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第31話 血に汚れていない手

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 傭兵ようへいらと戦闘を続けるプリシラは、20メートルほど先にいるジャスティーナの放った矢が木々の合間をって正確に傭兵ようへいたちにトドメを刺していく様子を見て息を飲んだ。

(ジャスティーナ。すごい……あんなに正確に)

 プリシラも弓矢の訓練は数え切れないほど行ってきた。
 的が100メートル離れていても直線であれば多少の風の中でも当てる自信はある。
 だがジャスティーナの弓の技術は異質なものだった。

 月明かりが差し込むとはいえ薄暗い林の中で、ジャスティーナは短弓を手に動き回りながら、木々の合間をうように矢を命中させる。
 しかも倒れている敵の頭を一撃で仕留めるのだ。
 そんな芸当はとても自分には出来ないとプリシラは思った。

 だがジャスティーナのその行為は……自分が傭兵ようへいらにトドメを刺さなかったことを責められているような気持ちになる。
 プリシラは実戦経験がない。
 当然、人をあやめたこともない。
 ダニアの戦士であれば、戦の場においてその手を血で汚すことは至極当然のことだと分かっているが、プリシラにはその勇気がなかった。

(敵をきちんと仕留めなきゃいけないのに……)

 やがてジャスティーナは短弓を捨てて短槍を拾い上げると、プリシラのいる方へと駆け寄ってくる。
 ジャスティーナの周囲にいた傭兵ようへいたちはどういうわけか、それを追うことが出来ない。
 それを見た傭兵ようへい団の頭目が激昂げっこうして声を上げる。

「何やってんだ! あの女を止めろ!」

 頭目の周りにいる数名の傭兵ようへいらはその声に弾かれたようにジャスティーナに向かっていく。
 そのためプリシラの周囲は必然的に手薄になった。
 それを見たプリシラたちは一気に敵の傭兵ようへいらに襲いかかる。

「ぎゃあっ!」
「うげっ!」
 
 傭兵たちは次々とプリシラに打ち倒され、ついに彼女は傭兵ようへい団の頭目とそのとなりにいる曲芸団サーカスの団長に迫った。

「さあ、もうあなたたちを守ってくれる手下はいないわよ!」

 そう言うプリシラに頭目は怒りの形相ぎょうそうなたを握った。

「調子に乗るなよ。小娘。俺はいくつもの戦場を渡り歩いてきたんだ。他の奴らと一緒にしないほうがいい」
「フンッ。だったら正々堂々と勝負してみせなさい。こんな小娘相手にそれすら出来ないようなら、もう傭兵ようへいなんて店じまいするべきね」
「抜かせ!」

 頭目は声を荒げ、なたを構えて突っ込んで来た。
 他の傭兵ようへいらよりも背が高く体も一回り大きい。
 そして武器を構えるその姿は確かに元・軍人らしいたたずまいだった。 
 
 だが、ブリジットやクローディアにきたえられてきたプリシラから見れば、彼もまた他の傭兵ようへいたちと大差なかった。
 プリシラは一瞬で頭目と距離を詰めようとする。
 しかし……そこで不意に彼女の足に何かがからみついた。
 プリシラは思わず体勢をくずしてしまう。

「なっ……」

 それはプリシラの周囲に倒れていた傭兵ようへいの1人が投げた鉤縄かぎなわだった。
 それがプリシラの右足、次いで左足にからみついたのだ。
 予期せぬ事態にプリシラの足はもつれ、倒れ込んでしまう。
 そんな彼女の頭上から頭目がなたを思い切り振り下ろした。

「くたばれ!」
「くっ!」

 プリシラは懸命に短剣を持つ手を頭上に伸ばしてこれを防ぐが、そんな彼女の肩を頭目は力任せに蹴り飛ばした。

「くあっ!」

 思わず倒れ込んだプリシラの体に、あみがかけられてしまう。
 いつの間にか頭目の横にいた若き傭兵ようへいが投げた物だ。
 プリシラは懸命にそこから抜け出そうとしたが、不意にその目に映る光景に思わず動きを止めた。

 エミルのいる木に数本の矢が打ち込まれ、そのうちの一本がエミルの体のすぐ近くを通り過ぎる。
 そのせいでエミルは悲鳴を上げ、木の幹をつかんでいた手を放してしまったのだ。
 そしてバランスをくずしてエミルは木から落下していく。
 プリシラの口から悲痛な叫び声が発せられ、林の中に響き渡った。

「エミルゥゥゥゥ!」

 ☆☆☆☆☆☆

 エミルは木につかまったまま歯を食いしばり、目を閉じていた。
 そのせいで聴覚がえ、音が妙にハッキリと聞こえる。
 争う声や音、人の悲鳴、そして時折すぐ近くに聞こえる風切り音や空気の振動が伝わって来る。

 さらに黒髪術者ダークネスである彼は、今この場にいる者たちの様々な感情を頭の中で感じ取っていた。
 怒り、憎しみ、恐怖、絶望。
 そうした目をそむけたくなる感情が容赦ようしゃなく押し寄せてきて、エミルの心はもう限界を迎えようとしていた。 
 そんな彼の心の堤防を決壊させたのは、鋭い痛みだった。

「いっ!」

 不意に右上腕部に焼けるような痛みを覚え、それから木の幹に硬い何かが突き立つ音が聞こえた。
 エミルは痛みとおどろきで目を開ける。
 すると右腕の衣服の部分が破れていて、肌に血がにじんでいる。
 そして目の前の木の幹には一本の矢が突き立っていた。
 飛んできたその矢が自分の右腕をかすめたのだと悟った瞬間、エミルは恐怖に襲われて、痛む右腕をかばうように左手をえた。
 途端とたんにエミルはバランスをくずしてしまう。

「あっ……」

 短く声をらしたその時には、エミルの体は空中に投げ出されていた。
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