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第7話 黒い女
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エミルは真っ暗な海の底へと潜っていく。
水の中だというのに呼吸も出来るし、体も濡れない。
それが幼い頃から幾度も見てきた夢だとエミルはすぐに気が付いた。
そしていつものようにその海の底に……彼女はいた。
【いらっしゃい……また……会えたわね】
長い黒髮のその女はエミルに手招きをして笑う。
それはどこか歪な笑顔であり、エミルはそれが恐ろしく感じられた。
彼はその女を幼い頃から知っている。
エミルが物心ついた頃からずっと彼女は夢の中に現れるのだ。
エミルは彼女が怖かった。
その雰囲気や自分を見つめる目に、本能的な恐怖を感じるのだ。
だが、この日はいつもと少しばかり違った。
【お母様やお父様と離れ離れは……寂しいわよね】
そう言った女の顔からは禍々しさが消え、寂寥感が滲む。
親の帰りを待つ幼子のような顔だ。
いつもは女から話しかけられても黙って俯いているだけのエミルだが、この日は初めて自分の方から彼女に話しかけたのだ。
それは本当に自然に出た言葉だった。
「……あなたは寂しいの?」
【ええ……寂しいわ。父も……母も……愛する人もいなくなってしまった……】
そう言った黒髪の女がどこか憐れに思えてエミルは口をつぐむ。
そんなエミルに女は言った。
【心配してくれるの? 優しい子……あなたはお父様に……そっくりね】
「……父様を知っているの?」
驚いてそう尋ねるエミルに黒髪の女はニコリと微笑んだ。
【ええ……皆がワタクシを忌み嫌う中……あなたのお父様だけは……ワタクシを憐れんでくれた。そして……ワタクシが幸せに生まれ変わることを願ってくれた。そんな人は……他に1人もいなかったわ。ワタクシの愛する人でさえも……】
女は微笑みながらそう言うが、エミルはその微笑みの中に深く黒い憎しみが宿っているのを感じ取っていた。
それがエミルを困惑させる。
「父様のこと……好きなの? 嫌いなの?」
その問いに黒髮の女は笑みをより深くする。
そのせいで彼女の禍々しさが再び甦ってきた。
【好きよ……ワタクシの心に触れてくれたから。でも嫌い……ワタクシの愛しい人を……奪ったから】
その答えに困惑するエミルは今まで何度も疑問に思ったことを口にした。
「あなたは……誰なの?」
思わずそう尋ねるエミルに女は人差し指を唇に当てて妖艶な笑みを浮かべた。
【ふふふ……ワタクシはあなた。誰にも……内緒よ。じゃないと……あなたもお母様やお父様に嫌われてしまうから。ワタクシみたいに……】
そう言う女の顔が泡となって消えていくと、エミルは海流によって静かに海面へと引き戻されていくのだった。
☆☆☆☆☆☆
ふとエミルが目を覚ますとそこは馬車の上だった。
ガラガラと車輪が地面を打つ音と振動を感じながらエミルは身を起こす。
「目が覚めたか。小僧。情けないガキだぜ。姉貴が体を張って守ろうとしているのに、当の本人は気絶しちまうんだからなぁ」
そう言う声が頭の上から降ってきて、エミルは顔を上げた。
同じ馬車に用心棒の1人が乗っていてエミルを見下ろしていた。
(そうだ……天幕の中で……)
姉のプリシラが殴られて気を失うのを見たエミルは、その衝撃と恐怖で自分も気が遠くなるのを感じ、そこからの記憶がない。
自分も気を失っていたのだと理解した彼の脳裏に、倒れた姉の姿が鮮明に甦り、焦燥感に駆られてエミルは声を上げた。
「ね、姉様は! 姉様はどこなの!」
必死にそう叫ぶエミルをあざ笑う用心棒はすぐ傍に腰を下ろした。
「生きているぜ。他の馬車に乗せられている。傷つけたりしねえから安心しな。おまえも姉貴も大事な商品だからなぁ。だが、おまえがおとなしく従わねえなら、姉貴のほうが少しばかり痛い目を見ることになる。そのことを忘れるんじゃねえぞ」
そう言うと用心棒の男はエミルを睨みつけて来た。
