蛮族女王の娘 第1部【公国編】

枕崎 純之助

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第1話 姉と弟

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「姉様。早く母様のところに戻ろうよ。迷子になっちゃうよ」

 今にも泣き出しそうな顔でそう言いながら自分の服のそでを引っ張ってくる弟のエミルに、プリシラは苛立いらだった。
 10歳のエミル。
 父に良く似た美しい黒髪と、母に良く似た緑色の目を持つこの弟は日頃から泣き虫であり、プリシラは姉としてそんな弟の気弱さを常々情けなく思っている。
 その苛立いらだちをぶつけるかのように彼女は冷たく腕を振って弟の手を払った。

「何言ってるのよエミル。せっかく鬱陶うっとうしい見張りの衛兵を振り切ったのに。あなたって本当に母様がいないと何も出来ないのね。エミルもあの母様の子なんだから、もっとしっかりしなさいよ。メソメソするのはやめて。見ていてイライラするわ」

 プリシラはいつものように弟をそうしかりつけた。
 エミルの姉であるプリシラは13歳。
 成人となる15歳まであと2年弱となったこの少女は、母譲りの長く美しい金髪を頭の後ろで一つにまとめていて活発な印象だ。
 そんな彼女は弟の手をつかむと、その青い瞳で目の前に広がる見慣れぬ街の光景を見渡した。

 プリシラとエミル。
 2人はかつて蛮族ばんぞくと恐れられた屈強くっきょうな女ばかりの一族・ダニアの女王である第7代ブリジットとその情夫ボルドとの間に生まれた姉弟だ。
 弟はおどおどとした様子で、勝ち気な表情の姉を見上げる。

「でも……勝手に出歩いて母様に怒られるの……僕いやだよ」
「何よ。そのくらい。アタシは怒られたって平気よ。せっかくダニアの外に出られたんだから、こんなチャンスないのよ。楽しまなきゃ。エミルがそんな顔していたら楽しい気分が台無しだわ」
「だって……」

 エミルはそう言うと口ごもる。
 そんな弟を見てプリシラはますます苛立いらだちをつのらせた。

「エミルはいつも、でもでもだって、ばっかりね」

 活発で気丈な彼女は弟の気弱さがうとましく、時折邪魔じゃまにすら思えてしまう。
 プリシラは幼い頃から野山を駆け回り、新しい物事を見聞きするのか大好きな性分だった。
 今日も住まいであるダニアの街から馬車で1日をかけて、この共和国西部の商業都市ビバルデまで母と一緒に買い物に来ているのだが、プリシラにとってはめずらしいものをたくさん見ることのできる、またとない機会だった。

 だが、せっかく楽しもうとしてもとなりに暗い顔でメソメソする弟がいるのでは気が滅入めいるばかりだ。
 エミルはプリシラとは対照的に臆病で、あまり故郷の外に出たがらない性格だった。
 プリシラは弟のそんな内向的なところが昔から好きではない。

(弱い奴は嫌い……)

 あのりんとして気丈な母からこんな気弱な弟が生まれて来たことが不思議ふしぎでならなかった。
 そんな姉の憮然ぶぜんとした表情を見ながらエミルは不安げな顔でつぶやきをらす。

「父様も一緒にくれば良かったのに。そしたら父様と一緒に街を回れたのに」

 父であるボルドは穏やかな性格で子供たちにも優しく、エミルはそんな父にもよくなついていた。 
 もちろんプリシラも父が大好きだ。
 だが、どうも父はエミルを甘やかしているようにプリシラには思えてしまう。
 だからエミルはこのように気弱で甘ったれな性分になってしまったのだとさえ、プリシラは内心で思っていた。

「仕方ないでしょ。父様はお風邪かぜをひかれているんだから」

 父は数日前から体調をくずし、今回の買い物には同行できなかった。
 そのためこの日は、ブリジットと側付きの小姓こしょう数名、そして彼女の側近を含めた護衛の兵士数名のみが付いて来ている。
 そして大人たちの買い物に退屈したプリシラは、母の目を盗んでエミルの手を引き、街中に2人だけで繰り出したのだ。
 今、プリシラの目には彼女の好奇心を大いに刺激する光景が映っている。

「ほら見てエミル。あんなところに曲芸団サーカスが来ているわ。観に行くわよ」
 
 そう言うとプリシラは乗り気になれない弟の手を引き、街中の広場に設営された曲芸団サーカスの大きな天幕を目指して走り出すのだった。
 そんな2人を物陰ものかげから見つめる男の姿に2人は気付いていない。
 青白い肌をした中年のその男は、まだ幼い姉弟の姿をじっと目で追っていた。

「……上玉だ。ありゃいいところの子供だな」

 そう言うと中年の男はニヤリと笑い、その場からゆっくりと曲芸団サーカスの天幕へ向かうのだった。
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