に出来た隙間に、まだ幼い女の子が挟まるようにして倒れて泣いているのを。
それを見たジュードはすぐさま路地に駆け込むと、まだ火がついたままの瓦礫を慎重にどかし、その下から子供を引っ張り出した。
それはまだ3歳にも満たないくらいの幼子だった。
だが体が小さかったことが幸いして、瓦礫の隙間の中でも大きなケガはしていないようだ。
手足に軽く擦り傷を負っている程度だが、それでも幼子にはあまりにも恐ろしい出来事だったのだろう。
ジュードは激しく泣きじゃくるその子の背中を優しくさすり宥める。
「もう大丈夫だよ。お父さんかお母さんは?」
そう尋ねても幼子は首を横に振るばかりで答えることが出来ない。
(どこか安全な場所に避難させないと)
仕方なくジュードはその子を抱えて細い路地から通りに出た。
すると今度は泣き叫ぶように誰かを呼ぶ女性の声が聞こえてきた。
見ると若い女性があちこちの細い路地を出たり入ったりして、半狂乱になりながら誰かを探している。
それを見たジュードはピンと来て声をかけた。
「おい! そこのあんた!」
呼ばれた女性はすぐにジュードに目を向け、彼の腕に抱かれた幼子の姿を見ると、泣きながら駆け寄ってきた。
ジュードはすぐに子供を彼女に手渡す。
「あんたの子だな?」
「は、はい。逃げている途中で爆発がおきて、はぐれてしまって……無事で良かった」
顔を煤と涙でグシャグシャに汚したその女性は子の名を呼びながらその命を確かめるように抱きしめる。
幼い娘も母と出会えた安堵でしゃくり上げるように泣きながら母親にしがみついていた。
「ここから安全な場所に逃げるんだ。行けるか?」
そう言うジュードだが、女性は困惑の表情を浮かべる。
「あちこち火事だらけで、どこへ逃げたらいいか分からないんです」
今こうしている間にも街を焼く炎は燃え広がっている。
風下の方角に火災が拡大しているため、風向きを読んで避難しなければならないが、こうして街中にいるとそれもままならない。
ジュードは目の前で困窮している母娘を見て唇を噛みしめると覚悟を決めた。
(一か八かやるしかないな)
ジュードは静かに息を吐くと、黒髮術者の力を開放する。
するとその感覚が周囲に広がっていき、人々の苦しみや恐れがあちこちから伝わってきた。
しかしその濃度には方角によって明確に差があり、多くの人が苦しんでいるところにはそれだけ強い感情が渦巻いている。
ジュードはその濃度が出来る限り低い方角を探し出す。
街の西側にはまだ火の手が回っておらず苦しんでいる人はほぼいない。
そして頭の中にこのアリアドの地図を思い浮かべると、すぐさま黒髮術者としての感覚を閉じて母娘に伝えた。
「俺は西から人を探してこちらへ来たんだが、街の西部はまだ火の手が回っていない。ここから北西通りを通って西側に逃げるんだ」
ジュードは細かい経路を簡潔に伝え、それから水袋を一つ渡してやった。
「気をつけて」
そう言うジュードに母は何度も礼を言い、幼い娘を抱いて走り出した。
その姿を見送ると、ジュードは自分も踵を返して走り出す。
(大丈夫だっただろうか)
時間にしてほんの十数秒のことだったが、黒髮術者の力を開放する間、他者からの接触は感じられなかった。
おそらくこの戦乱の最中であり、黒帯隊の面々は自軍の助力に意識を傾けているのだろう。
そう思い、ジュードは目的の東の市壁に向かって走り続けるのだった。
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