屈強な大人の男に凄まれて、わずか10歳のエミルは委縮して俯くことしか出来なかった。
水の中だというのに呼吸も出来るし、体も濡れない。
それが幼い頃から幾度も見てきた夢だとエミルはすぐに気が付いた。
そしていつものようにその海の底に……彼女はいた。
【いらっしゃい……また……会えたわね】
長い黒髮のその女はエミルに手招きをして笑う。
それはどこか歪な笑顔であり、エミルはそれが恐ろしく感じられた。
彼はその女を幼い頃から知っている。
エミルが物心ついた頃からずっと彼女は夢の中に現れるのだ。
エミルは彼女が怖かった。
その雰囲気や自分を見つめる目に、本能的な恐怖を感じるのだ。
だが、この日はいつもと少しばかり違った。
【お母様やお父様と離れ離れは……寂しいわよね】
そう言った女の顔からは禍々しさが消え、寂寥感が滲む。
親の帰りを待つ幼子のような顔だ。
いつもは女から話しかけられても黙って俯いているだけのエミルだが、この日は初めて自分の方から彼女に話しかけたのだ。
それは本当に自然に出た言葉だった。
「……あなたは寂しいの?」
【ええ……寂しいわ。父も……母も……愛する人もいなくなってしまった……】
そう言った黒髪の女がどこか憐れに思えてエミルは口をつぐむ。
そんなエミルに女は言った。
【心配してくれるの? 優しい子……あなたはお父様に……そっくりね】
「……父様を知っているの?」
驚いてそう尋ねるエミルに黒髪の女はニコリと微笑んだ。
【ええ……皆がワタクシを忌み嫌う中……あなたのお父様だけは……ワタクシを憐れんでくれた。そして……ワタクシが幸せに生まれ変わることを願ってくれた。そんな人は……他に1人もいなかったわ。ワタクシの愛する人でさえも……】
女は微笑みながらそう言うが、エミルはその微笑みの中に深く黒い憎しみが宿っているのを感じ取っていた。
それがエミルを困惑させる。
「父様のこと……好きなの? 嫌いなの?」
その問いに黒髮の女は笑みをより深くする。
そのせいで彼女の禍々しさが再び甦ってきた。
【好きよ……ワタクシの心に触れてくれたから。でも嫌い……ワタクシの愛しい人を……奪ったから】
その答えに困惑するエミルは今まで何度も疑問に思ったことを口にした。
「あなたは……誰なの?」
思わずそう尋ねるエミルに女は人差し指を唇に当てて妖艶な笑みを浮かべた。
【ふふふ……ワタクシはあなた。誰にも……内緒よ。じゃないと……あなたもお母様やお父様に嫌われてしまうから。ワタクシみたいに……】
そう言う女の顔が泡となって消えていくと、エミルは海流によって静かに海面へと引き戻されていくのだった。
☆☆☆☆☆☆
ふとエミルが目を覚ますとそこは馬車の上だった。
ガラガラと車輪が地面を打つ音と振動を感じながらエミルは身を起こす。
「目が覚めたか。小僧。情けないガキだぜ。姉貴が体を張って守ろうとしているのに、当の本人は気絶しちまうんだからなぁ」
そう言う声が頭の上から降ってきて、エミルは顔を上げた。
同じ馬車に用心棒の1人が乗っていてエミルを見下ろしていた。
(そうだ……天幕の中で……)
姉のプリシラが殴られて気を失うのを見たエミルは、その衝撃と恐怖で自分も気が遠くなるのを感じ、そこからの記憶がない。
自分も気を失っていたのだと理解した彼の脳裏に、倒れた姉の姿が鮮明に甦り、焦燥感に駆られてエミルは声を上げた。
「ね、姉様は! 姉様はどこなの!」
必死にそう叫ぶエミルをあざ笑う用心棒はすぐ傍に腰を下ろした。
「生きているぜ。他の馬車に乗せられている。傷つけたりしねえから安心しな。おまえも姉貴も大事な商品だからなぁ。だが、おまえがおとなしく従わねえなら、姉貴のほうが少しばかり痛い目を見ることになる。そのことを忘れるんじゃねえぞ」
そう言うと用心棒の男はエミルを睨みつけて来た。
屈強な大人の男に凄まれて、わずか10歳のエミルは委縮して俯くことしか出来なかった。
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